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50. 『僕』と『俺』


「あ。フィナンシェがある」

 想太が嬉しそうに声を上げた。

 今日はスタジオでの撮影で、今2人は、前室(出演者の待合室)で、出番を待っている。

 たまたま2人以外に誰もいない。テーブルの上には、コーヒーやお茶などの飲み物、誰かの差し入れのお菓子などが並んでいる。

「ここのフィナンシェ、オレめっちゃ好き。出番終わったら後で食べよう。楽しみ」

 


 カラオケで歌い踊り、泣きまくったあの日は、シメ?にプラネタリウムで、美しい星空を眺めるというフルコースだった。

 あの日以来、少し気持ちが落ち着いてきたのか。どこか無理している明るさではなく、いつもの想太が戻ってきている。

 

 一方、琉生自身は、依然としてブレーキレバーは見つからないし、かといって、自分の気持ちがなんなのか、今ひとつわからないという状態のままで、正直、なんだか落ち着かない気持ちだ。

 でも、相棒の笑顔を見ると、ちょっとホッとする。


「だいぶ、調子戻ってきたね」

 琉生が言うと、想太は顔の横で、控えめなVサインを作って笑い、

「うん。あんな、オレさ、気ぃついてん」

「ん?」

「さよならしようがどうしようが、関係ないなって。この仕事も好きやし、みなみのこともやっぱ好き。好きは好きのままでええやんって。相手に何かを求めんかったらええだけやし」

 想太は、紙コップに水を入れ一口飲む。

「そのまま、ただずっと好きでいてる。それでいいかなって。無理やり忘れるとか、そんなことしようとしても、そもそも無理なんやし」

 そう言って、薄茶の大きい瞳で、想太が琉生に笑いかける。

「そっか……そうだな」

 琉生もほほ笑み返す。

 想太のこの潔さと前向きなところが、琉生は好きだ。

 同じ場所でずっと足踏みなんかしない、泣いても落ち込んでも、少しでも前に進もうとする姿は、いつも琉生まで支えてくれている。


 スタジオの入り口のドアが開き、スタッフが、2人の出番が来たことを知らせる。

「よし、がんばろ~ぜ」「おう」

 琉生と想太は、お互いの拳を軽くぶつけ合う。

 

 今日は、2人が掛け合いで喋りまくるシーンがある。

 少し、口げんか、というか感情をぶつけ合うシーンになる。けっこう長いセリフもあるけど、シーンの最初から最後までを通しで撮るので、途中でNGを出すと一からやり直しになってしまう。ちょっとドキドキするハードなシーンだ。


 

 セットに入って、立ち位置や動きを確認しているとき、

「なんか、オレ、カミそう……」

 不安そうに、想太が口をパクパク動かし、口周りの筋肉をほぐしている。

「コトダマコトダマ。大丈夫やって」

 言いながら琉生もつられて、口をパクパクする。

 琉生の長セリフは前半にあって、一方の想太は、後半にある。どちらがしくじっても、大変なことにかわりはない。


 2人で口をパクパクさせているのを見て、監督の声がかかる。

「じゃあ、そこの金魚さんたち、始めようか」

「はい!」「はい!」

 想太も琉生も、一気に気持ちが切り替わった。




 無事撮影を終えた帰り道、

「オレらって、今日、めっちゃがんばったよな」

 想太が、やれやれといった表情で、うんと伸びしながら言った。

「うん。ほとんどNGだしてないしね。優秀優秀」

 緊張もほぐれた2人の顔は、やりきった感満載だ。


 実際、長回しで撮るところでは、彼らは一度もセリフを噛まずに、なんと本番で一発OKが出たくらいだった。それでも、その他の、ちょっとした短いシーンで、2人とも、しくじってしまったのだ。

 琉生は、お茶を飲みながら話すシーンで少しむせてしまい、想太は、おせんべいを食べているシーンでぽろっとかけらを落としてしまった。あわててかけらを拾おうとする想太の動きがなんだかすごく可愛くて、スタジオに笑いが起きた。「可愛い~」とスタッフには好評だったけれど。

 監督は笑いながら、

「可愛いけどね。はい、もう1回いきましょう」

 あっさりそう言った。


 監督は、琉生や想太をすごく可愛がってくれている。かなり厳しい要求もするけれど、それに応えようとがんばっている彼らを信頼してくれているのが、伝わってくる。

 この映画での琉生と想太の役は、原作小説がそのまま2人をイメージして書かれているせいもあって、やりやすい面もたくさんある。とはいえ、自分以外の誰かを演じるのは、容易ではない。

 仕草の一つひとつまで、どう演じるのがより伝わるのか、よりその場を活き活きさせるのか。計算だけでも上手くいかないし、感覚だけでも上手くいかない。原作小説の中で、文字としては表現されていないところの空気感などを絶妙に表現する、その辺のさじ加減は、監督の腕の見せどころでもある。



「そう言えば」

 想太が言う。

「今回の役、2人とも、一人称が、普段と逆やな」

「そうやな」

 普段、一人称が『オレ』の想太だが、役の中では、今回は、『僕』だ。

 琉生は、通常、『僕』なのだが、今回の役では、『俺』なのだ。


「なんか、琉生が『俺』って言ってると、新鮮。ちょっとワイルド風味で、ええんちゃう?」

「え? そうか? 自分では、なんか、ちょっと違和感ある」

「なんなら、これを機に、『俺』にするんもいいんちゃう? 結構あってるで」

「え~、そうかな~」


 正直、一人称をどうするか、あまり考えたことはなかった。

 幼い頃から、父の仕事関係の知り合いなど、大人と接することが結構多くて、『僕』という機会の方が多かったせいもある。そして、琉生の父親の一人称も通常『僕』だ。そのせいで、琉生も当たり前に、『僕』を使ってきた。


「想太は、ずっと『オレ』だったの?」

「ん~、いや。小さいときは、『ぼく』やったな。父ちゃんと一緒に住むようになって、『オレ』にした」

「その、『オレ』にしたときって、どうやって切り替えたの? ある日、いきなり? それとも徐々に?」

「ん。ある日いきなり」


『オレ、今日からオレって言うで』

 そう宣言したのだという。父ちゃんも母ちゃんも笑って、「オレでもぼくでも、大好きだよ~」「想ちゃん、かっこいい~大好き」そう言って、2人は彼をぎゅうっと抱きしめてくれた。

 まだ小さなホワホワした柔らかい髪と、丸いほっぺの想太が、『オレ』と初めて言ったところを、琉生は思い浮かべる。可愛すぎ。見たかったな。


「父ちゃんとなんでもお揃いにしたかってんな~。一生懸命マネしててんや」

 テレくさそうに、想太が笑う。

 ただ、それほど何でも真似をしたのに、話し言葉だけは関西弁から変えなかった想太だ。それだけ彼の関西愛は強い。


「僕の場合は、ずっと『僕』でやってきたから、なんか今さら、急に変えるのはなあ~」

 琉生は苦笑いする。

 

 例えば、今日家に帰って、

「晩ご飯何食べたい?」って訊かれて、

「あ、『オレ』、カレーがいいな」とか言ったら、

「どうしたの? なんで、『オレ』?」ってびっくりされるかも。

 あ、でも、『オレ』、『カレー』、ってちょっと韻を踏んでるから、案外気づかないかな。

 それとも、役のノリだと思って、スルーされるか。

 役で、自分が『俺』と言っているのを映像で見ると、案外悪くない気もする。想太が言うように、結構あってるような。

 

 ただ、いずれにしても、普段の自分が、今さらいきなり、『俺』にはなれないような気がする。テレくさいし、急にどうしたの? って思われそう。……気にしすぎか?

 みんないつどうやって、一人称を決めたんだろうな。

 

 『僕』と『俺』の狭間で、琉生はちょっぴり迷子な気分になった。


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