5.臨済時の会見
西風と夜紅が佐名の屋敷に引っ越してひと月ほど経過した。既に新しい家は建て替えも始まっており、松平家の家臣の誰かが逐次報せに来てくれる。竹千代も何かと理由を付けて館に来る。最初の日こそ鶴に怒鳴られて気落ちしていたが、佐名のとりなしで出入りを許され、今では鶴とも普通に会話していた。
ある日二人は庭先で槍の稽古をしていた。半三が二人の指導をしておりその様子を鶴が眺めていた。普段であれば二人は臨済寺で学問に励んでいるがここ最近は崇孚の体調にあった。老齢の体に冬の寒さは厳しいらしく寺は療養の場となっており、他の門下も出入りが差し止められていた。気にはなるのだが「冬の間だけだ」と言われており大人しく自宅で自習することにした。
半三の槍を受けたりいなしたりしていると、親永が屋敷を訪れた。皆が一斉に動きを止め跪く。親永は神妙な面持ちで竹千代と夜紅を呼んだ。
「これから二人をある場所へ連れて行く。ついて来なさい。」
いつもと違う雰囲気に二人は顔を見合わせたが、立場的に断れるはずもなく、半三に槍を預けると親永に従った。親永は無言で歩み始め二人が良く知る道を進んでいく。これは臨済寺へと向かう道だ。親永の顔を見ると緊張しているのがわかる。いったい何があったのかと訝しむがただ無言で歩き続ける親永に付いていくしかなかった。
三人は臨済寺に到着した。門番の僧兵が親永の顔を確認して三人を通した。雪の積もる境内を無言で突き進む親永。二人は不安の色を出したまま付いていく。
歩きながら夜紅は考えた。一番の可能性は崇孚の状態悪化。だがそれで二人を呼び出すことになるであろうか。それに崇孚が死ぬのは三国同盟を締結した後のことだ。では一体…。
結局答えは浮かばぬまま本堂を抜け脇にある建物に到着した。そこには僧兵ではなく、槍で武装した武士が囲まれており、中からは煙も出ていた。武士たちは親永の存在を見つけて挨拶する。親永もこれに答えつつ「入りなさい」と竹千代と夜紅を中に導いた。
意を決して堂々と入る竹千代。周囲を確認しつつ入る夜紅。親永はその二人をじっと見つめていた。
「二人を連れて参りました。」
親永が部屋の中に向かって声を掛ける。暫くして「入りなされ」問い声が聞こえた。聞き覚えのある声。二人は同時にその声の主を理解して気色を浮かべた。親永が襖を開け中に入る。二人もあとに続く。
中には想像していた人物の他にも数名いた。さすがの竹千代も中の雰囲気にのみ込まれそうになり立ち止まった。
親永は下座に二人を座らせ崇孚の隣に腰を下ろした。まるで尋問を受けるような雰囲気だが夜紅は周囲の状況確認を忘れなかった。
「…なるほど。確かに凡その童らしからぬ仕草だな。今、周りを確認しおったぞ。」
上座に座る男が肩肘を付きながら言葉を発する。夜紅は動きを止めて視線を上座に移した。
今川治部大輔義元。
雰囲気で判断し即座に平伏する。竹千代も夜紅の動作を見て察して慌てて平伏した。
「…そちが竹千代に……夜紅か。」
「はは!」
二人は平伏のまま返事をする。「面を上げよ」の声に俯いたまま顔を上げた。
「竹千代、夜紅……此処に居らるるが今川家の御当主様じゃ。」
崇孚の声に反応し二人はもう一度平伏する。
「こちらが朝比奈丹波守殿。こちらは朝比奈備中守殿。そしてこちらは三浦上総介殿だ。」
崇孚は順番に此処にいるお方を紹介する。名を聞くたびに二人の緊張が高まる。いずれも今川家の重臣で駿河遠江の名門の方々。夜紅から見れば雲の上の人物ばかり。
「御屋形様が二人を見たいと申されてな。お三方も御屋形様の御話から興味を持たれてな。このような場を設けた。」
崇孚の言葉に親永が頭を下げた。四人はじっと二人を観察している。
「二人はなかなか面白きことでよく談義を交わしておるそうな?」
義元は優し気な口調で二人に質問する。何か答えねばならない。夜紅は横目に竹千代を見た。彼は視線を下に向けて目を回していた。余りの状況に思考が追い付いていないようだった。
「はい。崇孚様からお話をお聞きしまして…。」
「崇孚から聞いた話と違うな?お前たちが話しているのを見てあれこれと教えておる。」
ぐっ…適当なことは言えない。
「夜紅とやら…そのような話を崇孚以外の誰から聞いておる?」
まずい。俺が話す大半は前世の知識から…入手元などない。これでは答えられない…。夜紅は押し黙った。
「責めておるのではない。このような話は少し調べればすぐに知ることはできる……だが、そこから様々な推測をするものは少ない。まして童であればなおさら。そして崇孚に喋っていることはほとんど当たっておる。…故にその大人以上の推察力に興味を持ってな。」
まずい。相手は俺に興味を持っている。これでは竹千代が義元の下で武将として成長する機会を潰してしまうかもしれない。
「我が友、竹千代殿はまだ駿河の情勢に疎く、情報を得る伝も少なきを我が補えればと…。」
呆れた言い訳だと自分でも思う。だが他に考えは思い浮かばず竹千代の為にという話にした。
「ほう…そこにいる竹千代の為…。彼の者はお主が支えるに足る者と申すか?」
「は、はい。竹千代は碁が得意に御座ります。他の門下にも負けませぬ。この力…どうにか父上のお力にできぬかと…。」
「ふふん…おおよそ餓鬼が思いつくような発想ではないな。御家の為に三河からの人質に尽くす…。」
「で、出過ぎた真似を…平にご容赦下さりませ。…ですが身分の低き我ではこの程度のことでしか父のお役には立てぬと…。」
夜紅の言葉を聞いて親永は眉間に皺を寄せた。怒っていた。その様子を義元は見て「ふむ」と頷いた。
「身分…か。確かにお前の母は武家ではない。だが、儂は身分のみで人を判断するような阿呆ではない。…そう卑屈になるな。お主の父はお主の才を認めておるぞ。…雪斎、竹千代のほうはどうだ?」
「は。夜紅の申す通り囲碁は拙僧も時折負けまする。」
おお、という感嘆が上がる。
「この才を戦に転じることができればとは思いますな。」
「我が兵を預ける将の器がある…と?」
今度は竹千代に視線が集中した。竹千代は吐きそうになっていた。
「今後次第…かと。」
「竹千代、其の方は今川家の一員として兵を率いてみたいと思うか?」
「は、はい!今川様の御為ならば、えと…あの…その…。」
竹千代は口ごもった。それを見た義元は笑った。
「よいよい。そう緊張するでない。だが、其の方の気負いはよくわかった。」
「は、はは!」
竹千代は勢いよく平伏する。その横で夜紅は表情を見られぬように俯いて考えに耽っていた。
義元は元々竹千代に注目していた。だから親永を通じて俺を利用してその様子を探れるようにしていた。おかげで俺の待遇も良くなった。
では何故竹千代に注目していた?三河の人質だから?元々彼を今川家臣として育てるつもりだったとしたら?
そこまで考えてある結論に達した。
竹千代を直臣として育てるのは既定路線であった。それは彼の器をどうこうではなく、松平家が影響を及ぼす三河を掌握する為。史実でも義元は家康を優遇している。竹千代を駿河で育てるのは三河の為だ。
だが俺が関わることで早々に将としての器が目覚め、逆に義元に警戒されることになれば?逆に俺が関わることで三河の独立領主としての気概が薄れ完全に家臣化されてしまっては?
自分という異物の存在で、この先の歴史が変わる可能性がある。変わってしまっては自分はどう生きて行けばいいのかわからない。
「どうした?何を考えておる?」
義元から話を振られた。夜紅は消沈した様子で答えた。
「はい…私ごときが懸命にならずとも竹千代殿はいずれ御屋形様の御目に止まると思い…」
「そう僻むでない。お主はお主の才を磨けばよいのだ。さすれば儂の目に止まろう」
義元の言葉に夜紅は平伏した。
「充実した時間であった。二人は下がってよいぞ。」
義元に言われて二人は部屋を出た。今川義元との突然の隠密会見は終わった。二人は冬場にもかかわらず汗でぐっしょり濡れていた。
帰り道は二人であった。会話もなく関口の屋敷への道を歩く。突然竹千代は夜紅の頬を強く殴った。夜紅は勢いよく倒れる。
「な、何をする!」
「……見損のうた。」
「…。」
「我をそんな風に見ていたとは心外だ。我はお前のことをそんな風には見ておらぬ。身分など…。」
竹千代は涙を流した。
「我はお前の助けなどなくとも生きて行ける。見損なうな!」
返す言葉がない。夜紅もそんなことは思ってもいない。だがあの場を取り繕うには仕方がなかった。それも竹千代に言うことはできない。夜紅は黙り続けた。竹千代は歩きだした。夜紅が付いていく。それから屋敷に付くまで二人は言葉を交わすことはなかった。
天文22年1月。
西風と夜紅の住まいだった屋敷は完成した。だが、そこに二人が帰ることはなかった。親永の意向で新しくなった屋敷に三河からの別の人質が住まうこととなった。元々の住まいが火事で焼失したための対応で、更に西風の持病が悪化したため、居城の持舟城へと引っ越した。あの時以来二人は話をしないままの別れであった。
持舟城西ノ館。
夜紅は半三の指導で刀の稽古をしていた。その様子を鶴はぼうっと眺めていた。
「…よくもまあそんなにも一心不乱に打ち込めるものねぇ。」
「…強くならねばなりませぬ故。」
「竹千代殿に会うため?」
「…そういうわけでは…。」
「竹千代殿のことは気にならないの?」
「…半三が使いで今川館に行くことがあります。その時に様子を聞いております。」
「ふうん……。私は竹千代殿から文を頂いているけど?」
思わぬ言葉に夜紅は足を踏み外した。
「ふふ、気になる?“夜紅殿はお元気ですか?”だって。恋文かと思って胸を膨らませて読んだのに夜紅のことしか書かれてないの。腹が立ったから破り捨ててやったわ。」
夜紅は稽古を中断して鶴を見やった。腹が立ったという割には嬉しそうにしゃべっている。よくわからぬと思いながらも夜紅は安心した。
今川氏真の館。
「竹千代の様子はどうだ?」
氏真は蹴鞠に興じながら惣五郎に話しかける。
「あれ以来屋敷に籠り囲碁に没頭しております。」
「ふふ、囲碁などとは…腑抜けたものよの。夜紅のほうはどうなった?」
「母の看病で城を出ることもなくなりました。」
氏真は鞠を落としたが笑った。
「与次の奴、大手柄だな。あ奴の母に毒を盛ることに成功するとはな。…約束通り小姓に取り立ててやる。伝えておけ。」
「はは……して、親永のほうは?」
「今は無理じゃ。これ以上動けば怪しまれる。暫くは大人しくしておろう。」
「はは!」
「それから…儂は父に代わって京から下向してくる公家共の相手をすることを仰せつかった。これも公家共を相手するための練習なのだが、なかなか面白いぞ。お前も加われ。」
ははっと返事して惣五郎は庭先に下りた。
氏真はまだ若い。しかし元服してからは父より庶務を数々と任されそれをそつなくこなしている。家督を継承する頃には立派な武将として成長していることは間違いないであろうと言われている。戦乱深まる駿河の地で若いうちから実践指導を受けているという好待遇なのだ。なのに父の側近はあまり信用せず、自分に傅く輩を小姓に取り立て義元が育てる次なる人材にちょっかいを出す。いったい何のために行っているのでいるのであろうかと惣五郎は不安になった。だが、氏真に従うことで関口家の家督を親永から奪うことができるのであれば彼には文句などはなかった。
惣五郎は知る由もなかった。氏真の待遇が誰の支持によってもたらされているのかを。氏真の行動は誰の指示で行われていたのかを。
今川治部大輔義元
今川家当主。松平家の家臣化と次代の有能な家臣の教育を進めている。しかし次代の当主の為ではないらしい。
今川上総介氏真
今川家次期当主。最近蹴鞠を覚えた。
関口惣五郎氏幸
氏真の小姓。父から家督を奪うことを目論んでいる。
朝比奈丹波守親徳
今川家臣で駿河庵原山城主。
朝比奈備中守泰能
今川家臣で遠江掛川城主。
三浦上総介氏員
今川家臣で駿河安東城主。
鶴
竹千代から文を貰ってまんざらでもない素振りを見せる。