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53.ヴァーリックの想い

 エアニーと一緒にお茶を楽しんだあと、オティリエは彼が用意してくれた馬車で城に戻った。あたりはすっかり真っ暗で、空のてっぺんで月や星々が美しく光り輝いている。



(ヴァーリック様、今頃なにをしていらっしゃるかしら?)



 定時で退勤したため彼がどうしているかはわからない。まだ執務室にいるだろうか? そんなことを思いつつ、オティリエは庭園の中をゆっくりと進む。こんなにも月が綺麗な夜なのだ――少しぐらい寄り道をしたってバチは当たらないだろう。ため息を一つ、オティリエはそっと空を見上げる。



(明日、ヴァーリック様に話しをしよう)



 どうしてオティリエがヴァーリックの想いにこたえることができないのか。エアニーも話していたが、これ以上彼を待たせるべきではない。


 本当はものすごく怖くてたまらないし、勇気だって足りていない。ヴァーリックが他の女性と結婚することを想像すると胸がたまらなく苦しくなるし、逃げ出したいような気持ちにも駆られてしまう。それでも、彼のことを想えばこそ、オティリエは決心しなければならない。



(私はヴァーリック様に幸せになってほしいから)



 オティリエのことを救ってくれたヴァーリックのために。誰よりも大切な彼のために。……どうか幸せになってほしい。そのためには自分に自信が持てないオティリエではダメなのだ。



(悔しいな……)



 オティリエが『ヴァーリックを幸せにできる』と胸を張って言えたらどれほどよかっただろう? 彼の想いに笑顔でこたえられたなら、きっとものすごく幸せだったに違いない。ヴァーリックだって喜んでくれたかもしれないのに……そう思うものの、オティリエの脳裏にイアマや使用人たちの影がチラついてしまう。


 たしかに、仕事についてはある程度自信がついた。オティリエにしかできないことがあるという自負もある。

 けれど、仕事を抜きにした『オティリエ自身』についてとなると話はまた別だ。

 あれだけ『死んじゃえばいい』とか『無価値だ』と思われ続けてきたのだ。自信が持てないのは当然だろう。もちろん、そんな彼女の価値を見出し、勇気づけてくれたのもヴァーリックだったのだが。



【苦しい……】



 とそのとき、風に乗って心の声が聞こえてくる。



(これ……ヴァーリック様の声)



 オティリエが聞き違えるはずがない。体調が悪いのだろうか? オティリエは急いでヴァーリックの姿を探す。

 と、少し進んだところですぐにヴァーリックを見つけることができた。彼はうずくまるでも胸を押さえるでもなく、ただただ月を見上げている。



(こんなところで護衛も連れずになにをしていらっしゃるのかしら?)



 どうやら体調が悪いわけではないらしい。声をかけるべきかどうか迷いつつ、オティリエはそっとヴァーリックの様子をそっと伺う。



【オティリエはどうやったら僕のことを好きになってくれるだろう? ……僕の想いにこたえてくれるだろう?】



 と、再びヴァーリックの心の声が聞こえてくる。



(え? 今の、私のこと……?)



 そう自覚をした途端、喉や胸をかきむしりたくなるような切なさや焦燥感がオティリエの身体に流れ込んできた。



(ヴァーリック様)



 これまでヴァーリックは、オティリエに極力本音を聞かせないようにしていた。それは心の声を聞かれたら困るからではなく、オティリエを戸惑わせないようにするためだ。毎日たくさんの人の心の声を嫌でも聞いてしまうオティリエを少しでも休ませてやりたい……以前そう話していたことがある。


 だけど、本当は伝えたくて……聞いてほしくてたまらなかったのかもしれない。ヴァーリックの苦悩を。こんなにも大きな想いをひとりで抱えていることを。オティリエの返事を待ち焦がれて苦しんでいることを。

 それでも、オティリエのことが大切だから必死に隠し続けてきたのだ。 



【オティリエ】



 触れたい。

 抱きしめたい。

 愛していると伝えたい。

 ……ずっと一緒にいたい。



 ――それらは心の声、言葉として聞こえてきたわけではない。けれど、オティリエにはわかる。それはたしかにヴァーリックからオティリエに向けられた感情だった。



「ヴァーリック様」



 意を決してオティリエがヴァーリックに声をかける。彼は「あっ」と声を上げ、一瞬だけ恥ずかしそうな表情を浮かべる。それからいつものようにとびきり優しくほほえんだ。



「オティリエ、今日はエアニーからお茶に誘われたんだよね? 楽しかった?」



 先ほどまで聞こえていた心の声が嘘のよう。ヴァーリックは穏やかに瞳を細めてオティリエのことを見つめた。



「こんなところにいたら風邪を引くよ。部屋まで送らせるから、そろそろ……」


「私……ヴァーリック様のことが好きですよ」



 オティリエが言う。ヴァーリックは目を見開き「え?」と口にした。



「私、ヴァーリック様のことが大好きです。誰よりも、なによりも大切に想っています。どうしようもないほど、好きなんです……!」



 それはオティリエが大事に温めてきた心の声。なによりも大切な想い。言葉にするだけで涙がこぼれ落ちてしまうほど。ポロポロと止めどなく流れる涙を拭いながら、オティリエは肩を震わせた。



「オティリエ、本当? 僕のことが好きって……」



 ヴァーリックがオティリエの肩を抱く。オティリエはうつむいたままコクリとうなずいた。



「……っ!」



 息をのむ音。ついで身体がきしむほどヴァーリックから力強く抱きしめられる。



「だけど……だからこそ私は、私がヴァーリック様の妃じゃダメだって思っているんです」


「そんなことない」



 ヴァーリックがオティリエの頬に口づける。オティリエはそっと首を横に振った。



「私はヴァーリック様に誰よりも幸せになってほしいんです。だけど、私はヴァーリック様を幸せにしてあげられる自信がないから」


「だったらなおさら、オティリエは僕と結婚しないと」


「……え?」



 どうして? と戸惑うオティリエの前に、ヴァーリックはひざまずいた。



「自信なんていらない。だって僕はオティリエ以外の女性と結婚しても幸せになれないから。……オティリエじゃなきゃダメなんだ」



 熱い眼差しが、真剣な表情がオティリエの胸を焼く。ヴァーリックの涙が左手を濡らす。いつも理性的なヴァーリックが見せる強く激しい感情。それは求婚というより懇願に近かった。



「オティリエ、君が僕に幸せになってほしいと言うのなら、一生僕の側にいて。僕を幸せにして。……僕が君を絶対に幸せにするから」



 ヴァーリックに握られた手のひらは温かく、とても力強い。戸惑いながら、オティリエはそっと握り返す。



「……本当に、私でいいのですか?」



 オティリエの問いかけに、ヴァーリックは大きくうなずく。



「オティリエじゃなきゃダメだ。絶対、君以外考えられない」



 再びギュッと抱きしめられオティリエは思わず目をつぶる。全身が、心が燃えるように熱く甘ったるい。


 これまで経験したことのない強い幸福感。求め、求められる喜び――想いが通じ合った高揚感は二度と味わうことができないだろう。オティリエはヴァーリックの胸に顔を預け、彼のことを抱き返す。



「それにね、もしも断られても僕は諦める気なんてなかったよ」


「え? そうなんですか?」



 オティリエは驚きのあまり大きく目を見開く。

 命じるのではなくわざわざオティリエの意思を尋ねてくれたのだから、てっきり断ってしまえばそれまでだと思っていたのだが。



「無理だって言われたら、物わかりのいいふりはやめて、オティリエを口説き落とすつもりだった。どれだけ時間がかかっても、どれだけみっともなくとも、僕が君のことをどれほど好きかを伝えようって……僕を選んでほしいって伝えようと決めていた。僕にはオティリエしか考えられないから」


「そ、そんなことを考えていらっしゃったなんて……」



 思わぬことにオティリエは全身がカッと熱くなる。ヴァーリックは嬉しそうにほほえみながら、オティリエのことを抱きしめ直した。



「ああ……幸せだ。ねえ、夢じゃないよね?」



 コツンと音を立てて二人の額が重なり合う。ヴァーリックの鼓動の音が、肌の熱さがダイレクトに伝わってきて、オティリエは首を横に振る。



「夢じゃありませんよ」



 まだまだ自分に自信なんてない。それでも、ヴァーリックが幸せだと言ってくれるから……幸せになってほしいと思うから。だからもう、オティリエは迷わない。



「改めて、僕と結婚してくれますか?」



 ヴァーリックが尋ねる。あくまでオティリエの意思で自分を選んでほしい――彼のそんな気持ちが伝わってきて、オティリエはふふっと口元をほころばせる。



「……はい」



 あまりにも嬉しそうなヴァーリックの笑顔。オティリエの胸が温かくなる。



(ヴァーリック様、私が絶対、あなたを幸せにします)



 そう心のなかでささやきながら、オティリエも満面の笑みを浮かべるのだった。


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