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52.あなたにも

 それからあっという間に数日が経った。オティリエはこれまでどおり、ヴァーリックの補佐官として穏やかな日常を送っている。

 ……あまりにも変化がないから、時々あのプロポーズは夢だったんじゃないかと思うほどだ。



(なんて、本当は嘘)



 オティリエがそんなふうに思えるのはヴァーリックが最大限に配慮をしてくれているからだ。

 彼自身から返事を急かすことはないし、他の補佐官たちにも同様の対応を求めたのだろう。結婚について言及されたのは心の声も含めて求婚の翌日だけだった。本当は気になっているだろうに……若干の申し訳無さを感じてしまう。


 とはいえ、オティリエは未だにこたえを出せていない。返事を急かされないことはとてもありがたかった。



「一体どうする気ですか?」



 と、背後から声が聞こえてきて、オティリエはビクリと肩を震わせる。



(あ……私のことじゃなかったのね)



 見ればエアニーが他の補佐官となにかを話し合っているところで、オティリエはホッと胸をなでおろした。



 とはいえ、あまり引き伸ばすべきでないことはたしかだ。こたえは決まっておらずとも、ヴァーリックを長く待たせるのは忍びない。……となると、断るべきなのだろうか? オティリエの胸がズキンと痛む。



(私がお断りしたら、ヴァーリック様はどんな反応をなさるかしら?)



 彼はとても優しい人だから。穏やかで温かい人だから。オティリエがどんな選択をしても、それを尊重してくれる気はしている。


 けれど、それで本当によいのだろうか?


 「わかったよ」と困ったような笑顔を浮かべて返事をするヴァーリックの顔を想像しつつ、オティリエはぐっと拳を握る。大好きなヴァーリックにそんな顔をさせていいのだろうか? 本当に後悔しないだろうか? そもそも、どうしてオティリエはこんなに迷っているのだろうか……?



「オティリエさん、仕事が終わったら少し話しをしませんか?」


「え? あ……エアニーさん」



 と、エアニーから声をかけられる。彼はオティリエを見つめつつ「たまにはお茶でもいかがでしょう?」と言葉を続けた。



(エアニーさんが私を誘うなんて……)



 彼がプライベートで誰かに声を書けるのははじめてだ。どんな話がしたいのか……心の声を聞いていなくとも察しはつく。



「私でよろしければ、是非」


「では、そのように」



 エアニーは返事を返すと、またすぐに仕事に戻った。



***



 就業後、エアニーについて城を出る。馬車に揺られること数分、オティリエはとあるタウンハウスの前にいた。



「ここは……?」


「ぼくの屋敷です。他の場所だと他人に会話を聞かれる可能性がありますし、落ち着いて話ができませんからね」



 応接室に入ると、すぐに侍女たちがお茶を運んできてくれた。人払いをされエアニーと二人きり。彼はすぐに本題を切り出した。



「ヴァーリック様とのこと、どうなさるおつもりですか?」



 あまりにも単刀直入に尋ねられ、オティリエはドキッとしてしまう。これまで誰にも……ヴァーリックにすら言及をされなかったことだ。


 しかし、エアニーに話を聞いてもらえば、自分一人では辿り着けなかった結論に到達できる可能性がある。オティリエはおそるおそる顔を上げた。



「……長くお待たせしてはいけないとわかっております。ですから、その……お断りしようかと考えていました」



 オティリエの返事を聞きながら、エアニーは大きく目を見開く。



「それは、どうして?」


「え? どうしてって……」


「ヴァーリック様がどれほどあなたを思っているか、わからないわけではないでしょう?」



 そう口にするエアニーの表情は苦しげだ。ヴァーリックがこれから感じるであろう痛みを、まるで自分のことのように感じているらしい。オティリエは「はい」と返事をしつつ、ほんのりとうつむいた。



「だったら、どうして悩む必要があるのです? ヴァーリック様は口にも態度にも心の声にすら出さないでしょうが、あなたの返事を待っています。……想いにこたえてほしいと。あなたが「結婚する」とこたえてくれるのを願っています」



 胸がきゅっと苦しくなる。オティリエは「そうですね」と返事をした。



「だけど、ごめんなさい。多分私は――自信がないんです」


「自信?」



 エアニーに尋ね返され、オティリエは「ええ」と相槌を打つ。彼は首を傾げながらそっと身を乗り出した。



「それは……妃という仕事に対してですか? だとしたら、あなたほど適任者はいないと思います。補佐官として働いてきた実績もありますし、適応力、吸収力も申し分ない。心の声が聞こえるという唯一無二の能力がありますし、オティリエさんなら妃として十分にやっていけます。僕たち補佐官も、あなたになら心からお仕えできると、そう思っているんですよ」


「エアニーさん……」



 はじめて聞いた彼の本音。そんなふうに思ってくれていたのだと、オティリエは涙が出そうになってしまう。



「ありがとうございます。だけど……多分違うんです。私が不安に思っていることはそうじゃない」


「違う? とはどういう?」



 これまで漠然としていたオティリエの『不安』の形がだんだんとハッキリ見えてくる。エアニーが浮き彫りにしてくれたから――ようやく結論に辿り着けそうな気がしてきた。



「私はただ……ただヴァーリック様に幸せになってほしいんです。誰よりも、なによりも幸せになっていただきたいんです。だから……だから…………」



 言葉にすると涙が出る。エアニーは小さく目を見開き、それから困ったようにほほえんだ。



「そうですか」



 優しい声音。エアニーにはオティリエの気持ちが痛いほどわかるのだろう。きっとこの世界の誰よりも。彼の望みもまた、オティリエと同じはずだから。



「わかりました。もとより決めるのはオティリエさん自身です。けれど、その想いは早く……少しでも早くヴァーリック様に伝えてあげてください。今頃きっと、どうしてあなたが悩んでいるのか……こたえを出せずにいるのかを知りたがっていると思います。あの方はなんでもできるし強く見えますが、案外脆い部分がありますから」


「ヴァーリック様が?」



 そんなふうにはとても見えない。オティリエが驚くと、エアニーは「ええ」と小さくうなずく。



「本当ならひとこと『妃になれ』とお命じになればよかったのに……ヴァーリック様はきっと、あなたの心がほしかったんだと思います。オティリエさん自身に、自分を選んでほしかったんだと思います」



 エアニーの言葉に胸が軋む。まるでヴァーリックが隠している心の声を聞いているかのよう。けれど、本当のところは本人に聞かなければわからない。



(ヴァーリック様と話をしなくちゃ)



 どんな反応がかえってくるか不安でたまらない。けれど、エアニーの言うとおりオティリエの気持ちを伝えるべきなのだろう。



「最後にもう一つだけよろしいですか?」


「はい、なんでしょう?」



 オティリエが尋ねかえす。エアニーは優しくほほえむと、オティリエの手をそっと握った。



「オティリエさん、ぼくはヴァーリック様だけでなく、あなたにも幸せになってほしいと願っています」


「エアニーさん……」



 人はどうして他人の幸せを望むのか――オティリエは目を細め「ありがとうございます」と返事をするのだった。


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