師匠の教え
私はちょっと阿呆なところがあって、理由を覚えておられず忘れてしまった気がするが、とにかくこのところ、私は惚れ込んだ師匠に稽古をつけてもらっている。
師匠は老齢だ。女性だ。
皮と骨だけの細くて折れそうな体なのに、動きは風よりも鋭い。
飛ぶ鳥をかかと落としで仕留める。
家ほどもある皮膚がレンガのように硬い生物も回し蹴りで跳ね飛ばし倒す。
倒したままだと邪魔になるので基本的に食べたり加工したりする。
まぁそこは重要ではない。
とりあえず物凄く強いのだ。
魔女のようで魔女ではない。魔法なんて使わないからだ。
ただただ、比べようもなく鋭く強いのだ。
で、理由を忘れたわけだが、私はここ数年、この人を師匠と呼んで稽古をつけてもらっていたのである。
師匠の疾風のような動きに比べて、私の動きは緩慢な生ぬるい風…ともいえない。風など烏滸がましい。
数年経ってもまだまだである。当然だ。
ただし、山の上に登るぐらいの体力は身についた。
数年前はそれすら大変で、山など登れるものではないと思うほどの存在感であったので、私なりに成長している。
師匠の指導のお陰である。大好き師匠。万歳師匠。
さて、師匠は山の上に到達して、今日も華麗に大物をかかとで落としてから、私の方を向いてこう言った。
「さて、お前もなかなかのものになった。これが最後の試練となる。仕上げとして、私を殺してみろ」
鋭い視線で私を射抜く師匠、決して冗談で言っているわけではない。
私は言った。
「嫌です」
ハッキリと。
師匠はじっと私を見た。
そして言った。
「よし合格だ」
師匠はうんうん、と頷いた。
えー…
と内心で私が驚きの声を上げている中、師匠は満足そうである。
「これで私に襲いかかってきたなら、お前を真っ二つにしていたよ」
「怖い怖い」
と私は素で呟いた。
怖いよ。
師匠は空気を少し和らげた。
「いいかい、他者に教えを乞い続け、良好な関係を築くほど、『嫌』と言えなくなっていくものさ。『はい』と答える方が楽だからね。最後の試練というのは間違いじゃない。私はお前に、嫌なものは嫌と言えるものでいて欲しいのだよ。生きる上でとても重要なものなのだから」
「それ…。えー、私は嫌だって言いましたけど、真剣に悩んで『はい』って答えて戦って殺して涙する主人公の話とかあるじゃないですか」
「お前のそれは悪いところだね。そんなアホなもの信じなくて良い上に、それが真実だとして、お前とその主人公は違う存在だから真似などしなくて良いのだよ」
「はぁ、はい」
「まぁ、安心したよ」
「ありがとうございます」
と答えつつ、師匠の雰囲気に、間違って、はい、と答えて戦いを挑んでいたら、瞬殺、という表現さえ遅いほどの速度で私は二つになってたんだろうな、と思わされる。
「さぁ、安心したところで、次に移るよ」
「あっ、まだレッスンがあるんですね!」
「そうさ。嫌と言うのは大事だが、どう伝えるかでまた変わってくるものさ。というわけで、これからはまた違う手法を教えよう」
どうやら踵落とし…もとい、足腰強化は本日で一段落らしい。
これからまだ教えていただけるのだ。
「ありがとう、師匠大好きー!」
私は喜びを言葉で両手を上げて満面の笑みで伝える。
「ははっ、私もだよ」
こうしてまだ日々は続いていく。
阿呆な私なので、ふんわりとしか覚えていられなくても。
おわり