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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第九章:望まぬ天下の光
120/131

120.台頭

定期投稿です。

某スト鯖を先週から見続けてかなりの寝不足です。

執筆もせずにひたすら各配信者視点のライブを見まくっていました。

ようやく終焉を迎えたので、少しずついつもの生活を取り戻したいと思います。


物語は家康と三成を中心に関ケ原へと向かっています。

あと、三~四話で関ケ原の戦いが始まる想定です。

それでは第120話をどうぞ。




 慶長4年8月2日、近江国佐和山城。


 城を訪れた安国寺恵瓊からの報告で、石田三成は徳川家康が専横の極みに達している事を知る。一度は敗北を認め、静かな余生を送っていた三成も、この状況は許し難く、恵瓊の言葉に憤りを感じていた。


「石田殿、これで恵瓊の申す事が御理解できたで御座ろう?徳川家康めは豊臣家を蔑ろにして、徳川家の世を作ろうとしているので御座る。これを討伐せんと挙兵に及ぶは謀反に非ず!…我が毛利家は何時でも兵を挙げる準備ができておりまする。」


 恵瓊の言葉に三成は心を動かされていた。毛利家を擁して挙兵…大老同士の争いとなるが、これだけでは徳川家に勝つ事はできないと理解していた。

 そこで恵瓊の隣に佇むもう一人の来訪者、本庄充長を見る。彼は本国からの命令で家康の下を離れ会津へ帰国途中に此処を訪れていた。


「…徳川の専横に楔を打ち、再び豊臣の世に戻したる仕儀…我等上杉家も加担致しまする。…斯様な所で燻っておらず、再び世にその知略を見せつけるべきに御座ろう。」


 充長も三成を焚き付けた。この言葉にも三成は大きく動かされる。だが、家康の計略の可能性も考え、この場では曖昧な返事で二人を帰した。煮え切らない対応に不満そうな顔を見せながら退出する二人を見て、三成はため息をつきながら今後について考えを巡らせた。

 一度は中枢から離れた身で、一体あの家康にどう対抗できるのか。毛利家と上杉家の使者が自分を説得するが、果たしてそれを信じて立ち上がればあの家康に対抗できるのか。三成は自便の人望の無さを十分に理解していた。挙兵に及べば必ず自分を嫌って家康側に付く大名が出るであろう。それこそが徳川家が望む豊臣家臣の分裂抗争なのではないか。


 考えを巡らせても纏まらない所に、石田家重臣の島清興が二人の訪問者見送りから戻って来た。清興は三成の前に座るとじっと主君の顔を眺めた。


「…迷っておられまするな。ですが殿がどのような決断を成されようとも、我ら家臣は殿に付いて行きまする。…しかしながら某より一言……。どのような結果を得られるかで考えるのではなく、正しいのか間違っているかで考える事も、重要で御座る。」


 そう言うと清興は一礼して部屋を出て行った。三成はその一言に深いため息を吐いた。正誤で考えるのであれば自分は立つべきではない。…立つことができぬ邪な罪を背負ってしまっているのだ。


 三成は主君の顔を抑えつけたその両手を見つめながら思考を混沌の中へと巡らせていった。




 8月11日、大坂城に入った徳川家康は、積極的に秀頼に謁見しては政務についての助言を行い、秀頼の名で諸大名らへの命令を発した。中には加増転封として豊臣家直轄地の一部を諸大名にも振り分け、その使者として奉行衆ではなく家康の直臣を向かわせた。更には秀吉死後に表面化した諸大名らの内紛にも積極的に介入している。特に毛利家、島津家には自らも文を送るなど調停にも積極的に取り組んでいる。

 そんな家康の精力的な活動は淀を不安にさせた。秀頼の名で行ってこそいれど、実質は徳川家が取り仕切り、自分達は結果の報告を受けるだけで豊臣家の声望が高まっているように思えなかった。事態を憂慮した織田有楽斎は家康を牽制する為に北政所に助けを求める。彼女も家康の行動に思うところがあり、このような経緯で家康と北政所の会見が実現した。


 会見は北政所の部屋を家康が訪れる形で行われた。これには有楽斎と片桐且元も同席した。家康は供を連れずに悠々とした態度で北政所の前に現れ平伏した。北政所はじっと彼を見つめる。


「……大坂城に入ってからは積極的に動かれておられると聞くが、首尾は如何ですか?」


 北政所が穏やかな声で家康に問いかける。家康は一礼してから悠然とした態度で答えた。


「秀頼君の御威光宜しく、すんなりと事が運んでいると思うております。これならばそう長くないうちに某の立ち位置をお譲りし、政権は安泰になるものと信じておりまする。」


 家康の答えに北政所は頷くも、その目は信用はしていない。家康にもそれは分かっていて、これを補完するように言葉を続けた。


「毛利家も宇喜多家も家老同士の権力争いを収めれば、大坂に戻って来るでしょう。ならば某は江戸に戻ろうと思いまする。」


 家康の意外な言葉に一緒に話を聞いていた且元と有楽斎も驚いた。家康が江戸へ。それは政権を大坂城に居る者に任せると言う事。だがそれは、同時に政権内から徳川家の影響が無くなる事を示す。三人とも安堵よりも不安が過った。徳川家の力なくして諸大名らを抑える事ができるのか。思わず顔にその感情が出てしまっていた。その表情に家康はほくそ笑んだ。


「…江戸へ戻る、とは早計ではありませぬか?太閤殿下の葬儀も済んでおりませぬ。」


 慌てたように片桐且元が家康に聞き返す。家康はそれを無視して目を閉じて黙り込んだ。その態度に有楽斎も慌てた態度を見せた。今はまだ徳川家康の力がいる。誰もがそのことは認めていた。ただ力を持ちすぎるのを防ぎたいだけなのだ。それを所領に引き込まれては自分たちが諸大名を抑えつけねばならない。…だがそれだけの力を持ってはいない事を自覚していた。

 徳川家無くして政権の維持はまだできない。そう考えている北政所は家康に譲歩する決意をする。


「内府殿…いきなり完全に身を引かれるのは如何で御座いましょう。孫の千姫が此処に嫁がれるのです。それを見届けるまで留まられては如何でしょう。」


 秀頼は七歳、千姫は三歳。夫婦として江戸から嫁がせるには最低でも三年の経過は必要である。北政所は下向の次期を遅らせる案を出して見せた。家康は片目を開けて上座の女性をちらりと見た。そしてすぐに目を閉じ黙ったまま身動き一つ見せなかった。その様子に北政所はもう一押しの必要性を感じて言葉を続けた。


「内府殿も何時までも他家の屋敷を使っていては不便で御座いましょう。私は此処を出て別の屋敷に移ります。空いた西ノ丸をお使いになっては如何でしょう?」


 家康はゆっくりと目を開いた。家康が興味を示したようで北政所は内心安堵して笑みを見せた。一方、家康の方も大名屋敷での政務代行は不便を感じており、北政所の提案は有難さを感じており、悪くない取引だと考えていた。大坂に来てから家康は空いている石田三成の屋敷を使っていたのだ。これが西ノ丸で政務を行うとなれば、奉行衆や他大名との面会も庶務も楽にできる。メリットは大きかった。


「……北政所様にそこまで言われて、我を通すことはできませぬな。承知いたしました。この家康…西ノ丸をお預かりして、秀頼君をお支え致しましょう。」


 家康の返事に北政所は安堵の表情を見せた。他の二人も胸を撫でおろす。だが正直、屈辱でもあった。家康に頼らねば豊臣家としての権威を示すことができない事が露呈したからだ。家康としても、単に西ノ丸を手に入れただけでなく、更なる強い権限を得た状況に満足した。



 8月19日、北政所は西ノ丸の女中らを引き連れ、京都御所近くにある太閤御所へと居を移した。そして徳川家康が多くの家臣を引き連れ、堂々と西ノ丸へと入城する。直ぐに大坂在中の各大名らが挨拶に訪れる。島津義弘、忠恒親子、藤堂高虎、池田輝政、黒田長政、吉川広家らが家康に面会し、豊臣家体制強化の為の普請に協力する事を申し出ていた。

 石田三成が蟄居し、毛利、宇喜多、前田勢が所領に戻った事で、この時期矢面に立たされていたのは増田長盛であった。長盛は元々三成に近い存在であり、直接的でないにせよ、武断派とも対立する立場をとっていた。これが奉行衆の中核の立場となってからは豊臣系大名からの厳しい突き上げを受け、疲労の極みにあった。家康はそんな長盛の支援にあたり、人手の補充や裁定の支援を行った。その様子は織田有楽斎を通じて淀に報告される。淀は家康の活躍に不安を覚えながらも感謝を示した。9月15日には秀頼の名で家康に慰労の言葉が送られている。




 慶長4年10月8日、大坂城西ノ丸。


 家康は信頼する家臣だけを自分の私室に集めた。呼ばれたのは、本多忠勝、榊原康政、鳥居元忠、井伊直政、長坂信宅、本多正信、本多正重、板倉勝重、伊奈忠次、酒井重忠、服部正成であった。家康は半蔵の用意した日本地図を皆の前に押し広げた。家臣らは巨大な地図を前にして、主君がこれから話すことを凡そ理解した。


「…天下を奪う。」


 家康の一言目はこれであった。家臣らの目の色が変わり、表情が引き締まる。


「三弥左衛門、各国の状況を申せ。」


 呼ばれて本多正重が進み出て地図に石を置いて行った。


「先ずは東から。蝦夷の蠣崎家ですが、自領の地図を差し出しており、我等への臣従は確実です。津軽家も同様に家老を通じて申し出を受けており申す。」


 正重は各大名の徳川家との関係性を順々に説明していった。そして徳川寄りの大名家は白石を地図に置いて行く。


「…最後に島津家は御存じの通り、前当主と現当主との不和が表面化しておりまする。これに介入して義弘方に有利に裁定すれば、我らの味方となりましょう。」


 そう締め括って正重は白石を置いた。家康は地図の前に立って俯瞰して眺める。こうして見ると、家康寄りではない黒石の位置が全部視界に入った。

 東は秋田家、上杉家、佐竹家に黒石が置かれるも多くが白石であり、その状況は尾張まで続く。しかし、畿内から西国になると、黒石の方が多くなっていた。家臣らも地図を見て腕を組み唸る者もいる。


「やはり西国は毛利家の影響が大きいか…。」


 榊原康政が呟き、同調するように正重が頷く。家康は地図を確認し終えると上座に戻り座り直した。


「…弥八郎、天下を奪う策、思いついたか?」


 家臣らの視線が一斉に正信に向く。正信はゆっくりとした動作で家康に身体を向け一礼した。


「上杉に謀反の疑いを掛け兵を送り、西国大名らに隙を見せる…。或いは毛利に兵を送って東国大名らに隙を与える…こうして挙兵した大名らを「徳川家」の名でもって討伐せしむれば…朝廷も豊臣家から徳川家に鞍替えするものと考えまする。」


 家康は頷く。自分が導かなくとも史実の通りに動きそうなことを理解した。正信は家康に問いかける。


「…どちらにけしかけまするか?」


 家康は扇子で地図の東側を指した。


「上杉をけしかける。さすれば徳川家の強引すぎる兵役に反発して挙兵に及ぶであろう。」


「…西国に纏まられると厄介とは存じまするが?」


「逆に言えば、徳川に敵対する輩を一網打尽にできるぞ?」


 家康はわざと正信に聞き返した。正信は一瞬驚いて目を見張り、徐々にその目が怪しく輝く。他の家臣も家康の言い回しに好奇の視線を正信に向けた。


「なるほど……某に敵を打尽にできる策を考えよと?」


「弥八郎ならできると思うがな。…責は儂が全て持つ。極限まで考え尽くせ。藤林衆をどう使おうと構わぬ。」


 家康は言い放った。藤林衆の使用…それは瀬名信輝の暗躍を黙認すると言う意味だ。正信は少し顔を引きつらせて笑った。


「平八郎、西ノ丸の警備を強化せよ。儂は更に狡猾に強引に果断に振舞う事になる。儂を本当に狙う輩も出るやも知れぬ。」


 本多忠勝が力強く返事をして頭を下げた。


「彦右衛門は旗本衆を率いて伏見城に常駐せよ。北政所様の館の警護も怠るな。豊臣の象徴でもあるからな。」


 今度は鳥居元忠が勢いよく返事した。


「小平太は一度江戸に戻り、兵馬を整えよ。五万は動員できるよう諸将に触れて参れ……隠密にな。」


 榊原康政が不敵な笑みを浮かべたまま一礼する。これに伊奈忠次が追随した。


「某も榊原殿に同行して手伝いまする。」


 家康は忠次の同行を許可した。大軍の極秘編成には康政一人では手が足らないと判断したからだ。ついでに関東の奉行衆を康政指揮下に置く事も許可した。これで康政は一時的に関八州の総代官になったと同義であった。


「四郎右衛門は引き続き公家衆らの取次、雅楽頭は畿内の米の動きを監視せよ。」


 板倉勝重と酒井重忠が頭を下げる。すると井伊直政と長坂信宅が揃って進み出た。


「儂等にもお役目を!」


 心躍らせた表情で詰め寄った二人に家康は苦笑しながらも、二人には大役を申し付けた。


「島津家の内紛に介入せよ。重臣伊集院家を抑えつけ、前当主、義久の影響力を排除し、義弘の下に纏まるように調停するのだ。」


 二人は勢いよく返事した。




 慶長4年9月から始まった島津家重臣の伊集院家が主家に反発して自城に立て籠もった内乱、所謂「庄内の乱」は徳川家が調停に動き出したことで鎮静化に向かい、翌年3月に収束する。これにより島津家は家康と親密関係を築いている義弘が握る事となる。

 同様に11月に起こった宇喜多秀家と叔父の宇喜多詮家の不和にも徳川家は介入する。結局詮家と数名の家臣を家康が預かる事で騒動は落ち着くも、多くの重臣が宇喜多家を去る事となり、五大老としての影響力は低下した。


 これら大大名の内紛に対して強引な介入ながらも成果を収めた家康は、増田長盛ら奉行衆らとの関係をより親密にし、より豊臣家の中枢に深く食い込んだ。もはや徳川家康が豊臣秀頼の第一等の地位であることには揺るぎない事ではあるが、これを快く思わない大名は存在する。


 西の毛利家と東の上杉家である。




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