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36. 入学


 春が来た。

 今年の桜は、例年より、やや早めに咲いた。そして、ほんの少し長持ちしてくれたおかげで、琉生も想太も、満開の桜のもとで、高校の入学式を迎えることが出来た。


「なんで、わざわざ進学校?」

 事務所でも先輩たちから驚いたように言われることも多かった。

「芸能活動に専念しにくいぞ」

「これからもっと仕事も増えるだろうし、仕事と学業の両立は大変だよ」

 

 当然、琉生も想太もそれはわかっている。でも、2人の考えは一致していた。

 高卒の資格を取るためだけに、高校へ行くんじゃない。仕事柄、自分たちが全く普通の高校生活を送るというのは、難しい面もあるだろう。それでも、可能な限り、普通に高校生活を過ごしたい。そして、何より、学校という場で学ぶこと、そのことが大好きな2人なのだ。

 当然、大学進学も考えていて、そのための選択でもある。


 学校での勉強は、大人になって社会に出たら全く役に立たない、なんて言う人もいる。でも、学校での勉強は、すべての学問の入り口になっていて、それは、まるで、無限の可能性、将来への扉をたくさん示されているようなものだ。ほんの少しでも知っておくことで、さらに、そこから興味を広げて深く学ぶ道が開けていく。


「学校って、最高に贅沢な環境だよな」

 琉生が言うと、想太が、目をキラキラさせて応えた。

「ほんまそれ!」

 そして嬉しそうに続ける。

「オレさ、学校の勉強って、めっちゃ好きや。授業中とか、先生の話聞いてるとワクワクするし」

「ほんまほんま。教科書開くだけでもドキドキするし」

 想太と話していると、時々、琉生も関西弁が混じる。

 

 そんな2人の頭上から、桜の花びらが時折、静かに舞い落ちてくる。

「お」

 そう言って、制服の琉生の肩に止まった花びらを、想太がそっと指さした。

「あ」

 琉生は、花びらをそっとつまんで、ハンカチの間に挟む。

「今日の記念にしよう」

「いいな。オレんとこにも、けーへんかな、花びら……」

 そう言って、想太が大きな桜の枝を見上げる。

 そして、目の前をひらひらと舞う花びらをつかもうと、手を伸ばす。

 あと少しのところで、つかめずに逃げられてばかりの想太は、むきになって、左や右へうろうろしながら手を振り回すが、空振りしてばかりだ。


 そんな彼をほほ笑みながら見つめていた琉生は、少し離れたところで小さく会釈する女子生徒に気づいた。

 織田 空だ。彼女も、同じ高校に入学していた。

 それを知ったとき、琉生は、少しホッとするような嬉しい気持ちになったのだ。

 最後の図書委員の仕事を終えたとき、彼女に本のマスコットを渡したものの、それ以来、卒業までほとんど2人だけで話す時間はないままだった。

 高校で、再び図書委員になって、同じ時間を図書館で過ごせるかどうかはわからない。それでも、彼女が同じ高校にいることは、琉生にとって、この高校に入れて良かったことの一つだ。


 そして、一番嬉しいのは、想太と同じ学校に通えるということだ。

 小学5年のときに出会って以来、一緒にデビューを目指してがんばってきた相棒であり、親友だ。


『親友』という言葉を初めて安心して使うことが出来た相手は、想太だけだ。

 想太に会うまでは、誰かを『友達』とは呼べても、『親友』と呼んでいいのかどうかわからなかった。

『親友』という言葉は、相手も自分も、お互いにそう思っているときにしか使えない言葉だと琉生は思っていたからだ。

 

 誰かと仲良くなっても、相手が自分と同じ思いでいるとは限らない。もしかしたら、「仲がいい」と思っているのは自分だけで、相手は違うかもしれない。そんなことを考え始めると、だんだん不安の方が大きくなって、琉生は自信をなくしてしまう。そして、気がつくと、いつも少しずつ自分の周りに壁を築こうとしてしまっているのだ。たぶん、自分は怖がりなのだろうと思う。傷つくのが怖い、小心者なのだとも。


 そんな琉生が、想太の父親でもある、アイドル妹尾 圭の存在に出会い、強く憧れ、自分もアイドルを目指すようになって以来、彼はできる限り、人に対して壁を作らない努力を始めた。

 それでも琉生の周りに残っていた壁をあっさり飛び越えて、彼のそばに立ったのが、想太だった。

 さらに、琉生の周りに残っていた壁の、小さな石を一つ一つ、丁寧取り除いていってくれたのが、織田 空だった。


 周りからはクールで落ち着いていると評されることの多い琉生だが、案外、あれこれ考えすぎて、心揺れがちなところもある。

「オレ、案外、小心者で、びびりやねん」

 いつだったか、想太が、自分のことをそう言った。

 琉生は、自分のことを言い当てられたようで、びっくりしたのだが、想太は続けて、

「でもさ、琉生がそばにおって、落ち着いて笑ってるのを見ると、ホッとして、ああ、大丈夫やって、思えるねん。不安とか全部吹っ飛んでいくし」

「ふふ。僕も。僕も、小心者でびびりだけど、想太がのんきな顔で笑ってると、しゅ~って気が抜けて、まあ、なんとかなるかって気持ちになる」

 琉生が笑うと、想太が、

「やっぱ、オレらええコンビやな。……そろそろ、M1チャレンジしてみます?」

「……考えとく」

 想太の漫才やお笑いのネタ帳は、いつのまにか、2冊目も終わりに近づいている。



 自分の目の前で、桜の花びらを相手に、右へ左へ反復横跳びしている想太を見ながら、琉生は思う。

 新しい環境に不安がないわけじゃない。いや、むしろ、不安だらけだと言ってもいい。

 それでも。

 大好きな人たちの存在が、自分を勇気づけてくれる気がする。

 なんとかなる。そう思って、笑顔になれる。

 

 校舎の右奥の下足室前で、

「新入生は、受け取ったクラス分けの表を確認して、各教室に移動して下さい」

 拡声器で呼びかける先生の声が聞こえた。

 何人か先生らしき人たちが、チラシのような紙を新入生に配っている。クラス分け表らしい。


「お。クラス分け表。もらいに行こ!」

 想太が、とうとう桜の花びらを諦めて、琉生を振り向いて言った。

「花びら、いいの?」

「ええよ。また帰りにでもチャレンジする」

 そう言って笑って歩き出した想太の、短めの後ろ髪のところに、ちょうど1枚の花びらがひらりと舞い降りた。

「待って! じっとしてて」

 急いで想太を止めて、琉生は、長い指先で、そっとその花びらをつまむ。

「はい。花びらの方から来てくれたよ」

「え? そっかぁ。向こうから来てくれたんか~。幸せが舞い込んできた、って感じ。なんかちょっと嬉しいな」

 受け取った花びらを、想太はカバンから取り出したネタ帳にそっと挟み込む。


「え。それ、今日も持ってきたの?」

 琉生がネタ帳を指さすと、想太はニカッと笑って、

「あったりまえやん。学校ってネタの宝庫やで。なあ、琉生、そろそろいっぱいたまってきたから、近々、やる?」

「……いいね。今度ゆっくり相談しよう」

 ほんとにアイドルデビューより先に、漫才コンビデビューになるのかも?

 でも、想太となら、それもありか。琉生はクスリと笑う。

「よっしゃ。じゃあ、行きますか」

 想太が大きな歩幅で歩き出す。

「うん。行こう」

 

 そのとき、少し強めの風が吹き、雪のように白い花びらが、2人に降り注ぐように舞い、2人の髪や肩にも、たくさんの花びらが積もった。が、一瞬のうちにそれらは静かに滑り落ちていき、朝の少し冷えた空気は、春の陽差しにじわりと温まり始めていた。



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