33.練習の成果
休憩時間、オティリエは同僚補佐官たちと穏やかに談笑していた。
「オティリエさん、大分仕事に慣れてきたね」
「はい。皆さんのおかげです。ありがとうございます」
今日はヴァーリックに会食の予定があるということで、部屋にはエアニーを除いた補佐官たちだけしかいない。滅多にない機会なので、なんだか少しだけ緊張してしまう。それに対し、補佐官たちはヴァーリックがいないために少し砕けた印象だ。
「個人講師もほとんどついたことがないって聞いていたからどうなることかと思ったけど、飲み込みが早くて本当にびっくりしたよ」
「本当、本当。まだ三カ月しか働いていないとは思えない。いつも正確・丁寧に文書を作成してくれるし、頭の回転もすごく早いだろう? 法律の条文や各分野の専門知識もおそろしいほど頭に入っているし、普通の文官よりもずっと優秀だよ。きっと俺たちの見えないところで努力をしてるんだろうなぁって。さすがはアインホルン家。……いや、ヴァーリック様が可能性を見出しただけのことはある」
「えっ、あっ……そうでしょうか?」
「「そうだよ」」
オティリエには彼らの心の声が聞こえるため、そういった本音の部分を事前に知っている。けれど、実際に言葉にされるのははじめてなので、少しだけ照れてしまった。
「これまで補佐官は男ばかりだったから、こんなに可愛い子が入ってくれて嬉しいんだよね。場が華やぐっていうか、和らぐっていうか」
「そうだな。エアニーさんなんてほとんど雑談をしないから、なに考えているかわからないところがあるし」
「あぁ……そう、ですよね。そう見えますよね」
同僚たちの言うとおり、エアニーは必要なことだけを口にするタイプだから、周りからは不思議な人に見えるらしい。けれど、彼は存外熱い人だし、いつもヴァーリックや彼の補佐官のことを考えている。
(……さすがに本人の許可なしにそれを伝えることはできないけれど)
なんだか損をしているなぁとオティリエは思う。
「ねえ、心の声ってどんなふうに聞こえるの? 俺たちやエアニーさんが考えていることもわかるってことだよね?」
「はい、聞こえます。どんなふうに聞こえるかは……ええっと、口で説明するのが難しいので、実際に体験していただくほうが早いかもしれません」
「体験?」
首を傾げる同僚――ブラッドの手をオティリエはそっと握る。
【あっ、ブラッドのやつ! オティリエさんに手を握られてる! 羨ましい。俺も握ってほしいのに】
と、別の補佐官が心のなかでつぶやく。一方ブラッドは目を丸くしたあと、彼女の顔を覗き込んだ。
【なるほどね。こんな感じで聞こえるのか。……面白いな】
彼はそんなことを考えつつ、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
「おまえ、いいのか? そんなこと考えて。婚約者に言いつけるぞ? 大体、オティリエさんには聞こえているとわかっているくせに、そういうことを考えるのはいかがなものかと思うがな」
「なっ!」
ブラッドのセリフにもう一人の補佐官は顔を真っ赤に染め、キョロキョロと辺りを見回した。
「やめろよブラッド。俺の婚約者、本気でおっかないんだぞ。今ものすごいヒヤヒヤしたじゃないか」
「知ってるよ。……というか伝わってきた。おまえの心臓の音とか、胸がキュッとした感じとか、全部聞こえるんだな」
ケラケラと笑いながら、ブラッドはオティリエのほうをチラリと見る。彼女はコクリとうなずいた。
「いや頼むよ、本当。あいつって束縛半端ないし、ものすごい嫉妬するし。この間二人で夜会に参加したときなんて地獄だったんだ。少し他の令嬢と挨拶しただけでものすごい剣幕で睨みつけてきたんだから。当然、ダンスだって婚約者としかさせてもらえなかったし、あれじゃまともに社交ができないと思わないか?」
「それはおまえが悪いだろう? そういうタイプの婚約者だってわかっているのに、なぜ目の前で他の女性に声をかける? 別にダンスだって婚約者と踊れれば十分だし、社交は仕事を通じてできるだろう?」
ブラッドはそう言いながら呆れたようにため息をつく。別の補佐官はいやいやと首を横に振った。
「せっかく美しい女性が目の前にいるのに挨拶もできないんじゃ勿体ないって思わない? どうせならお知り合いになりたいだろう? お近づきになりたいだろう? それに、そういう仕事とは別口の人脈を作っておけば今後仕事に生きるかもしれないし」
「まあ、それは一理あるが」
「……っていうか、すごいなオティリエさん。少し手を握るだけで他の人にも自分の能力を分け与えることができるんだ」
と、唐突に話題がオティリエへと戻ってくる。オティリエはドギマギしつつ、はいと返事をした。
「ヴァーリック様に教えていただいたんです。そういう能力の使い方があるって。はじめの頃はあまり上手にできなかったんですけど、練習するうちに安定して能力を発動できるようになりまして」
働きはじめて三カ月。当初約束したとおり、オティリエは定期的にヴァーリックと二人きりで会い、仕事の話や能力の特訓をしてもらっている。
必要なときに必要な能力を発揮できる――それが可能になったことがオティリエは嬉しい。
オティリエの能力は本人が思っていたよりもたくさん使いどころがあった。
まず、文官との交渉や調整が必要なとき、相手の本音がわかっているとやりとりがとてもしやすい。譲れるラインがどこなのかを自然とはかれることは、仕事をスムーズにこなすための秘訣だった。
また、ヴァーリックに頼まれて貴族との会合に同席したこともある。あとでこっそりなにを考えていたか教えてほしい、と。さすがに会合の最中に手を握るわけにはいかないのでリアルタイムというわけにはいかなかったが、あとでものすごく感謝された。
「へぇ……そうなんだ。俺も体験してみたいな」
「――婚約者に言いつけるぞ」
「いや、そういうんじゃなくて! 単純にどんな感じか興味があるんだって!」
オティリエはクスクス笑いつつ「いいですよ」と補佐官の手を握る。
とそのときだった。
「楽しそうだね。僕も混ぜて……」
ヴァーリックが執務室へと戻ってくる。けれど、彼の笑顔はどこかこわばっており、セリフも途中で途切れてしまった。
「ヴァーリック様?」
オティリエがそっと首を傾げる。どうしたのだろう? 明朗快活なヴァーリックらしくない。
と、どこからともなくズキンと胸が痛む音が聞こえてくる。
【これは……相当まずいかもしれない】
(え?)
ヴァーリックの心の声に、オティリエは思わず目を見開いた。