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11.悪いけど、

 ヴァーリックの手助けを受けつつ、オティリエはその場から立ち上がった。背中を打ち付けた痛みのせいでフラフラしてしまう。



「大丈夫……じゃないね。痛かっただろう?」



 ヴァーリックはオティリエを自分に寄りかからせたあと、彼女の頬をそっと撫でる。オティリエの涙を拭ったあと、ヴァーリックはイアマのことをじっと見つめた。



「それで? イアマ嬢、君はオティリエ嬢になにをしていたんだ?」


「なにって……これは家族の問題ですから。殿下には関係のないことですわ」



 オティリエのことを『家族だと思ったことはない』などと言っておきながら、イアマはまるでそんな発言はなかったかのように笑ってみせる。しかし、内心では彼女はとても焦っていた。



【なんで? どうして殿下がこんなところにいるのよ! 侍女は! お父様は一体なにを考えているの!?】



 オティリエは困惑を隠せないまま、イアマとヴァーリックとを交互に見つめた。



「家族だからなにをしてもいい――そんな考えがまかりとおるはずはないだろう? 君は他人を裁く立場にある領主の娘だ。そのぐらいは知っていてしかるべきだと思うけど」


「まあ! 殿下はわたくしがオティリエに対して暴力を振るったと思っていらっしゃいますの? そんなまさか! どんくさいこの子が自分で勝手に本棚にぶつかったのです。頬だって少し手があたってしまっただけで、暴力だと言われるようなものではありませんわ。ねえ、オティリエ」



 イアマはそう言いながら、オティリエのことを睨みつける。



【あんた、わかってるわよね? 下手なことを言ったら、ただじゃおかないわよ】



 おそろしさのあまりオティリエがゴクリとつばを飲む。ヴァーリックはそんなオティリエの様子を見ながら、彼女をそっと抱き寄せた。



「それで? 殿下はどうしてこんな早朝に我が家へいらっしゃいましたの? 事前のお約束もいただいておりませんし、こちらは愚妹の私室。あなたのような尊いお方がいらしていい場所ではございませんわ」



 イアマが微笑む。【悪いのはこんな時間に約束も取り付けずこんなところに来たあなたなのだ】と――さり気なく嫌味を散りばめつつ、論点をすり替えようという魂胆だ。



「来訪の目的は先ほども言ったとおりだよ。僕はオティリエ嬢を迎えに来たんだ。本当ならばきちんと先触れを出してから来訪するべきだけど、一秒でも早く彼女に会いたくてね。こんなにも早い時間の訪問になってしまった」



 ヴァーリックはそう言ってニコリと微笑む。オティリエの心臓が跳ねるとともに、イアマの頬がカッと赤くなった。



【なによそれ! 殿下は本気でオティリエのことを好ましく思っていらっしゃるってわけ!? このわたくしじゃなく!? そんなの絶対ありえない!】



 魅了の能力者であるイアマはこれまで、自分に対して好意を抱かない男性は存在しなかった。ましてや、己の目の前で別の誰かが褒められ、優しい言葉をかけられるのだってはじめての経験だ。婚約者のいる男性をたぶらかし、彼らの結婚をぶち壊すことで獲得してきた優越感が一気にしぼんでいく。悔しさのあまりイアマは己の手のひらをギュッと握りしめた。



【っていうかオティリエを迎えに来たってどういうことよ! まさかこの子を妃にとか考えているの!? 冗談でしょう!?】


(たしかに……)



 イアマの心の声を聞きながら、オティリエも密かに同意をする。

 さすがに昨夜、ほんの少し言葉を交わしただけで『妃にしよう』ということにはならないだろう。けれど、それならなぜ、彼がオティリエを迎えに来たのかもわからない。こたえを求めて、オティリエはヴァーリックをそっと見上げた。



「……それに、一晩経って『もしかしたらオティリエが家族からひどい目に合わされているんじゃないか』と思い至ったものだからね。やはり早く来て正解だった」


「まあ、そうでしたの。取り越し苦労をさせてしまって申し訳ない限りですわ」



 間髪を入れずにイアマが否定をする。あくまで彼女がオティリエに暴力を振るったことをなかったことにしたいらしい。ヴァーリックは呆れたように笑い、ため息をついた。



「けれど、オティリエを迎えに来ただなんて、一体なんのために?」


「それはイアマ嬢に教えてあげる必要はないかな。君には関係のない話だし、一刻も早くオティリエ嬢をこの家から連れ出したいからね。あとで父親にでも聞くといいよ」



 ヴァーリックはイアマに向かって冷たい視線を投げかける。



【なっ……! なによそれ! わたくしには関係ないですって!?】



 内心カチンときつつ、イアマはヴァーリックに詰め寄った。



「まあ! わたくしはこの子の姉ですもの。妹がどこかに連れて行かれそうになっているのに、なにも知らないままでは心配ですわ」


「そう? 僕にはとてもそんなふうには見えなかったけどね。先ほどオティリエ嬢に向かってなんて叫んでいたのか、もう忘れちゃったのかな?」



 ヴァーリックが微笑む。イアマはクッと歯噛みをしつつ首を横に振った。



「記憶にございませんわねぇ」


「あくまでしらをきるつもりか……まあ、そうだろうね。君と話していても埒が明かない。この件については後日、侯爵を王宮に呼んで事情を聞くつもりだよ」



 なかったことにするつもりはない――言外にそう伝えつつ、ヴァーリックはオティリエに「行こう」と声をかける。



「待ってください、殿下! ……そうですわ! せっかくいらっしゃったのですし、お茶でもいかが? 我が家のシェフに美味しいお茶菓子を用意させますわ」



 イアマがヴァーリックにすがりつく。それから彼女はニヤリと口角を上げた。



【そうよ! これは神様がわたくしに与えてくださった、またとないチャンスだわ。昨夜は失敗してしまったけど、今なら殿下を魅了できるかもしれない。……いいえ、絶対に魅了してやるわ!】


(お姉様が殿下を……!)



 オティリエはイアマの心の声を聞きながら、ヴァーリックの裾を必死に引っ張る。

 いくらヴァーリックが他人の能力を防げるからといって油断は禁物だ。しかも、イアマはヴァーリックを魅了しようと昨夜よりも躍起になっている。万が一ヴァーリックの能力が負けたら――。



【大丈夫だよ、わかっているから】



 ヴァーリックは声を出さずに返事をすると、まっすぐにイアマの瞳を覗き込んだ。



「お茶は結構だよ。先ほども言ったとおり、すぐに屋敷を発ちたいんだ」


「そんなに急がなくてもいいじゃありませんか! わたくし、もっと殿下にわたくしのことを知っていただきたいんです。だって、わたくしほど聡明で見た目もいい令嬢なんて、この国にはいませんもの。あなたの妃にぴったりでしょう?」



 何度もまばたきを繰り返してヴァーリックを見つめながら、イアマは焦燥を募らせていく。



【おかしい! やっぱり殿下には魅了が効いていない! どうして!? わたくしの能力が効かない人間なんてこれまで存在しなかった! そもそも、能力なんて使わなくても、みんなわたくしに魅了されていたというのに!】


(本当に、殿下にはお姉様の能力がまったく効いていないんだわ……)



 密かに感動しつつ、オティリエがヴァーリックをそっと見上げる。彼はオティリエの頭を撫で、そっと目を細めた。



「悪いけど、僕は君を聡明とは思わないし、なんの魅力も感じない」


「なっ……! このわたくしに『魅力』がないですって!?」



 イアマのこめかみに筋が立つ。それは魅了の能力を持って生まれたイアマにとって、この世で一番屈辱的な言葉だった。



「よくも……よくもそんなことを!」


「この際だから言っておくけど、どれだけ能力を使っても無駄だよ。僕が君に惹かれることはない。妃候補にすらなれないから、そのつもりで」



 ヴァーリックはイアマの怒りを受け流しつつ、案内役の侍女のほうを向いた。



「そういうわけだから君、今すぐオティリエ嬢の荷物をまとめてくれるかい? もうここには戻らないから、そのつもりで」


「えっ? ……しょ、承知しました。けれど、オティリエ様に荷物と呼べるようなものは……っ!」


「余計なことを言うんじゃないの」



 イアマが侍女の脇を小突く。侍女は困惑しながら口をつぐみ、ヴァーリックの視線を避けるようにしてうつむいた。



「それじゃあ行こうか」



 ヴァーリックはそう言ってオティリエを抱き上げる。まったく予想していなかった行動に、オティリエは慌てふためいてしまった。



「えっ……殿下!? 私、自分で歩けます」


「だけど、さっきからふらついているだろう? 階段でこけたりしたら大変だ。いいから僕に捕まっていて」


「でも……」



 心配してもらえるのは嬉しいが、家族や使用人たちからの扱いとのギャップが大きすぎてまったくついていけない。恥ずかしさもあいまって、オティリエの顔は真っ赤に染まってしまった。



「では、僕たちはこれで失礼するよ」



 ヴァーリックはオティリエの表情をたっぷり観察したあと、イアマに向かって声をかける。彼女は拳を震わせつつ、二人のことをジロリと睨みつけた。



【許さない】



 イアマの激しい怒りが心の声と合わせてオティリエに伝わってくる。



【おっかないねぇ】



 けれどそれは、彼女の声が聞こえないヴァーリックも同じらしい。ヴァーリックはそうつぶやきつつ、オティリエに優しく微笑みかけるのだった。


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