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34.嫌なんですか?

 ヴァーリックの様子がなにやらおかしい。彼からズキズキ、モヤモヤといった普段とは違う音が聞こえてくるし、表情もなんだか辛そうだ。



(ヴァーリック様、どうなさったのかしら? もしかして、お体の具合が悪いとか?)



 オティリエがそう思った途端、ブフッと盛大な吹き出し笑いが聞こえてくる。誰だろうと顔を上げてみれば、笑い声を上げたのは彼女に手を握られている補佐官だった。どうしたのだろう? と首を傾げるオティリエに、補佐官はフッと目を細めて笑う。



【違うよ、違う。そうじゃないんだよ、オティリエさん】


(え? 違う? そうじゃない?)



 心読みの能力を分け与えている彼にもオティリエと同じようにヴァーリックの心の声が聞こえたはずだ。しかし、違う、と断言されるのであれば、体調が悪いわけではないのだろう。



(だったら、ヴァーリック様はどうして……)



 心のなかで会話を交わしていると、ヴァーリックが「んんっ」と小さく咳払いをした。



「えっと……二人は今、なにをしているんだい?」


「え? と、手を握っています?」



 どうしてそんなことを尋ねるのだろう? オティリエがこたえると、ヴァーリックがムッと唇を尖らせる。ついで脳内に補佐官たちの笑い声が聞こえてきた。



【オティリエさん、それだけじゃ情報が足りない!】


【もう少し! もう少し詳細を伝えてあげて!】


(詳細……詳細?)



 どうして補佐官たちは笑っているのだろう? どうしてヴァーリックは少し不機嫌なのだろう? 心読みの能力を弾かれているらしく、あれ以降ヴァーリックの心の声はちっとも聞こえてこない。

 混乱しているオティリエの肩をヴァーリックはそっと叩いた。



「オティリエ、彼には婚約者がいるんだ。手を握るのはやめておきなさい」


「え? そ、それは知ってます。だけど……」


「ほら、もうおしまい」



 彼はそう言ってオティリエの両手を補佐官から引き離す。その途端、またもや補佐官たちの笑い声が聞こえてきた。



【ヴァーリック様……!】


【ああもう、焦れったいな!】


(焦れったい? ……なにがそんなにおかしいのかしら?)



 別に馬鹿にされている感じはしない。むしろなにやら温かい空気を感じるのだが、それがどうしてなのかわからないままだ。問いただしたい気持ちもあるが、彼らが笑っていることをヴァーリックには知られないほうがいいかもしれないしとオティリエは首を傾げる。



「そういえば、仕事の件でオティリエに話しておきたいことがあるんだ。少しあっちのほうで話そうか」



 と、ヴァーリックがソファのほうを指差した。



【ヴァーリック様、今は休憩時間ですよ? 本当に仕事の話ですか?】


【執務室に戻ってきたときは、みんなと話したそうにしてたのになあ】



 オティリエがうなずくよりも先に、補佐官たちのツッコミが聞こえてくる。



(そう言われればそうだけど……)



 本当にみんな、どうしてしまったのだろう? そう思いつつ、オティリエはヴァーリックのあとに続いた。




「あの、仕事の件というのは?」



 ソファに腰かけるとすぐにオティリエが尋ねる。



「その前に」



 ヴァーリックは改まった様子でオティリエを見つめた。



「ねえ……どうして手なんて握っていたの? さっきも言ったけれど、彼には他に婚約者がいるんだよ? まさか、好きだから、なんてことはないよね?」



 真剣な声音。どこか余裕のなさそうなヴァーリックの表情に、オティリエは目を丸くする。



(好き? 私が彼を?)



 まさかヴァーリックにそんな勘違いをされているとは思っていなかった。振り返ってみてもそんな雰囲気は皆無だったと思うし、どうして誤解をされたかがわからない。オティリエは首を横に振って否定した。



「それじゃあオティリエは、なんでもないのに男性の手を握っているの? 僕の知らないところで。……僕以外の男性と?」



 ヴァーリックはそう言ってオティリエの手をギュッと握る。その途端、彼女の心臓がドキッと高鳴り、体がものすごく熱くなった。



(どうして? さっきブラッドさんたちの手を握ったときはなんとも思わなかったのに)



 ドッドッドッドッとうるさく鳴り響く鼓動の音。どこか苦しげなヴァーリックの表情に、オティリエの胸がギュッとなる。



「違います。さっきのはただ……私の能力を他の人に体感してもらうために握っていただけなんです!」



 このままではいたたまれない。恥ずかしさのあまり目をつぶりつつ、オティリエは必死にヴァーリックへと訴える。



「体感? オティリエの能力を?」


「そうです。どんなふうに聞こえるのか気になると言われたので、それで」



 オティリエの返事を聞きながら、ヴァーリックの顔がゆっくりと紅く染まっていく。



「そうか。そうだったのか……」


「はい。ですから、私が彼を好きだとか、誰の手でも握っているというわけではなくてですね!」



 どうか誤解を解いてほしい。オティリエが訴えかけると、ヴァーリックは盛大なため息をつきながら彼女の肩口に顔を埋める。



「え? あの……ヴァーリック様?」


「ごめん……カッコ悪いな、僕」



 そんなこと思っていないと首を横に振ったものの、おそらくヴァーリックには見えていないだろう。それよりなにより、近すぎる距離が、彼と触れ合っていることのほうがオティリエにとっては重要だった。


 先程よりも早くなる鼓動。ヴァーリックにまで聞こえてしまうのではないか? ……そう思ったオティリエだったが、途中から脳内に響いている鼓動の音が一つでないことに気づいてしまう。



(ヴァーリック様もドキドキしている?)



 どうして? ……そう尋ねたくなるのをグッとこらえ、オティリエは深呼吸をした。



「ごめん……本当にごめん」


「いえ、そんな。ヴァーリック様に謝っていただくようなことではございません。ただの誤解ですし」


「ううん、さっきのは絶対的に僕が悪い。――頭にね、血がのぼったんだ」


「え?」



 オティリエが思わず聞き返す。ヴァーリックはようやくチラリと顔を上げると、バツが悪そうな表情を見せた。



「オティリエが僕以外の男性の手を握っているのを見て、すごくモヤモヤして……嫌な気持ちになった。冷静になれば、君が自分の能力を体験させようとしていただけだって気づけたはずなのに、そんなことはちっとも思いつかなかった。……本当に、ただただ嫌だったんだ」



 はあ、とヴァーリックのついた息が熱い。オティリエはなんと返事をしたらいいかわからず、コクコクと小刻みにうなずく。



「……幻滅した?」


「いえ、まさか! 私がヴァーリック様に幻滅するなんて絶対にありません」



 実家から連れ出してもらい、仕事まで与えてもらったというのに、そんなことを思うはずがない。オティリエが必死に訴えれば「よかった……!」とヴァーリックが顔をクシャクシャにして笑う。



(ああ、なんて顔をして笑うの……!)



 自分の心臓がものすごくうるさい。悲しくもないのに涙まで滲んでくるではないか。こんな感覚、オティリエは知らない。戸惑いと、照れくささの相混じったなにか。けれど、きっとそれだけではない。



(私はきっと――嬉しいんだわ)



 それがなぜなのかうまく説明できないけれど。


 オティリエとヴァーリックの視線が絡む。どちらともなく顔をそらし、それからまたゆっくりと見つめ合う。なにか言わなければ……そう思うものの、唇がうまく動かない。


 どのぐらい経っただろう。沈黙を破ったのはヴァーリックだった。



「ねえ、もしも僕が『たとえ能力を分け与えるためであっても他の男と手を握るのは嫌』だって言ったら、オティリエはどう思う?」


「え?」



 どこか拗ねたようなヴァーリックの表情。普段は年齢よりも大人びて見えるのに――そんなことを考えつつオティリエは首を小さく横に振る。



「ヴァーリック様が嫌なら、今後は手を握る以外の方法を……離れていても能力を分け与えられるように練習します」



 彼女の返事を聞きながらヴァーリックが目を丸くする。それからとても嬉しそうに笑った。



(本当は『嫌なんですか?』って尋ねてみたかったけど)



 この反応を見るに、きっとそうなのだろう。


 だとすれば、どうして嫌だと思うのだろう――オティリエの疑問は尽きない。尽きないけれど、彼が心の声を隠している以上、詮索するのは無粋だろう。きっと聞かれたくないと思っているはずだ。



(いつか教えてくださるかしら?)



 教えてほしいような、ほしくないような……そんなことを考えながら、オティリエはそっとほほえむのだった。


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