39.本證寺の戦(後編)
三河一向一揆の最後の戦いの後編になります。
鹿乗川を挟んで北側に本證寺砦。南側に先日松平家に降伏した藤井松平家の居城である藤井城がある。松平軍は藤井城を本陣として兵を構えた。
本證寺の周囲には寺を守護するかのように門徒衆の城が築かれており、藤井松平、石川式部、加藤教明の居城が近接していた。このうち、石川式部と藤井松平が松平方に下り、加藤教明は頑固に抵抗していた。だが本多広孝の活躍により加藤教明が籠る岩根城の水の手を奪うことに成功し、教明は郎党を引き連れ本證寺へと逃げ込んだ。既に家康自らが出陣したと聞いて多くの門徒が本證寺に逃げ込んでおり飽和状態に達していた。飯の刻ともなれば本堂から供出される米を奪い合う争いも起きており、坊主共では門徒共を制御しきれない状況であった。
内情は逐次柴田重政から服部衆を通じて送られており、隋空もそろそろではないかと考え、家康に進言した。
「殿、頃合いかと存じまする。本證寺に攻め入り山門を打ち壊しましょうぞ。」
「うむ、六栗では隋空に騙されたからのぅ…此度は儂が指揮を取る!良いな!」
「はは!殿の御差配あらば、間違いなく打ち壊せましょうぞ!」
隋空の言葉に調子を良くした家康は舞う仕草を見せながら外の様子を伺った。素早く隋空は榊原康政に近寄り耳打ちする。
「別動の準備は?」
「…既に昨晩のうちに大久保治右衛門殿が二百を率いて潜んでおりまする。合戦を合図に外堀を越えて侵入する手はずになっております。」
榊原康政は少しいやそうな顔をして答えた。康政からしてみれば家康を騙して且つ囮として扱うような策であり、何より隋空の立てた策であるため、気が乗らない。だが代案もない為渋々従っているが正直失敗してくれとも願っていた。隋空も康政の態度から察しており、康政にはそれ以上何も言わず礼だけを言って家康の後を追った。
「殿、外堀はできるだけ派手に攻め立てましょうぞ。敵も殿が御出陣と知れば慌てふためくに相違御座りませぬ!」
「うむ!この前立を持って来て良かったぞ!彦右衛門!儂の傍を離れるなよ!」
隋空に煽てられ喜ぶ家康を榊原康政は遠い目で見ていた。
永禄6年6月26日夜半。
本堂に酒を持ち込み飲み始めた門徒衆の耳に轟音が響く。外に出ると東の空が赤く照らされていた。敵襲であると判断して杯から得物に持ち替えて山門へと走る。そこへ南側からも轟音が響いた。敵は東と南の二か所から同時に攻めかかって来たと知り、本堂の南側の内堀にも兵を並ばせ、ありったけの鉄砲を構えさせた。
東側の外堀に面した櫓は内藤正成隊の放つ火矢であっという間に燃え上がった。続いて鉄砲隊が砲撃で守備側の悲鳴があがり、大槌隊の突入で外門は簡単に壊された。そこへ本多忠勝、榊原康政、鳥居元忠の小姓衆が入り込み敵を蹴散らす。特に圧巻なのは本多忠勝であり、長い槍をぶんぶんと振り回して敵を寄せ付けず彼の周りには大きな輪が出来上がっていた。
南側の外堀は火矢が中々燃え広がらず松平勢の突撃を追い返してはいたものの、百姓共が鉄砲の音に怯え騒ぎ立てたため、指揮系統は大混乱に陥っていた。一揆方の将は皆、東と南からの攻撃でそちらに目を向けていた。
大久保忠佐率いる二百が夜陰に紛れて北側の外堀を渡る。見張りの者を一人ずつ死角から襲って倒し、例の土塁への侵入に成功した。そして合図があるまでそこで潜んでいた。
松平勢の侵入を許した東門は混乱に陥っていた。兵を指揮する将が本多忠勝に討取られ、代わりに指揮する者もおらず、百姓どもが逃げ惑い、まともな反撃もなされていなかった。小姓衆は山門までの大通りを蹂躙し次々と兵を打ち倒していた。小姓衆の前に何人かの武士が立ちはだかったがいずれも忠勝の槍に倒されており、やがて武士たちも逃げ出した。
そんな忠勝の前に一人の武士が槍を構えて道を塞いだ。
それは鳥居元忠の弟、四郎左衛門忠広であった。忠勝はちらりと元忠を見る。元忠の表情は険しかった。忠勝は元忠と忠広の間に割って入り槍を構えた。
「彦右衛門殿、兄弟で斬り合うは忍びない。某に譲ってもらうぞ。」
元忠の返事も聞かず忠勝は槍を振るって忠広に付きかかった。忠広は辛うじて躱し槍を突き返すが簡単にはじかれてしまった。鳥居忠広も兄同様剛の者として名が知れていたが、本多忠勝は家中でも別格であった。小姓衆内での稽古では負け知らず、初陣で首級を挙げる胆力、槍の扱いで右に出る者もいない相手では忠広も赤子同然であった。再び槍をはじかれ正面ががら空きになり、兜の上から槍で叩かれた。忠広は白目を剥いてその場に倒れた。
「彦右衛門殿、今のうち縛ってしまわれよ。何、気を失っておるだけじゃ。」
元忠は忠勝に感謝しつつ、馬鹿な弟に駆け寄り両手両足を縛りあげた。
小姓衆の活躍で東門は完全に松平勢のものとなり、家康は悠々と外堀に掛かる橋を渡って本證寺に入った。隋空もこれに同行する。隋空は戦いが繰り広げられる山門へ続く道ではなくその北側の方に目をやった。そして後ろに控える内藤正成に合図を送った。正成は手勢を率いて家康の許を離れ山門の北側にある裏門へと走った。これに松平信一隊が続く。家康は二人を一瞥して再び山門のほうに視線を向けた。
「隋空、あの奥に本堂があるのじゃな?」
「そうだ。山門を打ち壊し、本堂を焼き払えば終わりだ。」
「今行った二人は?」
「…本堂の北側を制圧するためだ。敵の退路を断つ。」
嘘は言っていない。目的は違うが北側制圧は手順のひとつだった。
「そうか。では儂はこのまま進めば良いのだな?」
「おう!ゆるゆると参られよ!我も小姓衆に混ざりて蔵人佐の露払いを致す!」
隋空は声を張り上げると家康の背中を軽く叩いて乱戦の中に走り込んで行った。
「…相変わらず、恐れ知らずで勇ましいのぉ。何時からそんな風になったのだ夜次郎?」
雄たけびを上げて走りゆく隋空の背中を見つつ家康は呟いた。彼の危惧は尤もだった。隋空は三河一向一揆を通じて慎重な態度を見せつつも豪胆に猛々しくなることが多くなった。
逃げ惑う一揆勢を切り開き裏門にまでたどり着いた。此処は城郭に例えると二の丸三の丸に当たる場所へと通じる門で、この先に例の土塁がある。松平信一は矢盾と竹束を南側に配置して本堂側にそびえる鼓楼からの射撃に備えた。その間に内藤正成が大槌を構えて勢いよく打ち付けた。同時に火矢を裏門の内側に射る。これが合図であった。土塁を密かに制圧し潜んでいた大久保忠佐隊が一斉に咆哮して躍り出ると詰めていた一揆方に斬りかかって行った。あっという間に乱戦状態になり本證寺北側は混乱に陥る。その間に内藤正成隊が裏門を破壊し、中に雪崩れ込んだ。こうなれば一揆方は組織だった反撃はできず内堀に飛び込むなど逃げ惑う者で溢れ、松平側は一方的に切り倒すだけとなっていった。
「北側が我らの手に落ち申した!」
伝令からの報告を受け家康は頷く。続いて家康側に寝返った柴田重政が南門を内側から開けて松平勢を引き入れた事を報告した。一揆勢の多くは残る北門の方へと逃げ出しており。山門の周囲は最早松平勢しかおらぬ状況にまでなった。快勝である。
更に二刻ほど経って山門と鼓楼に火が付いたところで松平勢は攻撃を止めた。一揆方の陣地は本堂のある中央のみとなっており、従う兵も四百に満たない。後は松平勢に殺されるか北門から逃亡かをしていた。榊原康政の勧めで家康は降伏を勧告することにした。使者として康政自身が本堂へと向かう。家康は東門まで後退して康政の交渉結果を待つことになった。
その間、隋空は北側の例の土塁の確認に来ていた。大久保忠佐が隠し蔵を見つけて抑えており、中には予想通り米と銭が収められていた。更には多くの借用書までもが出て来た。隋空はにんまりと笑った。
「これはこれは…これで一揆方に付いた国衆を心身共に引き剥がせるぞ。」
隋空は借用書の束をいくつか見繕って両手で抱えるといそいそと家康の許へと走って行った。紙束を持って嬉しそうに走り去る隋空を、大久保忠佐は不思議そうな表情で見つめていた。
永禄6年6月28日。
本堂を残すのみとなった本證寺は最早勝ち目無しと判断し、松平家康と和睦交渉を試みた。彼らは隠し蔵を敵方に発見されたことを知り、抗うすべを失った様子であった。
和睦の使者として訪れた本願寺派の僧は家康に拝謁した。先ず松平家に反して挙兵したることを謝罪する。そして改めて本願寺に元の通り“不入の権”を認可頂くよう求めた。さすれば武装を解除しておとなしくすると言う。
家康は呆れた表情を見せたが、使者には何も言わずに下がらせた。「検討する」と間接的に伝えて使者を送り返し、諸将を集めた。
「図々しいにも程が御座る。負けて猶も“不入の権”を主張とは…全く害をなす輩でしかあり得ぬ。」
静かに憤りを見せる本多広孝。家康も頷く。
「一気に攻め落とし、奴らの首を刎ねてしまいましょう。さすれば憂いは払われまする!」
攻撃を主張するのは松平信一であった。彼は門徒共に辛酸を舐めさせられており、憎しみも込めている。そしてこれに大久保忠世も同意した。家康は膝を叩く。
「よし!我らはこれから…「お待ち下りませ!!」」
家康が立ち上がろうとしたときに榊原康政が声を張り上げて遮った。顔を顰めて家康は康政を睨みつけた。
「なんじゃ?奴らは生かしておくに値せず!この三河から滅ぼしてやるつもりじゃ!止めるでないわ!」
「殿!使者の話を聞き、怒りに任せてお斬りにならずに返すは真に御立派!…ならば我らの意見をもう少し!お聞き下さりませ。」
康政はゆっくりと頭を下げた。家康は拳を振り上げたが隋空が止めに入りため息をついて座り直した。
「小平太と隋空は何か意見があるようじゃな?……申して見よ。」
小平太は隋空を一瞥して考えを説明した。
「坊主を手に掛けるは寺社衆から“仏敵”と誹られる恐れあり!三河には本願寺を信ずる者も多ければ、何卒浅慮なる行いは御慎みあらんことを!」
家康は隋空を見た。隋空も一礼して意見を述べた。
「榊原殿の申す通りに御座ります。しかしながら本願寺の坊主は南無阿弥陀仏の念仏の下に信徒から銭や米を巻き上げ不正に蓄財せしめておりまする。此処に証拠が御座いまする。」
隋空は紙束を床にばらまいた。それは門徒や信者に銭や米を貸し付けた証文であり、本願寺が金貸しで儲けていた証拠であった。
「これらの証文に基づき門徒や百姓どもに徳政を出し、悪事を正して巻き上げた銭や米を振舞えば、皆自ずと本願寺に背を向けるでしょう。左様にならばこの三河の地に本願寺は不要に御座る。…彼奴等の言う通りに元の通りに寺を破却し堀を埋めれば、この地を出て行かざるを得なくなるでしょう。」
隋空は本願寺の使者が言った「元の通り」を先代当主と約定した内容通り、ではなく、本願寺が寺社仏閣を建立する前の状態に、という解釈をして家康に説明した。家臣らは隋空の言った意味を理解し大いに頷いた。
「成程…名案じゃの。殿!堀埋めはこの青山藤八郎にお任せあれ!」
「いやいや、この高木主水助にお命じ下され!」
青山忠門、高木清秀らが隋空の案に乗って名乗りを上げた。家康は困った表情で康政を見る。康政も苦笑した様子で頷くと二人に堀埋めを命じた。こうして本願寺の坊主と所領の扱いについては決まった。
次に使者への返答をどうするかについてだが、これは六栗で善戦した蜂屋貞次を返答の使者とすることに決まった。
・本願寺は本證寺と上宮寺の門を開き、武装を解いて松平三河守にひれ伏すべし。
・一揆に加担した門徒は全て所領を召し上げる。但し、再び松平三河守に忠義を尽くす意志あらば、その全てを返還する。
・本願寺は全ての借用証書を焼き払い徳政とすべし。
・本願寺が不正に蓄えたる財、糧は松平三河守が没収と致す。
・本願寺は本記の条項を約することで“不入の権”を認可する。
証文を作成し、最後に家康の名を書き記して蜂屋貞次に持たせた。
「半之丞よ。この証文を持って本證寺に赴き、自分が率先して儂に仕えることを言うのだ。」
「承知致しました。某はこれをもって殿に一生お仕え申し上げまする。」
蜂屋貞次は恭しく一礼すると証文を懐に仕舞い衣服を正した。
「隋空を儂の代理として遣わす。空誓と会談し和議を取りまとめよ。」
家康の命で松平側は蜂屋貞次、隋空、鳥居元忠、石川家成が出席することになる。会談は妙源寺にて行われ、本願寺側は空誓の他に石川康正、内藤清長らが出席し、立会人として水野信元が間に入った。蜂屋貞次が松平方の和睦の条件を読み上げる。一揆方の諸将は寛大な処置であることに驚きつつ気を緩めずにこちら側を睨みつけていた。そんな敵方に貞次はため息交じりに言葉を発する。
「もう終わりにすべきであろう。これ以上身内同士でやり合うても得をするのは三河を狙う周辺諸国ばかりじゃ。今ならまだ戻れる…ほれ、儂もお咎め無く迎え入れて頂いておる。」
貞次は両手を広げて見せた。敵方の諸将の顔がゆがむ。
「蜂屋殿、我らは大儀の為に立ち上がったのではなかったのですか?」
空誓は言い返した。だが貞次は首を振った。
「大儀とは如何なるものか?松平家は仏敵では御座らぬ。本願寺の威信と保身が目的ではなかろうか?…多くの者が戦の意義に疑問を持っておりまする。」
空誓はたじろいだ。すかさず隋空が追い打ちをかける。
「此処に本願寺の証文が御座る。全て門徒に高利で貸し付けたものになる。こんなものがあっては門徒共は坊主に逆らえぬ。左様な事をして戦を起こし多くの百姓を死なせ、今なお利権を守ろうと足掻くことが仏の道か?」
空誓は怒りを露わにした。だが隋空の表情は冷ややかであった。
「空誓殿、引き際は大事ですぞ。でなければ己の身にとんでもないことが起こりますぞ。」
隋空は脅した。空誓は隋空の言った意味を理解し肩を落とした。何とか抵抗しようと考えを巡らせたようだが、何も思い浮かばず「わかった」と吐くように言葉を漏らした。
永禄6年7月2日。
本願寺派の寺院は門を開き武装解除した。一揆方についた諸将らもこれに従う。石川氏、桜井松平氏、伊奈氏、内藤氏、安藤氏といった西三河の土豪らが拘束されたが、岡崎城にて再び忠誠を誓う誓紙を差し出し、領土も返還され帰って行った。
だが全ての武士が家康に下ったわけではなかった。石川康正は家康に仕えることを拒んで逃亡し、加藤教明も出奔、内藤清長は家督を息子の家長に譲って蟄居、伊奈忠家は一族ごと追放となった。
本願寺派の寺院は全て破却され、堀も埋められ元の通り更地に戻され、僧侶共は居場所を失い、伊勢へと逃亡した。
加藤教明
松平家家臣。三河一向一揆で一揆方に付き、戦後は三河を出奔して京に滞在する。後に羽柴秀吉の家臣となる。賤ケ岳七本槍の一人、加藤嘉明の父。
大久保治右衛門忠佐
松平家家臣。大久保忠員の次男。兄の忠世と共に各地を転戦し、後に徳川十六神将の一人に数えられる。
鳥居忠広
松平家家臣。鳥居忠吉の四男で元忠の弟にあたる。三河一向一揆では一族の総意に反して一揆方に付き本證寺で門徒衆の指揮を取った。後に徳川十六神将の一人に数えられる。
内藤清長
松平家家臣。三河一向一揆で一揆方について家康と戦う。一揆終結後は家督を息子に譲り蟄居し、永禄7年に没す。
石川康正
松平家家臣。石川惣領家の当主であったが、家康の命で隠居。三河一向一揆で一揆方について当主回復を目論むが敗北し三河から逃亡する。
伊奈忠家
松平家家臣。伊奈忠基の十一男で伊奈忠次の父親。三河一向一揆では一揆方として松平軍に多大な損害を与えたことから許されずに所領の小嶋を没収され追放される。
空誓
本願寺顕如の曾孫。三河一向一揆の首謀者として家康と戦うも敗れて三河を追われる。その後の行方は不明。




