【番外編2】いつか王子様が
32〜33話の間のお話です
(よしっ……借りてた本はこれで全部ね)
オティリエは今、城内にある大きな図書室にいる。そこには国中から集められたありとあらゆる本が蔵められていた。
『祖母が大の文学好きでね。祖父が祖母のために図書室を作ったんだ。はじめは王族だけが利用できるようにしていたんだけど、今では文官や騎士にも解放されて、どんどん蔵書が増えているんだよ』
オティリエにそう説明をしてくれたときのヴァーリックは、なんだかとても嬉しそうで。仕事終わりや休みの日を利用して、オティリエは図書室に頻繁に通うようになっていた。
(私はまだ、補佐官としての知識が足りていないし、もっとたくさん本を読まないと)
働き始めた当初にヴァーリックからもらった本は、何度も何度も、擦り切れるほどに読み込んでいる。仕事の過程で出会った資料も同様だ。
けれど、補佐官として必要なのは実務に直結する知識だけではない。
政治や経済、文化や伝統、ありとあらゆる雑学や文学に触れておかなければ、周りの会話についていけなかったり、いざというときに仕事で困ることになる。実家で引きこもり同然の生活を送っていたオティリエはなおさらだ。
(あ、この本……)
新しく借りる本を選んでいたオティリエはふと、とある書棚で足を止めた。小説が集められた棚だ。そのうちの一つのタイトルに見覚えがあり、オティリエはそっと手にとってみる。
(『いつか王子様が』だわ)
それは数年前、オティリエがまだ幼い頃に人気を博したベストセラー本だった。当時は相当な人気で、オティリエが部屋から出る度に、侍女や使用人たちが本の内容を噂したり、心のなかで本の内容を思い描いていたほどだ。オティリエ自身は読んだことはないものの、なんだか妙な親近感がある。
(こんなふうに実物を手に取れる日が来るなんて、あの頃は思いもしなかったなぁ)
他人の心の声に怯え、生きるだけで精一杯だったオティリエからすれば、こうして今、実家を出て城にいることは奇跡のようだ。加えて、ゆっくりと本を読むだけの心の余裕を持てているのだから、本当に恵まれている。
オティリエはその場でパラパラとページをめくり、内容をざっと流し読んだ。自室に持ち帰ってゆっくり読むべきだとわかっているが、続きが気になってたまらない。
そうしてしばらく読み進め、とあるページに差し掛かったところでオティリエは静かに手を止める。そこにはヒロインと王子様が出会うシーンが描かれていた。
「あっ『いつか王子様が』だね。懐かしいな」
とそのとき、背後からそんな声が聞こえてきて、オティリエは思わず素っ頓狂な声を上げる。振り返ると、そこにはヴァーリックがいた。
「ヴァーリック様!? どうしてここに?」
「今日は休日だろう? 僕もたまには読書をしようかなぁと思って」
そう言ったあと、ヴァーリックは周囲をそっと見回しながらオティリエを見つめる。
【本音を言うと、ここに来ればオティリエに会えるかなって思ったんだよね】
茶目っ気たっぷりな笑顔。オティリエはドキッとしつつ「そうだったんですね」とこたえた。
「挿絵でタイトルがおわかりになる――ということは、ヴァーリック様はこの本を読んだことがおありなのですか?」
「うん。発売されてすぐに読んだよ。母が恋物語が好きでね、半ば強制的に読まされたんだ。『あなたも将来こういう男性になりなさい』ってね」
ついつい当時の様子を想像してしまい、オティリエがクスリと笑う。ヴァーリックは嬉しそうに目を細めた。
「オティリエは?」
「読むのはこれが初めてです。けれど、侍女たちが噂していたので内容はなんとなく把握しています。たしか、継母や義理の姉に虐げられていたヒロインが、ある日突然王子様に見初められ、幸せになるんですよね?」
オティリエは先程流し読んだ内容と、過去の記憶とを思い出しながら説明をする。
辛い境遇に置かれたヒロイン。このお話について考えているとき、女性陣はヒロインと自分を重ね合わせて『自分もいつか王子様に見初められて……』なんて妄想をよくしていた。人それぞれ思い描く王子様像が違っていたので、幼いオティリエは感心したものだ。
なお、イアマはというと、ヒロインがウジウジしていて鬱陶しいとか、虐げられて当然だとか、王子様の見る目がないことに腹を立てていたのだが。
「そうそう。当時の僕は子供だったし、自分自身が王子という身分だから、正直面白さがよくわからなかったんだけど」
ヴァーリックは微笑みつつ、オティリエを見つめる。なんとなく恥ずかしくなって、オティリエは本をパタンと閉じた。
「あの、私は子供の頃に周りの大人がこの本の噂をしていたなぁって思い出して、なんとなく手にとってみただけなんです」
我ながら言い訳がましいと思いつつ、オティリエはほんのりと俯く。すると、ヴァーリックは「そうだったんだね」とこたえながら、オティリエの頭をそっと撫でた。
「僕も久々に読んでみようかな。――今読んでみたら、感じ方が違うかもしれないし」
「え?」
どうして?とオティリエが尋ねるまもなく、ヴァーリックが目を細める。
「だって、僕がオティリエの理想の王子様になりたいから」
「へ?」
どういう意味ですか?と聞きそうになるのをぐっとこらえ、オティリエはゴクリとつばを飲んだ。心臓がドキドキと鳴り響く。顔だって真っ赤に染まっているに違いない。オティリエは本を高く持ち上げ、自分の顔と動揺を隠した。
「参考になりそうだなぁって。ねえ、オティリエはこの物語について聞いた時、どんな王子様を思い描いていた?」
「どんなって……?」
「髪型とか雰囲気とか、こんなだったらいいなぁって理想像があったんじゃない?」
「そ、そんなこと、恥ずかしいのでこたえられません」
こたえながら、オティリエのドキドキが強くなっていく。ヴァーリックが心読みの能力者じゃなくてよかったと心から思った。
「どうして? 大事なことなのに」
「からかうのは止めてください。それに……」
オティリエは抱えたままの本にチラリと視線を移し、それからヴァーリックを見る。
「私にとっての王子様はヴァーリック様だけですよ」
気高く美しくそれから優しい、オティリエの理想を超越した王子様。どんな書物を読んでも、たとえ他国の王子様と会う機会があったとしても、オティリエにとっての王子様はただ一人。ヴァーリック以外にはありえないのだ。
「……そっか」
ヴァーリックは口元を手のひらで覆いつつ、オティリエからそっと視線を逸らす。ほんのりと染まっていく頬。どうしてそんな反応をするのか――知りたいと思っても、ヴァーリックの心の声は聞こえてこない。首を傾げるオティリエに、ヴァーリックはほんの少しだけ苦笑を浮かべる。
【本当はオティリエだけの王子様になりたいって――そこまで伝えられたらいいのに】
みんなにとっての王子様じゃなく、オティリエただ一人の王子様に。
今はまだ言えない本音を無効化の能力で全力で隠しながら、ヴァーリックは「ありがとう」と笑うのだった。