話がある!
T芝の社宅があったんです。
T芝とはT洋芝崎エレクトロニクスという。
10年ほど前に倒産しましたが、それまでは世界のT芝と呼ばれていた。
あの大企業です。
坂上アツシというのがいて。
私より一学年下なのに呼び捨てしてくる。
イキったやつだったでした。
少々ウザイのですが、子供だったので。
それはそれで近所のダチづきあいしてたのです。
あるとき鬼ごっことドッチボールを混ぜたような。
ボール遊びをしていて。
坂上が投げたボールを私がよけて。
拾ったボールを投げ返したら。
坂上の弟が走り込んできた顔に当たってしまった。
そんなに強く投げつけてもないし、わざとでもないのに。
コンマ0秒で坂上の弟は。
「うえ~~ん!」と泣き出したのでした。
坂上はいつもイキったやつなので。
そんなもんで泣くな!とでもいうかと思ったら。
コンマ0秒で。
「お母さーん!!」
と叫んで弟ともどもお母さんのところに走っていったのでした。
大丈夫か!?と駆け寄ったり。
宥める暇もなく。
私はポツーンと取り残されました。
白けました。
そして次第に猛烈に腹が立ってきました。
なにが「うえ~~ん!」だ。
なにが「おかあさーん!」だ。
ふざけんな!
流れの中で当然に発生するアクシデントじゃないか。
しばらくすると私の家に坂上が来て。
「話がある!」
などとまるっきり被害者ムーブなのです。
イジメられた弟のために文句言いに来た!
みたいなノリなのです。
元はと言えば坂上が土手の斜面を走りながら。
高度を利用して投げつけてきたボールを。
デブの私が投げ返してるですから。
たいしたスピードが出るわけもないし。
コンマ0秒で「うえ~~~ん!」
コンマ0秒で「お母さ~~ん!」
では謝る以前に、何もしようがないではないか。
そこから記憶ありません。
T芝も倒産し、社宅も取り壊され、住人もいなくなりました。
時代も町も何もかもが変わってしまいました。
それでも、あのコンマ0秒の「うえ~~~ん!」
からのコンマ0秒の「おかあさーん!」
からの「話がある!」の3連コンボだけは。
今も忘れられません。