23.イアマのプライド
(ああ……忌々しい。一体どういうことなのよ!)
アインホルン家の屋敷の一角――かつてオティリエの私室だった場所にイアマはいた。床にはナイフでズタズタに切り裂かれた枕やシーツ、羽毛が散らばっている。
妹のオティリエが王太子ヴァーリックに連れて行かれてからもうすぐ一週間。
父親によると、オティリエはヴァーリックの補佐官として採用され、城で働いているらしい。王族の補佐官といえば文官たちのなかでもよりすぐりのエリート。将来の出世を約束されたも同然だ。優秀と謳われるアインホルン家の一族ですらも、過去に補佐官としての地位を勝ち取ったものはそう多くないと聞く。
(それなのに、あの子がヴァーリック殿下の補佐官ですって!? ありえない。務まるわけがないのに)
イアマはオティリエになにも与えなかった。父親や使用人たちの愛情も、慈悲も、食事だってまともにとれない状況に追いやってきたし、教育を受ける機会も講師たちを魅了して奪い取った。だからオティリエは誰ともまともに会話すらできない。そんな出来損ないが使い物になるとはとても思えなかった。
しかし、どうせすぐに戻ってくるだろうというイアマの想定とは裏腹に、オティリエは未だ王宮にいる。
(違う……これはなにかの間違いだわ)
間違いというのは正さねばならないものだ。――というより、このままではイアマの気がおさまらない。
イアマは階段を降りると、使用人の一人に声をかける。
「ねえあなた、城に行ってオティリエを連れ戻してきなさい」
「城に、ですか? しかし、私が行って相手にしてもらえるものなのでしょうか」
「わたくしが言ったことがわからないの? 連れ戻してきて」
できるか、できないか、どんな方法を使うかなんてどうでもいい。イアマがほしいのは結果だけ。くだらないことを尋ねるなと心のなかで舌打ちをする。
「ああ、イアマ様……仰せのままに」
イアマに見つめられると、使用人は頬を真っ赤に染め、トロンと夢見るような瞳になる。
(そう。これよ。これが正しい反応なのよ)
ヴァーリックによってズタズタにされたイアマのプライドが、自己顕示欲が満たされていく。
(今にみてなさい)
イアマは王都の方角を睨みつけると、手に持ったナイフを勢いよく振り下ろした。
***
(おめかし……おめかしとは)
初めて迎えた休日の朝――オティリエは鏡の前でにらめっこをしていた。
ヴァーリックから街に出かけようと誘われたのは昨日のこと。退勤して以降、どんな格好をすればいいのか考え続けているものの、まったくいい案が浮かんでこない。
『せっかくのデートだから、おめかししてきてね。……楽しみにしてる』
(あんなふうにお願いされたんだもの。下手な格好は絶対できないし……)
「失礼します……っと、休日なのに早起きですね。おはようございます、オティリエ様」
そろりと部屋の扉が開き、カランがヒョコリと顔を出す。
「カラン! 今日はお休みだったんじゃ……?」
侍女にだって休日は必要だ。今日ぐらい、自分のことは自分でしようと思っていたのだが。
「オティリエ様にとってははじめての週末ですもの。お疲れでしょう? なにかお役に立てればと思いまして」
【それに、昨夜なんとなく様子がおかしかったから、気になったのよね……】
そう言って微笑むカランが、今のオティリエにとってはまるで神様のように見える。オティリエは「だったら……!」と話を切り出した。
「昼から街に出かけるの。だけど、私にはどんなドレスを着ればいいかわからなくて」
「まあ! そういうことでしたら遠慮なく頼ってください。そのためにあたしがいるんですから」
ドン! と胸を叩き、カランは瞳を輝かせる。オティリエはコクコクとうなずいた。
「ちなみに、お出かけはお一人で? それともどなたかとご一緒なさるんですか?」
「え? えっと……」
【あっ、この反応はデートだ。オティリエ様って案外やるわね】
と、オティリエが返事をするより先に、カランが結論にたどり着く。オティリエは恥ずかしさのあまり真っ赤になってしまった。
(デートだなんて……ヴァーリック様は私をからかってるだけよね?)
数日間一緒にいてわかったが、ヴァーリックはオティリエの反応を見て楽しんでいる傾向がある。もしかしたら、王族の彼にとってはデートの定義からして一般人とは違うのかもしれない。けれど――
『おめかししてきてね。……楽しみにしてる』
オティリエは雑念を振り払い、鏡の前の自分に向き直る。
真相はどうあれ、ヴァーリックからはそう指定されているのだ。きちんとオーダーにこたえるべきだと言い聞かせる。
「ねえ、こういうとき、どんな格好をすればいいの? あと、化粧とか、髪型とか……」
「そうですねぇ……お相手の好みはご存知ですか?」
「好み……」
『ヴァーリック様はあなたのような愛らしい女性を好みますから、変に背伸びをした服装じゃなくてよかったです』
と、エアニーから言われたことを思い出す。
「可愛い系が好き、なんですって」
「なるほど……。ちなみに、同じ部署の方ですか?」
「え?」
同じ部署――というか上司なのだが、ヴァーリックと出かけるとは言わないほうがいいだろう。オティリエは「そう」とだけ返事をする。
「だったら、お仕事の日とは少し違った印象を目指してみましょうか」
「少し違った印象……?」
とは、どういう感じなのだろう? 理解の追いついていないオティリエをそのままに、カランは頭のなかでイメージを膨らませていく。
【ギャップ萌って大事だと思うのよね。オティリエ様は清楚系のザ・優等生って感じが似合っているし、お仕事のときにはそこを全面的に押し出してるけど、せっかくお出かけするんだもの。小悪魔系というか……甘辛ミックスな感じにしたらどうかしら? 口紅とかシャドウとか、普段よりもちょっと濃いめのものを選んで、ドレスも――こういうときのために雰囲気がちょっと違う可愛いのを選んでおいたし。髪も巻いてみたいなぁって思っていたのよね】
オティリエの脳裏にいつもとは違った雰囲気の自分が浮かび上がる。
ドキドキしつつ、オティリエはカランに身を任せた。