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13.二人の桶狭間(後編)

今話で第二章完結です。

次話からは、徳川家康の話になっていきます

・・・ストックがないので投稿までに時間がかかると思います。

ご了承くださいませ。



 今川義元の敗報は5月22日になって駿府に届いた。一報を聞いた氏真はあまりの衝撃にその場に倒れ伏したと噂が広まった。駿府の今川館は大混乱に陥り関口親永ら重臣が今川館の氏真に面会を求めた。だが、氏真の小姓は重臣らの面会を全て断った。



 永禄3年5月23日。


 氏真は近臣たちを呼び出した。集まった者らは幼少より小姓として仕えていた者、駿河国内の名門出身の者、氏真によって奉行衆に取り立てられた者…所謂氏真派ばかりである。


「父が織田信長に討ち取られた。戦に従った多くの者も討死している。…今川家は父を始め多くの先々代からの重臣を失った。」


 氏真は集まった者らに語り掛ける。だが近臣たちは反応に戸惑った。氏真は笑っていたのだ。


「織田家には感謝せねばなるまい。儂にとって邪魔な存在が…一気にいなくなったのだからな。」


 嬉しそうに話す氏真は今後について側近らに説明した。


「父の側におった者らが儂に面会を求めているが今はすべて断っておる。内務関連は混乱を来して居るが此れは一時のこと。この間にその方らで内務諸事を片して実績を作り、老臣どもは不要だと思わせるのだ。」


 氏真派に具体的な指示も出した。朝比奈元長に敗残兵の受け入れに大井川まで向かわせるよう命じ。義元の重臣らを集めて、今川家の惣領として氏真に忠誠を誓う誓紙を書かせる。奉行衆を充実させるために自分の小姓を新たに登用するなどを指示した。

 一通りの指示を出すと一旦側近らを下がらせた。その場には関口氏幸、道秀兄弟、大原与次義鍾、安藤定正は氏真の側に残る。彼らに氏真は内々の命令を出した。


「朝廷と幕府に働き掛けよ。儂に相応しい官職を出すようにな。今川家は足利家に連なる名門。下々の争いなどに振り回されることなく堂々と駿河を統治せしむる大名として諸国に見せつけねばならぬ。武田にも北條にも書状を出すのだ。」


 氏真の命に短く返事して彼らは退出した。氏真は一人になり声高に笑う。


「こうも早くに儂の時代が来るとはな。織田信長とやら…感謝するぞ。これからの世は武力ではなく、名門武家による全国統治を行い、幕府による権威、朝廷より与えられし官位に基づき、国を、民を統治するのだ。この氏真が発起人となり朝廷や幕府に働き掛け、守護大名の配置を見直し、足利将軍家を補佐する…何なら足利家に替わって将軍職を務めてやってもいい。何せ儂にはその資格があるのだからな。」




 永禄3年5月21日。


 岡崎城外では瀬名隊五百が野営をしていた。既に今川家から派遣された城代とその取り巻きらは岡崎城から脱出して東に逃げており、本丸はもぬけの殻。その本丸の広間にて氏俊、氏広親子は朝から質疑を受けていた。

 昨晩の間に沓掛から撤退した服部半三、大久保忠員によって今川義元討死については明らかになっており、彼らも夜次郎の文をもって岡崎に来ていることから、鳥居忠吉の瀬名家への疑いはほぼ晴れていた。今は此処で元康を待つ理由を問われていた。


「…瀬名様は今後どうされるおつもりで?」


「蔵人佐殿と話をさせて頂きたい。蔵人佐殿が岡崎に留まり今川家から独立されることを確認したうえで…二俣に戻る。」


「独立…?」


 忠吉は義父である氏俊の表情を伺う。夜次郎の言葉を聞いた氏俊は驚いてはいなかった。初耳ではあるが予想ができたからだ。そしてそれが瀬名家として生き残る為の手段であることも想像できたからだ。

 夜次郎は今川家の内情を忠吉に説明した。氏真は新しい今川家当主としての組織改革を進めるはず。その新しい組織に不要なのは義元の代の重臣たちで、彼らを対三河への防衛役として充てられるはず…。つまりは駿河からは遠ざけられるのは見えていた。ならば自分たちに都合のいい形で駿府から遠ざかるほうが良い。それには松平家の存在が必要だ。対三河への防衛役として遠江に構えれば氏真と距離を置くことが可能。そして都合よく瀬名領は遠江に存在する。そこまで言って大久保忠員が膝を叩いた。


「つまり我々と内々に軍事的な同盟をされたいと?」


「それは互いに制約を課することになろう。互いの立場を黙認する程度で良いと考えている。」


 正式な文書での取り交わしは行わない。だが、立場は尊重し合おう…の意味合いだ。


「今川方の臣で遠江、三河に領地を持つ他の方々も同じような立場で御座いましょうか?」


 忠吉は周辺の今川家臣について尋ねた。夜次郎は首を振った。


「それについてはわからない。追々確認はしていくが…。」


 この内紛は駿河対三河遠江といった国単位ではなく、義元派と氏真派である。今の夜次郎では誰が義元派で誰が氏真派なのかを把握できていなかった。


「殿が御帰還あそばされました!」


 周囲がどよめき、岡崎衆の面々は衣服を正して座する位置を改めて平伏して待った。甲冑の擦れる音と共に松平元康がやって来て上座に着座した。


「お帰りなさいませ。」


 鳥居忠吉の声に岡崎衆は一斉に頭を下げた。氏俊と夜次郎は元康の家臣ではない為着座したままだった。


「…城外の兵は瀬名殿の兵であったか。久しぶりよのぅ…夜次郎殿。」


「蔵人佐殿もご苦労様でした……如何されたのです、その痣は?」


 夜次郎の言葉に岡崎衆らが慌てて顔を上げた。元康の頬は紫色に腫れあがっており、顔の形が変わっていた。余りの腫れ具合に彼の左眼は塞がっていた。


「ど、どうされたのですか!」


 大久保忠員が片膝を立てて立ち上がろうとした。元康は手で制した。


「親正に殴られただけじゃ。」


 その瞬間、部屋の端に着座する小姓衆らに怒気の視線が向けられた。


「…どうせいつものように我儘を言って家来衆を困らせたのでしょう。……大高から出とうない、とでも申したのでは?」


 夜次郎は家臣たちが騒ぐ前に制するように発言した。元康は鼻で笑った。


「…夜次郎は、我のことがよくわかっておるのぅ。」


「我らは同じ“母”に育てられ申した。云わば“兄弟”に御座る。ならば私が此処で蔵人佐殿をお待ちしていた理由もわかりましょうや?」


 夜次郎は敢えて自分と元康は近しい存在であることを強調して尋ねた。だが元康は無言だった。暫くして口を開いたが出てきた言葉は違う内容であった。



「…我らは大敗したのか?」


 元康の言う“我ら”とは今川のこと。それは元康が今川家の家臣としての言動である。岡崎衆の面々の表情が曇った。


「今川は織田に負け申した。はっきりとはわかっておらぬが多くの重臣が討ち取られたはず…。だが松平は負けてはおらぬ。」


「…なにが言いたい。」


「蔵人佐殿は岡崎に残られよ。織田の侵攻に備えるためと称すれば別段怪しまれぬ。」


「駿河に帰る。」


「御止めなされ。今戻っても蔵人佐殿の後ろ盾となる治部大輔様はもう居られぬ。肩身の狭い思いをするぞ。」


「…妻子も居るのじゃぞ。」


「諦めなされ。それが戦国の世の倣いじゃ。」


 夜次郎の言葉に元康は拳を握り締めた。


「戦国の世の倣い…此処へ来る途中、何度も本多忠真に同じ言葉を言われた……。戦国の世の倣いとはなんじゃ?」


「今は何処の国でも自家の領地を守るため、自分の支配する領土を広げるため、自身の力を隣国に知らしめるために幕府や朝廷の意を得ずして戦を行っている。…弱き者は強き者に食われる世なのだ。主家への恩や妻子に囚われ自家を蔑ろにすれば…「黙れ!!!」」


 元康は怒鳴った。


「…貴様は前からそうであった。淡々と周囲の状況を読み、感情に浸ることなく物事を進めていく。西風殿の時もそうであった。涙ひとつ見せずにさっさ葬儀を済ませ、治部様に取り入ったかと思えば、瀬名家の養子としての責務をこなすべく我を置いて遠江へと…」


 夜次郎は座したまま前へ進み出た。


「私が母の死を悲しまなかった?私が竹千代を蔑ろに遠江へ行った?…世迷言も大概にせい。」


 夜次郎は怒っていた。誰の目にも明らかであったそして殺気も込められていた。石川家成と酒井忠次が元康の危険を察知して立ち上がろうとした。


「夜次郎、落ち着け。」


 これまでずっと黙っていた瀬名氏俊が口を開いた。その瞬間夜次郎は我に返りこみ上げるものを押し殺して一歩下がった。


「松平殿、我が義息夜次郎と貴殿には一方ならぬ友諠が御座ろう。それだけに些細なことで剣呑な雰囲気にもなろう。我らは此れで辞する。我らの思いは既に家来衆に伝え申した。返事は明日にでも頂こう。」


 氏俊はその場を収めた。元康は腫れる頬を撫でつつ了承を示す頷きを見せる。氏俊と氏広は酒井正親の案内で城外へと出た。正親の表情は沈んでいた。恐らく主を殴ったことを気にしているのであろう。


「酒井殿、お主もなかなかやりましたな。殴ってでも蔵人佐殿を岡崎まで引っ張ってくるのだから。」


 夜次郎の言葉に正親は悲し気に微笑んだ。


「某もどうかしておりました。殿は根に持つお方…理由はどうであれ自分を殴った某を許さぬでしょう。某は早々に隠居して殿の許しを請い、雅楽頭家は息子に託そうと思いまする。」


 夜次郎は脳内の記憶を辿った。確かに雅楽頭家が台頭するのは正親の孫の代…これだけが理由ではないだろうが、そういう経緯もあったのかと思った。


「それは私は関知できぬこと。だが誰もお主の行動は間違っているとは思うておらぬ。早まるようなことはせぬように。」


 そう言って夜次郎は去っていった。




 今川軍敗走後、織田軍は徹底した追撃を行い多くの今川方の将を討ち取った。しかし、鳴海城の岡部元信だけは織田軍を撃退し続け、遂には義元の首返還を条件に鳴海城引き渡しの交渉に成功した。

 元信は主君の首を掲げて駿河に向けて帰還し、その道中で刈谷城を攻め落とした。


 氏真は帰還した岡部元信の面会を受けた。元信は恭しく義元の首の入った桶を差し出し、敗戦について詫びた。


「元信!よくぞ父、義元の首を持って帰って参った。これでえ儂が後継者として公に父の葬儀ができる!…其方には本領である駿河岡部領を安堵致す。感状も出してやろう!」


「はは!有難き幸せ!」


 元信は家臣らしく返事をしたものの、氏真に違和感を感じた。


“敗戦よりも、父の死よりも、前当主の首のことを喜んでおられる…。やはりあの噂は本当だったのか。”


 謁見の後、元信は関口親永に噂について聞いた。親永は周囲を確認しつつ小さく頷いた。元信は納得して自領へと帰っていった。受け取った感状を使う日が来ないことを祈りつつ。




 義元の葬儀は氏真を喪主として盛大に執り行われた。その後は元信を始め多くの義元派の重臣が領国運営から遠ざけられていった。義元派の多くの諸将が今川家中で自家の安泰を求めて隠居して家督を氏真派に属する息子に譲った。そしてそれは今川家の領国経営の不安定さと各国への影響力の低下を招くことになる。


 瀬名家は氏俊が隠居を願い出て家督を実子である氏詮に譲り、二俣の分領は氏広を城代として運営することにした。氏広は城代としての務めを真面目に行い、定期の報告を欠かさず本家の氏詮に行い、周辺の情勢や国内の状況を本家側で把握できるようにした。


 一方松平元康は岡崎に留まり周辺国人との関係強化に努めた。駿河の今川氏真には「織田家の侵攻を西三河で食い止めるべく岡崎に残って松平分家の者共と連携を計る」と書状を送った後、駿河からの命令を無視するようになった。



朝比奈元長

 今川家家臣。親徳の子で後に「信置」と改名。


安藤定正

 今川家家臣。氏真の小姓からの出世組。


大久保忠員

松平家家臣。清康の代から仕える重臣。


今川氏真

 今川家当主。名実ともに今川の統治者となるべく近臣らを奉行衆らに登用し、義元派の重臣らを今川家中枢から遠ざけつつある。


松平元康

 松平家当主。家臣に殴られながらも岡崎に残り西三河を統一すべく周辺国人への働きかけを始める。


瀬名氏広

 遠江二俣城城代。瀬名家分領の統治を任され遠江に滞在。本家への報告をこまめに送っている。



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