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7.竹千代の大勝負


 天文23年。


 今川家の外交担当は慌ただしく文書の発給に追われていた。太原崇孚が忙しく甲斐と相模を行き来しており、その中で交わした内容について当主義元の決済を得るためには全て文書化する必要があった。また決済された文書に基づいて各部署への指示書も書かねばならず、字の書ける夜紅は強制的に発給係で働かされていた。


 正直、夜紅にとっては願ったり叶ったりであった。義元の小姓として駿府に出仕して以降は悲惨と言ってもそん色がないほど、同僚の小姓たちからの嫌がらせを受けた。与えられる仕事は泥まみれになるようなものばかり。城内でまともな食事は与えられず、半三たちが用意する飯を夜中に食って耐えていた。

 字が書けることを知って生意気だと殴られ、義元や崇孚から声を掛けられるたびに調子に乗るなと叩かれ…そんな地獄から解放される今の仕事は天国であった。他の発給係は笑顔で文書を書き続ける夜紅を気味悪がったと言う。


 それに此処にいれば、今川家の重要事項に関するあらゆる情報が目の前を通り過ぎていく。今はちょうど三国同盟を締結するための活動で多くの文書が回ってきており、夜紅としてはその内容を見ることで今川家の状況がよくわかる。これを見ると三河への影響はまだまだ薄い。そのためここ数年で何度も岡崎城代が入れ代わっている。


「このまま移動願いを出せば此処に居させてくれるかな?」


 そう思えるぐらい夜紅には此処の居心地が良かった。


 ある日、夜紅は崇孚から呼び出しを受けた。例のごとく周囲からは白い目で見られるのだが、夜紅は気にすることなく自席を立って、指定の場所へと移動した。

 指定された部屋では崇孚が待っていた。疲れた表情で顔色は良くなかった。


「随分とお疲れのご様子で。」


 夜紅は崇孚の体調を気遣った。


「少々無茶をしすぎた。寄る年波には勝てぬ。これが御屋形様への最後のご奉公になるやも知れぬ。」


「そうなされませ。」


「…易々と言うでないわ。…呼んだのは他でもない。あすこにいたのであれば知っておろう。今川家は北條家武田家と盟を結ぼうとしている。だが、どうにもうまくいかぬ。気分転換にお前ならどうするか聞きたい。」


 夜紅は舌打ちしそうになった。そんな重要事項を俺ごときに聞くなと。


「…気分転換ですね。」


「そうだ、気分転換だ。」


 夜紅は前世の知識にアクセスした。と言っても崇孚に語れることはあまり多くない。


「…個々に盟を結ぼうとするから難しいと考えます。いっそのこと三国間で盟を結ばれては?」


「それができたら苦労せぬ。三国間でのほうが余計にややこしいであろう?」


「予め利益なる点と不利益なる点を調整しようとするから難しいのです。互いの国の利益なる点のみで話を進めまする。納得いくものであらば多少の不利益など気にはせぬでしょう。…どうせ永久なる同盟を結ぼうとされているわけではありますまい。」


 夜紅の言葉に崇孚は考え込んだ。自身の体調など気にせず深く深く考え込んだ。そして大きく頷く。


「お主の気分転換は実によかった。良い案ができそうじゃ。」


「では仕事に戻ってもよろしいですか。」


「相変わらず、淡白だの。聞いておるぞ。周囲からは何をされても表情を変えぬと。気味悪がられておるぞ。」


 違う。表情を変えてもしょうがないから変えずに堪えてるだけだ。と心の中で言い返す。


「これを最後に引退なされませ。本当に死んでしまいます。」


 夜紅はもう一度忠告した。



 その後、甲相駿による三国同盟は締結される。この同盟により今川家は本格的に三河から尾張への進出を進め始めた。



 今川義元は三国同盟が無事締結されたことに安堵していた。何しろ準備期間も含めて半年以上を掛けることになったのだ。これで安心して三河に注力できると思うと酒が進んでいた。


「今宵はいつもより飲まれますな。」


 同席している崇孚は顔色は悪かった。


「雪斎、暫く休め。」


「夜紅は引退するよう勧めてきました。」


 親永が口をはさむ。


「夜紅が何か無礼を致しましたか?」


「いや、気遣いを受けた。…うわさに聞く表情のない言葉での気遣いだったからのぉ。全く心に響かんかったが。」


 一同は笑った。


「だがあ奴のお陰で同盟はまとまった。次は松平家だ。あ奴を元服させ重要な仕事を任せる。」


「うまく今川家に忠義を尽くすようになるでしょうか。」


「その布石として夜紅も元服させては如何か?」


 親永の提案は今川義元は素直に応じなかった。


「関口の名を冠して元服となると、我が息子とその取り巻きがうるさいぞ。あ奴らの中にお主の息子も居ってお主を隠居させて家督を継ぎたがっておるし。」


「…確かに。」


 親永は腕を組んで考え込んだ。その時崇孚が一計を案じた。


「このようにしては如何でござりましょう?」




 大人たちの酒を交えた密談は今日も続いた。





 天文24年。


 関口親永は竹千代と夜紅を呼びだした。二人は関口家の館に入り、会談用の部屋で二人きりで待たされた。


「……呼び出しの理由は聞いているか?」


 竹千代の質問に夜紅は首を振った。


「お前は毎日今川様の館に出仕しておるのであろう?関口様から何か聞いておらぬのか?」


「父に会うことなどめったにない。」


 ぶっきらぼうな夜紅の物言いに竹千代はむっとした。


「他人事だな!」


「…済まぬ。何故か感情を面に出すのが下手になった。」


 夜紅の言葉に竹千代は更にカチンと来た。


「他の者相手ならいざ知らず!我にはもっとぶつかってこい!」


 そう言って胸をドンと叩いた。その様子を見た夜紅は笑った。


「そう言ってくれるのは竹千代殿だけだ。」


「そうそう。もっと笑え!」


 二人は久しぶりに笑いあった。ちょうどその時親永が入ってきた。


「遅くなった。二人ともそろっておるな。」


 二人の挨拶を受けつつ親永は上座に座って白湯を啜った。


「お前たちの元服の日取りが決まった。3月の吉日を選んで元服の議を執り行う。」


 親永の言葉に竹千代は立ち上がって喜んだ。夜紅は平伏して親永に礼をした。対極的な二人の態度であったが、親永にとってはここ数年で携わってきた童の元服に正直に喜びを伝えた。




 翌日からは二人は忙しかった。元服の儀式に必要な道具類を調達せねばならなかった。その費用は勿論親永が用立てする。こういったものは使いまわすわけにはいかず、新しいものを注文する必要があった。また当日に着る服も新しいものを用意する。銭がかかるのだ。


 数日後、親永は二人を連れて義元に拝謁した。元服の議に際し主君への御礼言上のためだ。二人は今川家の重臣が居並ぶ中御礼言上を述べた。


「元服の儀が済めば二人は我ら今川家臣の一員となる。これに際して聞きたいことはないか?」


 家臣一同を代表して崇孚が口を開く。夜紅は「御座りませぬ。」と答えるが、竹千代は違った。


「お願いが御座ります。三河岡崎に我の留守を預かり松平家臣を纏めている鳥居伊賀守と申す者がおります。日頃からその者の忠義に報いたいと思うておりましたが、此度の元服に伊賀守の子も加えて頂けませぬでしょうか。」


 今川家臣はどよめいた。未だかつて家臣と一緒に元服というのは聞いたことがない。義元から見れば陪臣である。義元は竹千代を睨みつけた。竹千代は額を床にこすりつけ震える身体を抑え込んでいた。どう見ても家臣の忠義に報いたい一心での行動である。次に夜紅を見る。夜紅も驚いていた。ならばこの竹千代の大胆な行動に夜紅は関わっていない。最後に崇孚を見た。崇孚は主の確認に答えるように小さく頷いた。


「…良かろう。竹千代の願い…家臣を思う心に儂も心打たれた。鳥居とやらの子にも元服をさせてやろう。」


 周囲がざわつく。「慣例などにありませぬ」やら、「災いを起こすことになります」などと言っている。竹千代はわざと大声を出して周囲の声を抑えつけた。


「有難き幸せに御座ります!」



 夜紅は驚いていた。義元相手にここまで大胆な行動にでるとは…。そしてその意図がわからない。確かに彦助の諱は「元忠」で義元から偏諱を受けたとしてもおかしくはない。だが猛反対にあう危険を冒してまでやった理由がわからない…。流石に前世の知識にはそこまでの細かい内容までは記憶してない。


「夜紅、お前の新しい親を紹介しよう。」


 義元の声で夜紅は現実に戻された。


「瀬名伊予守。」


 義元に呼ばれ、家臣団の席から一人の男が体を義元に向けて平伏した。


「夜紅、お前には瀬名家の養子に入ってもらう。」


 男が体を此方に向けて一礼した。


「瀬名…伊予守、氏俊と申す。」


 夜紅は再び驚いた。





 御礼言上の儀は終わった。夜紅は居残りを命じられ、今部屋には義元、親永、氏俊、夜紅の四人だけとなった。周囲から人を遠ざけたことを確認して義元が話し始めた。


「夜紅の瀬名家養子入りは、伊予守にも伝えたばかりであった。理由を伝える暇がなかった故、此処で伝えよう。」


 義元は小声で理由を説明した。きっかけは親永の陳情であった。数年前に瀬名家は謀反の疑いを掛けられ、義元により所領の瀬名郷を没収されている。遠江に与えられた分領は手元に残っていたが、これにより瀬名家は重臣列席から外されていた。だがこれは誤りであった。しかしながら当主自ら没収した所領をおいそれと返すわけにもいかず、かといって氏俊自身が何かしらの功績をあげてはおらぬため、所領の返還は宙に浮いていたそうだ。ここに夜紅を養子として迎え入れ瀬名家復興に尽くさせようというのだ。手柄を立てさせて、所領返還と分領の加増、分家の設立が目的だそうだ。

 説明を聞き終え、氏俊に挨拶を済ませると解散となる。夜紅は親永と屋敷へと戻ったが、義元から聞いた話はどうも腑に落ちなかった。


 瀬名家復興を求むならば、実子に手柄を立てさせれば良い。聞けば氏真の小姓として仕えている息子がいるという。加増して分家を作るのであれば、義元の子を養子として迎えるか、一旦義元の養子となってから瀬名家に入るかするのが妥当だ。…この縁組、何か裏があるはずだ。だが情報が足りない…。半三に調べてもらうか。



 元服の儀まで日数はない。それまでに情報を仕入れ、今後の方針を決めなければ。




 翌日、夜紅は半三に調査の指示を出した後、今川館に出仕に向かう途中、竹千代に会った。竹千代はご機嫌な様子であった。


「おお夜紅!」


 挨拶までご機嫌。無性に腹が立つ。だが夜紅は怒りを抑えて昨日のことを聞いた。


「あああれか。元服すれば否が応でも今川家の家臣として働くことになるのだ。我の家臣にも何かしらの恩恵を貰わないと割に合わないと考えて行ってやった。まさか通るとは思わなかったのだ。だが、これで三河に残る家臣達にも大きな顔ができる!…良かった良かった。」


 夜紅は持っている小太刀で竹千代を切りつけそうになった。こっちが必死になって義元の思惑を導き出そうとしているのにお前は三河衆にいい顔したいが為だけにあんな大それたことをしたとは……。これまでの事を考え、家康という人物が今の竹千代のような性格が真実なのか、どこかで歴史が変わってこうなったのか全くわからなかった。


 とにかく一緒に居続けるのは疲れることだけは十分に理解した。







松平竹千代

 岡崎松平家の当主。もうすぐ元服する。


鳥居彦助

 松平家臣。竹千代が松平家臣に対していい顔したいが為に急遽元服が決まる。


瀬名伊予守氏俊

 瀬名家当主。関口親永の弟。兄の親永が関口家の養子になり関口家を継ぎ、弟の氏俊が瀬名家を継ぐ。実子がいるにもかかわらず、夜紅を養子に貰うことになる。

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