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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第九章:望まぬ天下の光
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127.関ケ原(いざ決戦)

二話連続投稿の二話目です。



 慶長5年9月15日、史実では早朝から東西両軍が関ケ原に布陣し天下分け目の大戦が行われたが、この世界のこの日は違っていた。史実と同じく霧の立ち込める朝ではあったが、徳川方の姿は無く、静けさだけが周囲を覆っていた。


「……先の知らせから考えれば、もう敵が来てもおかしくはない。…殿、もう一度物見を出しては如何で御座いましょうか。」


 傍に控える島清興が進言すると大将である石田三成が首を振った。


「既に出している。間もなく戻って来るであろう。…相手はあの家康だ。どこかで進路を変えておるやも知れぬ。」


「流石は殿…ですが此処を迂回すれば別の場所で挟撃される事は分かっているはず…」


 清興は霧にまみれた景色を眺めながら考えに耽り、やがて何かを思いついた。


「もしや、敵は南宮山に的を絞ったのかも知れませぬ。」


「二万を超える山の布陣へか?兵法の常道に照らし合わせても合点がいかぬ。」


「誰かが調略を受けておるやも知れませぬ。」


「ふむ…念の為各陣中に使者を送った方が良いか?」


「それが宜しいでしょう。特に吉川殿は徳川家とは昵懇にされております。お気を付け下さりませ。」


 三成は清興の側を離れ小姓に指示を出し始めた。清興は再び目の前の景色に目を移して周囲の気配を探った。

 徳川方の動向は午後には三成の下に届けられる。吉川広家の使者からの報告と物見の報告を照らし合わせ、徳川家康は垂井城を占拠して、吉川広家、安国寺恵瓊と対峙するように陣を敷いた。その数凡そ四万に上り、広家からの救援要請が三成に届けられた。だが、石田方はその要請に応えるのは難しい状況にあった。

 徳川方は関ケ原の手前、大高の付近に約一万五千、十九女(つづら)池の手前に一万二千の兵を配置して石田方の動きを監視していた。霧は完全に晴れ視界が良好になり、ようやく両軍大軍勢が対峙する。




 9月15日昼、美濃国垂井城家康本陣。


「第一陣より、敵兵を確認したとの知らせが。」


 本陣に従軍している酒井忠勝の報告に家康が頷いて状況を確認する。


「陣容はどうなっておる?」


「は!関ケ原を囲む山々に凡そ八万ほどが陣を構えておりまする!」


 想定通りの報告に家康がもう一度頷く。


「では予定通り、敵を釣り上げよ。多少の犠牲は構わぬ。引き時は平八郎の采配に任せる。」


 忠勝は返事をして小姓に指示を出す。家康は軍配で膝を何度か叩き、焦る思いを抑えようと試みた。


「……やはり儂も落ち着く事ができぬ様じゃ。吉川の陣に動きはないか!」


「吉川勢に動きなし!安国寺勢は東に展開しつつあり!」


 忠勝が物見からの知らせを報告する。家康はすぐさま立ち上がった。


「安国寺勢の動きを抑えよ!彦右衛門、二千の兵を持って島津勢と共に行け!」


 鳥居元忠が勢いよく返事して出て行く。家康の落ち着きはまだ戻らなかった。作戦は順調に進んでいる。だが此方の想定通りに進むとは限らないのだ。できる限り注意を払い、わずかな情報をも見逃さず対処しなければならないのだ。家康は何度も自分に言い聞かせ、物見の報告を待った。


 一刻ほどして、吉川広家の陣に向かっていた伊奈忠次が戻って来た。家康は陣幕に入って来た忠次を立ち上がって出迎えた。


「よう戻って来た!して、吉川殿の返答はどうであったか?」


「はは!以前からのお約束通り此処から動かず、内府殿と刃を交えぬ振る舞いを続ける…と。」


「足りぬ!……申したか?」


「申し上げましたが、当初の約束と違うと腹を立てられておりました。」


「良い、再度使者を送る。次は弥八郎を行かせよう。…狙いは時を稼ぐだけじゃ。何を言われようが要求を続けよ。」


 本多正純が返事をする。家康は昨日の夜から使者を変えて何度も吉川広家の調略を行っていた。家康は判っていた。広家が寝返って徳川方に付く事はない、と。彼は一国を預かる大名ではあるが、実際には毛利輝元に仕える毛利家の重臣。輝元の意向なく単独で寝返るような真似はするはずが無かった。かと言って三成嫌いの広家は主家が三成の言いなりになるのを良しとせず、密かに主家安泰を計って家康と不戦の約儀を交わしていた。家康は更に広家に要求を突きつける事で時間を稼ぎ、南宮山付近に陣取る石田方の動きを封じていた。


「果たして釣られるか……第一陣の動きに釣られれば、両軍の陣配置の中心がずれる。ずれれば陣取りは三成有利ではなく、この家康有利になる。…この一戦で全てを終わらせるのだ。完膚なきまでに叩き潰すのだ。」


 家康は自分に言い聞かせるように呟いた。そしてすっかり短くなってしまった指の爪を噛みしぎった。



 9月15日夕方、痺れを切らした福島正則が石田方の陣営の正面まで兵を動かして三成を挑発した。だが石田方は殿人も動く事は無く、その後も再三にわたって徳川方の大名が隙だらけの動きを見せたものの、動かないまま日没を迎えた。敵は明らかに罠に誘い込む為に関ケ原の手前に陣取っている事は三成も判っていた為、各隊には挑発乗ってはならぬと厳命していた。


「敵の誘いに乗ってはなりませぬ。我等はこの有利な位置を保ち続け、近江からの援軍を到着を待って攻め込めば良いだけです。」


 島清興の言葉に三成も頷く。だが三成には不安があった。それは南宮山の動きである。徳川方の圧力或いは調略により、陣形が乱れるような事が起これば、全軍でこちらに向かってくる恐れがあった。何度も清興にも南宮山の状況を確認する。


「大丈夫で御座います。あの山は攻め上がるには厳しい山に御座います。万が一徳川方が攻め入ったとしても小早川殿を援軍に向かわせる事も可能です。」


 清興は松尾山に陣取る駒を指した。三成はその駒をじっと見つめる。清興の言葉を聞いても、三成の不安は拭われなかった。



 15日夜、関ケ原は再び静寂に包まれた。深い闇が盆地を覆い、遠くからでも味方陣営、敵陣営の篝火の灯りが良く見え、互いの陣配置が浮き彫りとなる。島清興はじっと全体を眺めて敵の位置を頭に叩き込んでいた。


「どうだ?相手の陣営は?」


 三成が清興の隣に立ち話しかけた。清興は遠くを眺めたまま三成の問いに答えた。


「…敵の意図は我らを目の前の盆地に引きずり出す事で間違いないでしょう。ですが、我らを追い込むほどの兵力がありません。敵は約半数を毛利殿の抑えに割いております。四万から五万の兵力では我らを抑え込むことはできませぬ。…一体何を目的としているのか、それが読めませぬ。」


 清興の嘆息に三成も闇の奥に見える篝火を見た。


「……家康は何をしようとしているのか…。」


 遠くに見える篝火を目に焼き付けながら、敵である徳川家康の考えを探ろうと三成は思いを巡らせていた。



 9月16日、夜明け前。


 石田三成は敵の動きを探るべく糟屋武則に兵一千を与え、盆地に侵入させた。敵が総攻撃を加えればすぐに援護ができる様、小西行長と宇喜多秀家を両脇に配置して潜ませ、相手の出方を伺った。三成自身も相手の動きが良く見える様、供回りのみで笹尾山の本陣から天満山へと移動し、まだ薄暗がりの関ケ原に目を凝らした。


 粕屋隊が街道が交差する辺りまで進んでも敵の篝火に動きが無く、やがて粕屋隊から伝令が来る。このまま進むか、様子見するか判断を仰ぐ使者であった。三成は島清興と協議して進ませる事にした。その代わり何かあれば全軍で対処できる様に全部隊を全身させた。

 進軍を再開して直ぐに周囲が明るくなり始める。天満山で様子を見ていた清興は突然叫び声をあげた。


「しまった!敵はあの場所に居りませぬ!」


 清興の言葉で周囲の者が一斉に振り向いた。


「殿!敵の狙いは我らを此処に引付けておいて、全軍で南宮山を攻め入る事!我らも早急に駆け付けねば、兵数差で毛利隊、吉川隊、安国寺隊らは壊滅致しまする!」


 清興は慌てて進言する。篝火の位置は変わらなかったが既にその位置に徳川方の兵は無く、南宮山方面へ後退していた。三成は直ぐに全軍を進軍させるよう命じる。木下延重隊、蒲生頼郷隊、前野忠康隊ら騎馬隊が山を駆け下り粕屋隊と合流すべく盆地を駆け抜ける。その後を宇喜多隊、小西隊の大槍衾隊が追いかけた。平塚為広隊、大谷吉継隊、小川祐忠隊がこれに続くも、松尾山の小早川秀秋隊、その麓に陣取る朽木元網隊、脇坂安治隊は動かず様子を窺っていた。


「小早川殿に伝令!直ぐに山を下り南宮山に向かえと伝えよ!」


 石田三成は小早川隊の動きの鈍さに直ぐに気付き伝令を送った。だが伝令の帰りを待っているほどの雄長はなく、自陣に戻り進軍を開始した。



 十九女池の前、小高い丘に少数で陣取っていた本多忠勝隊は白み始めた景色の中、馬蹄の響く音と揺れる篝火に気付く。


「……動いたな。殿に知らせよ。」


 供回りの一人が踵を返して走り去っていく。忠勝はそれを見送ってから馬に跨った。


「黒田隊、井伊隊に伝令!街道を中心に鶴翼の陣を敷け!我らは福島隊と合流し斜角の陣を敷く!」


 そう言うと馬腹を蹴って丘を駆け下りた。配下の騎馬五百がこれに付き従い丘を駆け下りていく。家康の作戦は第二段階へと移った。



「敵が動きました!」


 朝日が昇る頃、家康本陣に物見からの知らせが届いた。夜明け前から起きて陣幕内で待機していた家臣らから歓声の声が上がる。


「殿!読み通りですな!」


 酒井忠勝が家康に向かって一礼した。家康は口角を上げて笑みを浮かべた。


「やっと心が落ち着いたわ。南宮山は浅野隊、池田隊、山内隊に任せよ!東からは島津隊で見張らせ!残りは西へと向かう!…前線では敵が長蛇の列となるよう陣形を駆使して引き込んでいるはずだ!後は己の武勇を頼みに突撃するまで!」


「おおう!!」


 家康の号令に家臣らが雄叫びを上げる。急いで陣幕を出て自軍の士気に走った。出て行く家臣らを見つつ、家康は本多正純に話しかけた。


「秀忠に連絡せよ。敵は儂が引き付ける。万全の体制で街道を進んで来い…とな。」


「はは!」


 正純は一礼して走り去った。次に服部半蔵に顔を近づけた。


「前田利長は何処にいる?」


「我らの手引きで近江弥高の山腹に忍んでおりまする。」


「…北国街道に出でて街道を封鎖させよ。」


 半三は小さく頷いて無駄のない動きで出て行った。一通りの指示を済ませた家康は、陣幕を片付け始める小姓らを見つつ、額の汗をゆっくりと拭った。


「…勝った。」


 その一言だけ言うと、用意された馬に跨った。幕が外され視界が開ける。やや霧掛かった朝靄に色めき立つ自軍の声が聞こえた。家康は大きく深呼吸をする。そして大きく息を吸ってあらん限りの声を吐き出した。


「皆の者!敵を殲滅せよ!」


 家康の号令が周囲に響き、徳川方の兵が慌ただしく動き出した。




 慶長5年9月13日から16日にかけてを、鳥瞰視点から見ると目まぐるしく陣取りが動き回っていた事に驚くであろう。二つの陣営はそれほどまでに得た情報を元に陣配置を変えて相手に対峙していた。


 13日までは大垣城を中心に合戦を繰り広げようと石田方が画策するも、小早川秀秋、毛利秀元の独断で兵が集まらず、徳川方の侵攻を許してしまう。士気の下がった石田方を鼓舞する為に徳川方に夜襲を仕掛け、追いかけて来た徳川方を返り討ちにし、兵力を最大限に利用できる様、戦場を大垣城から西の関ケ原に移すことで、陣取りは石田方に有利となった。だが15日になると徳川方は万全の布陣で関ケ原の盆地を挟んで石田方と対峙し、相手を焦らす。16日になると徳川方は戦線をワザと後退させて石田方をおびき出し、戦場の中心地を関ケ原から東にずらす事に成功した。そして北国街道を越前から遠征してきた前田利長に封鎖させることで、逆に徳川方が石田方の兵を囲む形に仕上げた。


 状況は徳川方有利になりつつあり、石田方はまだそのことに気付いていなかった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 真田を完全な味方に引き入れて秀忠を間に合わせただけでは無く前田利長まで引っ張って来たとは・・・ そうか、堀秀政が生きていて彼に北陸を抑えさせられてるからこそ出来る芸当なのか! どう決着…
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