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2.男手が欲しい

一話だけのつもりが、書きあがったので投稿します。


 あの一件以来、竹千代はよく夜紅の母屋を訪ねるようになった。時には一人で、時には家臣を連れて。


 夜紅も正親に剣術の稽古をして貰うようになった。木刀も相手もいなかった夜紅は一心不乱に稽古を受けた。それを見ていた竹千代が奮起し稽古には一層熱が籠る。二人は正親にとって良い弟子となっていた。


 この頃竹千代に従っていた家臣は九名。

 酒井正親、内藤正次の成人した武士の他に、石川助四郎、天野又五郎、阿部徳千代、榊原平七郎、平岩七之助、松平与一、鳥居彦助。…後々の重臣が混ざっていたのだが、いずれも元服前の童ばかり。竹千代の遊び相手でもあり、稽古仲間でもある。その者らが入れ代わり立ち代わり夜紅の家に上がり込んでは一緒に遊んで、学び、寝て、飯を食う。

 いつしか母の周囲は賑やかになり、母も笑顔が絶えなくなっていた。




 松平家の面々と打ち解けた頃、駿府の今川館にて当主の義元と密談をする関口親永の姿があった。


「三河の童の様子…どうであるか?」


 義元の小声での問いに親永も小声で答えた。


「我が息子、夜紅と仲良くなり日々楽しく暮らしております。」


「息子?お主の息子は二人ではなかったか?」


「は…西風と申す商家の娘との子で…。」


「ああ…あの借財の返済の代わりに置いていった娘か…。まあ松平の童にはそろそろ今川への忠義を植え付けてやらねばのぅ。」


 義元はそう言って部屋の中にいるもう一人の男を見た。男は既に老齢で袈裟を纏っており一目で徳の高い僧侶であることがわかる姿であった。


「…では拙僧が少し様子を見て見ましょう。折を見て門下で学ばせるのも悪くない。」


「雪斎に任せる。」


 義元の言葉に雪斎と呼ばれた老僧は頭を下げた。


「しかし、息子の夜紅なのですが、近ごろ妙に大人びておりまして…。」


「それは、女の味を知ったと申すか?」


「いえ、まだそのような歳では御座いませぬ。何やら達観した言動と言いますか、童らしからぬ落ち着きがあると言いますか…。」


 親永の言葉に雪斎が目を光らせた。


「ほう…面白そうな香りがしますな。」


「雪斎は何にでも興味をそそられる。ついでに見て来ればよかろう。」


 義元が投げ捨てるように言うと親永が言葉を続けた。


「雪斎殿に見て頂けるのであれば有難い。憑き物ではないかと思うておりました故…。」


 親永は夜紅に関するこれまでの経緯を説明した。この話には義元も興味をそそられた。


「して、その服部という浪人を雇いたいと申し出たと?」


「どうやら伊賀のほうから流れた浪人だそうですが、力仕事を任せる者が欲しいと。」


「実態は?」


「自分と自分の母を守る用心棒かと…。」


「…おおよそ童が考え付くことではないな。雪斎どう思う?」


「そうですな……。」



 大人たちの密談はなおも続いた…。




 夜紅は一人で外出する機会が増えた。このところ母の調子もよく、また松平の童家臣どもが母の相手をしてくれるようになり、自由な時間ができたからだ。

 今日も屋敷を抜け出し周囲を探索していた。というのも竹千代が越してきてから、妙な視線を感じていたからだ。それも一つや二つではなかった。今もわかりやすい風貌でトコトコと歩く夜紅の様子を伺ったりしている。夜紅のことを童だと思って舐めた監視だ。


 だがその中でひとり、明らかに他とは違う態度で夜紅を尾行する者がいた。みすぼらしい恰好をしているが物乞いではなさそうで、他の監視者からも隠れるようにして夜紅を観察しておりその動きも全く違う。かと言って敵意があるようにも見えず、少年はその素性が気になった。


「釣ってみるか。」


 夜紅は他の尾行者を撒くように細い路地へと向かい、その後人通りの多い街並みを駆け抜けた。思った通り他の尾行者はあっという間に俺を見失い路地内で右往左往し始めた。夜紅は自分を見失わずについてきているみすぼらしい男を誘導するように走り続け路地の角を曲がって素早く地蔵の陰に隠れた。男も角を曲がって少年がいないことに気づき、周囲を確認しながら地蔵の横を通り過ぎた。


「…何故に我を追いかけておる?」


 不意に死角から声を掛けられ男は硬直した。


「お主から敵意を感じられぬ故、こうして声を掛けておる…。我の何を測ろうとしておる?」


 男はゆっくりと振り返り、声の主が例の少年であることを確認して周囲を見渡した。


「某と話をするために、他の者を遠ざけましたな。…おおよそ童が思いついてとる行動には思えませぬ。」


 男はまるで独り言を喋っているかのように言葉を発した。顔は少年のほうへは向けずに在らぬほうを見ている。


「ほう、我を観察しておるのか。何故?誰の命?」


 少年の質問に男は黙り込んだ。何かを考えているがそこに悪意は見て取れない。


「……某、服部半三と申します。とある方の命を受け、三河の人質の子の様子を伺っておりました。」


 男は小声で素性を明かした。


 服部半三…年齢からして「半蔵正成」のほうではないな。父親のほうか?確かこの頃の服部家は徳川家のほうに再仕官していたはず…と言うことは、この男は岡崎の居残り組からの命令で竹千代の様子を伺っていたのか?…もう少し情報が欲しいな。


 少年は持っている知識をフル活用し男の名前から様々な想定を行った。男はその様子を見守っている。


「夜紅、そこで何をしておる?」


 不意に上から声を掛けられ夜紅と服部半三は驚いて見上げた。そこには塀の上から不思議そうに少年を見つめる竹千代があった。


「な、何を?」


 夜紅は思わず声をあげる。その横で半三はしゃがんで頭を下げようとした。


「半三!動くな!」


 咄嗟に俺は半三の動きを止め、半三は俺を驚いた表情で少年を見た。


「はんぞう?その素浪人の名か?何者だ?」


 竹千代が不思議そうに男を見た。


「そ、そうだ。屋敷の近くで物乞いをしておった。声を掛けたら働き口を探しておるそうだ。我のところは男手が居らぬから力仕事などができればと思い話を聞いておったのだ!」


 咄嗟に出た言葉。夜紅はこれでいいのかと思いつつもその場を取り繕う。竹千代はまじまじと男を品定めするように見て「いいのではないか?」と言って塀から頭をひっこめた。夜紅と半三は目を合わせた。暫くして竹千代を担いだ酒井正親が走ってきた。夜紅は半三の表情を伺った。半三は夜紅に視線を合わせ小さく首を振った後その場で狼狽える様相を見せた。


 演技か…その前の首を振った理由は?正親は成人した松平家の家臣。ある程度は岡崎にいる他の家臣とも面識もあるはず。しかし半三は狼狽える演技を見せている。これは演技をすれば素性はバレないことを示している。…これはこのまま通してみるか。


「夜紅殿!お一人では危のう御座る…と西風様より仰せつかり…。」


 正親は息を切らせて二人の前で止まる。


「母の言いつけとは言え竹千代殿を連れて来られては…「我が連れてけと言った!正親は悪くない!」」


 夜紅が正親を質そうとすると竹千代が口をはさんだ。見ると頬を膨らませている。


「竹千代殿は我と立場が違います。直ぐに戻られよ。」


「お前も一緒に戻れ!」


「我はこの者と話が残っております。」


「屋敷ですれば良いではないか。男手が欲しいと言っておったのだし。」


「まだ決まっておらぬ!」


「良いではないか。それよりも人を雇う銭はあるのか?何なら我が都合付けてやるぞ。」


 竹千代の言葉に夜紅はむっとした。


「あるわ!最近、父上が割と融通してくれておる!この男ぐらい雇えるわ!」


 夜紅の返事に竹千代はにっこりとした。


「なら決まりだ。はんぞう?だったか。ついて参れ。夜紅殿の御母上を紹介してやる。」


 そう言うと竹千代は正親の腕を引っ張り合図を送った。正親は申し訳なさそうに少年に頭を下げ踵を返した。夜紅は半三と顔を見合わせた。


「…こうなっては仕方あるまい。聞きたいことはあれど一先ずついて参れ。あと、竹千代殿に付いている連中で見知ったものはおるか?」


 夜紅の質問は半三の想像を超えていたようで驚愕の表情となり躊躇いの表情に移った後に意を決した目を見せた。静かに首を振る。


「本当だな?…あとそうコロコロと表情を変えるな。伊賀の上忍の名折れになるぞ。」


 半三はまた驚いた表情を見せたが今度は直ぐに無表情に戻した。


「…本当に貴方には驚かされます。」


 それだけ言うと黙って夜紅の後ろに立った。「失礼」と言うと夜紅を抱え上げ正親の後を追って走り出した。



 屋敷への帰り道。半三に抱えられながら彼にしか聞こえない声で夜紅は話しかけた。


「はいかいいえで答えよ。…駿河に住まいはあるか?」


「…いいえ。」


「三河では誰に仕えている?岡崎の者か?」


「…。」


「沈黙は罪だ。答えよ。」


「はい。」


「竹千代殿の様子を岡崎に伝えるのが役目か?」


「…はい。」


「あの者らに顔見知りがいないのであれば、我に雇われて近くにいるのが都合が良かろう。違うか?」


「………はい。」


「ならば我に仕えよ。幾らか給金は出してやる。我も情報が欲しい。お前…いや服部一族の力で我を支えよ。」


 男は黙り込んだ。見上げると考え事をしていた。夜紅は黙って半三が言葉を返すのを待った。暫く走ったところで立ち止まった。そして少年の目をじっと見つめた。


「…貴方はいったい何者に御座いまするか?」


「……竹千代殿の“友”だ。…あ奴をこのまま人質のままで終わらせとうない…そう思っている。だが、我には力がない。銭がない。情報がない。動かす家臣もおらぬ。だから半三の力が欲しい。」


「…貴方は某をどのくらい知っているのですか?」


「多くは知らぬ。これから教えてくれ。」


「……某は岡崎からも命を受けております。」


「続ければ良かろう。」


「某に二君に仕えよと申されるか。」


「違うな。お主が仕えていたのは竹千代殿の祖父であったはずだ。今は岡崎の連中がお前を利用しているにすぎぬ。」


「……。」


「まあいい。決心がついたら我に言え。それまでは今の命を遂行するために我の側にいればよい。」


 夜紅の言葉に半三は黙っていた。幼い童から「お前が欲しい」と言われて心動くような安っぽい男ではない。松平家への御恩もある。だがそれ以上にこの胸に抱える少年に惹かれる何か…半三はその何かに心を揺れ動かされていた。




 後に夜紅は関口親永に母屋での力仕事を任せる人足の費用を要望し、特に家臣の反対もなく承認される。後で知ることにはなるがこれは今川義元の意向であったため、竹千代と意気投合している夜紅を優遇するための措置であった。

 義元の狙いは松平宗家の当主に今川家への忠誠を誓わせ家臣化し三河一帯を手中に収めることで、その布石の一つとして夜紅が利用されていた。




 ある日の昼下がり。


「おい、はんぞう!こっちへ来て薪を割ってくれ!正次の奴がへばってしもうた!」


 竹千代が半三を呼ぶ。半三はどうしていいかわからず西風を見る。西風は苦笑している。夜紅は堪りかねて大声で怒鳴った。


「竹千代殿!半三は我が雇っておるのだ!いちいちそちらの薪割りなどできぬ!」


「良いではないか。困ったときは助け合うものだ。」

 夜紅は項垂れた。竹千代は言い出したら聞かない。「良いではないか」と言って済まそうとする。


「半三殿、行って差し上げなさい。」


 半三の雇い主は西風である。雇い主から言われれば否とは言えず「は」と返事をして竹千代の屋敷へと走っていった。


「母上は竹千代殿に御甘い。つけあがりますぞ。」


 夜紅は西風に小言を言う静もうんうんと頷く。西風はくすっと微笑んだ。


「竹千代君には母がおりませぬ。ここで私が母替わりをするのも立派なお勤めです。」


 そう言われると返す言葉もない。夜紅は複雑な気分で半三をこき使おうとする竹千代を睨みつけた。


「最初はそうでもなかったのに…。最近やたらとなれなれしくやりたい放題だ。大人になれば苦労するぞ。」


 夜紅の毒づきに西風はまたくすっと笑った。


「夜紅…貴方はその歳で大人以上に聡い。竹千代君がこの先踏み外さぬよう貴方が導いて差し上げなさい。」


 母の言葉に困惑した表情で夜紅は聞き返した。


「それは人質(・・)としてですか?松平家の当主としてですか?」


 息子の質問に母は少しだけまじめな顔をして答えた。


「…両方です。」




 天文19年。


 二人の少年の仲は西風という女性を通じて深まりつつあった。


 竹千代9歳、夜紅7歳である。



今川義元

 駿河守護。治部大輔。“海道一の弓取り”と謳われた戦国武将。松平宗家の跡取りを人質として手に入れたことで三河を手中に収めるために竹千代を家臣化しようと目論んでいる。


関口親永

 夜紅の実父。このところ竹千代と仲いいことを知り、竹千代家臣化計画のために夜紅の待遇改善を進めている。


太源雪斎

 臨済宗の僧侶。今川家の家臣で義元の教育係を務めていた。現在は今川家のブレーンとして義元への助言を行っている。何にでも興味を持つ知りたがり。


服部半三保長

 松平家臣。伊賀の千賀地家の出身で一時は北面武士として京にいた。その後三河に流れて松平清康に仕えるもその死後に松平家を出奔。しかしながら生活の糧に再び松平家に仕えるも待遇は底辺となっている。


酒井正親

 松平家臣。現在は竹千代の足替わり。


内藤正次

 松平家臣。ぐぐってもぐぐっても情報がほとんどなく人物不明。してがってセリフ無しのモブ扱い。


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