22.ヴァーリックの提案
「オティリエさん、こちらの書類の作成をお願いできますか?」
「はい! 喜んで」
勤務開始からもうすぐ一週間。オティリエは簡単な事務仕事を任されはじめていた。同僚から書類を受け取りつつ、オティリエは朗らかな笑みを浮かべる。
【オティリエさんは文字が綺麗だし、内容を丁寧に確認をしてくれるから、安心して書類仕事を任せられる】
とは、とある補佐官の心の声だ。
現状オティリエは定型的な書類しか担当していないものの、忙しいヴァーリックの補佐官たちの負担は軽減できているらしい。
(まだまだ本当の意味で戦力にはなれていないけど)
それでもオティリエは素直に嬉しいと思う。ほんの少しでもいい。前に進めていると感じたかった。
「おはよう、オティリエ。今日も頑張っているね」
とそのとき、背後から優しく声をかけられる。ヴァーリックだ。
「おはようございます、ヴァーリック様」
「今週いっぱいは事務仕事は難しいと思っていたんだけどな……あの量の資料をもう読んでしまったんだって? 今日だってこんなに早く出勤しているし」
ヴァーリックはオティリエの作成した書類を確認しつつ「バッチリ」だと目を細める。
「はい。知らないことを学ぶのがすごく楽しくて……特にヴァーリック様のメモを読んでいると、いろんなことがものすごく身近に感じられるんです。エアニーさんから資料を持ち帰っても大丈夫だとお許しをいただきましたし、部屋に帰ってからも夢中で読ませていただきました。それに、早く仕事を覚えたくて」
オティリエの笑顔を見つめつつ、ヴァーリックは空いた椅子へと座る。それから彼女の目の下をツイと撫でた。
「貪欲なのはいいことだ。だけど、睡眠時間はきちんととらなければいけないよ」
「あ……」
(少し寝不足なの、バレてしまったかしら)
カランに化粧で誤魔化してもらったが、くまが隠しきれていなかったようだ。「すみません」と返事をしつつ、オティリエはほんのりと頬を染めた。
「大丈夫です。明日はお休みですし、ゆっくり休養しようと思っています」
補佐官たちには週に二日、決められた曜日に休みが与えられている。オティリエにとっては明日がその初日だ。
(明日はゆっくりお茶を飲みながら、ヴァーリック様からいただいた書籍を読み返すんだ)
一周目と二周目では感じ方が異なり、新たな学びもあるという。オティリエは部屋にこもって復習に励む気満々だった。
「休養……うん、そうだね。それも大事だよね。オティリエのことだから、明日も資料を読み込もうとか思っていそうだし」
「……?」
ヴァーリックが少しだけ言いづらそうに視線を泳がせる。
(どうかしたのかしら?)
オティリエが首を傾げると、ヴァーリックは彼女に向き直った。
「オティリエ……もしよかったら、明日街に出かけない?」
「え? 街に、ですか?」
思いがけない提案に、オティリエは目を丸くする。
「うん。君を城に連れてきた日、窓から街を嬉しそうに眺めていただろう?」
「あ……はい。すみません、姉からみっともないから止めるようにって咎められていたんですけど」
どうやらまた、無意識に窓の外を眺めてしまっていたらしい。
「謝る必要なんてない。むしろ僕はこの街を気に入ってもらえて嬉しいんだ。だから、せっかくの休みだし、王都を案内できたらなぁって」
(王都を……)
もしもお願いできるなら、どんなにいいだろう。窓から眺めるだけだった美しい街並みを、自分の足で見て歩けたら楽しいに違いない。
けれど、案内人の負担を考えるとどうしても気兼ねしてしまう。オティリエはチラリとエアニーを見上げた。
「えっと……お気持ちは嬉しいんですけど、貴重なお休みですし、エアニーさんにはただでさえ私のせいで色々とご迷惑をおかけしているので」
「ぼくは行きませんよ?」
「え?」
オティリエはまた首を傾げる。じゃあ、と隣を見ると、ヴァーリックがスッと自分を指さした。
「僕がオティリエを案内しようと思って」
「ええっ? ヴァーリック様が!?」
王都を案内するというくだりで、まさかヴァーリック自身の名前が出てくるとは想像もしなかった。オティリエは仰天しつつ、小刻みに首を横に振る。
「そ、そんな……ヴァーリック様に案内人をお願いするなんて、私には勿体なくて」
「そんなことないよ。案内人だなんて堅苦しく考えなくていいし、僕もそろそろ街を見に行きたいと思っていたんだ。どうせ行くなら、オティリエが一緒だと楽しいだろうなぁって。嬉しいなぁと思ったんだけど……」
オティリエの心臓がドキドキと早鐘を打つ。
明日は休日。勤務時間外だ。断ろうと思えば断れる。――けれど、あんなふうに言われて「嫌」だなんて言えるはずがない。
(そもそも、嫌なはずがないし)
ただただおそれおおいというだけだ。
「休日に上司と会うのは負担? やっぱり嫌かな?」
「そんなことないです! 絶対、思うはずがありません」
むしろ嬉しい――そんな本音は言えないけれど。
「それじゃあ昼頃、部屋に迎えを寄越すから」
「あ……はい。わかりました」
結局、オティリエがヴァーリックに勝てるはずがないのだ。頬を染めてうつむくオティリエにヴァーリックが追い打ちをかける。
「せっかくのデートだから、おめかししてきてね。……楽しみにしてる」
「え?」
ボン! と音が聞こえそうなほど真っ赤になったオティリエは、ヴァーリックの言葉を何度も思い返しながら、しばらくのあいだ呆然としてしまうのだった。




