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20.夜次郎、京へ

二話連続投稿(二話目)です


 永禄4年9月17日。


 吉良家の居城である東条城を攻め落とし、吉良義昭を降伏させたことで盛り上がる岡崎城に悲報が届いた。駿河で人質として留め置かれていた松平家の者らが処刑されたのだ。報を聞いた元康は知らせを届けた服部衆に詰め寄った。


「お鶴殿と竹千代はどうなったのじゃ!」


「せ、正室殿と竹千代様は寿桂尼に庇護されまして…ご無事で御座います…。」


 服部衆の者は迫力ある元康に怯えながらも状況を答えた。


「そ、そうか!……いや、儂と共に駿府で過ごした者らが殺されたのじゃ。しばし喪に服せ。しかる後にこの恨みを力に変えて今川家に復讐するぞ!」


 元康の意気込みに一同は頭を下げた。三河衆はこういう律儀で家臣思いを見せる元康に心服していた。


 だが、同時期に半蔵によって知らされた夜次郎の反応は違った。


「寿桂尼様が?……半蔵、寿桂尼様と佐名様との関係は?」


「直接的にはないかと。」


「誰かを挟んで関係が?」


「関口様が尼御前様の館に出入りしているのを見ております。」


「親永という男が寿桂尼様の命で動いている?…見返りに佐名様と鶴様を庇護された?」


「おそらくは…。」


 半蔵との会話を中断して夜次郎は考え込んだ。史実では関口親永は今川氏真に不興を買って自刃する。これにより義元派だった家臣たちは氏真から距離を置くことになる。そして寿桂尼派と氏真派に内部分裂を起こし、やがては徳川家と武田家に飲み込まれていく……。


「…殺された者の中に夜次郎様の知己がおられましたか?」


 半蔵に声を掛けられ夜次郎は我に返った。半蔵は夜次郎が考え込んでいるのを殺された者を偲んでいるのだと勘違いしたようだ。


「あ、ああ…駿府で良くして貰っておったからな。」


 夜次郎は半蔵の言葉を否定せずに話を合わせた。


「蔵人佐様も喪に服すと言っておられました。」


「そうか。ところで、西三河の情勢はどうだ?」


 夜次郎は話題を変えた。半蔵は夜次郎の反応の薄さに戸惑いつつも状況を説明した。


「吉良家を追い出したことで西三河の諸城は松平家に靡いております。…ただ坊主共は難航しております。」


 夜次郎は頷き続いて京の状況を確認する。


「伊勢貞孝様と通じることができましたが、色よい返事を頂くこと叶わず…。」


「今の伊勢貞孝様を頼っても何もできぬ。それに幕府は三河の土豪など相手せぬ。公家衆と接触せよ。」


「し、しかし父の伝手でも公家様に接触できる機会がなく…。」


 半蔵は肩を落としていた。


「出入りの商人か懇意にする寺社を介して接触するしかないか。」


 夜次郎が呟くと半蔵は目を光らせた。


「その女の商家を頼るのですか?お待ちくださりませ!今一度わたくしにお時間を!」


 夜次郎は小さくため息をついた。芳に対して敵対心を抱いているのがまるわかりである。彼女は茶屋から預けられた夜次郎の監視役兼連絡係であり、夜次郎の夜のパートナーではない。事実、夜次郎は芳に手を付けてはいない。ドライな関係だ。夜次郎も半蔵にはさんざん説明しているのだが、半蔵からすれば夜次郎様と一つ屋根の下で暮らしていること自体が癪なのであろう。そんな心情を夜次郎は分かっていた。


「半蔵、俺を京に連れて行ってはくれぬか?」


 半蔵は夜次郎の言葉に一瞬にして呆けた。頭巾を脱いで耳をかっぽじって聞きなおした。


「二人で京に行こうと言ったのだ。」


 夜次郎は苦笑して言い直した。半蔵の顔が輝き嬉しそうに何度も頷く。


「よ、喜んで!宿の手配もお任せください!」


 喜ぶ半蔵の横で芳がいつもの表情で湯呑を片付けていた。夜次郎はある違和感を覚えて芳に話しかけた。


「芳も会いたい者がいるのであれば、連れて行くが?」


「……いえ、私は此処でお待ちしております。」


 これには半蔵もさすがに気付いた。夜次郎の監視役であらば、付いて行くのも一計だ。だが芳は夜次郎の問いに答えずに留守を選択した。半蔵はそっと夜次郎の顔を伺ったが夜次郎は何も言わず話を進めたのでそれ以上は芳に目もくれずに夜次郎の話に聞き入った。



 京へ行く段取りを決めて話が終わり、半蔵を返そうとしたところで半蔵は夜次郎を厠に誘い出した。夜次郎はいつもと違う半蔵の行動に小首をかしげながらも立ち上がって半蔵を伴って外にある厠へ向かった。二人で並んで用を足しながら半蔵が話しかけてきた。


「…あの女、いつもと様子が違いました。京には何かあるのですか?」


「半蔵も気づいたか。…芳には弟がおってな。誓願寺という寺に奉公しておる。…と言っても神人のような扱いらしいがの。」


 夜次郎の言葉で半蔵は納得した。ここでいう「神人」とは神職のことではない。神職に隷属し、神事における雑役や労役、場合によっては命をも差し出す奴隷のような存在だ。夜次郎も嘗て身代わりに殺される役として三河の神職から神人を買ったこともある。神人は人ではなく供物として扱われているのだ。


「歳は?」


「…十二…だそうだ。」


 夜次郎の答えに半蔵はそれ以上は何も聞かず、夜次郎を屋敷まで案内した後帰っていった。夜次郎は半蔵にも思うところがあったのだろうと思いそれ以上はこのことには触れなかった。




 永禄4年9月20日。


 夜次郎は半蔵を伴って京に到着した。初めて見る人だかりに夜次郎は最初は驚いていた。


「夜次郎様、初めて京を訪れた者は皆そのように驚かれます。」


「うむ、駿府よりも人が多い。」


 半蔵の言葉に相槌を打ちつつ夜次郎は周囲を眺めながら中心地へと歩いた。所々で焼け焦げた家や崩壊した屋敷が見て取れる。


「…京での大乱から五十年以上も経過致しておりますが、未だ戦禍は絶えず、こうして修復されずに残っているそうです。」


「幕府や朝廷は如何したのだ?」


「…幕府も朝廷も銭を工面できず放置されている状況です。三好修理大夫様や、先代の織田様、今川様から寄進を受けておりますが、その銭がどこに使われているかわかりませぬ。」


 半蔵はそれなりに京を調べているようであった。夜次郎は「ふむ」と頷くとしばらく考えた。


「半蔵、誰が幾ら寄進されたかわかるか?」


「なるほど、松平家もそれに見劣りしない額を寄進される…というわけですね。」


「お前は聡いな。ではもう一つ…公家と繋がりの強い寺社もわかるか?」


「…?調べることはできますが…。」


「神職坊主であれば、比較的安易に公家と結びつきやすい。我は今から旅の僧となる。半蔵も我のことを“隋空”と呼ぶのだ。」


「隋…空…。ははっ!では某は隋空様をご案内する農民に扮しまする。」


 それから夜次郎は調べて欲しいことを事細かに説明し、半蔵が用意した宿でゆっくりと過ごすのであった。




 永禄4年9月21日。


 松平元康は夜次郎が京に向かったことを服部半三の報告を通じて知る。京に向かった理由を尋ねると半三は重苦しい表情で朝廷工作がうまく進んでいないことを説明した。


「朝廷への働きかけは左衛門尉が担っていたはずじゃ!説明せよ!」


 元康は怒りを露わにしその矛先は酒井忠次に向けられた。忠次は慌てて平伏して事情を説明した。


「恐れ入りまする。織田殿より借用の銭を用いて朝廷に働きかけを行おうと致しましたが、我らを相手する公家がおらず、已む無く政所執事の伊勢様を頼りましたるところ…一向に返事を頂けず……。」


 元康は扇子を投げつけた。


「戯け!夜次郎ひとりに京へ行かせてお前は何故此処に居る!夜次郎の知恵を構わぬがお前も共をせねば松平家として示しが付かぬわ!」


「お、恐れながらわが子、半蔵が夜次郎様に従っておりまする!」


 半三が慌てて補足するが元康の大喝に打ち返された。


「素破ごときで示しが付くか!」


 半三は恐れ入って平伏した。元康は服部一族を他の家臣よりも下に見ていた。三河在地の者でもなく、武士としてではなく諜報を担当する下人のように捉えて見下していた。結局半三は部屋を追い出され、控えの間で話し合いの結果を待つことになった。

 やがて忠次がやって来て結果を説明する。忠次はまず半三に頭を下げた。


「嫌な思いをさせて済まぬ。某は他の者とは違いしっかりと貴殿のことを松平家家臣と見ておる故…。」


「いや、先々代の死去の折に一度松平家を離れたことが掛かる仕儀じゃと思うておりまする。」


「そう卑下なさらずとも…とにかく暫くは岡崎への登城は控えたほうが宜しかろう。」


 忠次の言葉で半三は夜次郎のことを思い浮かべていた。このようなことになっては伝令役として夜次郎様のお役に立てぬと悔しい思いに駆られていた。





 永禄4年9月23日。


 宿舎で暇を持て余していた夜次郎の下に一人の若武者がやって来た。


「初めて御意を得ます。某、半蔵の弟にて総三郎保俊と申しまする。岡崎からの伝令として罷り越しました。」


 夜次郎は若武者を見やった。半蔵の弟…夜次郎のデータベースの中には全くない男である。どう対応すべきか迷っていたところ、総三郎が話を続けた。


「父、半三が主君の不興を被り岡崎への出入りを禁じられまして御座います。」


 夜次郎は頭を掻きむしった。舌打ちもした。夜次郎には何となく半三が出禁を食らった理由が想像できたからだ。そして改めて自分の考えを肯定して。服部一族は自分に仕えさせるのが良いと。だがその為には今のような潜伏の生活ではなくせめて城持ちくらいにはなる必要がある。そうなると今の名を捨て松平家臣として功を上げねばと考え始めていた。


「相分かった。して、半三は今何処に?」


「は、酒井左衛門尉様とこちらに向かっておりまする。」


「酒井殿と?」


「主君に夜次郎一人に任せるなと、怒られた由…。」


「ふむ…総三郎、京では我を“隋空”と呼ぶように。聞く者が聞けば我を怪しむことになる。」


「はは!申し訳ござりませぬ」


「で、酒井殿は蔵人佐に我に付くよう指示されたわけだな?」


 総三郎の元気のよい返事を聞いて夜次郎は考え込んだ。忠次をこっちに寄越した蔵人佐の意図は…幕府役人や公家衆との繋ぎ役のため。実際は織田家との同盟交渉がひと段落付いた段階で石川数正に後事を引き継いで官位受領のために動いていたが、半三とタッグを組んでの活動も実を結ばず。原因は知名度と将来性か…。この頃の松平家は今川家の敗戦によって没落の危機から脱した地方武士程度の認識のようだからな。勿論将来性も未知数。だがとっかかりさえあれば忠次であればなんとかできるはず。

 夜次郎は自分の考えをまとめて、総三郎に忠次らを此処へ連れてくるよう指示した。


 翌日の朝になって半三と忠次と総三郎が夜次郎の宿にやって来た。


「夜次郎殿、またもお手を煩わせることになり申し訳なく…。」


 忠次は素直に謝罪する。


「なに、我も京の(みやこ)を見物しとうて来た節もある故。もうすぐ半蔵が戻ってくる。それまで此処でゆるりと過ごされよ。」


 そう言って夜次郎は半三を見た。大柄の半三が体を小さく折りたたんで夜次郎に平伏している。出禁が答えているのであろうと思い、哀れに思えた。


「…左衛門尉殿。一つ頼みが御座る。此度の件、我に責任がないわけでもない。」


 はっとして半三が顔を見上げた。


「夜次郎様は決して!「まあ聞け」…は、はい。」


 何やら言い訳を仕掛けた半三を夜次郎は抑えて話を続ける。


「服部一族は、我の家臣でもないのによう我の為に働いてくれる。我もこれに報いたいと思うておった。…憚りながら彼らを我の家臣としたい。…左衛門尉殿にも蔵人佐にお口添えを頂けぬか?」


 話を聞いた忠次は明るい顔を見せた。今にも泣きだしそうな半三の背中を叩き「喜んで」と返事をした。


「さすれば…と言いたいところじゃが、我は半三らの禄を賄う領地を持っておらぬ。そこで…松平家に仕えたいと思うのだが…三河の殿様は我に領地を下さるじゃろうか?」


 これには忠次も驚く。まさかこのような形で仕官を口にするとは思っていなかった。慌てて平伏し「わが主に申し伝えまする!」と声を張り上げた。


「し!声が大きい。」


「あ!これはご無礼を…いや、本当にあり難きお言葉!この左衛門尉、この身に賭けてご対応致しまする!。半三殿!よかったで御座る!」


 忠次は嬉しさの余りまたもや声を張り上げる。半三は唯々嗚咽を漏らしてひれ伏して肩を震わせていた。




「東三河の国人衆が御屋形様に叛意を示しております。」


 関口善次郎の言葉に兄惣五郎は頭を抱えた。西からもたらされる報告は今川家にとって良くないことばかりで主君である今川氏真に説明するには労苦を要するものばかり。おまけに大原与次が主君の命で東三河国人の人質共を処刑したことで東三河は一気に反今川となっていることを報告できずにいた。二人は東三河の情報を意図的に主君から遮断するようにしていた。


「…御屋形様には黙っておけ。それよりも関口親永の動向はどうした?」


 惣五郎は自分の父親を呼び捨てにして聞いた。善次郎も同様に答える。


「親永は武田信友と頻繁に接触しております。」


「やはり武田と何やらやっておるようだ。」


「兄上…御屋形様の目を一時(いっとき)駿河に向けて頂くよう仕向けますか?」


 弟の提案に兄は腕を組んだ。


「……親永を始末頂けるようにしろ。さすれば儂が関口家の家督を相続できる。」


「畏まりました。」


 関口氏幸、道秀兄弟は奉行衆の統括として国内の管理を担っていたが、自分たちでは制御できておらずに都合の悪い内容を握りつぶしていた。だが最近は大原義鍾らの一派に好き勝手され始め、さらに情報統制が厳しくなっていた。


 今川家の内部分裂は徐々に加速していく……



伊勢貞孝

 足利義輝時代の政所執事。永禄5年(1562年)に足利義輝と対立して政所を失脚する。


関口氏幸

 関口親永の長男。今川氏真の側近で奉行衆の筆頭。最近は三河遠江の事案の対応に忙殺されている。


関口道秀

 関口親永の次男。今川家の奉行衆の一人。兄のサポート役で三河方面を担当している。


武田信友

 武田信虎の子。信虎が駿河に追放された後で生まれており、寿桂尼の庇護を受けて今川家に仕える。


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