51.求婚
「あの日……」
ヴァーリックの言葉を繰り返しながら、オティリエはそっと目を伏せた。
どの日、どの話をさすのか――説明を受けなくてもすぐにわかる。神殿について片がついた夜のことだ。
『オティリエ、これからもずっと僕の側にいてほしい』
あのとき、ヴァーリックはそう言っていた。『もう一度……今度はオティリエが勘違いしようのない状況を作って、ちゃんと伝えるから』とも。
「オティリエ、僕はオティリエが好きだよ」
ヴァーリックが言う。胸がひときわ大きく跳ね、思わず涙がこぼれそうになった。
「ヴァーリック様、それは……」
「補佐官としてじゃないよ。一人の女性として君のことを特別に想っている。僕はオティリエのことが好きだ。この世界の誰よりも。……ずっと、ずっと好きだったよ」
彼の頬は真っ赤に染まり、瞳が薄っすらと潤んでいる。言葉から、表情から、ヴァーリックの想いが痛いほど伝わってきて、オティリエは胸をギュッと押さえた。
「だけど、僕は王太子だから――感情だけで己の伴侶を選んではいけない。幼い頃からそう言われて育ってきたし、自分自身もそう思っていた。誰もが納得する素晴らしい女性を妃として迎え入れなければならないって。……だから今日、きちんと向き合ったよ」
ヴァーリックはそう言ってオティリエを見る。
「他に妃にふさわしい女性がいないかちゃんと見て、考えた。だけど、向き合えば向き合うほど、考えれば考えるほど、僕にはオティリエしかいない。誰よりも妃にふさわしいのはオティリエだって……そう思うんだ」
「そ、そんな……私はそんな……」
「可愛くて優しくて、誠実で公正で。おっとりして見えるのに実はものすごくガッツがあって。はじめはただただ『守ってあげたい』って思っていたはずなのに、いつの間にか僕のほうがたくさん守られていた。王都での街歩きのときも、神殿の件も」
彼はオティリエの前までやってくると、ひざまずいて手を握る。オティリエの心臓がドキドキと高鳴った。
「さっきのお茶会だってそうだ。君が他の子に声をかけて楽しませてくれたから――おかげで招待客を失望させずに済んだ。これまで君の温かい気遣いにどれほど救われてきたか……」
「それは……私に心を読む能力があるから。わかるから『なにかしなくちゃ』と思うだけで」
「そうだね。だけど、与えられた能力をどう使うかはその人次第だと思わない? オティリエは素晴らしい女性だよ」
ヴァーリックの言葉にオティリエはうつむいてしまう。「そうですね」と肯定できるほど自分は強くない。自信なんて持てない。なんと返事をすればいいかわからず、オティリエは頭を悩ませる。
「母上も僕と同意見だ。君の丁寧かつ熱心な仕事ぶりも、女性らしい気遣いも、素晴らしいって手放しで褒めていた。君になら妃を任せられるって……君がいいと言ってくれた。僕の意見を、感情を尊重すると言ってくれた」
説明をしながら、ヴァーリックがオティリエの顔を覗き込む。うながされ、オティリエはゆっくりと顔を上げる。ヴァーリックは深呼吸をしたあと、オティリエをまじまじと見つめた。
「だから、どうかオティリエに問わせてほしい。僕の妻になってくれないだろうか?」
風がざわめく。ヴァーリックの熱い眼差しに心と身体が熱くなる。
これ以上ないほどまっすぐ、ハッキリと求婚されたのだ。勘違いのしようがない。心の声なんて聞こえなくても、ヴァーリックの想いは明白だった。
(私……私はどうすればいいの?)
普通に考えれば王族から……しかも王太子から求婚されて断ることは難しい。けれど、現状はヴァーリックの気持ちを受け入れられていないし、妃になる覚悟だってできていない。それに、命令ではないのだから『断る』という選択肢だってゼロではないはずだ。
「……返事は急がないから。しっかりと考えて、オティリエ自身でこたえをだしてほしい」
オティリエの困惑を感じ取ったのだろう。ヴァーリックはそう言って穏やかにほほえむ。いいのだろうか? ……そう思えども、すぐに結論は出せそうにない。
「……はい」
ありがとうございます、と返事をして、その日のお茶会は今度こそお開きとなった。
***
次の日、オティリエは若干の気まずさを覚えつつ執務室に向かった。
(全然眠れなかったな……)
ヴァーリックの――求婚のことを考えていたらちっとも寝付けなかった。彼は昨日『返事は急がない』と言ってくれたけれど、一体どのぐらいの猶予があるのだろう? 王太子の補佐官として、彼の妃選びはオティリエの仕事の一つでもあるのだ。もしもオティリエが求婚を断ったら――そういうことまで考えて動かなければならない。
ため息を一つ、執務室のなかに入る。
ヴァーリックはまだ部屋にはいなかった。しかし、オティリエ以外の補佐官たちはいつになく早く出勤しており、彼女を見るなり「おはよう!」と満面の笑みを浮かべる。
【オティリエさん、多分まだ返事をしてないんだろうなぁ。一体なんて返事をするつもりなんだろう?】
【気になる……気になりすぎて今日は仕事にならないなぁ】
【オティリエさんが妃になったら補佐官としての仕事はセーブすることになるんだろうなぁ。妃には妃の公務があるものなぁ】
と、すぐに聞こえてくる心の声たち。オティリエは思わず目を丸くし、ムッと唇を尖らせる。
「皆さん……私に『聞こえてる』ってわかってますよね? どうせなら声に出してくださればいいのに」
わざわざ心のなかで尋ねられるから腹が立つ。オティリエの反応に、補佐官たちは苦笑を漏らした。
「ごめんごめん。内容が内容だから直接尋ねるのははばかられて。ついつい心のなかでいろいろと……ね」
そんなことを言いながら、補佐官たちはあまり悪びれる様子はない。オティリエは小さく息をついた。
「というか、どうしてその……ご存知なんですか?」
求婚を受けた、とハッキリ言葉にするのは気が引ける。オティリエは頬を染めつつ、そっと補佐官たちを見る。
「そりゃあ、ヴァーリック様の気持ちは見ていたらすぐにわかったし」
「お茶会の話が出て、妃殿下のところにオティリエさんを送り込んだタイミングで『ああ、ヴァーリック様のなかで妃はオティリエさんで決まりなんだなぁ』って思ってました。お茶会用のドレスを贈ったり、招待状をオティリエさんの分だけご自身で書いたり……健気でしたよね」
「僕たちの心の声からヴァーリック様の想いや求婚についてオティリエさんにバレないよう、結構気をつかってたんですよ?」
補佐官たちの言葉にオティリエの頬がさらに赤くなる。
「それで? 返事は決まったんですか?」
と、エアニーが尋ねてくる。オティリエは一瞬迷ったのち「いいえ」と首を横に振った。
「それはどうして?」
「どうしてって……」
オティリエがこたえようとしたそのときだ。ヴァーリックが執務室にやってくる。
「おはよう、みんな」
「おはようございます、ヴァーリック様」
いつもと変わらない朝の挨拶。他の補佐官とともに頭を下げつつ、オティリエはチラリとヴァーリックを見る。と、ちょうどこちらを向いたらしいヴァーリックと視線が絡んで、オティリエはドキッとしてしまった。
【おはよう、オティリエ】
慈しむような温かく優しい声。それだけでオティリエは涙が出そうになってしまう。
(私は……どうしたらいいんだろう?)
自分の気持ちがわからない。オティリエはヴァーリックの笑顔を見つめつつ、ギュッと拳を握った。