115.家康の長い一日(後編)
二話連続投稿の二話目です。
今話の中で「前世で読んだ本」の一節が出てきますが、これが何の本を示しているか…
判った方は、それなりにコアなファンだと思います。
慶長3年8月18日、伏見城下、徳川屋敷。
秀吉の御霊前会議から戻って来た徳川家康は、伏見に滞在する家臣を集めた。
現在伏見にて家康の補佐を行う者は、本多正信、服部正成、鳥居元忠、長坂信宅、松井康重、依田康勝、本多信勝である。正信と半蔵以外は兵を率いて活躍する武闘派の将であり、この難局を乗り越える面子としては適材とは言い難かった。それでも信頼できる家臣らであり、家康は事の詳細を彼らに説明した。
秀吉の死…。それだけで家臣らには動揺が走った。天下人の死をこの世の終わりかの様に恐れる者もいれば、再び国内に争いが生まれるのではないかと危惧する者もいた。家康は動揺する家臣らに喝を入れる。今すべきは、内外からの醜聞に惑わされることなく、家康の声を良く聞き、己の働きを全うする事。家臣らに言い聞かせ動揺を抑え、家康はこれからどう動くかを語った。
「徳川家は関東に二百五十万石を預かる比類なき大大名であり、五大老の任をも預かっておる。この事実を蔑ろにして天下の趨勢を傍観するは亡き太閤殿下に対して非礼極るものと心得る。故に大坂におわす秀頼君をお助けすべく、誠意をもって政権の運営にあたるものとする。」
家康の宣言に家臣一同は平伏した。
「先ずは情報収集だ。半蔵、服部衆を総動員し、畿内の大名、国衆、奉行、朝廷、寺社、商人らの動きを具に調べよ。どんなことでも儂に報告すべし。」
服部半蔵は返事をすると早々に広間を出て行った。家康は彼を目で追う事もせず次の議題に移る。
「弥八郎は、江戸から人を呼び寄せ、大名らと書状のやり取りを行う祐筆衆を作り上げよ。儂の代わりに文を書き、諸大名らと直接交渉できる者を集うのだ。」
正信が静かに返事する。
「平八郎は、江戸より榊原康政、井伊直政を呼び寄せ、伏見を警護する軍を編成せよ。兵の増員については先の会議にて了承は得ておる。」
「…如何ほど呼び寄せましょう?」
「…三千だ。長坂九郎の二千と合わせて五千で有事に備えて伏見を守る。」
「は、直ぐに取り掛かりまする。」
本多忠勝が一礼して立ち上がろうとしたが、家康が引き留めた。
「お主はこのまま話を聞いていけ。」
そう言って家康は話を続けた。
「儂は伏見城に入り、殿下の替わりに政務のおおむねを取り仕切る事となった。宮中とのやり取りを行う事もある故、彼奴らをよく知る板倉勝重を呼び、儂の補佐にあたるよう申し付けよ。…そして殿下の死に乗じて活発化を目論む寺社衆や商人と交渉も必要になるやも知れぬ。天海と茶屋四郎次郎も此処へ呼ぶのだ。」
家康は次々に命令を発する。その内容の多くは秀吉に替わって天下を動かす為の人員補充に聞こえる。だが家康の言葉使いはあくまでも現政権の維持と秀頼へのなめらから権力移譲を目的としている装いであった。話を聞きながら本多正信は、主君の真意を測りかねていた。…どちらとも取れる。恐らくは殿ご自身も迷っておられる、と見ていた。
「朝鮮国出征は早期に撤退を開始する。近々増田殿が名護屋に赴くことになっているが、平八郎と彦右衛門はこれに同行せよ。そして儂に替わって彼らの労を労い慰撫して参るのだ。大名の多くは兵を自領に帰して上洛する事になるが、此処での接待も増田殿と協議して懇ろに行うのだ。」
平八郎と彦右衛門が平伏した。正信は驚いていた。本来豊臣家が中心となってこれらにあたるべきだが、それを徳川家が行う、若しくは補佐する、としているのだ。当然、家康の下に集まる報告や情報は膨大なものになり、家康はその量の多さに謀殺されてしまう虞もあった。…それでも家康は強行と思えるほど推し進めようとしている。正信にはそれほどまでに豊臣政権が機能しないのかと思ってしまうほどであった。
「…殿、恐れながら、殿がすべき事が多すぎるのでは御座りますまいか?」
正信と同様の考えを持った者が居たようで、見ると長坂信宅が心配そうに家康に詰め寄っていた。正信も相槌を打つ。
「九郎殿と同感で御座います。大老の職を請け負う御方は他にもおられまする。役目分担を行い、もう少し楽をされては如何でしょうか?」
正信の提案と、信宅の心配は、家康に穏やかな笑みをもたらしたがはっきりと首を振った。
「案ずるな。全てを独りで抱え込むような真似はせぬ。…その為に江戸から人を呼び寄せるのじゃ。」
「ならば、江戸中納言様、結城中納言様、東条左中将様もお呼び寄せになられるべきかと。」
今度は鳥居元忠が異見を述べた。秀忠、秀康、忠吉の三人の息子を呼び寄せ、秀吉の霊前に拝謁するも必要だと具申した。家康は少し考え頷いた。
「警護の兵を増やす必要はあるが、殿下への忠義を示す事も重要。彦右衛門、使者を向かわせよ。」
元忠は元気よく返事した。その様子を見て家康は再び家臣らを見渡した。
「皆も遠慮なく意見を申せ。儂が心配じゃと申すのならば、どんどん進言して儂の負担を軽くさせてくれ。」
そう言って家康は笑った。その様子に本多正信は内心嬉しかった。久しぶりに見る殿の生き生きとした御顔。殿はこの難局を楽しんでおられる。そう見えていた。
一通りの指示を終えて家臣らを下がらせると、家康は本多忠勝、鳥居元忠、長坂信宅、本多正信を再招集した。小姓らを下がらせて、忠勝らを家康の周りに小さな円陣を組むように座らせると、家康は身を乗り出して小声で忠勝らに話しかけた。
「…これからは天下の趨勢に大きく影響を及ぼす事になる。…儂はこの機に乗じて徳川家の立場を盤石なものに仕上げる。…さすれば秀忠への家督継承も安全に取り行えるであろう。だが油断は禁物だ。これは江戸から参る他の「儂の真実を知る者」にも申し伝えよ。…儂が調子に乗って徳川家を危うくする様な事をすれば、遠慮なく儂に讒言せよ。何ならこの胸倉を掴んでも構わぬ。」
家康は自分の胸に拳を当てた。その態度には曇りは無く、まるで己の命を家臣らに預けたかのような仕草であった。
「……元より殿のなさる事に疑う余地など御座いませぬ。殿は此処まで来て「家督を譲る」事に拘られておりまするが…殿は既に、我らの大事な御主君に御座いまする。気軽にその御命を投げ出すような行いも、我らはお止め致しまする。」
忠勝の言葉に家康は黙り込んだ。これが福釜家の私臣であった正信や半蔵が言うのであれば当然の如くと思ったが、徳川家の譜代家臣である本多忠勝が言えば、その重みや意味は大きく異なる。事実、忠勝も元忠も家康扮する福釜康親個人に対して忠義の心も芽生えていた。
「我らは殿を、真の殿と認めできると心は定まっておりまする。…今更当主の座をあるべき血筋へ等とはお考えなさらぬ様に。…何も言わずとも、我らは殿の御為に命を捨てる覚悟で御座る。」
鳥居元忠が後に続くように言い放った。これを聞いた家康の表情は複雑であった。自分は徳川家の為と称して、実は徳川家を乗っ取ろうとしているのではないか、と言う事と、後の伏見城の戦いのように、自分の為に命を落とす家臣らの姿を思い描いてしまい、彼らの忠義に応える事に躊躇いを覚えた。不必要に傅かれる事に頭祖整理が追いつかず、家康は何も言い返えさずに只黙って頭を下げた。日は西の山に向かって傾き始めていた。
夕暮れに差し掛かり、家康の求めに応じて、とある人物が徳川屋敷を訪れた。その者とは、嘗ては駿河の大大名として名を馳せていた今川氏真…今は出家して宗誾と名乗っている男であった。宗誾が今川家当主として駿河に居た頃は家康と敵対し戦っていたが、当主の重圧から放たれてからは、福釜康親の友人として徳川家の庇護を受け、今は京で自適な生活をしていた。
家康は関東に移封になった時に、宗誾に江戸に移るよう文を出していたが、京での生活に充足していた宗誾は、これを断り続けていた。だが、今回は文にある細工をして送り付けると、喜々として伏見の徳川屋敷にやって来たのだ。
広間で家康と対面した宗誾はまじまじと家康の顔を見た。広間には家康と本多正信、本多忠勝、そして宗誾の連れて来た付き人のみである。
「…まさかと思うたが…髭を整え、月代で髷を結えば、案外判らぬものだな。…息災で何よりだ。一時は心配しておったのだがな。」
宗誾はそう言うと声を上げて笑った。
「何の因果か、徳川家当主の影武者をせねばならなくなりました。宗誾殿には今まで何もお知らせできず、申し訳御座りませぬ。」
「お主と判っておれば、直ぐにでも江戸に向かっておったぞ。此方こそ無視して申し訳なかった。」
「…やはり我と判りましたか?」
「牧野城での出来事は、拙僧と夜次…三郎次郎殿しか知らぬ。…直ぐに判る。」
家康は自分と宗誾しか知り得ぬ話を文に書き込んで送ったのであった。これで宗誾は文の相手が福釜康親であり、彼が家康を演じている事に気が付いたのであった。
ひとしきり家康に笑顔を見せた後、宗誾は後ろに控える供の者を紹介した。
一人は織田家を出奔し、徳川家に仕官して直ぐに三方ヶ原の戦で手傷を負った、佐脇良之であった。今は宗誾の下で出家して“宗節”と名乗っていた。
もう一人は、家康も見覚えがあった。と言っても最期に直接会ったのは家康が瀬名氏広と名乗っていた頃である。それから数十年経過し、あのころの面影は僅かしか残っていなかったが、それでも誰なのかは家康には分かった。
「…よう生きておったな、瀬名源五郎…信輝。」
家康の言葉に本多忠勝が思わず腰を上げた。宗誾の横で平伏する男は徳川家からお尋ね者として手配されていた者だったからである。驚き立ち上がろうとする忠勝を家康は制した。
「平八郎…座っておれ。今となってはどうでも良いことだ。」
忠勝は一瞬迷ったが、家康の命に従い座り直した。忠勝が落ち着いたのを見届けて信輝は家康に向かって平伏した。
「御見逃し頂き感謝致しまする。」
「そのような物言いは止せ。それに儂の子を育ててくれていたではないか。」
「…姉の子を育てただけに御座います。それを言われるのならば…我が息子を旗本に取り立てて頂き…」
「はは…もう良い…。互いに憎しみがあって敵対した訳ではないのだ。」
家康は嘗ての義弟を既に許していた。彼のお陰でその人生を大きく狂わされたのだが、それはそれで楽しんでもいた。戦国の世の習いで敵対はしていたが恨みは一切なかった。
「徳川殿には何もない様だが、こ奴はまだ引き摺っておるようじゃぞ。」
宗誾は茶化すように合いの手を入れる。信輝は表情を隠すように平伏し、家康は豪快に笑った。
「いずれにせよ、徳川家はお主をどうにかする気はない。…と言うより、そんな余裕もないのが本音だ。」
家康は話を本筋に戻して、宗誾らを呼び寄せた理由を説明した。秀吉が亡くなり、京の街は不穏な空気に包まれる可能性がある。家康としては、公家社会にも精通する宗誾を安全に匿いたいと考えており、伏見の徳川屋敷に滞在する様依頼したのであった。宗誾が居れば、公家衆や京の寺社衆とも融通が利きやすいという打算も持っていた。これに対して宗誾は迷うことなく快諾した。今までは、康親の居ない徳川家に何の義理も感じていなかったが、当の康親が家康として生き永らえている事を知って、安心感と興味深さにが芽生えていた。
家康は屋敷内での行動の自由と、当面の都合銭を用意する事を約束する。宗誾は全てに承諾をして家康を安心させた。
「…して貴殿はどうするつもりか?」
宗誾は表情を真面目にして家康に問うた。家康は逆に表情を消して答えた。
「…判りませぬ。」
この答えに正信と忠勝は驚いた。宗誾が何の事を聞いたのかは明白であり、家康として天下をどうするつもりなのかを問いかけたのだ。宗誾は実力と信望こそなかったものの、大名としては標準以上の智謀と政治力は有していた。秀吉が死んだこの状況で何が起こり得るかは正確に察していた。
これに対し、家康も正直に「判らぬ」と答えたのも驚きであった。つまり、今はどちらに転んでもいいように動いている。それが今の家康の考えであることなのである。それにしても、家康と宗誾は一時期は憎しみをも持って敵対していた間柄だと言うのに、今は互いを奇妙に思えるほど信頼している。だからこそ江戸への下向を打診し、素直に応じる態度を見せていた。
「拙僧の知識が必要なら遠慮なく申せ。…これでも公家には多少面識もある。」
「儂等は田舎大名故、宮中儀礼や公家遊びに通じておりませぬ。そのうちご教授頂く事も御座いましょう。」
「フフフ…承知致した。では、それまでは此処で優雅に暮らすと致すか。勿論、宗節と源五郎も移動の際は同行してもらうぞ。拙僧は弱い故、誰かの警護が必要じゃからな。」
宗誾が笑うと宗節がこれに応えた。
「拙僧は片腕が動かぬ故、源五郎殿に指揮をお願いいたします。」
「某が指揮…?……徳川様、宜しいのですか?」
信輝が不安そうに家康に伺うと家康は大きく頷いた。
「たかが百や二百程度の警備兵の指揮じゃ。それも京から伏見までの道中だけであろう。…それとも儂の下で二千や五千の兵を指揮したいと申すか?…それも構わぬぞ。」
家康の思いも掛けぬ言葉に信輝は思わず笑ってしまった。それを見た宗誾は目を光らせた。
「…何じゃ?満更でもないのか?…三郎次郎、こ奴はまだ未練があるようじゃぞ。」
すぐさま宗誾が大げさに揶揄った。信輝は直ぐに否定したが、家康は結構真に受けていた。結果的に負けたとはいえ、信輝の智謀の深さは良く知っていた。それが自分の為に用いる事ができるとあれば魅力的である。
「源五郎……お主の力は我は有益だと思う。…今一度華を咲かせて見ぬか?」
意外と真剣な表情での誘いに、宗誾も目を見張った。やがて笑みを浮かべる。
「…面白そうだな。で、敵は誰になるのか?前田大納言殿か?石田治部殿か?それとも…幼き秀頼君になるのか?」
信輝の意思を無視して、宗誾は家康と話を進め始めた。傍らで見ていた宗節は此処に来て生き生きとしだした宗誾に目を向けて嬉しそうにしていた。
家康は思わぬ形で強力な味方を得た。公家や寺社との交流の深い宗誾、今川家中で若くして当主や有力譜代と互角に渡り合い、武田信玄からも認められた瀬名信輝が家康の正体を知ったうえで協力的な態度を見せた。
三人が今川の血脈を持つ者であり、且つ今川家が滅ぶ要因でもあった徳川家の為に働くのは奇妙とも思える光景であった。
夜更けになって、本多正信が家康の寝室を訪れた。彼は板坂卜斎を伴っており、秀吉の死について伝えたき儀を携えていた。
「…昼間、弥八郎が言っていた事だな。何か気になる事があったのか?」
卜斎はおどおどした様子で家康に平伏すると声を震わせながら、秀吉を診察した時の事について話をした。
寝室での秀吉は、南蛮から取り寄せたベッドと柔らかい絹布団、そして羽毛の枕を使っていた。秀吉の死の連絡を受けた卜斎は、秀吉の身体を調べる際に、彼が使っていた枕に奇妙な歯型と唾液の跡を見つけた。家康はこれを聞いて、前世のある記憶を思い出した。
そう言えば、前世で読んだ本に、同様の不審死を疑う場面があったな。…その話の中では確実な証拠ではないが、窒息死を確信する描写として描かれていた………。まさかな。
「卜斎、最初に殿下の異変に気付いたのは誰であったか?」
「はい、小姓が太閤殿下を起こしに部屋に入ったところ、息をされておらぬ殿下を発見したと…。」
「その日の殿下の部屋番は誰か?」
「は、はい…前の日に殿下に相当酷くお叱りを受けたと、石田様が殿下の御勘気が解けるまで部屋の前に座っておられたと…伺っておりまする。」
家康はすっと目を細めた。あの秀吉一筋の三成が?そう言う疑心で卜斎を見返した。だが卜斎が偽りを報告している様には見えなかった。
「卜斎はこれをどう見ている?」
「は、はい…………畏れ多い事には御座いますが、誰かが、太閤殿下の顔に枕を押し当て…息ができない様にした……と考えまする。」
卜斎の思いも寄らぬ発言に、本多正信は驚愕して目を見開いた。家康は静かに頷く。暫く考え込んで「他言無用」と念を押して二人を帰らせた。
家康は寝床に入って目を閉じて今日の出来事を思い返した。一番の内容は、秀吉の死…である。他殺の可能性がある。しかも手に掛けた容疑者は石田三成。秀吉は三成を寵愛しており、三成は秀康を神聖視していた。その二人の間に何があったのか…全ての事情を知らない家康には理由は判らない。だが、証拠がなくとも三成が秀吉を手に掛けた事だけは確信していた。
そして、家康の長い一日はようやく終わりを告げた。
鳥居元忠
徳川家家臣。下総矢作城主。家康の正体を知る家臣の一人で、譜代の重臣家系でありながらも、家康個人への忠義も見せている。家康の信頼も厚く、伏見にて家康の補佐を務めている。
長坂信宅
徳川家家臣。相模玉縄城主。駿河国衆を中心とした“黒備え隊”を指揮する徳川重臣の一人で、家康個人にも忠誠を誓っている。その実力は井伊直政二」引けを取らず、戦となれば直政と先陣争いになるほど。
松井康重
徳川家家臣。徳川家重臣の松井忠次の子で武蔵騎西城主。次代の将として実力と経験を積ませる為、家康が傍に置いている。
依田康勝
徳川家家臣。依田信蕃の子で上総藤岡城主。勇猛果敢で家康の評価も高く、次代の将の一人と目されている。
本多信勝
徳川家家臣。猛将本多信俊の子で、武蔵片倉城主。本多忠勝の副将として、将としての経験を習得中。
宗誾
元の名は今川氏真で、徳川家の禄で自適な生活を送っている。嘗ての敵であった福釜康親を友として認めており、それ故に家康(康親)の要請に応じて徳川家に協力する。
宗節
元の名は佐脇良之で、前田利家の実弟。三方ヶ原の戦で負傷して、将としての活躍を断念し、宗誾に弟子入りして出家した。
瀬名信輝
嘗ては今川家臣として、武田、徳川、北條と戦いながら当主簒奪を目論んだ男。その智謀は家康にも宗誾にも認められており、後に忍衆藤林党の頭領として暗躍する。