魔女への依頼
俺は空中から降りてくる魔女に、俺は目を見開いた。
「彼は私の獲物だ。勝手に手を出さないで欲しいな」
魔女が一歩踏み込む。
すると魔女が消え、俺の隣に瞬時に現れる。
「星宮尊。覚えておくと良い。魔王と戦うときは、まず魔界をなんとかするといい。──こんな風に」
魔女の足元から魔法陣が展開する。
すると魔女の背後から、ヴェノシアが生み出した魔界を侵食するように別の世界が広がっていった。
それは以前俺が魔女と二人きりで話した世界。
夜空に星が瞬き、草原が広がっている世界だった。
「ヴェノシアがコピーした九尾の権能は、世界の中でのみ機能するもの。裏返せば世界に穴を開けられたり、侵食されればコピーした能力は弱まっていくということだ」
みるみる内に、ヴェノシアの魔界である広間が魔女の世界に侵食されていく。
そしてちょうど半分まで来たところで……ピタリと侵食が止まった。
魔女の言葉に応じるかのように、神王鍵が光を取り戻す。
感覚的に分かる。能力がある程度まで戻ってきていることに。
魔女の言葉で、さっきどうして運命切断が使えるようになったのか分かった。魔女の言葉が真実なら、俺が竜人化のスキルでこの魔界に穴を開けたことで、この世界の能力が弱まり、運命切断を縛っている鎖に綻びが生まれたんだろう。
「そして、恋毒魔王ヴェノシアの魔界の能力は、無限の再生能力だ。魔界をどうにかしない限り、彼女は倒せない」
「……この程度で、私が負けると? 魔界の能力は半減出来ても、私の魔力自体は封じれたわけじゃない。あなたは全ての魔力をこの魔界の侵食に使っている。つまりあなたは戦えない。相手取るのが彼らだけなら勝てるわ」
「どうかな。確かに私は魔界の侵食に全ての魔力を投じている。しかし、模倣した九尾の権能は確実に半減している。星宮尊の運命切断は、斬撃を飛ばすことは出来なくても、刃に纏わせることは可能だ。これが、どういう意味か分かるだろう? 戦えば、今度こそ刃が魔王の命に届きうる可能性があるということだ」
「っ!」
ヴェノシアが忌々しそうに顔を歪める。
「さて、どうする? まだやるのかな?」
「……いいわ。ここは一度、引いてあげる」
ヴェノシアの背後に黒い影の渦が現れる。
もう身体が限界だった俺は、ヴェノシアを見送るしか無かった。
そしてヴェノシアはその渦の中に入っていく。
最後に振り返ったヴェノシアは、俺へと獰猛な笑みを浮かべた。
「星宮尊……あなたは気に入ったわ。魔王の名に誓って、あなたとその妹には絶望を見せてあげましょう」
ヴェノシアが創り上げた魔界が消え、元いた病室に景色が戻ると……限界が訪れた。
大量の血を流し、魔力を使い果たしていた俺はそこで意識を失った。
***
頭の裏に、何やら柔らかい感触。
頬を撫でるそよ風の感触に目を開けてみると、視界に夜空が広がっていた。
「ようやく起きたか、星宮尊」
視界に広がる夜空を遮ったのは、魔女。
俺はそこで魔女に膝枕されているのだと分かった。
「ここは……」
「以前に来た、私の世界だよ。瀕死の君を治療するためにここへ連れてきたんだ」
「みんは……」
「安心しろ、全員無事だ」
俺はその言葉に安堵を覚える。
そして、あれだけヴェのシアに痛めつけられたのに、身体に痛みがないことに気がついた。
体を起こしてみると、傷がすべてふさがっていた。
「これは……お前が?」
魔女は頷く。
「そうだよ。すぐに手当しないと手遅れになりかけてたからね。私が治療させてもらった」
「俺を治療して何が目的なんだ」
俺を治療したって魔女にはなんのメリットもない。どうして俺を治療したのかを尋ねると、少しの沈黙の後魔女が答えた。
「君に、魔王を倒してもらいたいんだ」
「どうしてだ」
「それはまだ言えない」
望む答えは得られなかった。変わりに俺は別の質問を投げかける。
「魔王って、一体何なんだ」
「詳しくは話せないが、奴らは別の世界から来たものだ。魔族という種族で、人間とは根本から何もかもが違う奴らだ」
「別の世界だって? そんなの……」
「あり得ない話ではないはずだ。君の神王鍵も別の世界からやって来たんだから」
魔女に言葉を遮られ、俺は冷静になる。
……確かに、ありえない話じゃない。
「俺に、あいつが倒せるのか」
「魔王という存在は、存在自体がSSSレアアイテムに匹敵する化け物だ。君も奴が持つ途方もない魔力を実感しただろう。真正面からやり合ったとて、ただの人間では対抗すら出来ないだろう。それこそ、SSSレアアイテムを持っている人間以外は」
つまり、俺のみが対抗できるということだ。
「もちろん、私のはただの期待だ。君には何をお願いもしないし、魔王を倒したとて報酬もなにも出ない。それで……どうする?」
「……俺が奴を倒す」
魔女の問いかけに、俺は俺自身がヴェノシアを倒すと答えた。
「あいつは、俺の妹を標的にした。俺のいちばん大切なものを。このまま奴を野放しにしたら、確実に綾姫が狙われる。だから、俺が殺す」
「そうか。君ならそう言うと思ったよ」
俺の決断に、魔女はあっさりとした返事を返す。
「魔女、魔王について教えてくれ」
「良いとも。私の期待に答えてくれたお礼だ」
少し上機嫌になった魔女は、魔王ヴェノシアについて説明していく。
「魔王の持つ能力は、それぞれ異なる。だが、共通して持っている能力は三つだ。まず、無尽蔵に近い膨大な魔力。次に膨大かつ密度が濃すぎることで魔力が変質し、魔界と呼ばれている領域を創り出せること。最後に何らかの特殊能力だ」
「特殊能力?」
「恋毒魔王ヴェノシアの特殊能力は、ありとあらゆる毒を生成することができる能力だ。猛毒でも、逆に他者を癒やす毒でも好きに作り出し、棘で刺すことで投与することができる」
「それは厄介だな……」
先輩と俺が盛られた『幻愛の麻痺花』を思い出す。
あれは厄介だ。何か毒を無効化する手段も必要になるだろう。
「あれは対策がいるな……」
「そうでもない」
「どういうことだ?」
魔女の言葉に俺は首を傾げる。
「ちょっと顔を寄せて、ほら」
手を招かれるまま、俺は魔女に顔を寄せる。
「なにを……んぐっ!?」
唇を奪われた。
再び感じる柔らかい感触。
逃れようとすると服を魔女に引っ張られ、強制的に唾液を交換させられる。
「ぷはっ……! どういうつもりだ……!」
「これで、もう大丈夫だ。君はもう奴の毒は効かない」
その言葉で、魔女が俺に何かをしたのだと分かった。
「俺になにをしたんだ」
「それは秘密だ。奴と戦ってのお楽しみに取っておくと良い」
魔女は答えない。
冷静になってきた俺は、代わりに魔女へと一つ依頼ごとをすることにした。
「最後に、一つ。頼みがある」
「なにかな」
「俺の妹を、守ってほしい」
「それはつまり、護衛任務ということかな」
「その通りだ。俺が魔王と戦うと言っても、あいつが綾姫を人質に取る可能性がある。だから、綾姫守ってほしい」
「もちろんいいとも……ただし」
「ただし?」
「報酬をもらおう」
「いくらだ」
「君の全財産、約200億円だ」
魔女の提示した金額に、俺は思考が停止する。
「おい、ふざけ……」
「勘違いしないで欲しいが、足元は見ていない。適正な価格だ」
「これのどこがだよ!」
俺はつい声を荒げてしまう。
「この護衛任務には、私にも命の危険が伴うんだ。もし魔王との戦闘になれば……私は確実に死ぬ」
「死ぬ……?」
「もちろん、ヴェノシアには確実に勝つ。私と彼女の相性は最高だ。こと魔力勝負でも、毒を使われても、最終的には勝つだろう。しかし、ヴェノシアに勝てば、私は魔王たちから確実に脅威として認定され、相性が悪い魔王を送られる。そうなれば、確実に私は死ぬ」
つまり、もしヴェノシアが綾姫を狙えば、将来的に魔女は死ぬ未来が決定してしまうということだ。
「そして、君の妹を護衛している間、私はリソースを全てそこに注ぎ込まなければならない。これは私にとって大きな損失となる」
「……」
「だが、代わりに約束しよう。もし君が魔王との戦いに敗れ、死んだとしても君の妹だけは私の力を使って守る、と」
魔女には嘘をついている様子も騙して金を巻き上げようとする雰囲気もない。全て、事実なのだろう。
全財産の200億、それは魔女が自身につける命の値段。
「……」
瞑目する。
この約二ヶ月間、俺は文字通り血反吐を吐きながらこの金額を積み上げた。
そして、これを失えばまた綾姫の病気を直す目的から遠ざかることになる。
(それがどうした)
これまで築き上げたものが無くなったとて、綾姫の命には変えられない。
200億程度、また稼ぎ直せばいい。それだけだ。
「……それで頼む」
「了解した。命を賭して君の妹を守ると誓おう」
魔女は胸に手を当てると、俺へと手を差し出し、手のひらの中に何かを出現させた。
「では、最後にこれを」
魔女がそう言って俺に渡して来たのは……なにかの血が入った試験管だった。
「これは?」
「古竜の血が入っている。君のスキルを起動するのに必要だろう」
「っ!!」
竜人化の起動条件を言い当てられたことに俺は驚愕した。
こいつはどこまで知っているんだ。
「だが気をつけろ、竜の血は劇薬だ。使うのは一滴だけでいい」
「……分かった」
「それでは、武運を祈る」
俺の足元に魔法陣が展開される。
視界が白く染まり……俺は元の世界へと戻った。