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30.嘘

 オティリエはヴァーリックに連れられて男性の元へとやってきた。周囲にはフィリップの他にも事態を把握して駆けつけた騎士たちが大勢いる。当の男性はというと、ロープで手足を縛られ、がっくりとうなだれていた。



「ヴァーリック様」



 騎士たちが一斉に頭を下げる。ヴァーリックは彼らにそっとほほえみかけた。



「お疲れ様。よくやってくれたね。……実は、彼と話がしたいと思っているんだ。みんなは少し下がっていてくれる?」



 ヴァーリックが言うと、騎士たちは顔を見合わせながら困惑顔を浮かべる。



【ヴァーリック様の命令ならば従うべきとは思うが】


【大丈夫だろうか? こんな現場に殿下をお連れして、あとで問題になるのでは……】



 万が一ヴァーリックになにかあったら――従者としては当然の考え方だ。



(やっぱり諦めるべきなのかしら?)



 申し訳無さにオティリエがうつむいたときだった。



「大丈夫だよ。僕は君たちを信頼している。身の安全は完全に保証されているってね」



 ヴァーリックが言う。彼の言葉と笑顔に騎士たちがウッと息を呑む。オティリエは思わず顔を上げた。



「それに、話をするのは僕じゃなくてオティリエだ。どんな発言を受けても責任は僕がとるし、君たちへの影響はなにもないから」



 今は心の声が聞こえているわけでもないのに……ヴァーリックは騎士たちの懸念を感じ取りきちんと解消してやっている。



「さあ、オティリエ」



 騎士たちが後ろに下がると、ヴァーリックはオティリエの肩をそっと押す。



「ありがとうございます、ヴァーリック様」



 オティリエは深呼吸をしてから、ゆっくりと身をかがめた。



「あの……」


「どうして……どうしてこんなことに? 俺の計画は完璧だったはずなのに。どうして事件を起こす前に止められてしまったんだ? どうして? どうして?」



 耳を近づけなければ聞こえないほどのか細いつぶやき。オティリエはゴクリとつばを飲みながら、さらに身体を近づけた。



「私には聞こえていたんです。あなたの心の声が」


「心の声? ……馬鹿なことを。そんなもの、聞こえるはずがない」


【俺の感情が、苦しみが誰かに聞こえるというなら、そもそもこんなことにはならなかった】



 男性はフッと嘲るように笑う。オティリエは静かに首を横に振った。



「そんなことはありません。あなたは馬車のなかで『許さない。殺してやるって』……ずっとそう叫んでいたでしょう?」



 ピクリ――男性はおずおずとオティリエを見上げた。



「それで俺の企みがわかったっていうのか?」


「……ええ」



 返事を聞くなり、男性はワッと声を上げて泣きはじめた。



「嘘だろう? ちくしょう! 余計なことを……! おまえが! おまえが邪魔をしなければ、俺は望みを果たすことができたのに! 本当に、どうして邪魔なんて……」


「嘘、ですよね?」



 オティリエがささやく。男性は目を丸くして彼女のことを凝視した。



「あなたは『余計なことをされた』だなんて思っていない。本当は誰かを傷つけたいわけじゃなかったんですよね? ……だって、あなたは迷っていたから。本当は引き返したくてたまらなかったんでしょう?」



 オティリエの言葉に男性は首を横に振る。彼は噛みつかんばかりの勢いで、ぐっと身を乗り出した。



「違う! わかったようなことを言うな! 俺は一度だって『引き返したい』なんて後ろ向きなことを考えちゃいない! なにがあってもやりとげると! 絶対に思い知らせてやるって思っていた」


「そうですね。たしかに、心の声はそう言っていました。……自分の心をごまかすために。自分を鼓舞するために。……そうでしょう?」



 オティリエが尋ねる。男性はグッと眉間にシワを寄せた。



「『許さない』『行かなきゃ』『よし行こう』『殺すんだ』って、何度も何度も聞こえました。それなのに、あなたはなかなか動き出さなかった。広場の近くに到着していたにも関わらず、です」


「そ、そんなの当たり前のことだろう? 俺がしようとしていたことはそれほどまでにだいそれたことで……」


「そんなふうに思っている時点で、あなたは本当は『嫌』だったんですよ。そんなこと、したくなかったんです」



 人の心はときに嘘をつく。自分自身を騙すために。正当化するために。――守るために。真逆のことすら考える生き物なのだ。



「私も同じでした。行かなきゃいけない場所があるのにどうしても嫌で。ドアノブに手をかけては引っ込めて、うずくまって。その度に『行かなきゃ!』って何度も何度も自分に言い聞かせてきたんです。だけど、本当は嘘だから……足がすくんで動き出せなくて。怖いって……嫌だって思えば思うほどますます嫌になっていって。そんな気持ちをごまかすために『私は行きたいんだ』って自分の気持ちに嘘をつくようになっていたんです」



 それはほんの少し前までのオティリエの日常。部屋から一歩外に出れば屋敷のみんながオティリエを嘲笑い、冷たい言葉を浴びせかけられる。それでも、生きていくためにはどうしても食事が必要だった。


 嫌だと、行きたくないと何度も思った。しかし、それでは足に力が入らない。


 だからオティリエは自分に嘘をついた。暗く悲しい気持ちから目をそらすために。そうしないと壊れて消えてしまいそうだったから。



「違う! 俺は……俺はそんなこと」


「それじゃあ、あなたは人を殺してなにがしたかったんですか?」


「え? それは……」



 男性がウッと口をつぐむ。



【俺はただ思い知らせたかっただけだ。俺をかえりみなかった国に。社会に。俺をこんなふうにしたのはおまえらだって、そう言ってやりたかった。だけど、そんなこと言ったところで……】


「俺はただ思い知らせたかっただけだ。俺をかえりみなかった国に。社会に。俺をこんなふうにしたのはおまえらだって、そう言ってやりたかった――そうなんですね?」



 オティリエが男性の心の声を声に出して言う。男性は大きく目を見開き、呆然とオティリエを見つめた。



「本当に、聞こえるのか?」


「……はい、聞こえます。人を傷つける事件なんて起こさなくても、あなたの気持ちは伝わります。……私が聞きます」



 オティリエが男性の手のひらをギュッと握る。彼は瞳を潤ませたあと、パッと視線をそらした。



「だけど、聞いてもらったところでなにも意味はない。おまえだけが知ったところで、国は、社会は、人々はなにも変わらない……」


「そんなことないよ」



 と、ヴァーリックが口を挟む。彼はオティリエ同様男性の側にかがむと、ニコリと微笑んだ。



「こう見えても僕は王太子だからね。君が欲してやまない国や社会を変えるための力をもっているんだ」



 男性がひときわ大きく目を見開く。彼は涙を流しながら、ガクリと肩を落とした。



「誰かを傷つけなくても、人々の注目を集めなくても、想いは届くよ。あなたがそれほどまでに思い詰めていたことを僕たちはちゃんと知っている。だから、どうか安心して。……自分の気持ちに素直になってほしい」



 ヴァーリックが言う。声にならない叫び声がオティリエの心に直接響く。悲しいのか、嬉しいのか、困惑しているのか……胸をかきむしりたくなるようなわけのわからない感情に、こちらまで泣きそうになってしまう。



「――ありがとう」



 消え入りそうな小さな声。オティリエはハッと男性を見つめる。



「止めてもらえてよかった。……ありがとう」



 嗚咽混じりの声はひどく聞き取りづらい。けれど、オティリエには彼がなんて言いたいのかがハッキリと聞こえる。



「はい」



 胸に手を当てながら、オティリエはそっと瞳を細めるのだった。


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あ、ヤバい涙腺がっ
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