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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第九章:望まぬ天下の光
118/131

118.三成襲撃を経て

定期投稿です。

三成襲撃のお話です。



 慶長4年3月6日、京都内、某寺。


 黒田長政、細川忠興、藤堂高虎の三将は硬い表情で目の前の男の言葉に耳を傾けていた。男は火鉢に手を当てながら寒さを凌ぎつつ、豊臣家中でも勇将の誉れ高き三将からの返答を待っていた。


「…如何致しまするか?このまま放っておけば、石田治部殿は中納言様を拐かして実権を握らんと動く事でしょう。…そうなれば、治部殿を敵視されたる方々は、悉く中枢から遠ざけられる事になりまする。」


 男は彼らからの回答を促すように同じ事を説明した。これに合わせるかのように後ろに控えていた黒装束の男が文をすっと手渡した。


「ふむ…藤林党の調べでは、石田殿と安国寺殿が盛んに密談をされているとの事。…これはいよいよ毛利家も出張って来るやも知れませぬな。」


 男との追加情報に三将は表情を更に硬くした。耐え兼ねて黒田長政が前に乗り出した。


「きょ、協力すれば、我らは望み通りの褒美を頂けるのであろうな?」


「秀頼君の名において発せられる新しき体制を作るには、奉行衆とこれに与する者共が足を引っ張っておりまする。…大納言様亡き今、石田治部を追いやれば、伏見の殿様が手早く新体制を御作りになられるでしょう。…その時、御三方の名が語られるよう…某が介添えも致しまする。」


 三将は唾を飲み込んだ。伏見の殿様…即ち徳川家康の事である。この三将は朝鮮から帰国後は状況を鑑みて徳川家に接近していた。奉行衆の石田三成の事が気に食わぬせいもあったが、秀吉亡き政権は家康が牛耳るべきと考えたからであった。その新体制に自分たちの名を連ねる…他の何者にも代え難い褒美であった。心は確実に傾いていた。


「もう一度、お願いを申し上げまする。細川様には大坂城の石田邸を襲撃する計画を立てて頂き、黒田様にはその同志を御募り下さりませ。そして藤堂様におかれましては…」


「…有事に備えて市内の護衛…で御座るな。」


 藤堂高虎は男の言葉を復唱して長政と忠興を見た。二人は硬い表情で小さく頷いた。それを見た男は安堵した仕草で三将に両手を付いて頭を下げた。


「これで我が主、宗誾の面目も立ちまする。…何せ主は公家様方からもせっつかれておりましてな。早急に不安を払拭したいと申されておりましたから。」


 三将は「宗誾」の名を聞いて表情を強張らせた。市内で徳川家の庇護を受けて暮らす僧で、公家衆、朝廷にも通じる元足利一門…。三人の表情に男は笑みを浮かべた。宗誾の名は今でも有効であることを確信し、駄目押しの一言を放った。


「…御三方の行動次第で、憎き治部殿を追いやる事ができますぞ。」



 三将は寺を去って行った。入れ替わるように残った男と黒装束の男の前に別の男がやって来た。


「…うまく焚き付けられましたな。流石は瀬名殿…その智謀は健在で御座いましたな。」


 男は「瀬名殿」と呼んだ男の前に座り、酒瓶を置いた。三将と話をしていた男は、瀬名源五郎信輝であった。信輝は酒瓶に直接口を付けて酒を飲んだ。まずそうに息を吐いて一息つく。


「…まさか再び謀略に手を染める事になろうとはな…。」


「…お嫌でしたか?」


「…生きる糧を得たのだ。弥八郎殿には感謝致す。再び藤林衆とも会えたのだしな。」


 信輝は後ろに控える黒装束の肩を叩いた。黒装束の男は江戸から呼び寄せられた藤林党の現頭領、藤林保正であった。


「数日も立たずに治部殿を嫌う者共が事を起こすであろう。後は誰を主犯として処分する事で終わらせるかだな。」


「……それは伏見の殿様にお任せ致すとしましょう。次は毛利家に御座います。服部衆の調べで内部は徳川派と豊臣派に分かれている模様…。瀬名殿は徳川派の将に接触頂き、揺さぶりをかけて下され。」


「毛利か…。相分かった。」


 信輝は立ち上がると酒瓶を持ったまま保正を連れて出て行った。男はその後姿をじっと見つめていた。


「…これで我が殿も、決意を固められるであろう。」




 大納言前田利家の死は大阪城内の豊臣家臣を二分する騒ぎのきっかけであった。石田三成を筆頭とする奉行衆と加藤清正ら武断派の武将らとの確執に対し、これらを取り纏める役割を持っていた者がいなくなったのである。

 実際は宇喜多秀家が両派の間に立って仲裁役に回れば良かったのかも知れないが、秀家に力量では清正らを抑える事は難しく、また率先して仲裁をすることもせず傍観した事により、事態は急速に悪化した。


 3月8日、石田三成を襲撃せんと武断派の大名らが密かに加藤清正の屋敷に集まった。加藤清正、福島正則、池田輝政、細川忠興、蜂須賀家政、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政、脇坂安治、藤堂高虎の十人である。彼らは、石田屋敷の四方から兵で囲って屋敷内に突入しようと計画を立て、事前に淀にも報告していた。だがそこから計画が漏れたようで、三成は清正らが屋敷を囲う前に脱出し、佐竹家の屋敷へと逃亡していた。

 三成が逃亡した事を知った清正らは直ぐに追跡を開始し、佐竹屋敷に入ったことを突き止める。黒田長政、加藤嘉明が屋敷の門前に兵を集め、三成を差し出すよう迫ったが、福島正則が屋敷の裏手に回る前に佐竹屋敷を逃げ出していた。

 三成は大阪城下に展開した十将の目を掻い潜って大坂城を何とか脱出する。そしてそのまま京に向かって逃亡した。直ぐに三成逃亡の報が淀の下にも届けられ、淀は清正らを制止しようとした。だがこれに対して片桐且元が待ったを掛けた。


「御方様…此処で石田殿を庇えば彼らに不満を与えてしまう事になりまする。此処は伏見の徳川殿に文を出し、内府殿から仲裁して頂くようにすべきです。」


 且元の助言に淀は歯ぎしりした。自分にはまだ家臣らを抑える力がない。そう側近から言われたのである。悔しさを滲ませながらも、淀は直ぐに家康に文を書いた。


 その頃、石田三成を逃した追手は兵を率いて京へ向かった。十将合わせて約五百騎ほどが夜の街道を駆け抜けていく。翌朝には京の市街地に到着した清正らであったが、市街地の守備を任されている毛利家の兵に尋ねても石田三成の行方が分からなかった。

 そこで、三成の屋敷もある伏見へと兵を動かした。9日の夕方には伏見城に到着し、三成が城内に入った事を知る。直ぐに城下の捜索をする為に清正らは徳川家康に兵を城内に入れる許可を求めに向かった。徳川屋敷の門前では、十人を前に榊原康政と依田康勝が応対した。


「石田殿の捜索?……石田殿を探し出して如何なさるおつもりで?」


「知れた事!積年の恨みを晴らすべくひっ捕らえて引き回す!」


 福島正則が轟くような大声で言い返すと、康政は子煩そうな顔をして正則の前に進み出た。


「豊臣家の御家臣とあろう御方が、私怨に御座いますか?それでは貴殿らも罪を被る事になりまする。ましてや太閤殿下の眠られるこの伏見城に喧しく騎馬を掛け回されるのは悪しき仕儀…慎まれよ!」


 秀吉の名を出されて十人は流石に怯んだが、内々には家康が黙認している事を意識して強気に出た。


「此方は淀の方様の御承認も頂いて兵を出しておる!願わくば内府殿からも石田治部捕縛の承諾を頂たい!」


 清正の強気な態度に康政は少し呆れ気味にため息をついた。淀の方は承認したのではない。断れなかっただけだと思いながら、集まる十将にもう少し状況を説明してやった。


「その石田治部殿は今、我が殿と面会しておりまする。貴殿らはその中に兵を押し出して捕縛すると云うおつもりか?…事の次第は我が殿にも伝わっておりまする。貴殿らの悪いようには致しませぬ故、此処は一度兵を御引き下さりませ。…どうしてもと言うのであれば、この門前のみ、兵馬を入れる事を許可いたしまする。」


 そう言って一礼すると、屋敷の中に帰って行った。その後を追って依田康勝が門の中に入り合図を送る。徳川屋敷の表門は十将が見守る中、ゆっくりとその扉が閉まっていった。



 表門が閉まる音を聞いた家康は、自分の目の前で疲れ切った姿をさらけ出して座している男を見た。


「…我が家臣が追い返したようですな。」


 家康の言葉に男は姿勢を正して頭を下げた。


「忝う御座る。まさか斯様な形で襲われるとは思いもしませなんだ。」


「某も、斯様な形で石田殿と対面するとは思いもせ何だ。」


 家康の言葉に男は引きつった笑いを見せた。男は石田三成であった。三成は京都上屋敷に逃れるのを諦め、伏見城へと逃げ込んだのだ。それも自分の屋敷ではなく、政敵でもある徳川家康の所に。冷静に考えれば最も兵力が充実した場所であり、秩序も保たれている。武具を纏い騎乗のままで慌ただしく往来する場所ではないのだ。言い換えればそれだけ三成の逃亡が追いつめられていたと言う事になる。

 三成は此処まで徒歩で着の身着のままの状態で走って来た。髪は乱れ、衣服も土塗れで息も絶え絶えの状態であった。


「…忠吉、治部殿に顔を洗う水桶と温めの粥を出して差し上げよ。供の者の待つ部屋にも用意してやれ。」


 控えていた家康の四男、松平忠吉が一礼して部屋を出て行った。入れ替わるように榊原康政が部屋に入って来て、本多忠勝の横に座った。


「どうであったか?」


 家康は石田三成を見つめたまま、康政に状況を尋ねた。


「表門では十名の大名が槍を片手に待っておりまする。従う兵は凡そ五百ほど。」


 家康は指を折りながら何やら呟いた。そして不意にははっと笑った。


「石田殿…随分と恨まれておられるようだな。」


 家康の問いかけに三成は答えずに目を閉じた。三成としても想定外であった。嫌われている事は理解していたが、襲撃を受けるほど恨みを買っているとは考えていなかった。それは三成が同僚をどれほど眼中に入れていなかったのかを示すものでもあった。


「さて…如何したものか。」


 家康は前世の知識からどうすべきかを知っていた。だが表門で武装して構える将らの暴挙を無視して三成を処罰するのは公正ではないと考え、どうするべきか思案していた。その間に忠吉が女中を伴って戻って来て三成の前に膳を置いた。


「粥と味の濃い香の物を用意致した。」


 忠吉の言葉に三成は一礼する。しかし目は閉じたままであった。

 次に服部半蔵が入室し、家康に文をそっと差し出した。家康は中身を見て深く息を吐いた。文は二通あった。一通は淀からで、もう一通は北政所からであった。内容はどちらも同じで、家臣同士の諍いの仲裁を頼むものであった。これをみて家康はどうするかを決めた。


「石田殿…淀の方様と北政所様より文を頂いた。どちらもこの件について、事を荒立てぬ形での判定を願い出ておる。…表門で待つ者らについては、妄りに兵を動かしたとして、一月の謹慎を言い渡す。貴殿は彼らからの恨みについてを詫び、自ら職を辞するのは如何であろうか。佐和山に戻れば身の安全も保障されるであろう。…勿論、貴殿は豊臣家にとって必要な人材だと儂は思うておる。だが彼らを納得させる為にもここは家康の顔を立てて一時身を引いて貰いたい。…如何で御座ろう?」


 三成はゆっくりと目を開き家康を見返した。家康の案は互いに緩い両成敗というものであった。家康からしてみれば政敵でもある三成を蹴落とす絶好の機会にも関わらず、三成の身を案じての措置である。


「……寛大な処置に感謝致す。」


 三成は諦めにも似た表情でそう言うと、箸を取って粥を口に入れた。まだ温かく、三成の疲れた体に染み渡らせるように、また一口、口に運んでいく。



 この日三成はこのまま徳川泰樹で一泊し、翌日結城秀康の護衛を受けながら京を後にして所領の佐和山城へ出立した。家康は三成襲撃を行った十将を呼び寄せ、三成からの詫び状と、仲裁を求む北政所、淀の文を見せた上で処罰を言い渡す。武装して家康の屋敷を囲ったにも関わらず、軽い処置となった事で彼らも安堵し三成への恨みの留飲を下げた。



 3月10日、この件に関する一通りの手続きを済ませると、家康は本多正信を呼びつけた。素知らぬ顔で家康に挨拶をして下座する正信を家康派困ったような顔を見せてから睨みつけた。


「…何やら動いておった様じゃの。」


「……はて?某は瀬名殿と藤林衆から大坂の各大名の様子を聞いたに過ぎませぬ。」


 とぼける正信に家康は苦笑した。彼は俺に忠義を誓っている。彼が願うのは俺による天下の簒奪であろう。それがひしひしと伝わってくるのであった。


「我に、天下を取らせたいか?」


 家康の問いに正信は両手をついて頭を下げた。


「取らせる…と申すのはおこがましい限り…されど、手に届くところに在りながら、何も献策致さぬのは、忠臣としてあるまじき…と思うておりまする。」


 正信が頭を更に下げる。それを合図の部屋の端に座していた半蔵が奥の障子を開けた。家康の視線は正信から半蔵に移り、そして障子の奥の部屋へと向き、驚愕した。


 そこには、何時から待機していたのか、榊原康政、本多忠勝、鳥居元忠、井伊直政、長坂信宅、板倉勝重、本多正重、伊奈忠次が手を付いて佇んでいた。家康は驚きを隠せず一人一人の顔を見ていく。いずれの家臣も真面目な表情で家康に対して頭を垂れていた。


「殿は、徳川家康公にはあらねど、我らを導きたる主と思い、一同皆仕えておりまする。…皆、殿を信じて此処に控えておりまする。……この事をよくお考え下さりませ。」


 正信の言葉に、家康はもう一度家臣らの顔を見た。彼らの表情には曇った様子はなく、ただじっと主からの言葉を待っている姿に見えていた。

 家康は立ち上がり、正信の横を通り過ぎて彼らの前に座った。暫く皆の顔を眺めていたが、やがて諦めたかのような表情で舌打ちした。


「……我は斯様な事は望んでおらなんだ。ただ、安寧な老後を望み、孫と剣術の稽古でも楽しみながら、余生を過ごしたいと思っていた。…だから蔵人佐に力を貸し、蔵人佐に忠義を尽くし、そして蔵人佐に成り代わった。……だがお主らは我の望みを叶えさせぬつもりのようだ。」


 家康の言葉は恨み言の様にも聞こえる。だが誰も言葉通りに受け取る者はいなかった。


「…我が天下を目指すとあらば、その道はお主らにとって険しいものになるぞ。…時にはその命を差し出せとも言うであろう。…それでも我を主と認め、付いて来ると申すか?」


 暫く静寂が続くも、榊原康政が前に進み出て返答した。


「既に殿に命をお預けした者ばかりに御座います。今更何の躊躇いが御座いましょうや。」


 その言葉は、榊原康政までもが自分の為に命を捨てる覚悟がある事を指し示した。家康は驚きと同時に重すぎる重圧を一気に感じ取った。


「………そうか。…ならば誓おうぞ。」


 そう言うと家康は立ち上がり上座へと足を運ぶ。そしてゆっくりと座って姿勢を正した。


「天下を…我の手に……。故にお主らの命を差し出して貰う。」


 正信らが一斉に「ははー!」と返事して平伏した。



 徳川家康は、影武者としてではなく「夜次郎」として、天下を豊臣家から奪う事をようやく決意した。









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― 新着の感想 ―
[一言] 忠勝、正信の両本多が協力体制なのは大きいですな。 ただ、戦謀どちらも強力な分下の世代交代が間に合うか…
[一言] 夜次郎としての何もかもを捨てて徳川に捧げた漢を長年見て、先に家臣団の方が腹括ったか。
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