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24.尾張での会見

本話で第三章「清州同盟」は終了です。

次話より第四章「三河一向一揆」の話となります。



 永禄5年5月12日。


 岡崎城に織田家の使者が参ったとの知らせを受けて隋空は城へと向かった。岡崎城では酒井忠次が応対し使者からの書状を受け取った後に隋空の意見を聞くために待っていた。


「隋空に御座います。」


 廊下で一旦座して名を告げると障子の向こうから元康の声で「入れ」と返事され、隋空は静かに障子を開いて中に入った。


「織田家の使者が参ったと伺いました。」


「池田勝三郎と申す者が来てこれを渡してきた。…読んでみよ。」


 元康は無造作に書状を隋空に投げ渡した。隋空は広げて中身にさっと目を通す。


 池田…信長の側近だ。ということはそれなりに重要な案件と思われるが……。


 頭の中で自分の記憶を辿る。書状の中身と照らし合わせてこれは清須城での信長との会見イベントであると理解した。


「織田殿が儂に会いたいそうだ。場所はどこが良いかと池田と申す者に尋ねられておる。…儂は会う気などないがな。」


 元康は不機嫌そうな口調で呟く。忠次はそんな元康の様子におろおろしていた。


「池田と申す者は上総介様の乳従弟に御座います。お断りするのは上総介様の面子を潰すことになるでしょう。お受けなされませ。」


 元康は舌打ちした。面倒くさそうに胡坐を組み直し隋空に背を向けた。


「ならば水野の叔父上に行って適当に場所を決めて貰え。…日帰りできるようにな。」


 岡崎から尾張の水野領への往復だけでも一日の道程である。元康からは会見を破談にしたいことが見え見えであった。


「殿、どうせなら清須城で対面されては如何ですか?」


 隋空の思いがけない提案に元康と忠次の顔が同時に隋空に向いた。


「なんじゃと?」

「無茶で御座る!」


「会いたいと申されるのであらば、相手の懐まで飛び込んで行き、殿の胆の大きさでも見せつけてやれば宜しいのでは?」


「そ、それは余りにも危険で御座…「面白そうだな」…は?」


 忠次は反対しようとしたが元康が隋空の案に興味を持った。隋空としてはしてやったりという顔である。


「殿が乗り気になりましたので、酒井殿に話を進めて頂きましょう。使者の池田殿に五日後に伺う由にて清須城にてお待ちあれ、とお伝えくだされ。」


「い、五日後!?」


 忠次は思わず腰を浮かせた。早すぎるとでも言いたそうな忠次を制して隋空は話を続ける。


「尾張の殿様はせっかちな男と聞きます。こちらが出向くと言っておいてその予定日を先延ばしにすれば、焦れてこちらにやって来るやも知れませぬ。」


「…儂等が向こうに行くことに意味があると?」


 元康は首を傾げた。


「はい、殿には熱田と清須の街並みを見て頂きとう存じます。」


 隋空は尾張と三河での違いについて説明した。尾張…特に熱田を中心とした中東部は桶狭間の戦い以降は商業に力を入れており、街も城も急速に発展している。三河もそれに倣い国内を発展させるべく元康に他国を見て貰いたいのが隋空の思いであった。説明を受けた元康は納得した。


 「国を治むる者は武と文のみならず…か。」


 元康は太原雪斎の言葉を引用したようだが隋空は何も言わずに話を進めた。


「酒井殿、池田殿へのご対応をお願いいたします。拙僧は随行者を選定致しますので。」


 そう言うと隋空は天井を見上げながら指を折って何やら数え始めた。忠次は口を開けたまま隋空を恨めしそうに見ていたが元康に促されて渋々織田の使者が待つ部屋へと足を運んで行った。

 入れ替わりで軽甲冑に身を包んだ男が入って来た。荒々しく元康の前に座り軽く頭を下げる。


「殿、本證寺(ほんしょうじ)より戻りました。」


「おお又八郎!……で、どうであったか?」


空誓(くうせい)殿は頑として殿の要求を撥ねつけて御座います。」


 又八郎の言う「空誓」の言葉を聞いて、天井を見上げていた隋空がこちらに顔を向けた。


「三河を一つにせんとする儂に協力はできぬ、というか。多少脅しても構わぬ。矢銭と兵糧と木材を差し出すようにしろ。」


 元康の命令に又八郎は頭を下げる。隋空はこの男をじっと観察した。歴史の詳細までは理解していないが、今の話は恐らく“三河一向一揆”につながる話だ。何か口添えをするべきか…。そんなことを考えていると松平又八郎と目が合った。


「…ふん、坊主の癖に。」


 吐き捨てるように言うとさっと立ち上がって元康に一礼すると部屋を出て行ってしまった。元康は隋空と目を合わせた後笑いあった。


「あ奴はああいう男だ。許してやってくれ。」


「気にしておりませぬ。」


 家中には様々な人間がいる。自分のことを嫌う輩が居てもおかしくないだろう。そういう風に見て隋空は気にも留めなかった。




 永禄5年5月20日。


 元康は五十ほどの兵と共に岡崎城を出立した。従うは酒井左衛門尉忠次、石川伯耆守数正、本多作左衛門重次、青山藤八郎忠門、本多平八郎忠勝、榊原小平太康政らが連ね、信長への手土産の入った葛籠持ち、槍持ち、鉄砲持ちと続く。叔父の水野下野守信元のいる沓掛城を経由して、熱田に入り一泊したのちに清須城へと向かう道程だ。既に先触れを出して織田家には知らせており、隋空は前乗りで熱田にて宿泊の準備を行っていた。

 前乗り準備を任されたのは本来は本多正信、正重兄弟であったが、熱田に興味があって無理を言って隋空はついてきたのであった。本多兄弟は熱田の豪商である加藤順盛の下に向かったため、一人で湊をぶらぶらと見学していた。不意に後ろから気配を感じたため振り返ると大柄の武士がにやにやと隋空を見て笑って立っていた。


「…拙僧に何か用で御座りまするか?」


 隋空の問いには答えず笑みを浮かべて男は近寄って行った。隋空は念のため、懐に忍ばせた小刀に手をかけた。


「おっとヤるつもりはない。…が坊主が得物とは似合わぬな。…ふうぅぅん……あんたが殿の仰る“隋空殿”か…。織田家家臣、前田の又左に御座る。あんたの接待役を仰せつかった。……まあ湊を勝手にうろうろされても困るんでね。」


 又左と名乗った男は隋空を監視するために織田家から派遣されたようであった。隋空は面白くなさそうに會笠で挨拶をして踵を返した。


「おっとそっちには行かねえで欲しい。…おっとそっちも駄目じゃ、いやいや、そっちも駄目!」


 隋空が向きを変えるたびに又左は呼び止めたので隋空はため息をついて又左に聞き寄った。


「では、拙僧が行っても構わぬところへ連れて行ってくだされ。」


 又左はニィと笑って隋空の肩に手をかけて自らの思うほうへと引き連れた。そして顔をぐいっと寄せて舐めるような声で隋空に話しかけた。


「殿は隋空殿をいたく気にされておる…。つまりあんたは殿にとって危険なお方。そんなあんたがこの街をウロウロされては……殿の御気色よろしからず。」


 隋空は寒気を感じた。桶狭間での戦場の雰囲気を思い出す。この男は世もすれば自分を殺す気でいると肌で感じた。


「よってこの儂と向こうで海でも眺めようぞ。……松平殿がご到着されるまでな。」


 隋空は又左におとなしく従った。彼の殺気は脅しではなく本気であることを十分に感じたのだ。信長の命令か自己の判断でか不明だが命の危険を十分に感じ取った隋空はあらゆる抵抗を諦めなすがままとした。隋空が解放されたのは元康らが到着した夜半であった。



 翌日、丹羽長秀の案内で一行は熱田を発った。整備された街道を通って清須城へと到着する。城下町は細くはないが入り組んだ道で構成されており一度だけでは覚えにくい。やがて巨大な堀に囲まれた櫓が見えた。背後には大きな屋根も見える。あれが清須城かと一行は目を凝らして眺めた。堀に架かる橋の前まで来たときに丹羽長秀が立ち止まって振り向いた。


「恐れ入ります、此処からは武具を持った兵はお待ち頂きます。」


「これなるは織田殿への土産が入りたる葛籠なり。此れを持ちたる者の立ち入りは認められよ。」


 酒井忠次が朗々たる声で応える。長秀は葛籠を一瞥して返答した。


「別の者が案内致す。それまでは此処でお待ちあれ。我が殿に会い登城したる者は武具を預けて参られよ。」


 元康が頷くのを見て忠次は「相分かった」と答え刀を鞘ごと抜いて長秀が用意した小者に預けた。それに倣い他の者も刀を次々と預けていった。それを見た長秀は「流石は松平殿の御家臣、刀を預けるに何の躊躇いもなし、胆の坐りたる仕草なり。」と称えた。


 一行は城内へと案内される。隋空は正直驚いていた。普通ならば城内の構造を知られぬよう別屋敷にするものだが…これは我らに対抗して豪胆なところを見せようという腹積もりのようだと考えた。急な階段を上って廊下を曲がったところで三方が大きく開け放たれた広間に到着した。部屋の中央には二つの床几(しょうぎ)が置かれている。


「松平殿はあちらへ、他の者は後ろに座してお待ち下され。」


 長秀の言うように元康が床几に座り、他の者はその後ろに座した。隋空は一番後ろに控えた。暫くして足音が聞こえ奥の廊下から何人かが入って来た。次々と元康の対にある床几の後ろに座していく。その中には前田又左衛門の姿もあった。そして最後に入ってきた者が床几に勢いよく腰を下ろした。

 沓掛の茶室で見た切れ長で鋭い目つき…まさしく織田信長であった。


「……よく参られた松平殿、儂が織田上総介で御座る!」


 静かな部屋に通る声で信長は挨拶をして軽く頭を下げた。


「松平三河守(・・・)元康に御座る。」


 元康の挨拶に信長の家臣がざわついた。だが信長は膝を叩いて笑った。


「成程、今川での名乗りを捨てられたか。」


 信長は名乗りの意味を理解して笑った。隋空はほっと胸を撫でおろした。元康は“蔵人佐”を名乗っていたがこれは義元から頂戴した官位で今川家から独立を果たしたのに何時までも名乗っているのは道理に合わないと隋空が進言したものであった。元康は“蔵人佐”を気に入っていたようでかなり渋っていたのだが、この場では名乗りを変えてくれた。織田側がざわついたのは“上総介”よりも高い位階であったから。信長はそれを気にした風はない。やはりこの男は位に対しての興味は薄い、と隋空は考察していた。


 話は他愛のないものから進んでいったがお互いの家臣は一言一句聞き逃さぬよう神経を研ぎ澄まして聞いていた。


「松平殿はどのくらいの兵を集められるか?」


 信長の話が他愛のないものではなくなった。元康は後ろを向いて酒井忠次に問いかけた。


「三千…多くて五千に御座います。」


 忠次の答えを聞いて元康は体を戻して言い換えた。


「一万は下りませぬ。」


 周囲にどっと笑いが起こった。信長も笑う。元康も笑った。実際のところ三河全土掌握できていない今は対外に出せる兵は二千がいいところ。だが今の会話では松平家は五千の兵を動かせるように思わせたはず。これは当初の打ち合わせ通りであった。会談に際し予め決めてあったのだ軍事に関する質問は酒井忠次に、内務に関する質問は石川数正に、そして外交に関する質問は隋空に確認し返した答えを盛って返答するように示し合わせていた。


「…其処におるは…隋空ではないか?」


 信長は目ざとく後ろに居た坊主を見つけた。隋空は一旦平伏して返答する。


「名を覚えて頂き光栄に存じます。」


「前に会うた時は松平殿の世話を受けていると言ったが…その後仕えておるのか?」


「はい。殿のお誘いを受け末席に身を置かせていただいておりまする。」


「そうか、それは至極残念。儂に仕えさそうと思うておったのに…で、松平殿、この者は役に立つか?」


「…なんにも。此度も熱田の街をよく見ておくように申し付けておったのに、大酒を飲んでおりました。」


 前田又左衛門が一人で大笑いし直後にしまったという顔をした。それを見た信長が今度は笑った。


「そうか、邪魔が入ったか。ふむ…又左、後で案内せい。」


「は?し、しかし…。」


「よい、見たいものを見させよ。ついでに女子も用意してやれ。」


 これには皆が笑う。


「いや、隋空に限らず松平殿の後ろに控える面々の(つら)を見れば中々の者…。これは我が娘を輿入れさせたるに相応しき家と申すもの。…松平殿、お主の息子に我が娘を嫁がせたいのじゃが…?」


 信長の言葉に元康は少しだけ間を開けて返答した。


「これは願ってもない申し出!…あり難くお受け致す。」


 当主同士による直接の婚姻交渉。相手側の顔を見るに事前に決めていたことのようだが、松平側からすれば突然の仕儀。しかし元康はこれを受けたことで隋空も他の家臣もほっとした。


 この後いくつかの話が続き、予定の刻を迎えようとしていた。信長は不意に天井を見上げたかと思うと真っ直ぐに元康の顔をじっと見つめた。


「……世は乱れ力無き公方様による各国の争いは尾張とて三河とて影響せしむもの也…さりとて其れに抗う力無くば露と消えゆく……。儂は左様な時に生まれた事を感謝しておる。己が力が何処まで通じるのか…そう思わぬか?」


 野心を語る信長。隋空も想像していなかった覇気のある言葉に身震いを起こす。それは恐怖ではなく共感を示す身体の震え。恐らく一番近くで聞いていた元康にも感じたのであろう。元康の膝に置かれたこぶしは固く握りしめられた。


「織田殿には某には考え及ばぬ何かを秘められておられる…しかしながら今、某は織田殿と盟を結んで良かったと心から思える。何時でもお頼り下され…松平は織田殿を終生御味方致す所存。」


 元康の力強い言葉に信長が頷く。


「頼りにしておる。」



 こうして織田信長との清須城での会見は終わった。元康と信長は互いに土産目録を交換して部屋を出ていく。この後は酒井忠次と本多重次は輿入れの話を進めるために居残り、一行は熱田まで戻った。宿に入りひと段落付いたところで隋空は元康に呼び出された。部屋に入ると元康は信長から送られた太刀を眺めていた。


「隋空…お主の目には織田という男はどう映った?存念を申せ。」


 隋空はしばらく考え込んでから言葉を発した。


「覇気の有り過ぎるお方かと。」


「…だな。……だが心躍らされたわい。御隠居様が討取られたのも今となっては分かる。同盟の相手としては申し分ない。」


 元康は興奮していた。隋空はそんな元康に納得していた。この男も乱世に価値を見出しつつあるのだ。このままお支えすればやがて成長して花を開きて天下を取るであろう。


「殿…拙僧が思うに、何れ多くの大名があの男にひれ伏すことになりましょう。我らも織田家に追随することで殿の目標も達成できなん。されど…あの男が露と消えし時に、殿はどう動かれるか……考えておいて下さりませ。」


 隋空の言葉に元康は首を傾げた。


「どういうことだ?」


「…今は拙僧の言葉を留め置かれるだけでも結構に御座います。」


「変なことを言うな…まあ良い。明日はあの又左とか申す奴と街の見学であろう?早く休むが良い。」


「は。では失礼いたしまする。」


 隋空は一礼して部屋を出た。


 翌日、隋空は熱田に居残って元康一行を見送った。織田信長との会見は無事終わり互いの結束を確認し婚姻を結ぶにまで至る。だが松平家はこの後三河における最大の苦難が待ち受けていた。



 三河一向一揆の勃発である。



松平又八郎伊忠

 松平家家臣。深溝松平家の三代目当主で深溝城主。好景が善明堤の戦いで討死しこれを継ぐ。家中では武闘派として名を上げている、鵜殿家から正室をもらい受けているが上ノ郷城の戦いの折に離縁している。


本多弥八郎正信

 松平家家臣。三河一向一揆では忠尚に従って門徒側に付くが一揆終結後に出奔する。


本多三弥左衛門正重

 松平家家臣。正信の弟。


池田勝三郎恒興

 織田家家臣。信長の乳母の子で幼い頃から信長と野山を駆け回っていた。尾張時代においては主に伝令役を担っており部隊を率いて戦にでるのは美濃戦以降になる。


前田又左衛門利家

 織田家家臣。前田家の三子で後に兄の利久に変わって家督を継ぐがこの頃は母衣衆として仕えている。


丹羽五郎左長秀

 織田家家臣。信長の小姓として仕え主君の信任を得て一軍を任されるようになる。後に“米五郎左”と称されるようになる織田家の重臣。


織田上総介信長。

 織田家当主。尾張を平定し舅である斎藤道三の美濃を奪うべく活動している。松平家との同盟により後輩の憂いを断った信長は美濃攻略にまい進する。



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