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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第九章:望まぬ天下の光
117/131

117.大老同士の秘話

定期投稿になります。

完全に日曜日は魔女ロスです。ふわふわした休日を過ごしています。

もしかしたら、誤字脱字が多いかもしれませんがご容赦を。



 慶長3年12月、徳川家康は積極的に諸大名と面会した。この頃、全国の諸大名の多くが伏見または京の屋敷に滞在しており、これまでは文での交流だった大名と直接対面して話をしていた。伊達政宗、加藤清正、福島正則、蜂須賀家政、黒田長政、細川忠興、島津義弘、藤堂高虎、池田輝政…畿内に滞在する大名とは文字通り膝を突き合わせて会話した。

 これは、秀吉薨去までの手際の悪さや、朝鮮国侵攻時の利己的な情報操作など、奉行衆に対する愚痴聞きをしたり、政権内の最有力者である家康との関係を高める接待であったり、とにかく家康に近づく大名が増えた事に起因する。家康も諸大名からの誘いを無下には断らず、時間の許す限り、彼らとの対話を行った。更には在京していない大名らにも盛んに文を送り、他家との関係性強化に努めた。そしてその中で家康はかねてから進めていた婚姻政策を直接取り行った。



 慶長4年1月、この年は喪中の為、あらゆる年始行事は取り止めとなり、静かな正月を迎える事ととなった。かと言って、有力大名は暇を持て余しているわけでもない。豊臣政権の新しい体制において少しでも良い地位を得られるよう、大名らは盛んに文のやり取り、訪問しての面会、或いは名品の献上等が行われていた。

 この時期最も忙しくしていたのは石田三成を筆頭とする奉行衆である。朝鮮国から撤収してきた大名らからの論功の証となる報告書や自腹で補填した戦費の清算願いが多く、続いて大名間の諍いに関する訴状、婚姻の届け出、主君への忠誠を示す献上品目録など、様々な書状が奉行衆らに届く。これらを一つ一つ吟味し、内容によっては大老の会合にて検討される様に処理する。

 三成ら奉行衆は秀吉の葬儀の準備、これに関わる朝廷への根回しを最優先とし、続いて大名間の諍いに関する訴状を優先的に処理するようにし、論功、婚姻関連については保留にしていた。


 徳川家康も秀吉の遺言に従って有力大名との婚姻願いを昨年に送っている。だが、年が替わっても一向に返事が来ず、これ以上待っていては今後の事に影響すると、奉行衆からの返事を待たずに大名らと婚姻を結んだ。

 松平忠吉に最上義光の娘、駒姫を側室に迎え入れ、天海が茶阿局に産ませた六男辰千代に、伊達政宗の娘、五郎八姫を迎え入れて縁戚を組むと、実子養子を各大名にばらまいた。

 養女については、松平康元の娘、満天を福島正則の子、正之へ。水野忠重の娘、かなを加藤清正の側室へ。榊原康政の娘、華を戸沢盛安の正室へ。保科正直の娘、栄を黒田長政の継室へ。そして夫と死別した督姫を池田輝政に送った。

 これで東国の大名をほぼ抑え、秀吉子飼いの勇将とも繋がりを持った。


 そしてこの婚姻施策は、ほどなくして大坂城で業務にあたる石田三成の知る所となる。三成は家康が法度を破り無許可で大名同士の婚姻を結んだ事に、激しく腹を立てた。すぐさまこの件を奉行衆との会合の議題に挙げ、家康を詰問し、場合によっては大坂城に召喚する提案をした。これに対し、増田長盛らは消極的な態度を取った。家康自身は先んじて申請は出しているし、婚姻施策自体は太閤殿下の遺言の一つでもある。元々遺言に従って承認する予定の内容であるし、奉行衆としては家康に対抗して前田家と各大名家の婚姻を進めればいい。何よりも殿下の葬儀の日取りを決めなければならない時に、大老との対立は避けたかった。だが石田三成は言い出したら聞かない人物。そこで同じ大老の前田利家に相談を持ち掛けた。


「ふむ…石田殿から見れば、内府殿は職権を乱用し、伏見の政を私物化しておる……左様に見えておるわけか。」


 話を聞いた利家は重たくなった身体を左右に揺らして考え込んだ。


「我らも内府殿が豊臣家を軽んじた行動に出ているとは思っておりませぬ。しかしながら治部殿の主張は間違っておりませぬ。…此処は互いの落し所を測って穏便に済ませたいと考えておるのですが…。」


 増田長盛は利家に懇願した。奉行衆としては事を大きく荒立てたくない様子であった。事情を理解した利家は手を膝についてゆっくりと立ち上がった。昨年末から利家の身体は病により大きく衰えていた。だが、その長身と鍛え上げられた背中には、威厳と風格が備わっており、長盛らは利家の姿が頼もしく見えた。


「…どれ、儂が家康の懐に飛び込んでみるか。…増田殿、念の為に毛利殿、上杉殿、宇喜多殿にも声を掛けておいてくれ。」



 慶長4年1月19日、大納言前田利家は五百ほどの軍勢を従えて大坂を出立し、伏見城に乗り込んだ。

 伏見城では、榊原康政が利家を出迎え、本丸に居を構え政務を取り仕切る家康の下に案内した。利家は途中、城内の様子を具に確認する。多くの徳川家家臣が忙しく動き回っている。中には、黒田家、加藤家、福島家、池田家の家臣の姿もあった。多くの大名家の名代が伏見城を出入りしていると理解した。


 前田利家は広間ではなく、囲炉裏の有る部屋へと案内された。小姓らが囲炉裏に火を点し部屋を暖め始める。病を押して来た利家にとっては暖かな部屋は有難かった。やがて家康が急ぎ足で現れ利家の側に座って来訪を喜んだ。


「前田殿、わざわざの御来訪、真に有難く存ずる。…病の中、この儂に会いに来られた事に感謝致す。」


 そう言って家康は利家の手を握り締めた。


「相変わらず貴殿は元気そうじゃな。羨ましい限りじゃ。」


 そう言って利家も家康の手を握り返した。

 家康は囲炉裏を挟んで利家の前に座り直した。そして小姓と榊原康政を下がらせる。皆が出て行った事を確認してから利家に言葉をかけた。


「…話を聞こう。」


 前田利家は姿勢を正し、家康に対峙した。暫くお互いに見つめ合い、張り詰めた空気を全身で受け止めていた。不意に利家は視線を囲炉裏に向けた。


「…貴殿とは古い付き合いだ。信長公に仕えていた若い頃から、良く知っておる。」


「…そうじゃな。」


「初めて会うたのは…徳川家が清須城を訪問された時じゃったか。あの頃は儂も一介の小姓に過ぎなかった。内府殿は信長公と対等であらんと必死に殿に食らいつこうとされて居った。」


 利家は昔話を始めた。聞いていた家康は少し考え大いに笑った。


「徳川家と織田家の対面を、貴殿はそのように見ておったか…面白い。あの頃の徳川家は借財まみれで三河半国を維持するのが精いっぱいであったな。」


「あの頃から比べれば、我が前田家も徳川家も大きくなった。豊臣家に仕え、互いに主家の命運を大きく左右する大名にまでなった。」


「うむ。」


「儂は今の地位に十分満足しておる。これ以上大きくする必要もなく、秀頼君をお支えして余生を過ごしたいと思っている。」


「秀頼君をお支えするという気持ちは、儂も変わらぬ。」


「…だが、これ以上大名として力を持つ必要もあるまい。貴殿のやり様を見ておると、主家をも凌ぐ大名になるやも知れぬと、怖れを抱く者が増える。」


 家康は利家が何を言いたいのか理解した。もう少し自重して政務を取り仕切って欲しいと言いに来たのだと。家康は笑った。自分の行いが他者には恐れられている。そう考えると少し可笑しくなった。既に徳川家は誰にも抗し得ないほどの力を得ていたのかと。それは徳川家と言う名が力を得たのではなく、家康自身が周囲を圧倒する力を持ったと言う事。


「…前田殿、先ほどの昔話…違うところが御座る。貴殿と初めて出会うたのは、清須ではない。…その前日に熱田で貴殿とは会うているのじゃ。」


 家康の言葉に利家は少し驚いて家康を見た。家康は真面目な顔で利家を見つめていた。


「あの時、貴殿は熱田の街並みを見せまいと、儂を妙な所に連れて行って釣りをさせておったのぉ。…そのせいで信長公に叱られ、再び熱田案内を命じられたからの。」


 利家は目を見張った。重たい腰を持ち上げ正面の男の姿をまじまじと見る。


「……ふ、福釜…殿?」


 利家の記憶に合致する人物の名を呼ぶ。家康はそれを否定せずに利家を見返した。


 …藤吉郎の配下に加わってから、何度も徳川殿とは顔を突き合わせている。その顔は目の前の男と違わない。…だが、この男は福釜殿……。一体何時から、なり替わっていたのだ?


 利家の脳裏に疑問がよぎる。


「何時から…影武者を?……真の徳川殿は何処に居られるのか?」


「……全ては信長公が討たれた時まで遡る。」


 家康は落ち着いた口調で利家に経緯を説明した。本能寺の変の際に明智光秀の息の掛かった者に襲われた事。そこで本物の家康が命を落としてしまった事。徳川家存続の為に、子が成人するまで影武者を務める事を一部の家臣らで話し合った事…家康は包み隠さず説明した。話を聞いた利家は、余りの衝撃に言葉を失ってしまった。


「…まさか、太閤殿下は当主を失った大名に…。」


 利家は呟きかけて慌てて口を閉じた。秀吉は徳川家を強敵と認めていた。警戒していた。やがて信頼足る相手と評した。そして後事を託した。しかしその相手は真の徳川家康ではなく、家康扮する、福釜康親であった事を知れば、どう思っていたであろうか。そう考えると迂闊に口にできなくなった。


「我の望みはただ一つ。……この徳川家を滞りなく次代に継がせること。それが叶えば我は用済み。安心して老後を過ごせる。…判るであろう?我にとって豊臣政権の中核なぞ誰でも構わぬのだ。…安心して家督を譲れるのであれば。」


 家康は言葉を締め括った。利家は今の…いや、これまでの徳川家康の行動指針の原点は此処にあった事を十分に理解した。そして理解した事で現状の問題が何であり、どうしてこれほどまでに強引に政を動かしていたかも理解した。


「…貴殿と石田治部は何処まで行っても相容れぬ仲と思うぞ。」


 利家の言葉に家康は嘆息した。


「貴殿からもそう思うか。ならば次の体制にはどうしても三成めは排除せねばならぬか…。」


 暫く静寂が続いた。家康には豊臣家を滅ぼして天下を狙うつもりは無い事は理解できた。だが大大名家として存続する為には、どうしても邪魔な相手がいる。その者と決着なり、和睦なりを行わずして、目の前の男の願望は叶わない。それを十分に理解した利家だったが、ある意味、この男ならば秀頼君を任せられると安心もした。


「福釜殿…いや、徳川殿。」


 利家は座り直し両手を付いた。


「儂もな、自家の安泰を得られるのであれば、誰が天下を治めて構わぬと思うておる。…貴殿が前田家を粗略に扱わぬ事を誓うてくれるのであらば、儂の人脈を使うて徳川家の有利に働くよう…」


「何を仰るか!」


 利家が言いかけた事を家康は慌てて止めた。凡そ大老の地位に就く者が口にしてはいい言葉ではない事である。だが利家は首を振った。


「儂の命もそれほど長くはない。この身体…何処まで豊臣家に尽くせるかもわからぬのだ。それならば、最も良い使い方をした方が…世の為、と思わぬか?」


「…前田殿……。」


 心配そうに前のめる家康に、利家は不敵に笑った。その印象は嘗ての“槍の又左”を思わせるほど生き生きとしていた。彼も戦国を生き抜いて来た武人である。利家の言わんとすることを理解した。家康は再び彼の横に自らの腰を下ろした。


「やはり、我が全てを…天下を掴まなくてはならぬか?」


「…貴殿は、其れを想定した動きもしておったであろう?」


 利家は家康の手を握った。


「世は…多くの者が徳川家の治める事を欲しておるのやも知れぬ。」


「我は家康ではない。」


「いや、其方が真の徳川内府家康殿じゃ。…皆、戦に飽いておる。貴殿であれば、戦のない世を作れるであろう。」


 家康は困惑した。前田利家ほどの人物からも後事を託されたのだ。自分はそんな偉い人間ではない。自分の安らかな余生を願っているだけの苦労人に過ぎない。だが事実は多くの者が家康を頼りにして天下取りに動かされており、家康はその運命の鎖から抜け出す事ができぬのかと困惑した。



 伏見城からの帰りの籠の中、利家は考えに耽っていた。昔に織田信長から言われた事を思い出していたのだ。


「織田家に仕える理由に、“天下安寧の為”と思うている奴は、何時か必ず儂を裏切る。…権六やお主、秀吉なんかは“儂の為”に織田家に仕えとるのが判るから信頼できる。」


 信長の言う通り太平を望む明智光秀に裏切られた。そのことを後に秀吉から聞かされた時の事も思い出した。


「徳川家康には気を付けよ。あ奴は儂の為ではなく、天下の為に儂に頭を下げたのだ。…いや、儂の為に仕えておる者はそうはおらぬ。」


 秀吉の言う通り、彼が死んだ事でまとまっていた天下が崩れ始めている。そんな中、利家も“天下の為”を選んでしまったのだ。


「…儂も年老いた。最後の最期で誰かの為ではなく、天下を選んでしもうたわ。…信長公にも藤吉郎にも笑われるわ。」


 そう言ってふっと笑った。不思議と後悔はしていなかった。何せ後を託したのは、信長公もお認めになっていた徳川家康こと福釜康親なのである。


「儂は、大名には向いておらなんだ。…だがそれもようやく終わる。後は福釜殿に任せるか。…いや、内府殿か。」




 慶長4年3月3日、五大老の一人、大納言前田利家は大坂城下の前田屋敷にて息を引き取った。




前田利家

 前田家当主。織田家臣時代から、秀吉とは親しく付き合っており、秀吉が関白就任後も非公式の場では友として顔を突き合わせていた。豊臣政権下で大老に就任し、百万石近い領地を有する大大名となり、秀吉死後は徳川家康を牽制する役目を担う。しかし寄る年波には勝てず、秀吉の死の半年後に死去する。彼の死によって政権下での大勢が大きく徳川家康傾いた。



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[一言] また一人身内以外で福釜を知る者が逝った。 逝く者は偽物である自分を責めることなく後事を託した。
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