99.出奔
二話連続の二話目です。
タイトルからわかる通り、「石川数正」のお話です。
数正は、あまり知られておりませんが、何度も諱を変更しています。
その為「え?誰だっけ?」となりやすい人なので補足しました。
天正12年12月12日、徳川家康の次男、於義丸は羽柴秀吉を烏帽子親として元服の儀を迎えた。諱は二人の親から一字を取って「秀康」名付けられ、河内に所領が与えられた。
羽柴秀吉の方は、天正13年3月に正二位内大臣の叙任を受け、同月、紀伊への侵攻を実行した。これにより雑賀衆、根来衆はその多くを討ち取られ、紀伊国は完全に秀吉の領土となった。
更には秀吉の庇護下にあった讃岐を制圧した事から、長曾我部元親との対立が急速に高まり、7月には四国征伐を敢行する。長曾我部家は羽柴、毛利の連合軍による攻撃に成す術無く降伏し、讃岐と阿波を召し上げられた。
そして8月には越中の佐々成政への仕置きも行い、成政は剃髪して降伏する事で越中の一郡のみが安堵される形となった。これで、秀吉包囲網に名を連ねていた諸侯は全て秀吉の軍事力にひれ伏す格好となった。
この間、徳川家はどうしていたかと言うと、国内の安定に注力していた。完全に家臣化が完了していない信濃の平定、駿遠三の開拓、甲斐の防衛強化など様々な内政事業に精力を注ぎ、羽柴秀吉との戦で疲弊した国力回復を図っていた。
その中で沼田領で揉めていた真田昌幸が徳川家から離反する。理由は北條家から沼田領返還を求められていたものの徳川家が何の支援も代替地割り当ても行わなかった事から、これ以上徳川家に従属していても自領を守れないとして上杉家に助けを求めたのであった。家康はこの真田家離反に付いては特段何も思ってはいなかった。前世の知識から真田家と徳川家は相容れぬ間柄と認識していた事から無理に融和や支援を行って北條家と拗れる方が面倒だと考え、放っておいた。だが、信濃総奉行の大久保忠世、甲斐郡代の平岩親吉、鳥居元忠は自身の権限において、真田家を討伐すべく兵を動かした。
忠世らが真田領に向けて出兵したという知らせは少し遅れて家康の下に届いた。家康は軽く舌打ちして忠世らに適当な所で切り上げる様命令を出した。だがその命令が届く前に徳川軍は上田城攻めで敗北を喫してしまった。
始まってしまったものは仕方がないと、家康は援軍を送る。この援軍はこれ以上の人的被害を出さぬ様に包囲だけに留めよと厳命しての井伊直政と大須賀康高の派遣であった。家康としては真田昌幸に拘って上杉家との全面戦争に発展するのを嫌い、無理な侵攻をさせたくなかった。適当な所で切り上げて撤退させるつもりであった。
家康がこの時期最も頭を悩ませていたのは、秀吉との外交であった。
天正13年7月11日、羽柴秀吉は関白宣下を受ける。武家からの関白就任は異例中の異例であり、その報は全国を震撼させた。家康も前世の知識から知っていたが、関白就任がこれほどまでに自分にとって恐ろしい出来事であるとは考えておらず、宮中の通例を破れるほど羽柴家の権力は増大している事を肌で実感していた。この為直の殊更、国内の安定化に注力する事になっていた。
しかし、羽柴家との外交交渉は断続的に続けられる。石川康輝が取次役となり、幾度と無く羽柴家への従属を勧告されていたが、家康はこれらすべてを躱し続けていた。“豊臣の時代”が来ることは判っている。その中でできうる限り上位に位置する大名として徳川家を置くには、従属するタイミングをできるだけ引き延ばしたかった。史実でも分かっていた事だが、自分がそれをやらざるを得ない事になるとは思ってもいなかったのが本音である。
天正13年8月19日、摂津国大坂城。
完成した天守から外を眺める。まだ本丸の部分しか落成していないが、二の丸三の丸の縄張りと外堀の普請が進んでおり、城全体の巨大さが此処から一望できた。
「……家康は又も儂の誘いを断ったか。」
手を腰の後ろで組みつつ、秀吉は外を眺めながら平伏する男に問いかけた。
「はい。取次役の石川康輝と言う者も中々の口達者にて、あれやこれやと理由を付けて岡崎で帰される事もあったようで…。」
秀吉は振り返って男を見た。怒っているわけではなかった。少し残念そうな表情である。
「まだ儂の威信が足りぬ…と思うているのか、官兵衛?」
男は顔を上げゆっくりと首を振った。痛む足をさすりながら身体も起こす。
「先の四国征伐で、毛利家が活躍し、殿下の評価を得ております。…今下れば、毛利の下と見られると思うておるのでしょう。」
「…気難しい相手よのぅ。……真に五ヶ国を安堵したまま下らせねばならぬのか?」
秀吉は不満な表情で官兵衛を問い詰めた。官兵衛は即座に頷く。
「我らが九州に兵を差し向けるには関東を抑える力が必要です。徳川家はその力を持っておりまする。これを殿下のお力にせんと三顧の礼で迎え入れ、関東への抑え、及び関東征伐時の先陣役を務めさせねば…。」
「何回も聞いたわ。…だが兵を動かして脅すぐらいの事は構わんじゃろ?」
「ならば、収穫を待って冬に兵を挙げ、徳川家に兵糧を食いつぶさせるのが宜しいかと思いまする。」
官兵衛の進言に少し考えてから秀吉は頷いた。十万か、二十万か…家康が驚く兵数でもって脅してやろうと思いを巡らせた。
だがこの出兵は実現しなかった。双方に痛手となる出来事が発生したのだ。
天正の大地震である。美濃を震源地として、北は越中、南は伊勢、東は三河、西は山城にまで甚大な被害をもたらしたである。これにより、羽柴家は出兵計画を中止して、京都復興作業に取り掛からねばならなくなった。
その大地震が起きる前、天正13年11月2日、遠江国浜松城、家康の私室。
いつもの様に阿茶に給仕をさせ、家康は夕食を取っていた。黙々と噛んで食べ続ける家康を見て、阿茶はため息をついた。
「如何した、阿茶?」
「……とと様は何時まで他の御側室殿を遠ざけておかれるおつもりですか?」
阿茶からの思いも寄らぬ問いに家康はぎくりとする。阿茶は家康と二人きりの時だけ、昔のように“とと様”と呼ぶ。その阿茶から最も頭を悩ませている事に触れられ、家康は動転した。
「い、何時まで…て、会う訳にはいかぬであろう?」
「…会わぬ訳にもいきませぬ。五ヶ国の太守になっておきながら、御側室を寄せ付けず、毎夜一人でお眠り為されるのは如何かと申します。」
阿茶は怒っていた。だが家康には阿茶が起こる理由が判らない。
「…だからこうして阿茶を呼んでおる。」
阿茶はもう一度ため息をついた。
「新たな国衆や諸侯らと誼を結ぶには側室を迎える事も重要に御座いまする。私一人に執着しているような仕草はお止めください。」
家康はようやく阿茶が怒っている理由を理解した。側室らから嫉妬の目を向けられているのだ。だが新たな側室を取らない訳にもいかない。どうしたものかと箸を止めて悩んでいると三度阿茶がため息をついた。
「…ご自分の血筋を残す気が無いのは御理解致します。されど、側室を迎え子を設けるのはお家の繁栄には必要な事…。どなたか近い血筋の方はおられませぬか?」
「近い血筋?……松平の血筋は幾らでもおる。が、それでは徳川家ではない。清康、広忠の血を引く者でなければ…」
呟きながら家康は前世の知識から家系図を思い浮かべる。だが、母於大の血を引く子はいても、広忠の血を引く者は家康しかいなかった。
「…………!!」
ある事を思い出して家康は箸を置く。そして阿茶を近くに寄らせた。
「よいか。今から言う事は決して誰にも申すでないぞ。」
そう言ってから、家康は阿茶の耳元でごにょごにょと何かしら伝えた。阿茶の顔が驚きの表情に変わる。
「お前はその者を匿う部屋を用意せよ。」
阿茶は驚いた表情のまま、一先ず頷いた。
11月3日夜、家康は石川康輝、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、鳥居元忠を私室に呼び寄せた。家康が内々の事を語る場合は常にこの五人を呼んでいた。五人は小声でも聞こえる様に互いを寄せ合って座る。
「儂は側室を取る。…良い女子が居れば紹介せよ。」
忠次が真っ先に声を上げた。
「ご自分の子を産ますおつもりか!」
家康は即座に首を振る。
「儂は子は作らぬ。代わりに別の者に子を産ます。」
五人は首を傾げた。現時点で徳川家の血を引く男は三人。何れも子を産ませられる年齢ではない。
「おったのじゃ…蔵人佐の血を引く者がな。それについてはその者が此処に到着次第、お主らにもちゃんと会わせる。お主らの納得を得て側室を宛がう。」
小声ながらも力強く説明する家康に、半信半疑ながらも側室の件は了承した。
「もう一つ…与七郎に大役を与えたい。」
視線が石川康輝へ集まる。康輝は不安そうな顔をした。
「…悪いが、一族を連れて秀吉に下って欲しい。」
余りにも思いがけない家康の言葉に全員が声を上げて驚いた。榊原康政が直ぐに反論する。
「何故に!?石川殿は秀吉の再三の臣従要請を上手くあしらっている功労者ですぞ!」
「…同時に最も秀吉の信も得ている。」
家康の低い声に全員がたじろぐ。
「与七郎が徳川家を出奔すれば徳川家は新たな取次役を用意せねばならぬ。羽柴家としても我等との交渉を進める為にその取次役との関係を構築し直せねばならぬ。」
家康の言葉で康政が理解した。家康は今の外交関係をリセットしようとしていた。そうすれば秀吉の臣従要請の話も最初からやり直し…。そうやって時間を稼ごうと考えたのだ。
「し、しかし秀吉が石川殿を受け入れますでしょうか。」
忠次が次の疑問をぶつけて来た。家康は自信をもって頷いた。
「あ奴は与七郎を経験豊富な外交官として高く評しておる。必ず迎え入れる。…大丈夫だ。服部衆も幾人か紛れ込ませる故、大坂でうまく秀康と連絡を取れるようにするのだ。」
康輝を大坂へ向かわせるもう一つの理由。秀康の庇護である。秀吉の家臣として大坂に入り込み、秀康を守れるように動け、と言う事であった。だが康輝は不安そうなままであった。家康は康輝の肩を叩く。
「与七郎が蔵人佐を一番慕っておったことを我は知っている。…誰に仕えているのではない。誰を思って生きているか…であると思う。此処に居る者は全員、蔵人佐を思って生きているのだ。…我を信じてくれ。」
家康の言葉に康輝は生唾を飲み込む仕草をする。忠勝は俯いて目を閉じ、腕を組んでじっと黙っている。康政は膝をトントンと等間隔に叩きながら何か言いたげな表情をしていた。
「…某は反対だ。…危険すぎる。下手をすれば於義丸様にまで危険が及ぶ。」
酒井忠次が康輝の肩に置いた手を掴んだ。家康と忠次が睨み合った。忠次の手に力が籠り、家康が視線を鋭くする。だがここで康輝が二人の腕を掴んで引き離した。
「二人ともお止めくだされ。…問題は徳川家が生き抜く事。…もし某と於義丸様に何かあったとしても、まだ長丸様と福松丸がおられます。今は相手をかく乱させて時を稼ぐ方が良い。」
「しかし!お主は他の者から恨まれる事になるぞ!」
忠次の声に康輝は小さく頷いた。
「…此れも忠義で御座る。」
康輝の決意に忠次はもう一度家康を睨みつけた。
「斯様なやり方、儂は好かぬ!…此処までせねば、徳川家は生き残れぬものか!」
「ただ生き残るのではない。太平の世となっても長く繁栄する名家となるのだ。…何の為に世良田の流れを汲む“徳川”の名を冠したのか。その為には打てる手は全て打つ。」
家康の真剣な表情に忠次は黙り込んだ。唇を震わせ家康から視線を外した。
「…では、某は…徳川を抜けまする。」
康輝は声を震わせながら言うとわずかに微笑んだ。家康が笑顔で答えて首を振る。
「…徳川を抜けるのではない。…敵の懐に飛び込むのだ。……責任重大ぞ。」
「危険は承知です。」
家康は懐に刺した小刀を康輝に握らせた。
「餞別…と言うと別れみたいだが…持って行け。」
康輝は小刀を両手で握り頭を下げた。
天正13年11月13日、西三河衆の旗頭、石川伯耆守康輝は徳川家康の下を出奔し、羽柴秀吉に庇護を求めた。秀吉は康輝の投降を大いに喜び、河内国内に所領を与え厚遇した。
阿茶
徳川家康の側室。本名は諏訪と言う。この頃は家康に寵愛され毎日のように夕食を共にしていた。
黒田孝高
羽柴家家臣。通称官兵衛。播磨の小寺家の家老職であったが、秀吉の直臣となる。毛利討伐戦で頭角を現し、本能寺の変以降は軍師をして秀吉の側にいる事が多くなった。
石川康輝
徳川家家臣→羽柴家家臣。初名は数正。家康が人質時代からずっと付き従っていた股肱の臣であったが、羽柴家との外交取次役を担う中で家臣団の中から孤立し、徳川家を出奔する。秀吉は「吉」の字を与え、吉輝と名乗らせた。