43.補佐官として
その後、辺境伯の屋敷について大規模な調査が行われた。彼の所有する騎士団はもちろんのこと、私室や執務室、応接室や使用人の部屋、別邸、愛人宅に至るまで徹底的に。
彼が謀反の首謀者であることは事前の調査で明らかだったが、屋敷内で発見された資料や武器の類、資産状況はもとより、神殿の宝物庫から持ち出された宝物のいくつかが発見されたことが動かぬ証拠となり、国は辺境伯の罪を追及することができた。
この際問題となったのは、誰に対し、どこまで罪を問うかということである。
彼の血縁、縁故者を一律に罪に問うことは簡単だ。けれど、なにも知らなかった人間まで罰してしまうのは適切ではないし、相手が『自分は無関係だ』と嘘をつく可能性だってある。関係者を取り逃がしてしまったら、人々を不安に陥れることになってしまうのだ。
ここで活躍したのがオティリエの能力だった。彼女の能力を使えば相手の本心を簡単に読み取ることができる。水晶を使用すれば数人分の調査を同時に行うことだって可能だ。
その結果、辺境伯の血縁・縁故者にかかる取り調べは過去に例を見ないほど迅速に行われた。
ひとまず辺境伯家及びブランドン男爵家は財産を没収、爵位を剥奪されることが決定。それ以外の処罰については追ってくだされることとなっている。
今後の調査については一般の文官に引き継がれることとなった。
「終わったね」
ヴァーリックがつぶやく。
時刻は深夜。他の補佐官たちは仕事を終えて帰宅しており、ここにはオティリエとヴァーリックしかいない。
「……終わりましたね」
オティリエは返事をしながら机につっぷしてしまう。今は指一本動かせそうにない。オティリエははぁと大きくため息をついた。
「この三カ月ぐらい明け方近くまで仕事をしていたから疲れただろう? お疲れ様、オティリエ」
ヴァーリックは眠そうに目をこすりつつ、オティリエに向かってほほ笑みかける。
ジェイミー・ブランドンとの接触以降、オティリエたちは彼やその関係者にバレないよう、必死に調査を進めてきた。いくら当たりをつけていたとはいえ、資産や証拠を本当に見つけることができるのか、いつまで続くかわからない仕事をするのは相当な心労を伴う。
けれど、元凶が辺境伯だという真実に辿り着いたとき、オティリエは報われたような心地がした。これまでの苦労をすべて忘れられるほどの達成感。「繋がった!」と他の補佐官たちと手を取り喜びあった日の感動を忘れることはないだろう。
「疲れました。だけど、本当によかった……頑張った甲斐がありました」
自分の努力がきちんと実を結んだこの感覚は、そう簡単に経験できるものではない。もうしばらくこの達成感に浸っていたい――オティリエはそろりと顔を上げた。
「あの……ヴァーリック様は先にお休みください。私はもう少ししたら部屋に帰りますので」
今ここにいるのはオティリエのわがままだ。上司であるヴァーリックに付き合ってもらうのは申し訳ない。先に帰ってもらえたほうがありがたいのだが。
「ううん。僕はここに――オティリエの側にいたいんだ」
ヴァーリックはそう言ってオティリエの隣に腰かける。それからふっと目元を和らげた。
「君がいてくれてよかった。本当に、心からそう思っているよ」
「……ヴァーリック様」
ヴァーリックにとってかけがえのない補佐官になりたい……そう思って今日までずっと頑張ってきた。彼はずっとオティリエを必要としてくれていたものの、その言葉に見合うだけの働きができていたわけではない。けれど今、彼の期待に追いつけたのだとようやく胸を張って言うことができる。
「はい」
力強いほほ笑み。そんなオティリエを見つめつつ、ヴァーリックは彼女の手を握った。
「オティリエ、これからもずっと僕の側にいてほしい」
「……え?」
トクントクンとオティリエの心臓が高鳴る。ともすればそれはプロポーズの言葉のよう。けれど、そんなはずはないと思い直す。
(だって、ヴァーリック様は王太子だもの)
そんなことを軽々しく口にできる立場ではない。勘違いしてはいけない――そう自分に言い聞かせる。
「ありがとうございます。そんなふうに言っていただけて本当に光栄です。補佐官として、一生お側にお仕えします」
恥ずかしくて照れくさくて――動揺しているのを悟られたくなくて、オティリエはそっと下を向く。
「補佐官として、か。……うん、そうだね。オティリエならきっとそうこたえると思ってた」
ヴァーリックはそう言って小さく笑ったあと、まじまじとオティリエを見つめ続ける。
「あの、ヴァーリック様?」
あまり見つめないでほしい。オティリエはうつむいたままチラリとヴァーリックの表情をうかがう。
「もう一度……今度はオティリエが勘違いしようのない状況を作って、ちゃんと伝えるから」
「え?」
思わせぶりな言葉と手の甲に触れるやわらかな熱。チュッと小さな音が響き、オティリエの身体が熱くなる。
(勘違いしようのない状況って……どういう状況?)
けれど、そんなことを尋ねる体力も気力も残っていない。オティリエはドキドキと胸を高鳴らせ続けた。
***
ちょうどその頃、アインホルン邸をひとりの男性が訪れていた。
「お久しぶりです、お兄様!」
イアマが兄であるアルドリッヒにギュッと抱きつく。アルドリッヒはため息をつきつつ「久しぶりだな」と返事をした。
「わたくし三カ月間もずーーっとお返事を待っていたのよ? これまで一体なにをしていらっしゃったの?」
「……仕事が忙しかったんだ。返事を書くような余裕はなかった」
アルドリッヒは神殿の調査を担当していたのだから、イアマにかまっている時間などない。けれど、イアマがあまりにもしつこく手紙を寄越すものだから、ようやく仕事が片付いた今夜、こうして屋敷を訪れたのだが。
「それで? オティリエを連れ戻してくれる話は? 一体どうなっているの?」
イアマが瞳を輝かせる。アルドリッヒは眉間にシワを寄せ、もう一度小さく息をついた。
「イアマ――オティリエはもう、ここには戻ってこないよ」
「え?」
まるで憐れむような、蔑むような顔でアルドリッヒがイアマを見つめる。こんな表情、生まれてこの方アルドリッヒから向けられたことはない。得も言われぬ焦燥感にかられながら、イアマは首を横に振った。
「そんな……どうして? あの子なんて地味で陰気な能無しでしょう? 城に居てもお荷物になるだけで……」
「お荷物? とんでもない。オティリエはヴァーリック殿下の補佐官として、とても立派に働いていたよ。屋敷にこもって威張り散らしているどこかの誰かとは違ってね」
「な、なんですって!?」
痛烈な嫌味にイアマの顔が真っ赤に染まる。
(一体どういうこと? どうしてお兄様はわたくしに魅了されていないの? しばらく会っていなかったから? だけど手紙にも魅了の能力は込めていたわ。今だって瞳を見つめ続けている。それなのに、一向に効いている感じがしない)
ありえない。
イアマに魅了されない人間なんてついこの間までいなかった。この世は自分のためにある――そう信じてこれまで生きてきたのに、最近はいろんなことがうまくいかない。
近頃では、屋敷の人間たちがイアマの言うことに異を唱えるようになってきた。古参の使用人たちはそうでもないが、入ったばかりの使用人などはイアマに冷たく接してくる。まるでオティリエに対してそうしていたように――いや、彼女に対するよりももっと辛辣だ。
それもこれも、ヴァーリックに出会って以降。ヴァーリックがイアマに魅了されなかったあの日から、いろんなことがおかしくなっている。
「悪いけど、俺はオティリエをこの家に連れ戻そうとは思わない。あの子は今、ヴァーリック殿下の側で幸せに暮らしているんだ。それに……」
「それに、なによ?」
問いながらイアマは眉間にシワを寄せる。アルドリッヒはふっと瞳を細めた。
「もうすぐあの子は、おまえのまったく手の届かない存在になるよ」
彼はそう言い残すと、クルリと踵を返してしまう。
「オティリエがわたくしの手の届かない存在に? ……ありえない。お兄様はいったいなにを言っているの?」
忌々しげにそうつぶやきながら、イアマはアルドリッヒの背中をじっと見つめるのだった。