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36.家族のぬくもりと不穏な声

 オティリエの記憶のなかのアルドリッヒは、いつも無表情で感情の変化に乏しい人だった。心の声もほとんど聞こえてこず、なにを考えているのか、そもそも考えて行動をしているかどうかもよくわからない。

 とはいえ、彼の記憶力はすさまじく、いつも的確に誤りや些細な違いを指摘してくるので、使用人たちや父親からも内心恐れられていたのを覚えている。



(そんなお兄様が、私を可愛いと思うなんて……)



 にわかには信じがたい。別人だと考えたほうがよほどしっくり来た。



「オティリエ、大丈夫?」



 と、ヴァーリックがオティリエに声をかけてくる。どうして? と首を傾げたら、ヴァーリックは真剣な表情で彼女を見つめた。



【もしかして、お兄さんになにか酷いことを言われていない? 前回話をした感じ、問題ないと思っていたんだけど】



 ほとんど会話をかわさないままオティリエもアルドリッヒも黙りこくってしまったため、なにかあったのではと心配をしてくれたらしい。オティリエは首を横に振りながら「大丈夫です」と返事をする。



「ああ、ヴァーリック殿下、先日はありがとうございました」



 それまでヴァーリックの存在に気づいていなかったのだろう。アルドリッヒがヴァーリックに向かって挨拶をする。



(そういえば視察の前にお会いになるっておっしゃっていたっけ……)



 特段言及がなかったため今の今まで忘れていた。



(一体どんなことをお話しになったのだろう?)



 もしかして、アルドリッヒの雰囲気が以前と違うのは、ヴァーリックが彼の魅了を解いたからなのだろうか?

 内心ドキドキしながらオティリエは二人のことをじっと見つめた。



「こちらこそ、とても有意義な時間だったよ。オティリエの幼い頃の話を色々聞けて嬉しかった」


「え? 私ですか?」



 思わぬことを言われてオティリエは目を丸くする。ヴァーリックはクスクス笑いながら「うん」と軽く相槌を打った。



「赤ちゃんの頃の愛らしさとか、はじめて歩いた日の話とか、好きだったおもちゃ、おしゃべりの様子とか他にも色々」


「そ、そんなことをお聞きになったのですか?」



 恥ずかしさのあまりオティリエの頬が紅く染まる。



「そんなことじゃないよ。僕にとっては超重要事項だ。他でもないオティリエのことだもの」



 ヴァーリックはそう言ってふっと目を細めた。



「……アルドリッヒは生まれたばかりの君のことを心から可愛がっていた。絶対的記憶力を誇る彼が言うんだから間違いない。だけど、年々オティリエに対する興味が薄れていったみたいでね」


「それは……やはりお姉様の影響で?」



 アルドリッヒが小さくうなずく。オティリエはそっと胸を押さえた。



「だけど、最初からそうだったわけじゃない。ちゃんと君のことを愛してくれていた人はいたんだよ。それがわかって僕はとても嬉しくてね」



 ポンと頭を撫でられて、オティリエは思わず泣きそうになる。



「……それじゃあ私は、最初から嫌われていたわけじゃなかったんでしょうか? お父様も、使用人たちも、同じだって思っていい?」



 ずっとずっと、そうだったらいいと思っていた。自分が冷遇されているのはイアマの魅了の能力によるもので、オティリエ自身が悪いわけじゃないんだと。そうであってほしいと願っていた。けれど、自信なんて持てなくて、こうして今日まで来てしまったが。



「これまですまなかったね、オティリエ」



 それまで黙っていたアルドリッヒが口を開く。彼はおもむろにオティリエに近づくと、ギュッと彼女を抱きしめた。



「魅了の影響とはいえ、俺は君に酷いことをした。これまで辛かっただろう? ずっと気づかずにいてごめん。……ごめんな、オティリエ」



 家族の誰かからこんなふうに抱きしめてもらった記憶はない。しかし、アルドリッヒの腕の温もりは心地よく、どこか懐かしい感じがする。



「お兄様……」



 これから大事な仕事が控えているというのに目頭が熱い。アルドリッヒの服を汚してはいけないと思うのに、ポンポンと頭を撫でられては抗うことが難しい。



【よかったね、オティリエ】



 と、ヴァーリックの声が聞こえてくる。あまりにも優しい笑顔。オティリエは涙をこぼしつつコクコクとうなずく。



「ありがとうございます、ヴァーリック様」



 ヴァーリックはオティリエの返事を聞きながら、とても嬉しそうに笑った。



***



 定刻になったところで神殿の視察が開始となった。


 神官たちに連れられてぐるりと神殿を一周する。そのあと、普段は来殿者用に開放されている祈りの間を利用して概況説明の場が設けられた。

 当日配布された資料には支所も含めた神官たちの人数や日々の来殿者数、国からの補助金や寄付、その使途を含めた神殿の財政状況といった内容が記載されていた。



(見た感じおかしなところはない、わよね)



 おかしなところがなにもないのは当然なのだが、綺麗に整った数字を見ながらオティリエは思わずホッとしてしまう。



「次に財政状況でございます。資料の中ほどにございます使途明細を御覧ください。収入の多くは貧しい信者たちの食事や衣服、支援をするために使用をしており……」



 視察の責任者であるヴァーリックは神官たちと向かい合って最前列に座っている。新人のオティリエは最後方、末席だ。二人の間には他の補佐官やアルドリッヒをはじめとした別の部署から派遣された文官が何人も座っていて、ヴァーリックとの距離を嫌でも感じてしまう。



(あと数年したら、もう少し近くの席に座れるかしら?)



 それ以前に、まずはなんとしても補佐官として残留できるように頑張らなければならない。オティリエが気合を入れ直したそのときだった。



【まあ、嘘だけどな】



 と、心の声が聞こえてくる。



(え……? 嘘?)



 しかもその声は、現在概況を説明している神官のものとピタリと一致しているではないか。



(どういうこと?)



 もう少し詳細が聞きたい。オティリエが身を乗り出すと、神官はクククと笑い声をあげた。



【馬鹿な奴らめ。毎度毎度形だけの視察や監査に満足して。我々が謀反の準備をしているなんて、どうせ今回も気づかないに違いない】


(そんな、謀反って……!)



 オティリエの心臓がドッドッと嫌な音を立てて鳴り響いた。


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