21.朝廷工作
執筆が進まず投稿が遅くなりました。
四話連続投稿です。
永禄4年10月11日。
岡崎城に二人の男が訪問し、元康と謁見した。一人は菅沼新八郎定盈、東三河の国人で今川家の三河侵攻によって自城を奪われ、その雪辱を果たすべく松平家を頼って来た。もう一人はその定盈の従弟で西郷孫九郎清員と言い、同じく東三河の国人である。二人は今川家から離反して松平家に仕えることを申し出ていた。
「お二人とも、よくおいで下された。松平家はそなた等を歓迎致す。」
元康は上座から二人に頭を下げた。
「何を仰らるるか。松平殿が西三河をまとめてくださったからこそ、我らも立ち上がることができたのです。これからは松平殿を旗頭に今川家に立ち向かっていきますぞ。」
「そうで御座る。東三河には今川に不満を持つ者がまだおりまする。松平殿には反今川の盟主として我らを率いて頂ければ。」
二人の言葉に元康は大きく頷く。
「では東三河への調略はお任せしても良いか?」
元康の依頼に二人は畏まった。
「ぜひとも我らにお任せ下され。」
その後、接待に終始した元康は二人を上機嫌で退出させた後、主だった者を集めた。この時期、元康の側近には酒井忠次、石川数正、本多忠真、榊原忠政、阿部正勝、青山忠門、天野康景、大久保忠世、高力清長、平岩親吉、本多重次、といった若手中心で構成され、小姓衆には後に活躍する、鳥居元忠、青山忠成、榊原康政、本多忠勝といった若武者が揃っていた。
「さて、皆のお陰で三河を一つにする目標も終わりが見えてきた。資金は織田殿のお陰で何とか賄えておる。あとは、今川に属する者らを駆逐し、三河の主として相応しい役職を得られれば…今川に対抗できる勢力となろう。」
元康の言葉は集まった一同の顔を紅潮させた。既に朝廷への働きかけは京に活動拠点を移した夜次郎からの報告で、公家衆との渡りが付いており交渉も進んでいる。菅沼定盈の知らせで東三河の国人衆の人質処刑が明るみになり、松平家に鞍替えする者も増えるであろう。元康による東三河の攻略は筋道が見えてきていた。
「だが、三河統一にあたり、邪魔な彼奴らもおる。…それは上之郷城と吉田城だ。彼の地は今川家の直臣が城代として詰めており、調略に応じることはなく、周辺の国人に睨みを聞かせている。」
元康の言葉に皆が頷く。特に上之郷の鵜殿氏は今川家に連なる連枝の家柄であり、彼らの存在が東三河衆を今川家に繋ぎ止めてもいる。
「我らの攻略目標は上之郷城とする。年が明ければ攻め入る。皆は備えを怠るな。」
一同は威勢よく返事をした。松平元康は今川家からの独立後、周囲の豪族との小競り合いを制し本格的に今川家排除に動き出した。
永禄4年10月13日。
瀬名夜次郎は隋空と名を変え、京を活動拠点とするために、津島から芳を呼び寄せた。芳は服部総三郎保俊に伴われて隋空の宿に到着した。この宿は織田家から借り受けた銭を使って借り受けているが、芳を使って茶屋から乏しくなった資金を提供させようと考えていた。
「四郎次郎殿にこの文を渡してほしい。」
手紙を受け取った芳は黙って頷く。その様子を訝しそうに見ている半蔵。隋空は芳に茶屋四郎次郎の下へ向かうよう促して半蔵に話を振った。
「誓願寺という浄土宗の寺が摂関家と誼を通じている由に御座います。既に神人を通じて渡りをつけておりまする。」
「よし、これを酒井殿に報告するのだ。」
隋空の思いがけない言葉で半蔵は驚いた。
「夜…隋空様がお話されるのではないのですか?」
「公家との折衝役は酒井殿だ。酒井殿の命無くして拙僧が勝手に公家と話を進めるのはできぬ。」
半蔵は手柄を横取りされるような気分で渋々返事した。既に服部一族を自分の配下にすることは父親から聞いており、半蔵の忠誠心は目の前の男に向いておりそれだけに悔しい思いを持った。
「どうかしたか?」
隋空に問いかけられ慌てて平伏する。
「いえ、なんでも御座いませぬ。直ぐに出立いたします。」
半蔵は一礼して立ち上がり部屋を出ようとした。
「総三郎に御座ります。三河より長坂様がおいでになりました。」
半蔵が部屋の隅に移動して着座した。その様子から隋空は長坂という男が半蔵より目上の者であると理解した。そして自身の知識データベースにアクセスする。…だが徳川家臣でそのような名前は出てこなかった。
「…お通しせよ。」
かといって会わないわけにもいかず、隋空は外に向かって返事した。襖がすっと開き、やや老けた男が一礼して入ってきた。
「長坂彦五郎に御座る。半三殿の依頼で瀬名殿の手伝いに参った。」
隋空が事情を聴くと、半三が旧知である彦五郎に頼み込んできたので京での伝手を活かそうとやって来たそうだ。隋空は公家との伝手を聞いてみた。すると久我家との伝手があると答えた。
松平家には公家と伝手のある輩はいないと聞いていたのだが…こ奴も半三と同じく冷や飯を食っているのかと考えていると、顔に出ていたのか彦五郎は苦笑いを浮かべた。
「ははっ。某も主家から少し距離を置かれている身でしてな。此処で手柄を立てられればと思い…。」
「成程…では貴殿の伝手でご足労をお願いする。それから拙僧のことは“隋空”とお呼び下され。」
彦五郎は隋空の身なりを見て頷く。
「では隋空殿、某の働きを期待下され。」
隋空は新たに人材を得たように感じた。
翌々日、半蔵が薄汚れた衣服を着た小童を連れて宿に戻ってきた。半蔵は隋空に挨拶をするとあたりを見回した。
「どうした?酒井殿に報告して戻ってくるには些か早いのだが…?」
「芳殿はいずこに?」
「…?芳は拙僧の使いで薬屋に行っておる。その童はなんだ?……まさか?」
隋空は喋っている途中で半蔵が連れて来た小童の正体に気づいた。
「平助と言います。誓願寺に住まう神人で御座いました。某が住職に銭で買い上げてきました。」
隋空は小童の顔をまじまじと見た。
「……ふむ、芳に似ている…か。」
「平助は芳という名も顔も覚えております。芳殿に会わせればわかりましょう。」
半蔵の言葉に隋空は頷く。しかし何故芳の弟を連れて来たのか訊ねると半蔵は胸を張って答えた。
「某は芳殿を信用しておりませぬ。されど隋空様は信頼されておりまする。ならば某も芳殿を信用せねばと発起し動きまして御座ります。……余計なことをしでかしたでありましょうや?」
隋空はふっと笑みを浮かべた。彼なりの自分への忠義のつもりなのだろうと考える。
「ならばその童はどうする?」
「某の下で伊賀流を学ばせまする。さすれば隋空様のお役にも立ち、芳殿も喜ばれるでしょう。」
隋空は半蔵の提案を了承した。やがて使いから帰ってきた芳と平助の再会は涙の流れる場面となり、芳は半蔵に何度も何度も礼を述べることになる。
永禄4年10月30日。
酒井忠次からの書状が元康の下に届いた。内容は隋空が見つけた渡りを伝い公家と懇意になることができたことであった。内容を聞いた小姓の榊原小平太は大喜びで元康に御礼言上をするが、元康の反応はいまひとつであった。
「……公家と懇ろにすることが本当に役に立つのか?儂等は武家ぞ?」
小平太はすかさず返答する。
「官位を得んが為に御座り申す。“三河守”を受領することができれば名実ともに三河の主と成り申さん。夜次郎殿から言われたことをお忘れか?」
元康はこのずけずけと物言う小平太を気に入っていた。
「覚えておる。されど幕府と誼を通じず何故公家なのか?」
「それも夜次郎殿が申しておりました。「今の幕府に世を収むる力無し。因って守護職も今や権威無くが如く」と。」
「では今川家は駿河遠江の守護であるが…権威が無いと申すか?」
「今川家は足利家に次ぐ名門であり、歴々として守護を務めてきた経緯が御座りまする。」
「…では今の今川家当主は自身の力ではなく、先達のお陰にある…と言うことか?」
「左様に御座りまする。されど殿が官位受領については…」
「己が力…というわけか。」
「は…織田と同盟を結び、官位を得て、三河を一つにまとめ上げれば今川の脅威に打ち勝つことができましょう。」
小平太は武芸に秀でた若武者であったが、頭もよく、隋空の話を理解していた。元康も小平太に全幅の信頼を寄せて専ら侍らせており、二人の仲は急速に親密になっていた。
「…上之郷攻めの備えはどうなっておる?」
「吉良家の所領での狩りはほぼ終えたと聞いておりまする。殿のご命令があればいつでも出陣できまする。」
小平太は直ぐにでも兵を動かしたかった。だが元康は首を振った。
「評定でも申した通り、年明けを待つ。今は儂等の為に駿河の地で殺された同胞を弔う。」
元康は天井を仰いで両手を合わせた。その行為に小平太は小さくため息をつきながら同じように手を合わせる。
殿は機を見ることができぬお方…。だからこそ我ら家臣一同でお支えしなければならぬ。今は不本意ながらも瀬名殿のお力を借り続ける必要がある。
元康とともに手を合わせながらも、榊原小平太の考えは別のところに向けられていた。
永禄4年11月、松平家は西三河に石川家成、数正を配置して東三河攻略の準備を始める。最初の目標は上之郷城の鵜殿家。今川家の直臣であり調略が通じる相手ではない。松平家の全力で攻め入る必要があった。戦略も戦術もない力攻め。多大な犠牲を支払われることになるだろう。三河衆の団結力が大きく問われる。だが、三河の寺社衆の動きは鈍く、そして吉良氏に従っていた残党もあちこちに残っている状況であった。
一方、京では隋空の働きで公家衆との渡りをつけるに至っていた。織田家から借り受けた銭を使って公家衆への働きかけを推し進め、何とか摂関家の者と対することができたのだ。官位もなく守護大名家と直接的な結びつきのなかった松平家としては異例である。これは過去に亡き松平清康による朝廷への働きかけも功を奏していたことは言うまでもない。調停工作は酒井忠次の活動によって成果を得たことになっているが、その裏で隋空や服部半蔵、長坂彦五郎の活躍あっての成果であった。
明けて永禄5年3月、松平家は諸々の準備を整えて三河に残る今川家の城攻略の兵を上げた。敵は上ノ郷城の鵜殿長門守長照、氏長親子である。
菅沼定盈
三河国額田郡野田城主。今川氏真とは距離を取っており、1561年に今川家から離反する。
西郷清員
三河国八名郡五本松城主。菅沼定盈と共に今川家を離反し、徳川家に与する。西郷局の養父。
本多肥後守忠真
松平譜代衆の一人。本多忠高の弟で忠勝の叔父にあたる。兄の死後、本多家の惣領代理として家康に仕え、忠勝が宗家を継いだ後は右腕として活躍。三方ヶ原の戦いで退却時のしんがりを務めて討死。
榊原平七郎忠政
徳川家家臣。松平弘忠の重臣、榊原忠次の子で、家康の駿府人質に随行している。代々摂津守を称している。
阿部善九郎正勝
松平譜代衆の一人。家康の駿府人質に随行して家康からの信任も厚い。
青山藤八郎忠門
松平譜代衆の一人。松平広忠に仕えたが、広忠死後に今川家に属す。桶狭間の戦いの後に松平家に帰属し、譜代衆に列せられる。
天野三郎兵衛康景
三河三奉行の一人。家康の駿府人質に随行している。一向門徒であったが三河一向一揆では元康側に付いて活躍している。
大久保七郎右衛門忠世
松平譜代衆の一人。忠員の子で弟の忠佐と共に家康を支えた。分家筋でありながら元康からは本家よりも信頼を得ている。
高力与左衛門清長
三河三奉行の一人。酒井忠次と共に第二期人質陣として駿府で元康の世話をしていた。三河一向一揆の戦後処理で寺社の保護に努めて寺社衆からの信頼を集める。
平岩七之助親吉
徳川家家臣。家康の駿府人質に随行し、小姓頭を長く務める。信康の元服時にその傅役となり、信康切腹後に再び家康の直臣となる。
本多作左衛門重次
三河三奉行の一人。戦場での活躍から「鬼作左」と呼ばれているが役人肌の気質。気難しい性格で元康にもずけずけと物言うことが多い。
榊原小平太康政
徳川四天王の一人。この頃はまだ初陣を終えたばかりで家康の小姓として仕えていた。
本多平八郎忠勝
徳川四天王の一人。まだ叔父の指導を受けている若武者ではあるがその武勇は家中に知られていた。
青山藤右衛門忠成
徳川家奉行衆の一人。この頃は元康の小姓として仕えている。
長坂信政
徳川家家臣。血鑓九郎の異名を持つ。代々足利家に仕えていたが、信政の代から服部保長の伝手で松平家に仕えた。
芳
茶屋四郎次郎に拾われ、隋空の監視役として侍っている。主に炊事洗濯を行っているだけで夜の相手は勤めていない。
平助
誓願寺の神人として過ごしていたところを半蔵に買われる。芳の実弟。後に服部平助正刻と名乗る。