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3.期待と落胆

 翌日からオティリエの日常はガラリと変わった。


 朝早くから侍女たちがやってきて彼女の身なりを整えていく。ボサボサに伸びた髪を切りそろえられ、軽く化粧を施し、これまでよりもマシなドレスを着てマナー講師の到着を待つ。


 ただ、オティリエにとってそれは苦業に等しかった。



【どうして私がオティリエ様の身なりを整えなければいけないの? イアマ様は美人だからいいけど、オティリエ様は見ていてイライラするのよね】

【愛らしさのかけらもない黒い髪ね……イアマ様の金髪とは大違い。これ、どうやったら美しくなるわけ? 正解がちっともわからないわ】

【化粧映えのしない青白い肌ねぇ。頬骨が浮いてて骸骨みたい】



 普段オティリエは人との接触を最小限におさえて悪口を聞かないようにしている。けれど、父親の命令がある以上、侍女たちは絶対にオティリエの部屋に来てしまう。彼女たちの心の声を聞き続けることはまるで地獄のようだった。



 不幸中の幸いだったのは、夜会に向けて少しでもオティリエの肉付きを良くするために、毎日食事が運ばれてくるようになったことだ。これまでのように冷めきっておらず、メニューも父親やイアマと同じものだ。温かくて美味しくて、オティリエは誰にもバレないように少しだけ泣いてしまう。



 そのうえ、父親が呼んだマナー講師はオティリエを蔑むことも侮ることも嘲ることもなかった。



「素晴らしい。オティリエ様は非常に飲み込みが早いです」



 他人から否定されてばかりのオティリエにとって、これはあまりにも嬉しいことだった。

 もちろん、心のなかでは時折【アインホルン侯爵家ともっとお近づきになりたい】といった本音が見受けられたものの、その程度の打算はあってしかるべきものだ。家族や使用人たちとは比べ物にならない。他人の悪意にさらされ続けたオティリエにとってはあまりにも貴重なひとときだった。


 しかし、そんな講師も日が経つにつれてオティリエに冷たくなっていく。



(どうして? 私、そんなに下手くそだった? それとも、お姉様が魅了を……?)



 だとしても証拠がない。単に成長が遅いオティリエに見切りをつけた可能性もある。それに、仮に魅了をされたとわかったところで彼女にはどうすることもできない。


 それでも、なんとか講義だけは受け続けることができ、オティリエは無事に当日を迎えることができた。



「わぁ……素敵なドレス」



 部屋に届けられた藤色のドレスを見ながら、オティリエは瞳を輝かせる。物心がついて以降、こんなにも鮮やかな色合いのドレスを着るのははじめてだった。光沢のあるシルク地に袖の部分は繊細に編まれたレースでできている。首飾りとイヤリングも一緒に届けられており、オティリエは密かに息を呑んだ。



「これ、本当に私に用意されたものよね?」


「さようでございます」



 相変わらず侍女たちは冷たかったものの、この日はいつもより気にならなかった。


 ドレスが豪華なのはオティリエのためではなく、アインホルン家の威厳を示すため――そうとわかっていても、嬉しいものは嬉しい。


 着替えを済ませてから化粧をしてもらい、鏡のなかの自分と向き合う。まるで魔法にかけられたかのよう――別人に生まれ変わったような心地がした。



(これならお父様もお姉様も、少しは私のことを認めてくれるかも)



 今のオティリエはみっともなくもみすぼらしくもないはずだ。ほんの少しの期待を胸に玄関ホールへと降りる。けれど次の瞬間、オティリエは思わず息を呑んだ。



「さすがオティリエ……いいわ。これぞわたくしの引き立て役って感じね」



 イアマが艶やかに笑う。彼女が着ているドレスはオティリエよりも数段高価なものだとひと目でわかった。



「どう? 美しいでしょう? 仕立て屋を急かして最高のドレスを作り上げてもらったの」


「……はい、そう思います」



 素晴らしいのはドレスだけじゃない。鮮やかに施された化粧も、姉妹の瞳と同じ色の大きなバイオレットサファイアの首飾りも、華やかにまとめ上げられた金髪もすべてが格式高く美しかった。



「さすがはイアマ様!」

「お美しいですわ!」



 使用人たちが口々にイアマを褒める。誰もオティリエのことを見もしない。……けれど、そう思ったのは一瞬のことだった。



【それに比べてオティリエ様は……】



 彼女たちは時折オティリエのほうを振り返り、クスクスとバカにしたように笑う。オティリエは思わず赤面し、柱の陰に身を隠した。



(恥ずかしい)



 期待などするべきではなかった。少しは美しくなれたのではないかと――認めてもらえるのではないかと思ったのがいけなかった。胸が苦しい。息が苦しくて今にも倒れてしまいそうだ。なんとか気をたしかに持ちつつイアマを見れば、彼女はふふっと口角を上げた。



【オティリエったら本当に身の程知らずねぇ。あなたがわたくしに勝てるはずないでしょう? 使用人たちの関心も、称賛の声も、すべてはわたくしのために存在するの。一ミリだってあなたに渡すつもりはないわ】



 イアマの心の声が聞こえてくる。聞きたくないのに――耳をふさいだところでダイレクトに脳に響くのだから意味がない。



「ああ、イアマ! さすがは私の娘だ! おまえなら魅了の能力などなくとも、ヴァーリック殿下を……いや、国中のどんな男の心をも射止められるだろう」



 そうこうしている間に二人の父親がやってきた。父親はイアマを褒めちぎったあと、満足気に笑う。



「当然ですわ! 必ずやお父様の期待にこたえてみせます。わたくしは他人の心が読めるだけで他に能のない妹とは違いますもの」


(他に能のない妹、か。私にはこんな能力必要なかったのに。せめて私に他の人の心を読む能力がなければ……)



 そうすればもう少し心穏やかに暮らせたのではないだろうか? イアマと自分を比べることもなく、誰かの感情に惑わされることもない。使用人たちの辛辣な本音を聞かずに済んだなら、どれだけマシだっただろう?

 しかし、ないものねだりをしたところで意味はない。



 オティリエは沈んだ気持ちのまま王宮に向かう馬車へと乗り込んだ。


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