42. 無敵
最近、気づいたことがある。
琉生とは、しょっちゅう顔を合わせているから、彼のことはよくわかっている。
想太はそう思っていた。
もちろん、すべて知っているとか、そんな不遜なことは思わない。
でも、最近の琉生は前とはちょっと違う。
なんか、以前より感情が前に出てくるようになった気がする。
冷静沈着、理性派の琉生。
自由闊達、感性派の想太。
なんて言われることも多いけど。
もちろん、そんなたったの四文字やそこらで、人は語れない。
頬杖をついて、ほわっと教室中を見渡しているふうの琉生が、さりげなく視線を注いでいる先に、想太はちゃんと気づいている。
織田 空。
本が好きで、本のことを話し出したらとまらへんと自己紹介で話していた女の子。関西弁で話す、柔らかい雰囲気のあの子。中学校のとき図書委員で琉生と一緒に当番の仕事をしていたと、時々琉生から聞いていた。
彼女は今、入り口近くの席で、クラスの女子と楽しそうに笑っている。
それを横目で見ている琉生の表情が優しい。頬に小さく笑顔が浮かぶ。たぶん、琉生自身は気づいていないだろうほほ笑みだ。
(……そっか。そやから、琉生は)
想太は悟る。
さっきの『やりたいことはやろう』発言は、琉生の『やりたいことはやるぞ』宣言でもあったのだ。
(なんか、こんな琉生、珍しくて、ちょっとカワイイな)
相棒の様子を見守りながら、想太もつられて笑顔になる。
小5のときから、琉生のことを知っているけど、琉生が女の子をこんな表情で見ているのは初めて見た。とはいえ、小中学校は、琉生と想太は学校が違うので、知らないだけかもしれないが。
ライブのステージでファンの女の子たちに向ける笑顔とは違う。何かもっと、くつろいだ普段着の笑顔だ。
そんな琉生もいいなと思う。
(相棒があの子と一緒に図書委員になれますように)
想太は、そっと祈る。
そのとき、想太と琉生のスマホの着信音が、同時に鳴った。
マネージャーからで、あと20分ほどで迎えの車が着くから、至急帰る用意をして門のところで待っているようにというメッセージだった。
仕事の打ち合わせが入ったという。
「なんやろ?」
「そろそろ映画の方の話かな?」
いずれにしても、2人は、その場を離れざるを得なくなってしまった。
「あ~あ……」
琉生の眉が、少し下がって、ちょっと、いや、かなり悲しそうな顔になった。
それでも、とりあえず2人が荷物をカバンに放り込んで、急いで、教室を出ようとすると、
「あれ、琉生、妹尾くんも帰るの? 仕事?」
佐藤が声をかけてきた。
「うん。急に連絡入って」
「そうか。委員や係はどうする? なんか希望があったら聞いとくよ」
「え? かまへんの?」
思わず、想太の方が先に反応した。たった今琉生のために祈ったばかりだったから。そして急いで付け加える。
「ほんで、オレのことは、想太、って呼んで」
人懐っこくニコッと笑うと、佐藤も、嬉しそうに笑顔で応える。
「うん。わかった。……あ、それと、もし希望が重なって、ジャンケンとかになったら、代わりにジャンケンするけど、負けても許してね」
「全然、OK!」
2人の声が揃う。
「じゃあ、琉生の希望は?」
「えっと……図書委員。それで係は、黒板係とか掲示係とかがあれば。なければ、なんでもOK」
「了解。想太は?」
「オレはね、できたら、放送委員。でもって、係はなんでもいい。残り福ってことで」
「OK。じゃあ、また結果がわかったら、あとで知らせるよ」
「ありがとう」
「助かる」
「じゃあ、お仕事頑張って」
佐藤が手を振る。
その隣の席の織田も手を振る。
何気ない普通の笑顔だけれど、琉生が希望を口にしたのを聞いたとき、彼女が一瞬、ドキッとした表情になったのを、想太はしっかり目の端でとらえていた。琉生は気づいただろうか。
教室を出た2人の背後で、
「え~、もう帰っちゃうの~」「え~なんで~」
「あ~ざんねん」「おしごとなんだって」
「あ~、眼福が2人揃っていなくなるなんて……」
女子たちの騒ぐ声が聞こえてきた。
職員室で担任に、事務所からの連絡で、今から仕事のために学校を出ることを伝えると、
「ちょうど今、事務所から学校にも連絡が入ったところです。委員や係はどうしますか? 希望はありますか」
「はい、2人とも佐藤くんに頼んであります」
琉生が答える。
「わかりました。では、気をつけて行ってらっしゃい。そのうち、仕事と学校生活の両立について、一緒に話をする時間をとりましょうね」
担任の言葉を受けて、2人は、お願いしますと応じ、急いで下足室へ向かう。
靴を履き替えて外に飛び出すと、もう気持ちはまっしぐらに仕事に向かっている。
門を出てすぐのところで、この春から新しく加わったマネージャーの運転する車が待っていた。
「早く早く!」
手招きされて、2人は急いで車に乗り込む。
なんだろう。楽しみだ。
想太にとって、仕事は、しんどい、以上に楽しみの方が大きい。
めちゃくちゃ難しい課題を示されても、ひとまず取り組んでみる。うまくいかなくても、何度も何度もやってみる。
そうしているうちに、カチカチの結び目が、あるときふっと解けるように、気づくと体や心にしみ込み馴染んでいる。
そうしていつしか、難しいと思う気持ちよりも、「なんか好きやな、これ」、そう思っている。
この前、ドラマを観ていたら、誰かが主人公に話していた。
「あなたが何かを好きだと思うのは、その何かのために、あなたがたくさん時間をかけたからです」と。
そのひとによると、『星の王子さま』の中に、そんな言葉があるらしい。
実は、想太は、それまで『星の王子さま』をちゃんと読んだことはなかった。
小学生のときに、家の本棚にあったのをパラパラと眺めたものの、イマイチ、王子さまも他の登場人物も好きになれず、すぐ本を閉じたのだ。
そのドラマを観たあと、想太は家にある『星の王子さま』を開いて、その話が載っているページを探した。
それらしいページを発見したけど、その訳文には、『時間をかけた』ではなく、『ひまつぶしをした』となっていて、なんだか、思っていたのとはイメージが違った。
ドラマの中のセリフの方が、ずっといい。
そして、『好きだからたくさん時間をかけたのじゃなくて、たくさん時間をかけたから好きになった』というフレーズが気に入った。
もちろん好きなものは、ほっといても時間をかけるけど。
でも、好きじゃないものも、たくさん時間をかけたら好きになる。
そう思うと、なんだって好きになれそうな気がしてくる。
それって、めっちゃ可能性が広がるってことやん?
苦手、無理って思わんと、ずっとやってれば。とにかく続けてやってれば、好きになるかもしれない――――そんな可能性。
そうして、いったん好きになれば、もう、こっちのもんや。
そう思って、実はちょっと、“無敵”な気分になったのだ。
とにかく、やれるだけやればいい。簡単なことや。
そしたら可能性が広がる。
可能性があるって――――めっちゃ幸せなことやん?
だから、今、想太は、無敵だ。
車の中で、今日の急な仕事について、大まかな説明を受けながら、想太の気持ちは、すっかり学校から仕事へと切り替わっていた。




