48.招待状
「よし、完成!」
招待状の最後の一枚を見つめつつ、オティリエは満面の笑みを浮かべる。打ち合わせの合間をぬって書き続けていたため、腕が腱鞘炎気味だしインクまみれだ。とはいえ、ひと仕事を終えた達成感は大きく、オティリエは清々しい気持ちになる。
「ありがとう、オティリエ。本当にお疲れ様」
「妃殿下! とんでもないことでございます。私のほうこそお待たせしてすみませんでした」
書き上がった招待状をまとめて渡し、オティリエは王妃に頭を下げた。
「そんなことないわ。一枚一枚丁寧に仕上げてもらえて本当に嬉しい。だけど、残念ね。明日にはあなたをヴァーリックに返さなきゃならないなんて……」
王妃はそう言ってため息をつく。
オティリエが頼まれたのは招待客のリストアップとお茶会の段取り、それから招待状を書き上げることまでだ。当日のセッティング等、あとのことは王妃の補佐官たちが手配をしてくれるのだという。このため、オティリエはようやく本務であるヴァーリックの補佐官に戻れるのだが。
「ねえオティリエ、このまま私の補佐官として働かない? あなたがいてくれると仕事がはかどるし、なによりとても楽しいのだけど」
と、王妃がオティリエにほほえみかける。オティリエは思わず目を丸くした。
(妃殿下にそんなふうに思っていただけるなんて……)
素直に嬉しい。それでも、オティリエは小さく首を横に振った。
「ありがとうございます。けれど私はヴァーリック様の補佐官ですから」
早くヴァーリックのもとに帰りたい。彼の役に立ちたいと思ってしまうのだ。
王妃は穏やかにほほえむと「そうね」と優しく返事をする。
「なにかあったらいつでも私を頼ってね。私はあなたのことを実の娘のように大切に思っているのよ?」
「妃殿下……」
慈しむような眼差しにオティリエの目頭が熱くなる。
「はい! そうさせていただきます」
かたく握手をしてから、オティリエは王妃の執務室をあとにした。
***
私室に戻ると、侍女のカランがオティリエのことを出迎えてくれる。
「オティリエ様! よかった、お待ちしておりました。実はオティリエ様に贈り物が届いているんです。こちらなんですけど……」
「贈り物?」
可愛らしいラッピングの大きな箱を見つめつつ、オティリエはそっと首を傾げる。
「一体どなたから?」
「わかりません。メッセージカードがついてなくて……。だけど、騎士の方から直接手渡されたので、怪しいものではないと思うんですけど」
「騎士の方?」
オティリエと面識のある騎士といえばフィリップらヴァーリックの護衛や、仕事でやりとりをしたことのあるほんの数人程度だ。とはいえ、贈り物をされるような間柄ではないと思うのだが。
「なにかしら?」
オティリエは首をひねりつつラッピングをほどいていく。箱を開け、彼女は思わず目を見開いた。
「うわぁ……!」
「綺麗……」
先に声をあげたのはカランだ。ついでオティリエも感嘆の声をあげる。
中身は美しいドレスだった。フリルとレースのふんだんにあしらわれた上品かつ愛らしい一着で、オティリエはほぅとため息を漏らす。
「本当! すっごく可愛いです。これ、絶対オティリエ様に似合いますよ! 贈り主のかた、オティリエ様のことをよくわかっていらっしゃるなぁ」
白いブラウス地に薄紫のリボン、濃い紫のスカートがオティリエの雰囲気にとてもあっている。彼女を知らなければ選べないドレスだ。
(というかこれ、絶対に高価な品よね……)
鮮やかな染色の美しい布地に繊細な刺繍。貴族のパーティーやお出かけの際に好まれそうなデザインである。
と、ドレスの下にカードを見つけてオティリエは手にとってみる。その途端、馴染み深い香水の香りが鼻腔をくすぐり目頭が熱くなった。
「……カラン、ちょっと出かけてくるわね」
「え? あ――行ってらっしゃいませ」
まだ中身も読んでいないのに……カランは首を傾げつつも笑顔を浮かべる。それからオティリエを温かく見送った。
(急がなきゃ……今ならまだ執務室にいらっしゃるわよね?)
と、オティリエが部屋を出てすぐ、顔馴染みの騎士――ヴァーリックの護衛騎士だ――がオティリエのことを呼び止める。
「あ、あの……私、今ちょっと急いでいて。執務室に行こうと」
「ヴァーリック様なら私室にいらっしゃいますよ。ご案内しますので、どうぞこちらに」
「……!」
どうやら行き先が事前にバレていたらしい。……というより、彼はオティリエを案内するためにここにいたのだろう。オティリエは戸惑いつつも騎士の後ろについていった。
歩くこと数分。はじめて足を踏み入れる王族たちの居住スペース。執務エリアよりも重々しい雰囲気にオティリエはゴクリと唾をのんだ。
「こちらのお部屋です」
扉の前に到着し、騎士からそう教えてもらう。けれど、ノックをするだけの勇気が出ない。
ここは執務室ではない、ヴァーリックのプライベート空間だ。本来なら、補佐官である自分が踏み込んでいい場所ではないだろう。
(だけど……)
早くヴァーリックに会わなければ。オティリエは扉をそっと叩く。
「はい」
ヴァーリックの声がかえってくる。オティリエは大きく深呼吸をした。
「あの……オティリエです。ヴァーリック様にひとことお礼を言いたくて……」
待ち構えていたのだろうか? すぐに扉が開き、オティリエはヴァーリックから中に招き入れられた。
「ヴァーリック様、あのドレスは……」
「オティリエに渡したいものがあるんだ」
「え? だけど……」
すでにドレスはもらっている。あのドレスは間違いなくヴァーリックからの贈り物だ。だからこそ、オティリエは今ここに来た。あれは自分がもらってもよいものなのか――ヴァーリックの真意をたしかめるために。
「これ、もらってくれる?」
「え? これは……」
手渡されたのは何の変哲もない一枚の封筒だ。……けれど、オティリエには嫌というほど見覚えがある。なぜならそれは、つい先ほどまで彼女が何枚も何枚も宛名を書き、王妃に託してきたものと同じだったから。
「僕が書いたんだ」
ヴァーリックが言う。封筒の表に記されたオティリエの名前。封を開き、中を見る。お茶会への招待状――オティリエが令嬢たちのために書いていた文面と同じものだ。
「オティリエにお茶会に来てほしくて」
「ヴァーリック様……」
「言っとくけど、補佐官としてじゃないよ? だからこそ、わざわざ僕の部屋まで来てもらったんだ」
ドキドキと心臓が鳴り響く。
(私は招待客のリストに入っていないのに……)
だってこれは、ヴァーリックの婚約者を選ぶためのお茶会だ。オティリエが呼ばれていいものではない。招待状はこの場でヴァーリックに返すべきだ……そう思っているはずなのに、手が、口が、思うように動かない。
「僕が贈ったドレスを着て、オティリエにお茶会に来てほしい」
ヴァーリックの言葉に喉のあたりがギュッと熱くなる。胸が熱く、ひどく苦しい。こんな顔、ヴァーリックに見せるわけにはいかない。オティリエはうつむいたまま「けれど……」と小さくつぶやく。
「オティリエがいなければ意味がないんだ」
つながれた手のひら。オティリエの耳にヴァーリックの心臓の音が聞こえてくる。彼女と同じかそれ以上に早い。【断らないでほしい】と、切実で祈るような気持ちが嫌というほど伝わってきて、オティリエは思わず泣きそうになる。
「行きます」
それがヴァーリックの望みだから……そう言い訳をしながら、オティリエは返事をする。
「うん。待ってる」
ふわりと優しく抱きしめられ、オティリエはギュッと目をつぶった。