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19.朝

 柔らかな朝日がまぶたをくすぐる。温かくふかふかの布団にくるまれながら、オティリエはそのあまりの気持ちよさに微笑んだ。



「おはようございます、オティリエ様」



 優しい声音。ゆっくり目を開けると、侍女のカランの笑顔が飛び込んできた。



(夢かしら……?)



 目覚めたことを嬉しく思う日が来るなんて。


 朝が来るたびに『また目が覚めてしまった』と何度も何度も思ってきた。日の殆ど当たらない薄暗い部屋で、空腹に喘ぎながら涙を流した日々が嘘のようだ。



「さあ、朝の準備をしましょう。今日も忙しいのでしょう?」


「……ええ。お願いできる?」



 泣きそうになるのをグッとこらえて、オティリエはゆっくりと身を起こす。それからカランと微笑みあった。



「疲れはきちんととれましたか?」



 洗顔を済ませ、髪を整えながらカランが尋ねてくる。



「そうねぇ……ベッドの寝心地が最高だったし、仕事がとても楽しかったもの。あまり疲れてないと思うわ」



 ……そう返事をしたものの、鏡に映った自分の顔を見て、オティリエは思わず苦笑を浮かべてしまう。


 昨日は昼食を済ませたあと、エアニーと一緒に城内をひたすら歩き回った。総務、経済、文化、外交、福祉に建築土木など、各分野の責任者にオティリエを紹介するためだ。責任者たちはみな、オティリエの二回りは年上の男性ばかり。失礼がないようオティリエはまったく気が抜けなかった。


 とはいえ、若い娘だからと高圧的な態度をとるものも少なくない。しかし、彼らはオティリエがアインホルン家の末娘だと知るとくるりと手のひらを返し、ヘコヘコと低姿勢になる。オティリエの父親はやはり相当恐れられているらしい。心の声が聞こえるオティリエは、なんともいえない複雑な気持ちになってしまった。


 肉体的な疲労に精神的な疲労。完全に解消されたといえば嘘になる。



【オティリエ様、やっぱりまだ疲れているみたい。当然よね。働きはじめたばかりだもの。今日は少し頬紅を濃くしてみようかな? 血色がよく見えると、疲れが目立たないかも。色は……色白だからオレンジよりピンクのほうが似合うわね。あと、髪型は今日のドレスに合わせて……】



 カランはオティリエの様子を観察しつつ、いろんなことを考えてくれている。それだけで気持ち疲れが癒えていく心地がした。


 身支度を整えたあと、カランがオティリエにお茶をいれてくれる。



「オティリエ様、お食事はお部屋で召し上がりますか?」


「えっと、他に選択肢があるの?」



 昨夜は初日ということもあって定時であがり、私室で夕食をとった。足がパンパンだったため、カランに世話されるがままになっていたが、他の方法があるのだろうか?



「はい。オティリエ様がお望みなら、食堂に降りてお食事をすることも可能ですよ。ただ、たくさん人が来ますからね。お疲れのときにはあまりおすすめできません。他の補佐官の方は、別の職種の人と情報交換をしたいときなんかに利用しているみたいですけど……」


「そう……。それじゃあ、今日のところは部屋で食事をしてもいいかしら?」



 他人の心の声が聞こえてしまうオティリエは人が大勢いる場所は得意ではない。これまでほとんど一人ぼっちで生活をしていた彼女にとって、昨日はそういう意味でも試練の連続だった。



「もちろんです! お茶を飲みながらゆったりとお待ちくださいね」



 カランはそう言って嬉しそうに部屋をあとにする。オティリエはソファに移動すると、ふぅと大きくため息をついた。



(なんだか久しぶりに一人になった気がする)



 たった一日で生活が激変してしまった。

 そういえば、ヴァーリックからは昨夜『努めて一人になる時間を作るように』と助言を受けている。



『オティリエが自分を成長させたいと思っていることはわかっている。だけど、焦っちゃダメだよ。ゆっくり心と身体を慣らしていくんだ』



 彼の言葉を思い出すだけで身体がじわじわと熱くなる。今すぐ変わりたい――もっと強くならなければと思う。



(よし、頑張ろう)



 オティリエはグッと伸びをし、ペチペチと自分の頬を叩いた。



***



(とはいうものの)



 人間やはり、いきなり強くなれるわけではない。

 始業開始一時間前。オティリエは執務室の前で一人、扉とにらめっこをしていた。



(扉の外に騎士がいないから、ヴァーリック様はまだいらっしゃっていない……はず。すでに出勤している補佐官はいるかしら? ここからじゃ心の声が聞こえないからわからないわ)



 なにぶん初めての出勤のため、いろんなことがわからない。執務室は開いているのか、どんなふうに入室すればいいのか、入室して一番になにをすればいいのか。――なにより単純に勇気が出ないのだ。



(落ち着いて。勇気を出すのよ、オティリエ。……ヴァーリック様のために強くなるって決めたでしょう?)



 こんなところでつまずいていたらなにもできない。オティリエがノックをしようと決心したそのときだった。



「入らないの?」



 耳元で爽やかなテノールボイスが響く。



「ヴァーリック様」



 慌てて後ろを振り返れば、この部屋の主――ヴァーリックが身をかがめて微笑んでいた。



「おはよう、オティリエ」


「おはようございます、ヴァーリック様」


「昨日はよく眠れた? ……見る限り顔色はよさそうだけど」



 ヴァーリックはそう言ってオティリエの顔を覗き込んでくる。



(よかった……! カランに感謝しなくちゃ)



 化粧で誤魔化せていなかったら、ヴァーリックにいらぬ心配をかけていたかもしれない。

 オティリエはコクコクうなずきつつ「ありがとうございます」と返事をする。



「おかげさまで、ぐっすり眠らせていただきました」


「それはよかった。食事はどうだった? オティリエは小さいからたくさん食べなきゃダメだよ」



 ヴァーリックはそう言ってオティリエの頭をそっと撫でる。恥ずかしいやら嬉しいやら。オティリエの頬が紅く染まった。



「それにしても早いね。まだ始業開始の一時間前だよ?」


「し、新人なので。他の人より早く来なきゃって思ったんですけど」


「うん、いい心がけだね。でも、こんなに早く出勤しなくて大丈夫だよ」



 ヴァーリックはそう言って執務室のなかに入る。室内はしんと静まり返っており、他に人がいる気配はない。



「でも、ヴァーリック様はすでにいらっしゃっていますし」


「ん? 今日は特別」


「え? ……特別?」



 オティリエが目を丸くする。

 そういえば、ヴァーリックは勤務開始時間の十五分前に出勤するという話だった。なぜ今ここにいるのだろう?



「オティリエはきっと、早く来ているだろうなあと思って。だからいつもより早く部屋を出たんだ。来てみてよかったよ」


「……え?」



 その瞬間、オティリエの頬がより一層真っ赤に染まった。



(わ……私のため?)



 全身が燃えるように熱い。

 ヴァーリックにこんなにも気にかけてもらえたことが嬉しい。こんなによくしてもらってバチがあたらないだろうか? オティリエはまだなんの役にも立たない新人だというのに。



「ねえ、せっかく二人きりになったんだ。仕事の前に少し話をしようか」



 ヴァーリックはニコリと笑みを深めつつ、ソファに座るようオティリエに促した。


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