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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第九章:望まぬ天下の光
124/131

124.関ケ原(家康出陣)

定期投稿です。

いよいよ関ケ原の合戦が始まります。

此処からは史実と違った内容がぐんと増えていきます。



 慶長5年8月19日、尾張清須城。

 徳川方の諸大名が集まり、軍議を開く。議題は徳川家康が到着するまで、どのようにしてこの地を死守するかである。その方針について、東海道諸将と家康家臣とで意見が対立した。

 東海道諸将は福島正則を筆頭に岐阜城を責める事を主張した。この地を取れば、美濃に深く切り込むこととなり、犬山城と竹ヶ鼻城の戦力を無効にできると考えてたからであった。

 これに対し、本多忠勝は徳永寿昌の福束城攻略を待ってから行動すべしと主張した。だがこれは諸将らには開戦を引き延ばす策としか捉えられず、逆に「疾く内府殿御参陣候!」と怒りを買う結果となった。

 軍議は岐阜城攻めを決したが、今度はその進軍路で紛糾する。福島正則は真っ直ぐ北上して最短路での進軍を主張したが、池田輝政が兵力の多さを有意義に利用する為に美濃路を通って長良川沿いに北上する進軍路を主張した。

 本多忠勝は意見の対立する二人の仲裁に入り、何とか軍を三つに分けて互いに連携を取って進軍する事で落ち着いた。美濃路を進むは清須城主、福島正則で、これに黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、生駒一正、藤堂高虎、京極高知、井伊直政が従う。北上して加納に向かうは、家康の娘婿となった池田輝政で、これに山内一豊、浅野幸長、有馬豊氏、一柳直盛、島津義弘、本多忠勝が従った。最後に犬山城への牽制役として、中村一栄と田中吉政、鳥居元忠が東美濃との国境にある羽黒城に向かう事となった。本多忠勝はこの決定事項を直ぐに江戸の主君に報告の使者を送った。


 その頃、石田方は兵を大垣城から徳川方の攻撃を受ける福束城への応援に兵を南へ動かしていた。彼の戦略では尾張清須周辺を主戦場と考え、ここに全軍を投入すべく、美濃南部で暴れる徳永寿昌を蹴散らさんと、伊勢の宇喜多秀家との連携を図っていた。だが肝心の毛利軍本隊の動きが鈍く、吉川小早川隊もまだ美濃にすら入っていない進軍状況に苛立ちを覚えていた。


「現状では敵の方が兵数は上…。余り目立った動きはせず、じっと御味方の兵を待つのが得策。」


 三成はそう考え、自身は大垣城に身を置き、諸将からの報告を待つことにした。だがこの消極的な動きが、徳川方の岐阜城攻め発見の遅れに繋がった。石田方が徳川方の動きを知ったのは、福島正紀の軍が竹ヶ鼻城を落としてからであった。



 一方、江戸で藤林衆、服部衆からの報告を待っていた家康にも新たな問題が起きていた。それは秀忠の進軍路として想定していた中山道沿いに領地を持つ真田昌幸が江戸に向かう信幸の隊から離脱して上田城に籠ったというものであった。報告をもたらしたのはその信幸自身で、彼は家康を前に平身低頭して父の離反を詫びていた。家臣らは憤慨して信幸の処罰を叫んだが、家康は養女が彼に嫁いでいる事を考慮し、一旦は許した。家康には昌幸の離反理由が判っていた。昌幸の中では、この戦い五分と見ているのだ。その為、どちらが勝っても家名を残せるよう動いたに過ぎぬ。豊臣家への忠誠心とか徳川家への反感といった感情論ではないと理解していた。


「伊豆守よ。其方も秀忠麾下として中山道を進むが良い。そして、お主が安房守を説得せよ。……徳川に付く事がお家存続の来もである…とな。」


「はは!必ずや説得致しまする!」


 信幸の返事に頷くと、家康は秀忠に出陣するよう命じた。徳川家主力を率いて中山道経由で美濃へ向かう事。途中真田昌幸を説得にて降伏させ、兵を損なうことなく信濃を抜ける事を固く誓わせた。かくして8月24日、徳川秀忠を大将に三万八千の軍勢が江戸城を出発した。



 8月25日、石田方の宇喜多秀家が伊勢安濃津城を攻撃。城主の富田信高が降伏すると、千の殿守備兵を残して美濃へと反転した。これに合わせる様に佐和山で停滞していた吉川隊小早川隊が美濃に進軍。一万六千の兵を率いる小早川秀秋は伊藤盛正が松尾山に築いた砦を接収し、盛正を追い出して陣を敷いた。吉川広家の方は不破郡まで兵を進めたところで動きを止めた。石田三成が二人の行動を不審に思い、大垣城まで進軍する様に要請の使者を送ったが、26日になって使者は広家の家臣を引き連れ戻って来た。


「越前より前田の軍勢が進軍中の由。菊花は、小早川これに対応すべく候。」


 報告を受け、三成は舌打ちした。越前の動向は予想外だったのだ。北陸の大名は徳川方に付いており、皆家康に従って上杉討伐に軍を進めているはずで、北陸方面から進軍は無いと考えていたのだ。


「…どこかで前田勢を反転させ、西に向かわせたので御座いましょう。しかしそれは上杉勢への囲いを薄くしたと言う事。すぐさま直江殿に知らせを送り、精強を有利に導きましょうぞ。」


 島清興の冷静な信玄に、三成も同意し、直ぐに書状を書いた。だが三成には疑問が浮かんでいた。東国勢は半数が去就を見定めるべく兵を動かさずにいる。それは家康も把握しているはずなのに、敢えて前田勢を動かした…。

 三成は考え込む。実はこの時三成は家康の計略に掛かっていた。家康はわざと伊達政宗に進軍を遅らせるよう指示していた。その情報が三成にはこちらに与する意図で兵を留めている様に伝えられた。そしてこれが佐竹家と連携しているかのように見えてしまっていたのだ。いずれにしても、毛利勢の行動については三成が追認した事で問題視される事は無く、自軍の劣勢を補うべく敵軍との直接戦闘を避け援軍の到着を待つ事になった。これにより、岐阜城の織田秀信は自前の兵のみで東海道勢に立ち向かわなくてはならなくなった。



 慶長5年8月30日、武蔵国江戸城。


 徳川家康は軍議を開いた。集められた将は、松平忠吉、石川家成、伊奈忠次、奥平信昌、高力清長、酒井重忠、本多正純、本多康俊、松平康重、永井直勝、服部半蔵、そして瀬名信輝であった。家康はまず信輝に報告を求めた


「会津への使者、ご苦労であった。上杉の内情を報告せよ。」


 信輝は恭しく一礼して報告する。


「中納言殿は誓紙を持って殿への臣従を約束されました。上杉家は徳川家に従う…と。ついては、当主の命を持って全ての罪を許し、家臣の助命を願い出ておりまする。」


 言い終えると信輝は折りたたまれた書状を出した。小姓が受け取って家康に渡す。家康は中身を確認して頷いた。


「景勝の漢気に免じて上杉家の臣従を許す。…だがこれを公にするのは、石田三成と一戦交えてからだ。」


 家康の言葉に家臣らはどよめいた。東国の戦が終われば全軍をもって西へ攻めることができる。それを敢えてしない理由が判らなかった。だが本多正純が何かに気付いた。


「殿、若しや東国の兵無しでの勝算がおありでしょうや?」


「当然じゃ。お主らを連れて美濃で足止めする敵を屠る。…半蔵結果を報告せよ。」


 家康は正純の問いに答え半蔵に次の報告を促した。半三は家康の前まで進むと、おびただしい数の書状を床に広げた。


「毛利大納言様より、不戦の儀と人質の身の安全を保障する密書に御座ります。」


 再び家臣らがどよめく。毛利大納言とは、敵方の大将、毛利輝元である。そんな相手からしかも“不戦”の約束とは思いも寄らない書状であった。


「続いて、吉川民部少輔様より、同じく不戦の約儀。小早川中納言亜s間より、内応の約儀。京極若狭守様より、内応の約儀…」


 半蔵は受け取った密書の差出人を次々と読み上げていく。その内容に家臣らは唖然とした表情で聞き入っていた。家康が江戸に留まった理由は、豊臣家がこの戦に参加しない事の確約を得る事であった。その為に服部衆を動かして密かに諸大名らと連絡と交渉して豊臣家を大坂城内で不干渉でいる様動いていたのだ。


 そしてその交渉は間に合った。


「…皆の者!」


 家康は家臣らに良く通る声で話しかける。家臣らは姿勢を正し家康を見た。


「長らく尾張の者らを待たせた。今こそ動く!」


 家康の決意の一言で皆が一斉に平伏する。意エアy素は立ち上がった。


「出立は明日!先陣は奥平信昌、明朝より江戸を出発して東海道を進め!我ら本隊は昼過ぎを目途に出るぞ!…江戸の留守居は石川家成に命ずる。天野康景が戻り次第二人で警戒に当たれ!」


 老将となった石川家成が恭しく頭を下げる。忠吉や他の若い将らは主君に従って戦えると顔を紅潮させた。それを見て高力清長が苦々しく愚痴を溢した。


「…手ぶらで戦ができると思うておる者が多いですな。江戸に残る兵を動かすとしても一万…更に周辺国衆らを引き連れ三万を超す大軍勢だ…。既に秀忠様に多くの兵糧と荷駄車を出しておりまする。」


 家康は清長を笑って宥めた。


「奉行として頭の痛い所じゃな。だが、ここが正念場じゃ。江戸中の商人を呼びつけて兵糧を揃えよ。」


 家康の命に清長は真顔になって家康に向かって両手を付いた。


「…既に、江戸中の商人は殿の御為に武具、米、荷駄、馬を揃えさせております。…御存分にお使い下さりませ。」


 清長は何時でも挙兵できる様予め手筈は整えていた。若い将らはその手際の良さに目を見張る。家康も少し驚いて見せた。


「流石は与左衛門じゃ。では荷駄の指揮はお主に任せる。」


 嬉しそうに返事をする清長を見つつ家康は大きく息を吐いた。この一戦で終わらせる…。その強い意志をもう一度自分の中で確認する。


 史実通りに動かす気はない。この戦を石田三成の反乱で終わらせるつもりもない。豊臣家を全国の大名の主家から引きずり下ろすのだ。


 家康はぐっと拳を握り締め、決意を新たにした。自分を主君と仰ぐ家臣らの為に、志半ばで戦場に散った者らの為に、そして信長と同日に命を落とした蔵人佐の為に。




 慶長5年9月1日、徳川家康は二万五千の軍勢を率いて江戸城を出立した。先行して奥平信昌の率いる一万二千の兵が東海道沿いの諸城を順次接収しており、本隊は悠々と清須城まで進軍の予定であった。家康に付き従うは四男松平近衛権中将忠吉、伊奈忠次、酒井重忠、永井直勝、本多忠朝、本多正純、本多康俊、内藤信成、松平康重、石川康通など若手の将で固められた。最後尾には大軍勢の腹を十分に満たせるだけの兵糧を抱えた荷駄隊を高力清長が率い、万全の体制での進軍である。

 家康の軍勢は、9月2日に玉縄城、3日に興国寺城、5日に駿府城、7日に浜松城に到着した。その間に東海道勢は岐阜城の織田秀信、犬山城の石川貞清を下して占領し、大垣城攻めに向けて兵を展開した。その兵力は五万八千で、中山道を進む秀忠勢が加われば九万、家康本隊が合流すれば十一万五千になる予定だ。これに対して石田三成は大谷吉継らを城外に出し、野戦で徳川方を迎える準備を始めた。伊勢方面に出向していた宇喜多勢も美濃まで軍勢を動かし石田方の総兵力は九万に上っていた。




 慶長5年9月4日、信濃国上田城。


 中山道を進軍してきた徳川秀忠軍を迎え撃つ形で籠城する真田昌幸に、秀忠の使者が訪れた。合戦に置いて和平又は降伏の使者は僧侶が担う事が多い。秀忠も従軍させている僧を真田昌幸に遣わせていた。

 昌幸の前に腰を下ろした僧は家康の側近、天海であった。昌幸も彼の名は耳にしており、徳川家の自分に対する本気具合を感じていた。


「…徳川殿の要件を伺いましょうか。」


 昌幸は丁寧な口調で天海に語り掛けた。天海はにこやかな表情でこれを受けた。


「我が主は、安房守殿が敵対なさる事を良く思うておりませぬ。」


 昌幸は天海の言葉を鼻で笑った。


「儂が誰の為に兵を動かそうと内府殿の指図を受ける謂れは御座らぬ。…それに徳川殿は豊臣家に弓引くおつもりと伺ったぞ。」


 天海は首を振る。


「差に非ず。我が殿は万民の為、これ以上の戦を無くさんと動かれておられるのです。これに逆らうは天命を失うと言うもの…。」


「天下万民の為に豊臣家に弓引くと申すか?」


「今の豊臣家では天下を治る事は出来ませぬ。誰かが豊臣家を導く“力”が必要に御座います。」


「その“力”が徳川家である必要なかろう。」


「いえ、徳川の“力”が必要に御座います。それはお判りで御座いましょう。他の大名では力が拮抗しすぎてしまい、争いが収まりませぬ。…突出した“力”を持つ我が主が豊臣家に代わって治めるが…最も宜しいのです。」


 昌幸はため息をついた。天海の言う事は理屈の上では理解できる。…理解はできるが、家康の下に付く事に抵抗があった。過去からの因縁もある。それに石田三成が毛利家や宇喜多家も動かして家康と互角な勢力を構築した事に期待をしていた。


「だが義は石田殿にある。幼き秀頼君の支えをせんと諸大名を糾合せしむるは徳川殿の“力”に勝ると思うが?」


「…石田殿に義は御座りませぬ。何故ならば……」


 天海は懐から文を取り出した。息子の信繁が受け取り、父に手渡した。真田昌幸は受け取った紙きれの様な文を広げて中に目を通した。そして目を見張る。


「ば、馬鹿な…!?……其は真か?」


「真に御座いまする。医術に心得のある板坂卜斎殿が確認され申した。」


 信繁は二人の様子を窺っていた。そして父の余りにも驚き表情に彼は怯える様に仰け反った。いったい父は何を知らされたのか。天海は不敵にも見える笑顔で父を見つめじっと座っていた。





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― 新着の感想 ―
[一言] あの手札の切り所は真田か。 実際、島津が東軍について、真田さえ何とかなれば後は何とでもなりますし。
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