1.美味しい【悲しい】
「君を僕の補佐官として迎え入れたいんだ」
「え……?」
それは他人の心が読めるはずのオティリエにとって、まったく思いがけないセリフだった。
目の前の男性がこれからなにを言おうとしているのか、どうこたえるのが正解なのかまったくわからない。けれど彼はオティリエがどんな反応をしても許してくれそうな寛容な空気を醸し出している。オティリエはそっと身を乗り出した。
「補佐官、ですか? この私が?」
「そう。この家を出て、僕のために力を貸してほしい。どうだろう?」
男性が優しく微笑む。オティリエの胸が高鳴った。
***
(行きたくないな……)
そんな思いとは裏腹にオティリエのお腹が切なげに鳴る。
最後に食事をとったのはかれこれ三日前のことだ。一緒にもらった水も底をついたので、そろそろ部屋を出て使用人たちのもとに向かわねばならない。
オティリエは深呼吸をひとつ、空っぽの体を引きずりながら部屋を抜け出した。
(……よし。お父様とお姉様は近くにいないみたいね)
耳を澄ましてから、念のためにキョロキョロとあたりを見回してみる。――二人の声は聞こえない。彼女は急いで階段を駆けおりた。
「あの……」
厨房に着くと、オティリエは使用人たちにおそるおそる声をかける。彼女たちは無言のまま、ゆっくりとオティリエのほうを振り返った。
【うーーわ、来ちゃった】
【そろそろだとは思っていたけど】
【ああ、タイミング最悪。今夜の牛頬肉、楽しみにしていたのに】
冷たい視線に嘲るような笑み。それだけで彼らがどんな感情をオティリエに向けているか手に取るようにわかる。けれど、オティリエはそれ以上……彼らがなにを考えているのかはっきりとわかった。
心読み――オティリエが持って生まれた天性の能力だ。
オティリエの生まれたアインホルン家の人間はみな、精神に関連した能力を持って生まれてくる。彼女の父親は他人の『記憶』を読み取る能力者であり、兄は一度見たものは決して忘れない能力を持つ。そして姉であるイアマは魅了の能力者だ。
それらは広大なリンドヴルム王国でも稀少な能力のため、一族はとても重宝されている。と同時に、彼らは他の貴族たちから恐れられていた。
そんな一族の末娘であるオティリエがどうしてこんな酷い扱いを受けているのか――それは彼女の姉イアマに理由がある。
オティリエは今から十六年前に誕生した。当時イアマはまだ二歳。それまで蝶よ花よと可愛がられてきた彼女は、両親や使用人たちの関心がオティリエに注がれるのが我慢できなかった。そして、彼らの注目を一身に集めるために魅了の能力を開花させたのだ。
『ああ、イアマ』
『なんて可愛いのでしょう! この子のためならなんでもできる』
『それに比べてオティリエは平凡だもの。かまっている暇はないわ』
かくして、オティリエを可愛がってくれる人は一人もいなくなってしまった。
おまけに、イアマの魅了の威力は年々強くなっていく。はじめは最低限の世話をしてくれていた使用人たちも、やがてそれすらしなくなり、今では食事すら満足にとれなくなっている、というわけだ。
「あの、私の食事を取りに来たんだけど……」
「え? なんですか?」
「声が小さすぎて聞こえないんですが」
「もっとはっきりと喋ってくださいません?」
オティリエが口を開くやいなや、侍女たちが被せるように返事をする。次いで脳へダイレクトに彼女たちの感情が流れ込んできた。
【本当に陰気ね】
【あんな情けない声しか出せないなんてみっともない。もっとイアマ様を見習ってほしいわ】
【心の声が聞こえるなんて気味が悪いわ……と、これも聞こえているのかしら?】
【こんな子にイアマ様と同じ食事を渡すなんて……】
耳をふさぎたくなるような使用人たちの心の声――しかし、ふさいだところで意味をなさないのがこの能力のやっかいなところだ。聞きたくなくても聞こえてくる。防ぎようがない。他人といるときにはずっと悪口を聞かされるはめになってしまう。だから、オティリエは数日に一度しか食事を取りに来ない……来れないのだ。
オティリエの胸が強く痛む。このままなにも受け取らずに逃げ出してしまいたい……しかし、そんなことをしては空腹に喘ぐことになるだろう。すでに限界が近いというのに。
意を決し、オティリエはもう一度使用人たちに向き直った。
「私の食事を用意して。それから水もお願いね」
使用人たちは不服そうに顔を見合わせると「かしこまりました」と頭を下げた。
ようやく部屋に食事を持ち帰ったのち、オティリエは小さくため息をつく。使用人に渡されたのは野菜くずの入ったスープに固いパン、それから肉の切れ端だけだ。
(まったく、私の分の牛頬肉はどこにいったのかしら?)
おそらくは使用人たちが勝手に分け合っているのだろう。しかし、父親もイアマも、文句を言う人間は誰もいない。完全に黙認されている――むしろ歓迎されている節もあるのだ。
冷めきったスープを飲みながらオティリエの目頭が熱くなる。悔しくてたまらないが次の食事はまた数日後だ。大事に――笑顔で食べなければバチがあたる。
(ああ、美味しい)
……そう思ったはずなのに【悲しい】と自分の声が脳裏に響いてきて、オティリエはそっと眉根を下げた。




