心配無用の心意気
「ふぅん……なんだお手伝いって意外と簡単そうじゃん」
職員室を出た葵は貰った紙を見つめながら、学校の廊下をゆっくりとした足取りで歩き進めていた。
朝一から呼び出されたこともあり、まだまだ廊下内は人数が少なく、踏みしめる上履きの足音が響き渡っていた。朝の陽光が差し込む中——葵は顰め面を浮かべる。
「家事に炊事に掃除……まぁざっとこんなとこか? 問題はどんな奴が雇い主かってことが重要か……」
ブツクサと独り言を呟きながら廊下を歩く葵。そんな彼の横を通り過ぎる生徒たちが奇異な視線を送ってくる。だが、当の本人は微塵も気づかないでいた。
学ラン姿にプリン頭。ただでさえ鋭い目つきが、今は紙を真剣に読んでるからか——眉間に皺が溜まり、よりいっそう他の生徒たちを怯えさせてしまう。
そんな葵は背後から迫る人影に気がつかないでいた——。
「おっす! あーおいー!」
「っ……って、なんだユキトか……」
急に背後から肩を組まれた葵は反射的に振り返る。すると、視線の先には葵もよく見知った気さくな笑みを浮かべる——『金髪』のイケメンが立っていた。
「うぉー怖い怖い、そんな目してたら誰も近づけないわ」
「ほっとけ」
わざとらしく両手で目を吊り上げてみせた金髪イケメンに対し、葵はぶっきらぼうに応えていく。
『御手洗雪斗』。
葵と違い艶やかで明るい金髪で、サッカー部に所属している学校一のモテ男だ。身長も百七十センチの葵よりも頭一つ大きく、プロ選手並みの引き締まった身体をしている。この男ばかりは——天が何物も与えているとしか言えない存在だと葵は毎度思わされる。
「なんだなんだ。今日は朝からご機嫌ななめか? なにかあったのか?」
雪斗は陽気に肩を組んだままそのキザな笑顔を近づけてくる。
同じ男子のくせに葵の鼻腔を爽やかな香りがくすぐってきた。これがモテ男の発する体臭というやつなのか……と葵は羨ましげに目を細めてしまう。
「わかった、宿題忘れたんだろ」
「ちげーよ。そんなのそもそもやらないし」
「たしかにな……葵は忘れたどころか存在すら認知してない男だし……」
「おいっ、お前俺をバカにしに来たんだろ」
「あっ、なら好きな子にフラれたか!」
「なにがあっ、だ。話聞けよ。ってか、誰が朝一から告白するんだよ」
「いやいや、朝一なんて人気のないシュチュエーションじゃん。放課後より色々とヤるにはもってこいな時間帯だろ」
「はぁ……それはなにか? お前の経験自慢を聞かされているわけか? この野郎」
「そんな睨むなって。俺だってそんなモテてるわけじゃないんだぜ?」
「…………」
葵は軽く周囲を見回す。
明らかに雪斗の姿を恍惚とした目で多くの女子たちが見つめている。逆にそんなイケメンの横に並ぶ葵を不純物として睨んでいるのだ。
葵が退いた瞬間、この場は暴動が起きそうな気配を醸し出していると言うのに……金髪爽やかイケメンは微塵も気づいていない様子だ。
「お前は自分が核兵器な自覚を持った方がいいぞ……」
「なんだよそんな物騒なあだ名。そんなこと言われたの葵が初めてだぜ」
「……はぁー」
葵はなんとなくだが、雪斗は将来無意識で女性問題に巻き込まれそうだと思った。
ただそれを見るのも一興だと、ここは意地悪な感情に身を委ね、ソッと黙っておくことにする。
「そうゆう葵だって、いるじゃねーか」
「あ?」
やけにニマニマとして雪斗がそんなことを言ってくるものだから、葵はつい眉間に皺を寄せてしまった。
「いるって、なんだよ。俺、別に今好きな奴なんていねーよ」
「またまた〜」
「……なんでそんなニヤニヤしてんだよ。……知ってんだろ、俺の学校での評判。こんな奴に好きな子なんて無理だっつーの」
「まぁ学校一の問題児だもんなー。けど、一人はいるだろ」
「あ? 誰だよ」
「……え? マジで分からない?」
「思い当たる人物が誰もいないんだが?」
「…………おぉ……これは……」
「なんなんだよ」
軽く顔を引き攣らせる雪斗に、葵も怪訝な目を向けてしまう。
「うーん……ハナミも前途多難だな……」
「……なんでここで『ユウ』の名前が出てくんだよ」
雪斗から発せられた覚えのある名前に、葵は軽く身を引かせてしまう。
好き嫌いとはまた別方向で葵にとってその名前は心を引き締めてくる存在であった。
「そんな顔あまりするなよ……。ハナミだってお前のこと気にしてくれてんだから」
「まぁ……それは分かってるつもりだけどよぉ……」
「ふぅん……ここまでなってしまうとは……。あいつも少し限度が行き過ぎるところがあるし、まぁしゃーないか」
雪斗は呆れた溜息を吐くも、柔らかな笑みを浮かべていた。
「……ユウはなー……」
「なんだ? まだ引きづってるのか?」
「逆になんでお前はそんな割り切れてるんだよ」
「まぁ、そうなっちまったもんは今更どうにもできないし? それも運命だって割り切るしかないって話だろ?」
「……お前はほんと図太いな」
「葵ほどじゃないさ」
葵は向けられたその笑みに思わず顔を逸らしてしまう。雪斗とは中学からの付き合いであり、今名前が出た『花御侑』と言う女子生徒の三人で一緒にこの獅子尾高校に受験した経緯がある。
同じ学力レベルの雪斗はともかく、ハナミにとっては周囲が行くべきだと勧めた高校を蹴って葵たちと同じ高校を選んだと聞いた。
本人曰く、『——学校なんてどこでもいいわよ。私がするべきことが変わるわけじゃないし』と言い切っているのだが……。葵からすれば本来行くべき道を自分たちが関わったことで良くない道へと進ませてしまっているのではないかと、ずっと心の隅に抱えているため、どこか彼女と顔を合わせるのは毎度気まずいのだ。
「——おっ、噂をすれば」
「————!」
雪斗の声音を聞くよりも先に、葵はその見開かせた目で捉えていた。
腰先まで伸びた黒髪にスラリとしたボディーライン。黒いストッキングで覆われた脚は整った脚線美を見せており、背筋の伸びた佇まいと相まって通り過ぎる男子生徒たちの視線を奪っていた。
そんな彼女の姿を見ただけでも葵の心臓は高鳴ってしまう。
「……あれは……青木じゃねーか」
葵の隣では雪斗が睨みを聞かせていたが、葵は気がつかずにいた。
大柄でガタイの良い青木先生と廊下で話し込んでいる花御。二人の間には軽く笑みが作られており、どこか和やかな教師と生徒の雰囲気を放っていた。
「あっ」
「————」
ところがそんな淡い空気は、葵たちが近づくと同時に消え去っていく。
近づいてきた葵の存在に気づいた花御が目を見開かせ、青木も葵の存在に気づいた。
「……龍崎葵」
忌々しい存在を見るかのように侮蔑を込めた眼差しを向けてきた青木。
葵はこの男が自分を退学させたがっている事実を知っているし、きっと桜城先生もこの男に少なくとも『借り』を作ってしまっていることも察していた。
この男だけは葵にとって完全な『敵』であり、青木にとって龍崎葵は『消したい存在』なのだ。
教師と生徒という関係上、無視するわけにもいかず葵は青木に軽く会釈をして通り過ぎていく。
すると、青木が葵の手に握られていた一枚の紙へ視線を向けた。
「ふっ、なんだお前は『そんな』ものを受けるのか?」
「……あ?」
葵は足を止めて振り返る。
隣で雪斗が「おいっ、」と先を急かせるも、すでに葵は青木と正対していた。
「今、そんなものなんて言ったか?」
「あぁ言ったさ。そんなものってな。頭だけじゃなく耳まで腐っているのか?」
「……ッ」
武田と同じようなことを言われ、頭に血がのぼる葵。彼の背後では雪斗と花御も目を鋭くさせていた。
青木は葵たちの目を見て、軽く溜息を吐く。
「ほんと桜城先生もお前たちもなぜ、そんな『バカ』の肩を持つのか……」
「なんだって?」
「まぁそんな怒るなって。どちらにしろお前はもうこの学校に来ないんだ。せいぜい『最後の思い出』くらい楽しんでこい」
青木は口端をあげてそう言ってきた。葵の退学を信じて疑わないその口ぶりは、確信に満ち溢れていた。
「花御。お前もクラス委員長ならば付き合う相手は選んだ方がいいぞ? ——お前のためにもな」
「それは私自身が決めることですので」
「ほんと、お前の欠点はこんな奴と仲を持っていることだよな……」
「————っ」
花御が鋭い眼光を飛ばすと、青木は呆れたような苦笑を浮かべる。
「お前のような生徒は我が校の『恥』でしかないからな——」
青木は葵にしか聞こえない小声でそう囁くと——軽く手をあげ、ポケットに手を突っ込み去っていく。
「…………」
視界の向こうへ歩いていく青木の背中を睨みつける葵。よりいっそう今回巡ってきたチャンスをやり遂げてやる決意が昂まる。
(ぜってーあんな奴の思いどおりになんてなってやるもんかッ)
そう胸に思いを秘め、瞳に熱を灯す葵であった。
「葵……もう学校に来ないって……」
事情を知らない花御と雪斗が瞳を揺らして問いかけてくる。
「そんな心配っすことじゃねーって。ちょっとばかし面倒事をしに行くだけだよ——」
葵は今回の一連の事情を二人に話すことに決めた。
どうせ遅かれ早かれこの二人には話していただろうし、話さなければそれはそれで後々二人は動き出してしまうだろうことが目に見えていたからだ。
なら——先に話して『安心』だけさせてやるべきだろう。
今もほら、葵の話を聞くまでこの場から離れないとばかりの目を向けてきている。この状態になってしまった二人はてこでも動かないことは葵もよく知るところであった。
「実はな————」
……——。
「……マジかー」
「そんなことになってたなんて……」
葵の話を一通り聞き終えた雪斗と花御は同時に声を発した。
雪斗は眉間を指で摘み宙を見上げ、花御は横髪を手で撫でてから耳にかけ直す。
どちらの反応も葵に対し呆れを表しているも、それ以上に心配と不安を覗かせていた。
登校してくる生徒たちで周囲もだいぶ喧騒が広がり出している。ありきたりな日常と学校生活を過ごす生徒たちが退屈そうに背筋を丸めて通り過ぎていくのを、葵は視界で捉えた。
「……まぁ、大丈夫だって。今回ばかりは俺、本気だからさ」
「お前の本気はいつだって大丈夫じゃないんだが?」
「その言葉はもう何千回も聞いた気がするしね」
「……辛辣ですねー、二人とも」
やはり今までとは違い、すでに処分が『確定』してしまっている現状に雪斗も花御も声音には厳しさを滲ませていた。
「ちょっと紙見せなさいよ」
「あっ——おいっ、」
花御に紙を奪われる葵。だが彼女の真剣な眼差しを見ては伸ばしかけた手も引っ込ませてしまう。
一方で桜城先生から受け取った紙を見る花御は目を見開かせ、それを肩越しに覗き見る雪斗も同じように目を開かせていた。
「ちょっと! これほんとに大丈夫なんでしょうね!」
「これ……小学生のいたずら書きみたいだな」
「それ桜城先生の手作り。……多分」
「「余計不安でしかない」」
二人の反応は確かなものだ。なにせ白紙に太いマジックペンで書かれただけのモノなのだからそう思うのも仕方がない。むしろ心配が増長してくれるだけ二人の感性はもの凄くありがたかった。
「場所も雇い主も電話番号も何もないじゃない! そもそもあんたこの紙一枚だけ持ってどこに行こうとしていたのよ!?」
「んにゃーそれはちょうど思ってて、この後もっかい桜城先生んとこに行こうと思ってたんだよ」
「……心配でしかないわ」
花御の落胆と失望を露わにした態度に、葵は苦笑で返すしかできなかった。
そんな花御の隣に立つ雪斗が真っ直ぐな眼差しで葵を見つめてくる。
「ほんとに帰って来れるんだよな?」
その一言が聞きたい。そんな強い意志のこもった瞳が葵に向けられる。
対して今の葵が返せるのは————。
「任せてくれ。今度ばかりは絶対の約束だ」
そうハッキリと告げることだけだった。
「…………」
雪斗はなにかを考え込むような間をあけ——やがてフッ、と柔らかく微笑んでみせた。
「お前の約束は微塵も期待できないんだよ——ほんとっ」
そう言って、雪斗は葵の胸に右拳を優しくぶつけた。それを受けて葵は同じように右拳を雪斗の胸にコツン、と当てる。
「……ほんとあんたたちの気持ちが微塵も理解できないんだけど」
「いいのさ。これは男同士の分かり合いなんだよ」
「でったっ。その気持ち悪い謎理論。絶対今ノリと勢いで言ったでしょ」
「ははっ、ほんと花御は重箱の隅を突くの大好きだよな————アぁっ!?」
葵がケラケラと笑いながらそう言うと——花御の強烈な回し蹴りが葵の脇腹を振り抜いた。
「このバカっ」
強烈な痛みを与えてきたとは思えないくらい静かに言い放つ花御。
「さっさと帰ってきなさいよ」
「……あぁ、任せとけって」
痛む脇腹を手で抑えながらもニッ、と笑って応える葵。
「じゃあ、さっさと行って終わらせてくるわ——」
葵は未だ不安そうな目を向けてくる二人にそう告げて、背を向けた。いてて……と脇腹を抑えつつ、ゆっくりとした足取りで歩き出していく——。