128.関ケ原(戦局三転)
定期投稿で二話連続投稿です。
いよいよ関ケ原の合戦完結です。
慶長5年9月16日明け方、徳川方と石田方の戦が始まった。初手を取ったのは鶴翼の陣を敷いて石田方を迎え撃つ態勢を整えるべく各部隊を動かしていた徳川方の第一陣、第二陣の最左翼から飛び出した井伊直政隊であった。直政は娘婿である家康四男の松平忠吉を引き連れ最前線に密かに立つと、近づきつつある宇喜多秀家の騎馬隊に鉄砲を浴びせかけた。
霧掛かる茂みに轟く銃声は此処に展開する全ての部隊に緊張を走らせた。慌ただしく伝令兵が動き回り、宇喜多隊からも返しの銃声が轟く。続いて宇喜多隊の騎馬兵三千が颯爽と全身を開始した。
井伊隊は鉄砲を撃ち尽くすとさっさと部隊を引かせる。既に鶴翼の陣は出来上がり、敵を奥深くに誘い込む罠が完成していた。
「黒田殿、筒井殿、後はお頼み申す。」
井伊直政は味方の陣を通り過ぎる際に、右翼と左翼を固める、大名に声を掛けた。そして自身は忠吉を引き連れ一番奥まで引いて行った。そこには、徳川軍本隊の掲げる馬印が石田方に見せつける様に建てられていた。
「井伊隊、松平隊御帰還!」
小姓の大声が響き渡り、陣幕に二人の勇将が入って来た。
「小平太、でかした!忠吉も良くやった!」
陣幕の中央で黒い陣羽織に身を包んだ徳川家康が入って来た二人を褒め称えた。
「先陣の功、見事取って参りました!既に敵兵は全面に展開しつつ御座います!」
井伊直政が戦況を報告し家康は満足そうに頷いた。
「福島隊に藤川方面から敵の南に回って攻め立てる様下知を飛ばせ!」
家康の命令で小姓が出て行く。家康は命令を続けた。
「小早川秀秋に合図を!」
永井直勝が勢いよく返事して出て行く。家康は既に小早川秀秋を調略済であり、絶好のタイミングで寝返らせるべく機会を窺っていた。そして遂に合図を送ったのだった。秀秋は三成の指示に従わず松尾山に停滞していた為、石田方の最後尾に位置する場所に陣取っていた。秀秋が寝返れば、北国街道側、中山道側、共に徳川方の兵で封鎖する事になり、石田方は三方から囲まれる形になった。
陣取りは一気に家康有利な形に変化した。そのことにまだ気づいていない石田方は次々と部隊を戦場に送り込んでおり、宇喜多隊を先頭に小西隊、平塚隊、蒲生隊、島隊と長い縦形の陣が出来上がっていた。
石田方の兵は徳川方の鶴翼陣に対応すべく宇喜多隊を頂点に左右に展開し始める。だが黒田隊、筒井隊が左右から鉄砲矢を浴びせて圧力を掛け、展開を中途半端な形で妨げた。
苦戦を始めた石田方に対して追い打ちを掛けようと、福島隊、藤堂隊、京極隊が南から攻め寄せたが、大谷吉継が駆け付け福島正則らを追い返した。更には緒川祐忠が追撃を仕掛け、一時福島隊が混乱に陥った。そこへ本多忠勝が駆け付け、小川隊を追い返し、何とか陣形の乱れは収まった。
敵が陣形を立て直し始めたのを見て、大谷吉継は一旦引く様軍配を振る。だがそこに後背からほら貝の音が響き渡った。響き渡る馬蹄のする方に振り向くと、小早川の旗を掲げた騎馬隊が山から駆け下りて来るのが見えた。吉継は一瞬味方の到着と見間違えた。だが直ぐに駆け下りて来る小早川兵の穂先が自分達に向いている事に気付く。
「小早川め!寝返ったか!」
吉継は直ぐに軍を前進させた。背後から勢いをつけて向かってくる敵に自軍を回転させ迎え撃つ余裕はない。そのまま前進して前方の敵に突き進み、北国街道側に向きを変えつつ戦線から離脱するのが最も安全と判断したのだ。大谷隊は京極隊に突撃しつつ左へ展開しながら小早川隊の追撃を躱した。京極高知は思わぬ突撃を受け浮足立ち、陣形が乱れた。
「ちっ……今度は京極か!」
前線の状況を見張っていた本多忠勝は今度は京極隊の支援へと馬を走らせた。その隙に大谷隊は小早川秀秋の突撃を躱して離脱する事に成功した。
「申し上げます!小早川秀秋、朽木元網、脇坂安治が突如として我らに刃を向けなん!」
秀秋寝返りの報は直ぐに石田三成にももたらされた。三成は唇を噛み締める。更に悪い知らせが続く。
「申し上げます!北より前田利長の軍勢!」
これには周囲に動揺が走った。中山道側は寝返った小早川勢が、北国街道側には援軍の前田勢が。石田方は退路を断たれる形となったのだ。三成は直ぐに状況を整理し対策を検討し始める。既に前方に軍を展開し、彼らを反転させることは難しい。かと言って残っている兵で後背の敵に対するのは兵力を分散させることに繋がる為、愚策であった。
「…前に進むしかないか。」
この時、軍略に明るい島清興は前線に出ており傍に居なかった。清興が居れば違った対応があったかもしれない。だが三成では前に進む以外の案は浮かばなかった。
「このまま全軍を前に進める!家康の首を取れば形勢は幾らでも逆転できる!後背を牽制しつつ中山道を東へ進軍せよ!」
三成は声を張り上げて味方を鼓舞した。辛うじて味方の士気低下は留まったものの、劣勢に立たされたことには変わりはない。石田方としては犠牲を厭わず敵の敷く鶴翼の陣を突き破り、家康の首を取りに突き進むしかなかった。
日が昇り朝霧が晴れていく。此処で石田方は致命的な問題に気付いた。自分達は日に向かって攻め込んでいる。日の光が正面から照らされ眩しくて視界が悪いのだ。弓矢、鉄砲は当然の如く、槍や騎馬さえも日に向かっての戦闘は困難であったのだ。当然集団による攻撃力は衰える。それでも敵を蹴散らし前進せねば活路は無い。石田方の兵は誰が唱える訳でもなく死に物狂いの号令が掛けられた。
やがてその必死な突撃が石田方の最前線全面に伝わり、衰えた攻撃力が復活する。石田方の攻撃の激しさが増したことを感じ取った徳川方の前線諸将は自然と後退する事になった。少しずつ鶴翼の陣幅が広がり、石田方の目の前に家康の本陣が見えて来る。
「家康の旗印!見えたぞ!」
宇喜多秀家が声の限りに叫んだ。諸将は家康の首を取らんと我先にと前に突き進んだ。
「宇喜多勢が前面に現れました!」
家康本陣でも敵影を確認する。家康は立ち上がって陣幕から外を眺めた。歓声と罵声と嘶きの聞える先に宇喜多の家紋が見え隠れする。家康は拳を握り締めた。
「まだだ!引き付けよ!」
家康の号令で、本陣は自陣の前に鉄砲兵を展開する。一斉射撃が行われバタバタと人が倒れていく。それでも敵は怖気ず此方に向かって進んでいた。
「次弾装填!」
鉄砲頭の声に鉄砲兵が玉を込め始める。
「殿!お下がり下され!此処は長坂九郎が受け持ちまする!」
長坂信宅が前に進み出るが家康は彼の腕を掴んで引き戻した。
「お主は儂の隣で見ておけ!次弾を撃ったら少し下がる。…その後は判っておろうな?」
家康の囁きに信宅は汗を垂らしながら後ろを見た。秀忠の軍勢はまだ視界に入らなかった。
「間に合わなければ…」
「間に合う!お主は黙って儂の隣に居れ!」
家康も気持ちが高ぶっていた。怒鳴りつける様に信宅を落ち着かせじっと前を見据えた。
「…囲みはうまくいった。後は引き付けるだけ引き付けて精鋭をぶつけるだけだ。」
家康は自分に言い聞かせるように呟き前方の敵兵を見つめた。
昼になり、徳川軍の陣形が崩れ始めた。加藤嘉明隊、筒井定次隊は大打撃を受け、戦線を離脱した。空いた場所は寺沢広高隊、金森長近隊で埋めるも劣勢は覆せず、徳川方は押し込まれて行った。陣形的には徳川方が優勢であったが、局地的な勢いは石田方が優勢であった。
「行け!今こそ家康に組した奴らを殲滅する好機ぞ!進め!進め!」
石田三成家臣の蒲生頼郷は陣頭に立って足軽を鼓舞する。従う兵は死に物狂いで槍を突き出し弓矢を射掛け敵は後退していく。興奮が興奮を呼び、蒲生隊は野獣の如く猛進していった。そこへ槍を振り回しながら島清興が到着した。
「喜内!前に出過ぎぞ!宇喜多殿と連携して敵を押し込めるのだ!」
清興の声に頼郷は後ろを振り向く。そこには度重なる銃撃を受け、勢いを落とした宇喜多隊が遅れて迫っていた。
「左近殿!宇喜多殿を下がらせよ!足手まといに御座る!」
「駄目だ!そのうちお主が集中砲火を浴びるぞ!下がれ!」
「今下がるなど笑止!左近殿こそ我に付いて来い!」
頼郷は身振りで手招きすると敵兵に再び身体を向けた。
「…ぐっ!!」
振り返った瞬間、頼郷の胸に矢が吸い込まれる。
「喜内ーっ!」
清興が声を張り上げ駆け寄り、倒れ掛かる頼郷を支えるも、頼郷は既に意識を混濁させていた。
「引け!引けーっ!」
清興が力の限り叫び、蒲生隊の乱れを治めようとする。だが大将の討たれた部隊は一斉に勢いを無くし、あっという間に徳川方が優勢となった。徐々に崩れていく石田方の最前線。だがそこに大谷隊が駆け付けた。
「左近殿!お下がり下され!後は我らが引き受けまする!」
大谷吉継の子、吉治が兵を引き連れ前に立った。清興は頼郷を馬から引きずり降ろして後方へと下がっていく。石田方の最前線は大谷隊によって辛うじて死守された。
小早川秀秋の追撃を振り切った大谷隊に戦線到着で石田方が再び押し始めた。寝返った小早川、朽木、脇坂隊は連携不足に乱れを生じさせ、小川隊の伏撃を浴びていったん後退していた。その間に大谷隊が最前線に移動できたのである。
石田方のほぼ全軍が徳川方の鶴翼の陣に攻撃を仕掛け、徳川方は更に後退した。既に家康本陣は視界に入る距離にまで詰まっており、最後尾の石田三成にもその旗印が見えた。
「…勝った!」
三成は歓喜の声を上げた。既に蒲生頼郷、河尻秀長といった将が討死している中、家康の首を取る所に指が掛かったのだ。小西隊、宇喜多隊、大谷隊、木下隊も兵を損ないながらも部隊としては何とか維持していた。南宮山の味方がどうなったのか三成では判らない。だが敵の動きに合わせた総攻撃は成功したと確信していた。
…戦場の空気が変わった感覚が三成の全身を襲った。いや、三成だけではなかった。前線を維持する宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継も同じ感覚を受けた。
鉄砲の音が止み、矢の雨が降り止んだ。敵方の歓声が遠くになり始めた。鶴翼の両翼が外側に開き始める。全体的に敵兵が自軍から遠ざかり始めた。そして視界の正面にはっきりと家康本陣が姿を現したのだ。
「家康…!!」
三成は軍配を掲げ突撃を命じようとした。三成の目前で本陣が二つに割れる。そしてその奥から砂煙を舞い上げて何かが自軍に向かって突き進んで来た。
砂埃は家康本陣の横をすり抜け、やがてその姿が視界に入って来た。騎馬兵が見え槍を振りかざす足軽が見え、旗持ちが見えた。
「…真田……?」
先頭を走り迫って来る集団が掲げる旗には、真田の六文銭描かれていた。旗印が見えた瞬間、三成は全てを察した。上野に所領を持つ真田家の旗が此処にあると言う事は、徳川方の別動隊が到着した事を意味していた。
「まさか…家康は此れを…待っていたのか?」
三成は家康がこの戦で取って来た各隊の動きが何の為にあったのかを理解した。
「この為に…この別動隊を主力として戦場に投入する為に、此処まで我らを誘い込んでいたのか!」
三成は雄叫びを上げた。迫りくる別動隊の先陣を前に、敗北を悟ったのだった。此処まで善戦していたが、自軍には既に余力はない。限界まで絞り出して家康を追いつめていたのだ。家康に打ち勝ったと思っていた。だが実際は違っていた。全て家康の思い通りに動かされていたのだ。此処に来て無傷の新勢力追加は、石田方の将兵に精神的絶望と肉体的疲労を一気にもたらした。家康を追いつめる為に全力を使い果たし、もう彼らを迎え撃つ力は全く残されていなかった。
慶長5年9月16日昼過ぎ、関ケ原での合戦は徳川秀忠率いる三万が戦場に割って入った事で、一気に終息へと向かって行った。