26.焦燥感
王都の外れで二人は馬車を降りた。
「さてと、お腹が空いたね。まずは食事にしようか」
ヴァーリックはそう言ってオティリエに優しく微笑みかける。と、オティリエはあることに気づいて足を止めた。
「ヴァーリック様……今日は瞳の色がいつもと違うんですね?」
普段は紫と緑の神秘的なオッドアイなのに、今日は両目とも緑色だ。薄暗い馬車のなかではいまいちわからなかったが、太陽の下だと一目瞭然である。
「僕の瞳の色は目立つからね。街中に僕がどんな顔か知ってるものは少なくとも、オッドアイというだけで身分がバレてしまう可能性もある。だから、補佐官の一人に頼んで緑色に見えるように変えてもらったんだ。服装もいつもとはちょっとテイストが違うだろう? どう? 似合ってる?」
「はい、とっても素敵です」
王宮にいるときよりも少しカジュアルな街歩きにピッタリのファッション。醸し出す高貴なオーラから平民には当然見えないが、爽やかで格好よく、いつまでも見つめていたくなる。
(でも……私はいつものヴァーリック様が好きだな)
オティリエと同じ紫色の瞳――それが彼とオティリエを繋いでくれる絆のような気がしていた。だから、少しだけ寂しい……なんて、そんな本音はとても言えないけれど。
「――オティリエはいつもの僕のほうが好き?」
と、ヴァーリックが耳元で尋ねてくる。オティリエは驚きに息を呑み、顔を真っ赤に染めて視線をそらす。
「え? そんなことは……」
(なんで気づかれてしまったの?)
今はヴァーリックに能力の譲渡をしていないというのに。半ばパニックのオティリエを見つめつつ、ヴァーリックはクスクスと笑い声をあげる。
「ごめんね。……今のは僕の願望。そうだったらいいなって思っただけなんだ」
「え?」
「僕はね、オティリエとおそろいの紫色の瞳をとても気に入っているんだよ」
蠱惑的な表情。オティリエの心臓が小さく跳ねる。
おいで、と手を引かれ、オティリエはヴァーリックの腕に自身の手を添える。それから二人はゆっくりと街に向かって歩きはじめた。
「そういえば、今日はオティリエに一つ、お願い事があるんだよね」
「なんでしょう、ヴァーリック様? なんなりとお申し付けください」
どんなことをすればいいのだろう? 自分でも頼りにしてもらえることがあるのかと、オティリエは少しだけ気分が高揚する。
「今日は僕のことを『リック』と呼んでくれるかな? ほら、ヴァーリックって名前は珍しいからさ」
「えっ! さすがにそれはちょっと……」
王太子を愛称で呼ぶのは不敬がすぎる。エアニーにバレたら冷ややかに怒り狂う案件だろう。
「今日はできる限りお名前をお呼びしない方向で――」
「なんなりと、って言ってくれたのに?」
しまった。すでに言質をとられている。これでは断ることは難しい。
「……エアニーさんには内緒にしてくださいね」
「もちろん。二人だけの秘密ね」
ヴァーリックはそう言って上機嫌に笑った。
レストランに到着すると、美しい庭園が見渡せる個室へと案内される。街中の隠れ家――百年以上続く老舗店とのことだ。
(ここなら警備も万全にできるしヴァーリック様が人目にとまることもない)
離れた位置から二人を守る騎士に視線をやりつつ、オティリエはホッと胸をなでおろす。
「ここは王室御用達のレストランでね。幼い頃、父や母と一緒に食事に来たことがあるんだ」
「そうなんですか」
家族との思い出の店――オティリエにはそんなものは存在しないけれど、ヴァーリックの表情から、言葉から、ここが彼にとってとても大事な場所だということが伝わって来た。
と、前菜が運ばれてくる。「さあ食べようか」と喜ぶヴァーリックに、オティリエは待ったをかけた。
「あ、あの……まずは私が毒見をしないと」
城内で王族が口をつけるものにはすべて毒見がされていると聞いている。これまで毒見役が倒れたという話は聞いたことがないが、万が一ということもあり得るのだ。
「大丈夫。きちんと判別できる方法があるんだよ」
ヴァーリックはそう言って胸元についているブローチをおもむろに外した。
「オティリエにはこれがなんだかわかる?」
「え? えっと……」
ブローチに埋め込まれているのは水色の透き通った石だった。アクアマリンによく似ているが、色彩や光沢が微妙に違っている。
「もしかして水晶、でしょうか?」
「正解。だけどただの水晶じゃないんだ。この水晶にはエアニーの能力が込められている」
「エアニーさんの?」
ヴァーリックはオティリエからブローチを受けとると、料理の上にそっとかざす。すると、ブローチがほんのりと光り輝いた。
「エアニーは物事を識別する能力を持っているんだ。素材、産地、成分構成、良し悪しなど、いろんな情報を自由自在に読みとることができる。もちろん、毒が入っているかどうかもね」
「そ、そんなすごい能力をお持ちだったんですね……!」
さすがはヴァーリックの側近。ものすごい才能の持ち主だとオティリエは感嘆してしまう。
「オティリエの能力だってエアニーに負けない素晴らしい能力だよ?」
「え? 私? あ、ありがとうございます。だけど、私の能力はまだまだですし、これから先に活かせる機会があるかもよくわかりませんから」
唐突に褒められて、オティリエはちょっぴり動揺してしまう。
この一週間の仕事内容から判断するに、現在オティリエに求められているのは事務処理能力だ。それも十分とは言い難いが、今後、心を読みとる能力が必要となるかはわからないし、今のところ使いこなせる自信もない。
(……私ももっとヴァーリック様の役に立ちたいんだけどな)
誰にでもできる仕事なら、ヴァーリックがオティリエを拾ってくる必要はなかった。瞳の色を変化させたり、物から情報を読みとったり……エアニーや他の補佐官は立派にヴァーリックの役に立っている。
オティリエも、オティリエだからこそできるなにかがほしい。そうでなければ、ここにいていい理由がなくなってしまう。
「オティリエ、君を連れてきたのはこの僕だ。自分を――僕を信じて。今はまだ側にいてくれるだけで構わない。焦らないで。ゆっくり自分の能力を磨いていってよ」
「……はい、ありがとうございます」
ゆっくり、着実に。今は力をつける時期だ。――他の補佐官たちも同じことを言うし、オティリエ自身も自分にそう言い聞かせている。
それでも焦ってしまうのだからどうしようもない。一分が一時間に、一日が一週間に、一週間が一ヶ月になればいいのにと願ってしまう。早く成長したくて……ヴァーリックに追いつきたくてたまらなかった。