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6.王太子ヴァーリック

「ヴァーリック、あなたがいきなり話しかけるからオティリエが驚いているわ。挨拶が先でしょう?」


「失礼しました、母上。彼女の能力があまりにも興味深かったものですから」



 ヴァーリックは母親に向かってそう言うと、オティリエの手をそっと握る。それから手の甲に触れるだけのキスをした。



「はじめまして。僕はヴァーリック。この国の王太子だ」


「……はじめまして」



 ヴァーリックの挨拶から数秒、オティリエはようやく事態が飲み込めてくる。



(え? 私、キスをされたの? ヴァーリック殿下に?)



 キスをされたといっても手の甲に対してなのだが、オティリエはまさか自分がそんな挨拶をしてもらえる日が来るなんて夢にも思っていなかった。……今だって信じられずにいる。驚くやら恥ずかしいやら。彼女の頬は真っ赤に染まってしまった。



「はじめまして、ヴァーリック様。わたくしはイアマと――」


「ごめんね。今はオティリエ嬢と話しているから、あとにしてもらえるかな?」



 ヴァーリックがイアマの発言を遮る。



「なっ……」



 イアマが思わず声を上げると同時に、周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。イアマが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。ややして彼女はヴァーリックから顔をそらした。



【どうしてわたくしが後回しなのよ。明らかに順番が逆でしょう? しかもなに? どうしてわたくしが笑われなきゃいけないわけ?】



 戸惑いながらもオティリエが耳を澄ますと、周囲の声が聞こえてくる。



【殿下に対して無礼な】

【自業自得ね。殿下の会話に割って入るなんて】

【いくら挨拶をしたくても今じゃないだろう?】



 屋敷内でイアマのことを否定する人間は誰もいない。オティリエは生まれてはじめてイアマが誰かに非難されるのを耳にした。



「それで、オティリエ嬢は人の心が読めるんだってね」


「は……はい。おっしゃるとおりでございます。あの……なんだかすみません」



 オティリエとしては、こんなふうに自分の能力を晒されることになるとは思っていなかった。事情を知っている家族や使用人たちならまだしも、今夜偶然居合わせた人たちに対してひどく申し訳なく思う。周囲から貴族たちがほとんどいなくなったことからも、彼らが気味悪がっているのは明白だ。先ほどからヴァーリックの心の声は聞こえてこないが、彼も同じように考えているのではないだろうか?



「どうして謝るんだい? 僕はすごいと思うよ。君だけが持つとても素晴らしい能力だ」



 ヴァーリックが微笑む。オティリエは思わずドキッとした。



「ありがとうございます。私の能力をそんなふうに褒めていただけたのははじめてです」


「はじめて? 信じられないな。精神に作用する能力を持って生まれるアインホルン家のなかでも重宝されそうな能力なのに」



 そう口にしながら、ヴァーリックはオティリエの父親をちらりと見る。父親はハッと息を呑み、ほんのりとうつむいた。



【……言われてみればたしかに。なぜ私はオティリエを出来損ないだと決めつけているんだ? 使いようによってはこれ以上ないほどの切り札になっただろうに】


(……え? 今のお父様の声、よね?)



 心底不思議そうな父親の心のつぶやきを聞きながら、オティリエはとても驚いてしまった。彼がそんなことを考えるなんて信じがたい。嘘みたいだ。



「ところで、オティリエは今何歳?」


「え? えっと……十六歳ですけど」



 どうしてそんなことを尋ねられるのか疑問に思いながらこたえれば、ヴァーリックは目を見開いた。



「十六!? 本当に?」


「まあ……! きちんと食事はとれているの?」



 今度は王妃が尋ねてくる。


 オティリエは同年代の令嬢に比べて身長が極端に低い。肉付きだって当然悪く、ドレスで隠れた肘や膝は骨ばっている。あまりにも年齢不相応な姿に二人は心配をしてくれたのだろう。



(最近はきちんと食事をしているわ。そもそも食事を数日おきにしているのは、私が使用人たちの心の声に耐えきれないからで……)



 しかし、そんな事情を正直に打ち明けるわけにはいかない。かといって王族を相手に嘘をつくのもはばかられてしまう。対人交流があまりにも少なすぎるオティリエには、なんとこたえるのが正解かわからなかった。



「もちろんですわ、王妃様。オティリエはいつもわたくしと二人で食事をしますの。ね、オティリエ」



 と、イアマが話に割り込んでくる。表情の圧が強い。次いで【否定したらどうなるかわかっているわよね?】と心の声が聞こえてきて、思わずコクコクと頷いてしまった。



「そうか……そうなんだね」



 ヴァーリックが微笑む。彼はそっとオティリエを見た。



【イアマ嬢の背格好は同年代の令嬢と変わらない。それなのに、オティリエ嬢だけ極端に成長が遅いということがあるのかな? ねえ、実際のところ、君はきちんと食事ができているの?】



 頭に直接響くヴァーリックの言葉。彼はオティリエの能力を使って、オティリエだけに聞こえるよう直接問いかけているのだ。



「本当に……大丈夫です。私は姉と比べて少食なんです。あの、ご心配いただきありがとうございます」



 これ以上心配をかけてはいけない。オティリエはヴァーリックと王妃に向かって深々と頭を下げる。



「そう? それならいいけど……。そうだわ、ヴァーリック。あなた、あちらでオティリエと食事をしてきたらどう?」


「えぇ!?」



 驚いたのはイアマだった。王妃が穏やかな口調で「なにか?」と尋ねる。



「い……いえ、妹がなにか失礼を働くのではないかと心配で」


【っていうか! わたくしまだヴァーリック様と話ができていないんだもの。こんなタイミングで彼を連れて行かれちゃ困るのよ。オティリエ、あなたからも早く断りなさい! 早く!】



 焦ったようなイアマの声が聞こえてくる。オティリエは半ばパニックに陥りつつ「あの……」と声を上げた。



「姉が申し上げたとおりです。私は礼儀作法に疎く、殿下とお食事なんてとてもとても……」


「大丈夫。僕はそんなことは気にしないよ。それに、僕はオティリエ嬢ともう少しゆっくり話がしてみたいんだ。断られたら悲しいな」


「え……?」



 悲しげな――それでいてどこか楽しげな表情。どうやらオティリエの反応をうかがっているらしい。そのくせなぜか彼の心の声は聞こえてこないから厄介だ。



(どうしよう? どうするのが正解なの?)



 イアマとヴァーリック、優先すべきは当然王太子であるヴァーリックだ。けれど、そんなことをすれば、帰宅後にどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。

 ギロリとイアマがオティリエを睨みつける。恐怖で身がすくみ上がるが、ヴァーリックがこちらを優しく見つめているのに気づいてドキリとする。



「行きなさい、オティリエ」


「お父様!? けれど……」


「他でもない殿下からのお申し出だ。こんな機会、オティリエにはもう二度とおとずれないだろうから」



 父親がイアマをなだめる。イアマは眉間にグッとシワを寄せた。



【お父様ったらなにを考えているの? オティリエには一度だってそんな機会を与える必要ないでしょう? 第一、わたくしはまだ殿下を魅了できていないのよ! これではわたくしの妃への道が遠のいてしまうわ!】



 絶叫にも似たイアマの声。オティリエはビクビクしながらヴァーリックとイアマとを交互に見る。



「それじゃあ、僕たちはこれで失礼します。行こう、オティリエ嬢」



 ヴァーリックはそう言うと、オティリエを連れて足早にその場を立ち去るのだった。


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