8.元服と婚礼
今話で、一応第一章の終わりになります。
少しだけ解説を。
作者の歴史もの第一弾「本能寺の変を全力で~」は基本的に主人公の視点とした一人称で進めており、年号は使わずに西暦表記とし、天下統一=人心の安定ととらえて描きました。
(後半になればなるほど三人称視点が増えてしまいましたが・・・)
第二弾「家康君は~」三人称視点で進め、元号を使用し、天下統一=位の頂点ととらえて描いていきます。また歴史通りには話をなぞらえるも、経緯や真相、登場人物の心理などは作者の独自解釈で進めていきます。
(例えば、義元と氏真の対立関係が背景にある・・・とか)
面白いと感じて頂ければ、引き続きご愛読を宜しくお願いいたします。
天文24年3月吉日。
今川館で元服の議が執り行われた。
竹千代は大広間にて多くの家臣が見守る中で。
夜紅と彦助は離れの間で親永と氏俊によって。
各々の諱は前日に義元から頂いている。
竹千代は、「松平次郎三郎元信」
“元”は義元から偏諱。
夜紅は、「関口夜次郎氏広」
嘗て親永が名乗っていた諱をそのまま頂戴した。
彦助は、「鳥居彦右衛門元忠」
“元”は義元から偏諱。
結い直した髪に黒い烏帽子をかぶり、ま新しい衣服に身を包んだ格好は着慣れていないこともあってまだ違和感を覚え動きもぎこちなかった。だがこれで夜紅も大人の仲間入りである。それは単に大人になっただけでなく相応の責任も伴う。
竹千代は…いや次郎三郎は駿府に新しく屋敷を与えられ、義元から禄を貰って働く立場となる。まだ聞いていないがこの先鶴を正室に迎えて連枝衆の仲間入りとなる。
夜紅のほうは既に瀬名氏俊の娘を娶ることが決まっている。二十を過ぎ前夫と死別した子持ちの娘との結婚でまだ会ったこともないのだが、夜紅に拒否権はない。
儀式は滞りなく執り行われ、夜紅と彦右衛門は親永と氏俊への御礼の挨拶を行って全て終了した。臨席していた酒井正親と忠次が夜紅に祝いの言葉を述べた。
「夜次郎殿、おめでとうござりまする。」
「私よりも彦右衛門を祝ってやってくれ。」
「そんな!某はついでなので!」
「そんなことを言えば殿に怒られるぞ。」
笑いが部屋を包む。暫し談笑が続いた。
「さ、夜次郎殿。これで其方は瀬名家の一員だ。…と言ってもまだ我が屋敷を訪れたこともない。これから儂と一緒に屋敷へ行こう。家族を紹介する。」
「はは。…父上、有難う御座いました。」
「そんな言い方はよせ。瀬名家になるとはいえ、儂との縁が切れるわけでもない。…弟よ。夜紅を…いや氏広を頼むぞ。」
「はは。」
次郎三郎の儀式はまだ途中であった。何せ出席している人数が多い。挨拶や祝いの言上も行われるし、その後宴も執り行われる。次郎三郎にとっては気の抜けない長時間となっていた。
そこへ音もなく襖を開けて関口親永が広間に入ってくる。そっと義元の側に近寄り夜次郎の式が滞りなく終わったことを報告する。
「そうか、奴は氏俊と新しい屋敷へと向かったか。…奴は聡い。遠からず今川家の現状に気づくであろう。その時瀬名家をどのように動かすであろうか…見物だな。儂もそれまでに三河への移動を終わらせなければな。」
誰に聞かせるわけでもなく呟き、次郎三郎に視線を移した。真新しい衣装に身を包んだ少年は見栄えも良く受け答えもしっかりとしていて、我が側近らからの印象もまずまずだ。これを機に若手が儂の元に集まってくれば…。
義元の考えはこの場にいる誰にも届かせてはいない。だが、義元から離れつつあるこの男には届きかけていた。
駿府にある瀬名屋敷。
瀬名氏俊と夜次郎は二台の荷車を引き連れて到着した。二台の荷車のうち、一台は今川義元から賜ったもので、武具や平服、登城用、儀式用の衣服、五百貫の銭などが入っている。受け取りの準備はできているようで、門前には半三とその一族四名が待機していた。
「あの者らは?」
氏俊に聞かれて夜次郎は答える。
「私の家臣に御座います。」
「ほう、あの者らが夜次郎殿の言っていた伊賀から流れてきた者らか。」
「はい。」
夜次郎は半三達を呼び寄せて新しい父親に挨拶をさせた。挨拶を済ませると半三達は荷ほどきに取り掛かった。その間に二人は屋敷の中に入った。
「輝と虎王を呼んでくれ。」
主の指示に下男はさっと走っていく。そのまま二人は奥の間まで進み、座るように勧めた。夜次郎は少し悩んで下座に付いた。氏俊はその様子をじっと見ていた。
やがて二人の男女がやって来て氏俊に挨拶をした。氏俊は二人に座るように勧めて、二人は下座に座る夜次郎を訝しみつつ、中座に腰を下ろした。氏俊は誰も近づかぬように下男に指示してから話を始めた。
「まず二人を紹介しよう。こちらが輝…夜次郎に貰ってもらう娘だ。」
突然の突拍子もない紹介に輝は仰天した。
「初めまして。夜次郎と申します。」
夜次郎も平然とした態度で挨拶する為、輝は混乱して腰を浮かせた。慌てる輝を落ち着かせてからもう一人を紹介する。
「息子の虎王だ。来年には元服を迎える。」
虎王は夜次郎に向かって挨拶した。元服前とは思えぬ体つきの良さである。
「この者が姉上と夫婦になるのですか?」
虎王は純粋な質問を父にぶつける。不満顔だ。どうやら彼には姉の夫としては不満があるようだ。
「御屋形様の命令だ。」
氏俊はそっけない返事をする。その態度が虎王にとって余計に不満となった。夜次郎は虎王に身体を向けた。
「虎王殿、本日より輝殿の夫となる夜次郎氏広と申す。」
夜次郎は少し虎王を煽ってみた。案の定虎王は怒って席を立ち、出て行ってしまった。夜次郎は静かに頭を挙げる。
この家の問題点はこれかと納得する。
ひとつ、子が親の言うことを聞いていないこと。ひとつ、親が子を叱らないこと。おそらくこの家では虎王のほうが強い立場にあるようだ。戦国時代に置いて子が親より強い立場になるケース…それは母の身分。多分義元の姉妹が嫁いでいるのであろう。
「…随分と元気のいいお方で…。」
「済まない。母親に似て勝ち気なのだ。時折あのように手が付けられなくなる。」
「失礼ですが御母上のご身分は…」
「御屋形様の妹君にあたる。」
夜次郎は納得する。そのうえで俺がこの家に入れられた理由が見えてきた。
ひとつ、身分意識の高い息子と惰弱な当主を廃して新たな瀬名家として復活させるため。もうひとつ、身分意識の高い息子を廃嫡し、瀬名家そのものを義元陣営に引き込むため。
義元と氏俊との関係を思い返してみるが、氏俊を追放するような雰囲気には見られない。とすると瀬名家を自分の陣営に引き込むのが主目的だろう。誰の陣営から義元陣営へ?
夜次郎の前世の知識を活用した想像力は結論に達した。
義元と氏真の対立。
証拠となるものはないが、これまでの内容から確信はできる。
義元と氏真が直接会話をしている場面を見ていない。今日の元服の儀にも出席していない。義元の重臣とは何度か会話をしているが、氏真の側に仕えているはずの重臣達の子息とは会っていない。また文書の発給係をやらされていた時に気づいたが、氏真のサインが入った文書は駿河国内のみの決済で遠江、三河関連は全て義元であった。
氏俊には虎王が途中で席を立つことがわかっていたようだ。だから家臣をこの部屋に近づけないようにしたのだ。それならばこの機を逃さず氏俊の本音を引き出してやろう。
夜次郎は体を氏俊に向けた。
「御義父上殿…折り入ってお話が…。」
夜次郎は氏俊と密談を始めた。氏俊は最初こそしらを切っていたが、夜次郎のしつこい追及に折れて瀬名家の現状と息子との確執について話し始めた。それから義元と氏真との関係についても触れていく。出て行く機会を失った輝はとんでもない内容で会話をする二人に付いてゆけず、途中からはただぼうっと夫となる少年の顔を眺めているだけであった。
長い密談が終わる。そのまま夜次郎は輝に屋敷内を案内してもらう。今いる本館の奥に正室と虎王が住む北ノ館があり、その間に当主の住まいとなる別館があった。輝はそこに住んでおり、夜次郎の部屋もそこに用意されていた。他にも館がいくつかあるが、それらを一通り説明を受けたところで部屋に到着した。既に荷物は届けられており、世話をする侍女が二名座って待っていた。輝に続いて部屋に入り上座に座る。輝は下座に膝を付いた。
「初対面にも関わらず、難しい話に付き合わせてしまったな。」
「…お構いなく。」
輝は軽く頭を下げるが表情は複雑だ。
「さて、先ほどの話の内容だが…」
「口外は致しませぬ。…ですがひとつだけ。貴方様は瀬名家をどうなさるおつもりですか。」
夜次郎は笑顔で返した。
「それがわかれば苦労はしないのだがな。…それと其方には子がおると聞いたのだが?どこに居る?」
予想外の質問に輝は驚いたが、直ぐに表情を元に戻し淡々と答えた。
「先日叔父に預けられました。」
「おのこか?」
「…おなごです。」
「では、ここへ連れ戻しなさい。おのこであればややこしい話になったであろうが、おなごであれば御義父上殿にも話は通しやすい。子は母親の下で育てられるのがよい。私も其方の子を見て見たい。」
輝はさらに驚いた。側にいた侍女も驚いた。普通再婚する場合は、前夫の子は遠ざけるものだ。輝も本当に連れてきていいのか何度も確認する。夜次郎も呆れるほど質問を繰り返す。それでも「良い」と答えると輝は薄ら涙を浮かべて頭を下げ笑顔を見せた。
それから二人は互いの生い立ちや趣味、苦手なことなど互いのことを聞き合った。
天文24年4月吉日。
夜次郎と輝は婚礼をあげる。これにより夜次郎は“瀬名夜次郎氏広”となった。
婚礼を挙げた夜。
輝は既に床について寝息を立てている。夜次郎には少々刺激の強かったその夜は寝つけずに縁側で夜空を見上げていた。
歴史の真実とはいつの時代も残らないものである。夜次郎も前世の知識を活用すれば先の展開を読むのは容易だろうと考えていた。だが今川家は戦国の歴史から見れば敗者の一族。多くの真実が戦乱の波の中で失われており、先を読むことは容易ではなかった。
今川家は義元派と氏真派で分かれている。通常であれば現当主である義元が圧倒的に強い。だがその差を埋めるだけの何かが氏真派にはあって、義元はそれを加味して動いているように見える。本来ならば自分と対立する息子であればさっさと廃嫡すればいい。重臣の子息を息子の側に置かないようすればいい。それをしない…いや、出来ないと考えた場合……。
夜次郎の記憶の中から一人の人物が浮かび上がって来た。
寿桂尼。
先代当主、氏親の正室で、氏親の死後に出家しながらも今川家を陰から支えていた人物。彼女が氏真を支持しているのであれば、義元も慎重に行動するのは当然であろう。
「身分の低い女の生まれである俺が…とんでもないものに巻き込まれてるなぁ。」
夜次郎はぼやく。これも次郎三郎と出会ってしまったからであろう。この先に待っている歴史のことを考えると、このままフェードアウトできるとも思えない。それに半三とも約束したし…。
「そもそも竹千代の奴…俺が思い描いていた家康像とは全く違うんだよな。」
竹千代は悪ガキだ。自己中心的だ。癇癪持ちだ。融通が利かない。何でも適当に済ます。…なのに放っておけない。
夜次郎は両頬を叩いた。
「もうすぐ崇孚が死ぬ。そうなれば今川家は大きく動く。」
弘治元年閏10月。
太原崇孚は死去する。
それは今川義元にとって想定外であり、氏真にとって思わぬ好機となった。
瀬田夜次郎氏広
元服し瀬名家の娘と結婚する。身分至上主義になりつつある瀬名家に送り込まれた刺客…のような立場。
松平次郎三郎元信
今が義元を烏帽子親として元服。大人ぶっている様子が見え隠れする。
瀬名虎王
後の源五郎氏詮。母の影響を受けて身分至上主義者の一員になっている。
輝
夜次郎の妻。正式には瀬田氏俊の父氏員の末子。輝が生まれた年で氏員が亡くなっており、氏俊が養女に引き取っている。