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44.ヴァーリックの頼み事

 神殿の件にかたがついてからひと月、オティリエは穏やかな日常を送っていた。



(あんなに忙しかったのが嘘みたい)



 時間に追われることなくゆっくりと書類に向き合えることがとても嬉しい。そう思っているのはオティリエだけじゃなく、他の補佐官たちも同じだった。



【よかった……今夜の夜会は予定どおり参加できそうだ。これで婚約者に叱られずに済む】


【帰ったらゆっくり眠ろう】


【見に行きたい芝居が……】



 三カ月ものあいだ私生活を投げ売っていた反動はとても大きい。多少上の空になってしまうのは仕方がないことだろう。



(よし、これで今日中に仕上げなければいけない書類は終わりね)



 就業時間終了まであとわずか。オティリエはため息をつきつつ、グッと大きく伸びをする。と、ヴァーリックが執務室へと戻ってきた。彼は補佐官たちの執務スペースにやってくると、オティリエに向かってほほ笑みかける。



「オティリエ、ちょっといい? 頼みたいことがあるんだ。あまり時間はとらせないから」


「ヴァーリック様! もちろん、なんなりとお申し付けください」



 ソファに移動するよう促され、オティリエはヴァーリックの向かいに腰かけた。



「実は、オティリエには明日から母上の手伝いに行ってほしいんだ」


「王妃殿下のお手伝い、ですか?」



 思わぬことに目を丸くすると、ヴァーリックはコクリとうなずいた。



「せっかくの社交シーズンだからね……若い令嬢たちをたくさん集めてお茶会を開きたいそうなんだ」


「なるほど……承知しました」



 そう返事をしつつ、オティリエはひそかに首を傾げる。



(お手伝いするのは構わないけれど……王妃殿下にはすでに優秀な文官や侍女がたくさんついているわよね? 私が行く意味はあるのかしら? 人手が足りないという話も聞かないし)



 オティリエの疑問を感じ取ったのだろう。ヴァーリックは苦笑を漏らしつつそっと身を乗り出した。



「母上いわく『若い人の感覚は若い人に聞くのが一番』なんだって。母上の周りには僕たちぐらいの年齢の人はいないからね」


「あ……そういうことでしたか。だけど、だったらなおさら、お手伝いするのは私でいいのでしょうか? 私は流行に疎いですし、あまりお役に立てないかもしれません」



 補佐官として働きはじめるまでは私室にこもって生活をしていたオティリエだ。今だってドレスや髪型は侍女のカランにコーディネートしてもらっているし、普通の令嬢と感覚が近いとは思えない。もっと適任者がいるのではないだろうか? オティリエは尻込みしてしまう。



「実は、今回のお茶会はヴァーリック様のために開かれるんですよ」



 と、かたわらに控えていたエアニーが口を開く。



「え? ヴァーリック様の?」



 オティリエが尋ねれば、ヴァーリックはほんのりと視線をそらしながらうなずいた。



「……うん。そろそろ婚約者を決めなければならないからね」


「あっ……」



 色々あって忘れていたが、もうすぐヴァーリックは十八歳になる。今すぐ婚約者を決めなければならないわけではないものの、せめて候補者を絞るべき時期だ。

 つまり、今回のお茶会は年頃の令嬢たちを集め、王妃とヴァーリックのお眼鏡に叶う女性を見つけることが最大の目的なのだろう。



「王妃殿下にすべてをお任せするわけには参りません。ですから、ヴァーリック様の補佐官であり、若い女性であるオティリエさんにお願いするのが一番だという話になったのです」


「そうなのですね……」



 返事をしながらオティリエはヴァーリックをそっと見つめる。



(ヴァーリック様の婚約者か……ついに候補者選びが本格化するのね)



 この三カ月間目を背けてきた現実。オティリエの胸がチクリと痛む。


 あの夜、ヴァーリックは『ずっと側にいてほしい』と言ってくれたけれど、もしもお相手の女性がヴァーリックの側で女性補佐官が働くことを嫌ったらどうなるのだろう? 神殿の件でオティリエの株はあがったものの、別に王太子の補佐官でなくとも文官のポストなんて腐るほどある。他の場所でいいだろう? と言われてしまえばそれまで。オティリエの意向が通るはずもない。



(嫌だな)



 心のなかでつぶやきつつ、オティリエはハッと首を振る。


 ヴァーリックに生涯の伴侶を見つけることは補佐官にとって重要な仕事だ。決して悲しんだり嫌がったりするべきではない。



(私ったら、なんてことを……)



 そんなことを考えている自分に嫌気が差す。

 オティリエはグッと拳を握りつつ、ゆっくりと顔を上げた。



「わかりました。ヴァーリック様の補佐官として、しっかり頑張ってまいります」


「うん……頼んだよ、オティリエ」



 ヴァーリックはそう言ってオティリエのことをじっと見つめる。どこか熱のこもった眼差しにオティリエは少し戸惑ってしまう。



(なにか他にも伝えたいことがあるのかしら?)



 ……そう思うけれど、心の声が聞こえない。おそらくは聞かれたくないことなのだろう。そんなふうに結論づけて、オティリエはヴァーリックの執務室をあとにした。


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