目覚めました吸血鬼たち
最終下校時間を過ぎた夜七時の職員室。
先刻まで茜色を灯していた夕陽もその姿を消し、外は暗闇に染まっている。
桜城梓は誰もいなくなった職員室に一人残っていた。
「…………」
軽く頭を抱え、デスクに額をつけそうなほど頭を下げている彼女。
その要因となっていたのは、今日も一日なんもなしに終わって帰ろうとしたつい先ほどに受けた一本の電話だった。
「はぁ……あのバカはほんとっ」
桜城先生の受け持つ担当クラスの問題児————『龍崎葵』が下校途中で他生徒に暴力を振るっていたと警察から連絡が入ったのだ。
警察からの連絡にこちらとしても責任ある上の者がでないわけにはいかず、現場の事情から成り行きまで全て校長——及び、学年主任の『青木』の耳に入ってしまっていた。
「……さて、どうしたもんかなー」
事情をひと通り聞いた桜城は——葵が完全に悪でないと理解していた。
「どうせ武田がなんかしでかしてたんだろうに」
葵が起こす事件の大半はいつもそんなオチだったりする。
武田が他の生徒をいじめていたり、嫌がらせをしているところを葵は見過ごすことができず突っ込んで行ってしまうのだ。
「あのバカは本当に……拳でしか相手を退ける術がないんだよな」
桜城先生は葵のその行動力と人間性は高く評価している。これまで受け持ってきた生徒たちを振り返っても彼ほど正義感と真面目さを兼ね揃えた生徒は思い浮かばない。
けれど、天は二物を与えずと言うべきか————葵は力での解決方法しか分からなかったのだ。
「……まぁあ、私はそうゆう奴は嫌いじゃないんだがな……」
桜城先生は椅子の背もたれに背中を預け、頭上を見上げる。誰もいない職員室に年季の入った椅子のミシミシという音が鳴り響いた。
「…………」
見上げる視線の先。天井に張り付いた電灯がずっと輝き続けている。
「さて……私はどうするべきかねー……」
桜城先生はそう吐き出すと、上唇を伸ばし下唇を隠した。そのまま深く、ゆっくりと鼻で呼吸を繰り返す。
「うーん……」
桜城先生は頭の後ろで両手を合わせ、しばらく逡巡していた。
沈黙と静寂の中、待つこと数分。
「あっ」
彼女は不意にそう声を発した。
「……アイツらがいるじゃないか」
そう口角を上げて呟いた桜城先生の脳裏には——『五人の少女』の顔が浮かんでいた。
桜城先生は思いついた勢いのまま手元にあった一枚の白紙と黒いマジックペンを手に取る。そのまま殴り書きの様で紙にペンを走らせた——。
「よしっ、これで行こう」
書き終えた桜城先生は紙を頭上に掲げ、満足そうに笑みを浮かべる。
「早速、芽依に連絡しとこっと」
デスクの上の書類たちを適当にまとめて抱え鞄に突っ込むと、ズボンのポケットからスマホを取り出し、『芽依』と書かれた連絡先にメッセージを飛ばした。
「……さぁ明日は忙しくなりそうだ」
やるべきことが明確になったとばかりに忙しなく立ち上がり、職員室を後にしようとする桜城先生であった……。
***
「…………」
「なんです? そんなじっと見つめてきて」
「んいや……ちょっと驚いただけだ、気にしないでくれ」
突如あんな大号令を発すると思わず、度肝を抜かれてしまった葵。
そんな葵の心情を察したのか芽依は軽く頷いた。
「なるほど。てっきり私に一目惚れでもしたのかと思いどう断ろうかと考えてしまいました」
まったく見当違いな解釈をしていた……。というか——。
「そんな一瞬で断る事を考えたのかよ」
「えぇ。当たり前です」
「……それはそれでちょっとショックだ」
眉ひとつ動かすことなく言い切る芽依に、葵は両肩を落とした。
そんな軽いやり取りを挟んでいると、二人の視界の先——五つの棺桶の蓋がゆっくりと開き出した。
一斉に開いた五つの棺桶。そこからまた一斉に、中で眠っていたであろう少女たちが体を起こしていく。
そのなんとも異様で、だがどこか面白い光景に——葵は思わず口元を緩ませてしまった。
「おはようございます、みなさん」
夜中の十二時だと言うのに朝の挨拶をする芽依。
対して棺桶から体を起こした少女たちは未だボケーっとした様子をみせていた。
「……おはよう、芽依」
「えぇ、おはようございます——『イリア』」
一人、赤髪の少女だけはいち早く立ち上がって芽依と葵のもとへ近づいてくる。
「それと……」
イリアと呼ばれた少女は目を細めて芽依の隣に立つ葵を見てくる。
普段いるはずのない存在に警戒と疑いがこもった視線だった。葵はこの手の視線にはかなり慣れているので問題ないはずなのだが——。
「アぁ!!」
「え——?」
赤髪の少女は葵の顔を見るや否や——すぐに大声を上げてきたのだ。
「なんだなんだ」
その張りのある大声に、他の少女たちの目も覚めていく。
そんな中でも、やはり赤髪の少女は目を大きく見開かせたまま——葵の顔へ視線を送り続けていた。
「……なんだよ、人の顔を見るなりいきなり」
「あんた、この前の暴力男じゃない!」
「あ——?」
この前の、とはいつの事だ?
葵は必死に脳の海馬を働かせ記憶を呼び起こすも……こんな赤髪のゴスロリ少女など覚えが……。
「あぁ! お前、俺にトドメを刺したあの娘か!」
「……は?」
一方で葵のトドメと言う発言に身に覚えがないイリアは間の抜けた声を漏らす。
互いにどこかすれ違った認識をしているようだが、二人ともお互いの存在は思い出した様子だ。
「どうした、どうした!? イリア、このお手伝いさんと知り合いなのか!?」
先ほどまで人一倍眠そうに目を擦っていた金髪少女が勢いよく割り込んできた。
「イリアっちのお兄さんとかっすか?」
紫紺の髪を下ろしている少女は純粋にそんな質問をしてくる。
「バカね。私たちより年上の人間がいるわけないじゃない」
ウェーブのかかった少女が、目を輝かせ前のめりになっている二人を嗜める。
「……ミシェル……まぁあだねむい……」
一際幼い見た目の少女は未だ棺桶の中で目を擦り続けていた。
「……一気に騒がしくなったな」
先ほどまで心霊現場だなんだと思っていた自分がバカらしく思えてくる。葵はそう思うとつい気を緩ませてしまった。
「なに笑ってるのよ!」
「お前はなんでそんな怒ってるんだよ……」
ビシッ! と人差し指を突きつけてくるイリアに葵は肩を落として応える。
その奥では、ミシェルがまた棺桶の中で体を倒しかけたところを、芽依が抱っこして棺桶の外へ出していた。
そんな微笑ましい光景を前に、葵の眼前に立つ赤髪の少女はいやに鋭い眼光を飛ばしてくる。
「俺、お前になんかしたか?」
「えぇ。随分と余計なことをしてくれたわ」
「なんだって——?」
余計なこと。その一言が思い当たる節がなく、葵は怪訝な目を向けてしまう。
「あの時、お前が武田たちに絡まれていたからそれを助けただけだろ?」
「それが余計なことだって言ってるのよ」
「ア——?」
イリアが言わんとすることが理解できず——つい、荒い語気になってしまう葵。
「あの時、私はあんな奴ら上手く立ち回ってすぐに逃げ出せたのよ。それなのに、貴方が余計な問題を起こしてくれたせいで私まで警察に連行される始末よ」
「保護してもらっただけだろ。それがなんか問題なのかよ。無事で良かったじゃねーか」
「あのねー。私みたいなか弱い少女が警察なんかに連行されてみなさいよ。取り調べや保護者を呼べだのなんだの拷問のような時間だったのよ!? わかる!? 貴方のせいでこの屋敷もこの子たちも——世間にバレる危険に晒されていたのよ!」
「————」
葵は大きく目を見開かせる。
イリアの言葉に——葵はようやく彼女が怒っている『意味』を理解できたのだ。
眼前に立つ小柄ながらも逞しい赤髪の少女の『意思』と『言葉』は短絡的に考えていた葵の心に強く響いた。
「それは……」
「私たちは『行き場』を失った『はぐれ者たち』なの。そんな私たちの唯一の住処を貴方は奪いかけたのよ……」
イリアの言葉に息を飲んだ葵。
彼女の背後に立つ他の少女たちもどこか瞳を彷徨わせている。その反応がイリアの発言が的を得ていることを表していた。
「イリア。そこまでにしときなさい。——『葵さん』は今日からはお手伝いさんとしてここで働いてもらうんですよ。あなたたちのお世話をしてくれるんですから——迎え入れるべき態度と言うものがあるのではないですか?」
「葵……さん。ですって?」
芽依が葵の名を呼んだことに——イリアは怒りを滲ませた目を作った。
「……芽依もその男の味方をするのね」
「味方とか敵とか、そうゆう言う話ではありません。雇い主としての立ち振る舞いと言う話をしているのですよ」
「……そう」
イリアは燃え盛る炎のような前髪を垂らし、目を伏せた。
一泊の間を置いて、彼女はスゥーっと細い息をたっぷり吸い込んで——口を開く。
「貴方が『なんのため』にここに来たのか知らないし、興味がないわ。けどね? これだけはハッキリ言っといてあげる」
「…………」
葵は自分よりも背丈が低く幼い少女の口元に視線を集中させた。
そんな葵の視線を正面から迎え撃つようにイリアは目を鋭く細め、こう告げる。
「私は絶対に——貴方のことは許さないし、認めないから」
「…………」
幼きゴスロリ少女の強い意志が込められた言葉に————葵は瞠目するしかなかった。
外で吹き荒れる夜風が激しさを増した。
そんな気がするも……それは葵だけが感じたモノだったのかもしれない——。