17.おかえり
オティリエは残りのドレス選びをカランに一任し、ヴァーリックの執務室へと向かっていた。
広い城内をエアニーの先導を受けて突き進む。
彼はオティリエのドレスをチラリと見つつ【なるほど】と心のなかでつぶやいた。
「それはあの、及第点ということでよいのでしょうか?」
仕立て屋には褒めてもらえたし、オティリエ自身も気に入っている。けれど、他人の意見は気になるものだ。特に、ヴァーリックの補佐官であるエアニーの意見は事前に聞いておきたいところ。
「ええ。あなたによく似合っていますし、城内で働くに適しているかと」
「そうですか……! よかった」
やはりドレス選びをカランに任せたのは正解だった。オティリエひとりだったら、店員の意見をそのまま採用していただろう。自分に似合わないドレスに満足していたに違いない。
「それにヴァーリック様好みの服装です」
「……! そう、なんですか?」
その瞬間、オティリエの胸がドキドキと騒ぎ出す。動揺を悟られたくない――オティリエはほんのりとうつむいた。
「ええ。あの方はあなたのような愛らしい女性を好みますから、変に背伸びをした服装じゃなくてよかったです」
エアニーがサラリとそう言ってのける。しかし、オティリエの動揺は加速していくばかりだ。
(ヴァーリック様は愛らしい女性が好み……)
いや、だからなんだというのだろう? オティリエはブンブン首を横に振り、考えるのをやめようと試みる。けれど、どう足掻いても、思い浮かぶのはヴァーリックのことばかりだ。
「あの……エアニーさんと一番はじめにお会いしたとき、私を見て『ヴァーリック様らしい』って心のなかでおっしゃってましたよね?」
他に話題が思いつかず、オティリエは思い切って質問を投げかける。
「……ええ。たしかにそんなことを思いましたね」
「あれはどういう意味なんですか?」
「ヴァーリック様はついつい守ってあげたくなるような可愛いものが大好きなんです。子猫とか子犬とか小鳥とか。どうやら庇護欲を掻き立てられるらしく。おかげで城内ではあの方の保護した動物たちが何匹も飼育されているんです。ですからあなたを見て『ヴァーリック様らしい』と思いました」
「な……なるほど。そうだったんですね」
ヴァーリックは元々面倒見の良いタイプなのだろう。だからこそ、オティリエのことも放っておけなかったのだ。ありがたい……そう思うと同時に、オティリエの胸がツキンと痛む。
(どうして? なんでそんなふうに思うんだろう?)
オティリエはエアニーにバレぬよう、少しだけ首を傾げた。
「ここから先が執務用スペース――行政塔です」
エアニーが言う。使用人たちの塔とはガラリと印象が変わり、空気がピンと張り詰めているように感じられた。オティリエが姿勢を正すと、エアニーが少しだけ瞳を細める。次いで【いい心がけです】と心の声が聞こえてきた。
ヴァーリックの執務室はそこからさらに奥まったところにあるとのことで、オティリエはエアニーとともに歩を進める。
「規定上の始業時間は朝九時です。あなたの部屋からヴァーリック様の執務室までかなり距離がありますので、遅刻しないようにいらっしゃってください」
「わかりました。あの、ヴァーリック様は何時に執務室にいらっしゃるんですか?」
「……いい質問です。ヴァーリック様は十五分前には執務室にいらっしゃいます」
「なるほど」
つまり、彼が執務室に来るまでのあいだに出勤するのが望ましいだろう。オティリエはメモをとりながら、あとでこれからの生活を頭のなかでシミュレーションしておこうと決心した。
「さて、こちらがヴァーリック様の執務室です」
エアニーが足を止めたのは他の部屋よりも明らかに重厚な扉の前だった。外には騎士たちが控えており、二人を見るなり恭しく頭を下げる。
「ヴァーリック様、入りますよ」
ノックをしたのち、エアニーがそう声をかける。彼は慣れた様子で扉を開けると、いと優雅にお辞儀をした。
「オティリエさんをお連れしました」
「うん、ご苦労さま。オティリエ、早く入っておいで?」
ヴァーリックの声が聞こえてくる。オティリエはゴクリと唾をのむ。意を決してエアニーの後ろからそろりと部屋に入ると、彼女はお辞儀をした。
「ヴァーリック様、……失礼いたします」
緊張しつつ、オティリエがそろりと顔をあげる。
【可愛い】
すると、ヴァーリックの声が――それから他の補佐官の声が混ざって聞こえた。オティリエの頬が紅く染まる。ヴァーリックはそんなオティリエを見つめたあと、満足気に微笑んだ。
「いらっしゃい。……いや、おかえりって言ったほうが正しいね。これからはここがオティリエの帰る場所になるんだから」
「おかえり……」
つぶやきながら、オティリエの胸がじわりと温かくなる。
実家には彼女の居場所なんて存在しなかった。常に忘れ去られた状態で、部屋のなかにこもってばかりいた。夜会から帰ったときだって、誰も彼女のことを出迎えてはくれなかった。『おかえり』だなんて優しい言葉、かけてもらった覚えがない。
「ほら、こちらにおいで」
ヴァーリックがオティリエを手招きする。室内を見回しつつ、オティリエはヴァーリックの元へと向かった。
ピカピカに磨き上げられた床。扉を入るとすぐに、応接用のテーブルと革張りのソファが置かれていた。広い執務室の中央にはヴァーリックが使う大きな文机。近くには足の長いテーブルと椅子が置かれている。全面窓になっており、室内はとても明るかった。
(……やっぱりすごく豪華ね)
さすがは王太子の執務室だ。部屋にあるものすべてが最高級品。びっくりするほど高価に違いない。ちょっと歩くだけで床を傷つけないか不安になるし、なにかに触れるたびにビクビクしてしまいそうだ。
「大丈夫。はじめは緊張するかもしれないけど、すぐに慣れるよ」
「……そうでしょうか?」
「もちろん。そうなるように僕が努力するからね」
ヴァーリックがそう言って笑う。オティリエの胸がドキッと跳ねた。
「補佐官たちには基本的に隣の部屋で仕事をしてもらっているんだ。ほら、あっちに机がたくさん並んでいるだろう? オティリエの机も用意してあるから、あとで確認して」
「ありがとうございます」
ヴァーリックが指さしたのは扉のない続き間だった。どうやら終始ヴァーリックと一緒にいるわけではないらしく、オティリエは少しだけ安心してしまう。
(こんなにずっとドキドキしていたら身体がもたないわ)
そんなオティリエの表情を見つめながら、ヴァーリックが彼女の手を握る。驚き慌てふためくオティリエを前に、ヴァーリックはそっと目を細めた。
「そろそろ食事にしようか。色々と話したいことがあるんだ」
「あ……はい。よろしくお願いいたします」
エスコートのためだとわかっているのに……わかって以降もオティリエのドキドキは止まらない。ヴァーリックをチラリと見上げつつ(やっぱりこれじゃ身がもたない)と思うのだった。