114.家康の長い一日(前編)
定期投稿の二話連続投稿です。
物語は、新章で最終章に突入いたしました。
当然ですが、主人公は天下取りに動きますが、どういう思いで天下取りを目指すのかを楽しんで頂ければと思います。
それでは、新章「望まぬ天下の光」とどうぞ。
慶長3年8月18日、伏見城御殿、秀吉霊安の間。
薨去した豊臣秀吉が眠る部屋の前で、豊臣政権の最高幹部が集まって会合を開いた。出席者は五大老の筆頭、内大臣徳川家康、同じく五大老の大納言前田利家。奉行衆からは石田三成、前田玄以、増田長盛が集まり、親族衆からは浅野長政、小出秀政が席に着く。また、秀頼の傅役を務める片桐且元が大坂から駆け付け、これに加わっていた。
そして、彼らを見下ろすように上座の位置には秀吉の側室、淀が表情を消して座っていた。
小姓の合図を受けて全員が揃った事を確認した家康が声を発する。
「皆々方、太閤殿下の御前にお集まり頂き感謝致しまする。これより今後について取り決めを行いたいと存ずる。皆々方に置かれては、太閤殿下の御薨去を聞き、心中穏やかならずと思うが、各大名、朝廷、果ては民百姓らに徒に不安を与えず、早期に秀頼君による統治を行わんと、ご足労願い奉らん。」
家康はゆっくりと聞き取れる声で発言すると軽く頭を下げた。
「…我らは太閤殿下が作られし安寧の世を末永く続かんと願う者ばかり。内府殿の言わんとする事、良く分かり申す。此処は内府殿が取り仕切って場を進められたし。」
家康の隣に座する前田利家が代表して家康の取り仕切りを承諾する。家康は身体を利家に向けて頭を下げた。
「さて…此度はこの場に淀の方様が御出席なされておりまするが…女性の身でありながら毎度ご出席遊ばすのは難儀かと…。有体に申せば、淀の方様が頻繁に大坂と伏見を行き来するは、民百姓に要らぬ不安を与えまする。」
「……何が言いたい?」
家康の言葉に淀が不機嫌そうな顔、声で聞き返した。
「いえ、この会合は一度や二度で全てを決定できるものでは御座いませぬ。何度も顔を突き合わせることになりましょう。そのたびに大坂からご足労頂くのは我らの本意では御座りませぬ。」
「私が伏見に滞在すれば良かろう。」
淀の答えは家康の表情を落胆させた。だが直ぐに気を取り直して言葉を返した。
「恐れながら、今後の事が決するまで、太閤殿下の御薨去を公にすることはできませぬ…。なのに淀の方様がこの伏見に滞在なさるとなれば、朝廷や事情を知らぬ者共の不審を招きまする。御方様に置かれましては、どうか大坂城にてお留まり下さいませ。」
「今後を決める大事ぞ。私も話を聞くべきであろう。」
「…片桐殿を臨席させまする。吟味の内容や決定事項については、片桐殿よりお聞き下されませ。我等も御方様のご意見は片桐殿を通じて承りましょう。」
これは家康なりの配慮であった。今後を決める大事な会議に、政の「ま」の字も知らぬ女に場をかき回されたくないのが本音だが、無下に扱える相手ではないので最初に譲歩した案を出したのであった。
淀は暫く腹心でもある片桐且元と家康を交互に見てから顔を家康から背けた。
「…相分かった。今後は且元に任せる。」
片桐且元が淀に向かって平伏した。家康は予めこの男を出席させておいて良かったと安堵した。だが直ぐに表情を引き締め議題の確認に取り掛かった。
「先ずは、殿下の事を何時誰に知らせるかを決したい。先ずは殿下の御為に異国の地にて戦に明け暮れる者らだが…」
家康は侵攻軍の早期撤退を考え、秀吉の死の連絡と有力大名の召還を提案しようとした。これに対し石田三成が異見を唱えた。
「朝鮮国出征軍は大事な時期に御座る。斯様な事を知らせてあの者らの士気を乱すものではないと存ずる。」
石田三成の発言に、家康は何かを言いかけた状態で止まり、ゆっくりと三成の方に顔を向けた。
「…彼の地には、五大老の一人でもある宇喜多中納言殿もおられる。宇喜多殿に殿下の事を知らせず、と言うのは些か五大老を軽んじておるのではないか?」
的外れな三成の言い分に、家康は正論を抜き放った。三成は咄嗟に言い返せず、歯を噛み締めた。
「今ここには大老は二人しか居らぬ。先ずは一刻も早く五人全員集まり、共同での物事の決定を進めるのが必定かと。」
「内府殿の申される通り。それに彼らも太閤殿下の忠臣。知らせを遅らせては我らに不信の目を向ける事にもなろう。」
利家が家康に同調し、五大老を一刻も早くそろえる事を主張した。家康は本来の主張とは異なる流れだったものの、三成は引き下がった様子を見せた事でこれには触れず、遠征軍への連絡手段について話を続けた。
「増田殿、貴殿が名護屋に向かい長束殿に知らせて貰えぬか。そして二人で宇喜多殿に殿下の事を報告し、宇喜多殿から諸将らにお伝え頂きたい。」
「お待ちを!今は一人でも多くの奉行衆が此処での処務に必要な時!増田殿を向かわせるのは御再考願いたい!」
返事をしようとした増田長盛を遮って、又も三成が慌てる様に発言した。家康は面倒くさそうに目を細めて三成を見返した。
「…石田殿、今しがた名護屋には殿下の事を知らせると決定したではないか。その大事な報告を誰も向かわせず文で済ますおつもりか。」
三成は文で良いと言ってはいないが、家康は敢えてそのような言い方で三成を責めた。家康の言葉に利家も眉を顰めた。
「其れはけしからぬな。相手への礼を欠いておる。」
「さ、左様な事は申しておらぬ!人選を検討して貰えぬか!」
三成としては、家康への対抗心が強いのか、今は奉行衆を多く揃えて家康の独断を抑えたかったのだ。三成自身も自分一人で家康を抑えられるとは考えておらず、家康が台頭してくる事を好まぬ、特に奉行衆は伏見に置いておきたかった。
三成の魂胆が見え透いているのか、家康は三成を注意した。
「石田殿、幾ら太閤殿下が亡くなられたとは言え、今日の貴殿はおかしいぞ。…もそっと豊臣家の御為に頭を働かせよ。」
家康の言い方は三成を刺激した。この二人の考え方には大きな違いがあった。家康は只々この難局を如何にして大事なく済ませ、幼い秀頼に恙無く政権移譲できるかを考えているが、三成は家康の力をどのように抑えて自分が秀頼政権の中枢に居座れるかを考えているのだ。つまりこの時点で豊臣家の事は二の次であった。これは長年秀吉を支えて来た三成の考え方からしておかしかった。
「…申し訳御座らぬ。気が動転しておりました。増田殿の件、承知致した。」
三成は溢れ出そうな感情を抑え込み、平静を装い名護屋城への使者の件を承知した。家康は三成の悪くなっている機嫌を気にする間もなく、次の議題に踏み込んだ。
「では、殿下の薨去を何時公に致すか…。某は渡海中の忠臣らが全員撤退し、宇喜多中納言殿を含めた五大老が揃ってからが宜しいかと考えておる。」
家康の発言に利家は唸った。先ほどとは違い別の意見を思っている雰囲気だった。
「…それでは時が掛かり過ぎるのでは?…儂と内府殿が既に畿内を固めておる。撤退は急がせるとして公にするのは早きに越したことはないぞ。」
ここで始めて大老の意見が割れた。互いに唸って妥協点を考え始める。そこへまたしても三成が横やりを入れた。
「お待ち下され、宇喜多殿の帰京はまだしも、何故遠征軍の全軍撤退なのでありましょうや?明国討伐は無き太閤殿下の悲願で御遺命に御座り申す。そう易々と撤退されては…。」
三成が朝鮮侵攻軍の撤退という点に煩労しようとしたが、前田利家が眉を顰めて制した。
「…真に今日のお主は何処かおかしいな。太閤殿下の悲願は判るが、御遺命とは誰も聞いておらぬ。御遺言状にも無き事項ぞ。」
これには増田長盛も前田玄以も頷いた。皆の意見が一致している事を確認した家康は三成に諭す様な口調で話しかけた。
「明国の支配は、殿下が居られてこその大願…国内を秀頼君に任せ、大陸を殿下が統治為される…此れが殿下の描かれたもので御座る。大陸を統治できる御方が居られぬ今は、国交回復を視野に入れた和平交渉に切り替え、早々に兵を引き揚げさせるべきで御座る。」
秀吉が亡くなった今、豊臣政権の威光と支配力が低下する事を家康は知っている。この為、五大老を含めた有力大名の一致団結、今後の政権体制の早期発表を行い、豊臣家の影響力低下に伴う、一揆や大名同士の争いを防止する事が最優先としていた。それはまだ利家も同じ考えで、他の奉行衆や淀にもそれは伝わっている。現状が見えていないのは三成一人であり、彼が会議進行を大きく妨げていた。流石に政に疎い淀でさえ、三成の挙動に苛立ちを覚えた。
「治部殿、貴殿は疲れておられるのか?内府殿が最初に申された通り、この議は一度や二度では終わらぬ。先ずは貴殿が正常な考えに及ぶよう、身を休ませてはどうか?」
淀は暗に三成の退席を求めた。彼女の言葉に三成の顔が紅潮した。明らかに怒りを抑えている顔であった。家康は咄嗟に淀に申し開きをした。
「御方様、石田治部殿は、殿下の覚え目出度き忠臣で奉行衆を纏めて業務を執行する能臣に御座いまする。彼の者以外知り得ざる事も多ければ、我らとしては座したままで進めさせて頂きたい所存に御座いまする。」
淀は驚いた表情を見せた。家康が三成を庇ったのだ。家康としては初回から対立し争うような事象を避けたかっただけなのだが、三成を庇う姿に淀は家康に対する信頼と安心感を持った。
「内府殿が仰るのであれば…構いませぬ。」
淀は再び口を閉じて、聞く姿勢に戻した。家康は安堵して話を続けた。だが、この家康の行いは、石田三成の自尊心を大きく傷つけていた。
暫く議論が続き、初回の会合は何とか終わった。
秀吉の遺骸は蜜蝋漬けにしてこのまま伏見城に安置して暫くその死を秘匿とする。徳川家康は朝廷との応対の為に、伏見城に入り政務を代行する。家康は政務を取り仕切る為の人材を江戸から呼び寄せる。前田利家は大坂城に留まり、淀の方と秀頼の警護及び相談役を務める。両者は有事に備えて領地より兵を呼び寄せる事とする。石田三成と前田玄以は秀吉の葬儀の準備と鎮守の為の社建築を密かに進める。増田長盛は名護屋城に赴き、遠征軍撤退の準備を進める。秀吉に関する事務作業は事の発覚を防ぐために伏見ではなく大坂城で内密に取り行う。
以上の事を取り決め、豊臣家最高幹部は解散した。
家康は諸々の準備の為に伏見城を一旦出て自分の屋敷へと戻った。道中で空を見上げたが、日はまだ真上に差し掛かる前であり、まだ半日しか経っていない事に肩を落とした。
「…胃が痛い。何故儂は斯様な苦労をせねばならぬのだ。」
家康は御供する本多正信に愚痴を溢した。正信は至ってまじめな表情で主君に言い返した。
「まだ覚悟をお決めになられないからです。殿は太閤殿下に替わって天下を治めるところに居られるのですぞ。…手を伸ばせば掴めるほど側にあるのです。」
正信の焚き付けるような返事に家康は冷たい視線を送った。
「…覚悟なんぞ、そう簡単に決めれるものではない。」
だが正信はその言葉を真正面から受け止め言い返した。
「家康公が亡くなられた時…間髪入れずにお決めになられたではありませぬか。」
「……お主はあの場に居らぬではないか。」
家康には正信の気持ちが痛いほどわかっていた。だからこそ、今の言葉を咎めもせず、本気で言い返すこともしなかった。現時点で、家康の中では「天下人」などになる気は毛頭なかった。
「おのれ…おのれ…おのれ!……どいつもこいつも家康の口車に乗せられおって…!誰も解っておらぬ!あ奴は太閤殿下の作られた天下を奪おうとしておるのじゃ!奴の専横を許してはならぬのじゃ!…なのに儂の言う事を的外れと嘲笑しおって……。殿下の御意志を継いで豊臣家の繁栄と安寧をもたらす事ができるのは、この儂以外に居らぬと言うに…。」
自屋敷に戻る道中で唇を噛み締め呪詛するかのように呟くのは石田三成であった。彼は同僚の奉行衆の無能さを愚痴らせ、家康の狡猾さを呪う様に恨みの言葉を吐き出した。
三成は自分こそが秀吉の意を正確に読み取り、その覇業をお支えできる者であると自負しており、他者の台頭を認めていなかった。それは秀吉に対しても同じであり、衰え行く秀吉の姿に幻滅し軽蔑し始めていた。そして秀吉よりも幼い秀頼を御支えるべきだと言う思考に移り始めていたのだ。それを見透かされたように老いた秀吉に指摘された事で逆上し、大きな過ちを犯した。その事で三成自身の中に様々な感情を引き起こしていた。
「…家康は絶対に抑えつけねばならぬ。でなければ、儂が秀頼君をお支えできぬ。……場合によっては暗殺も止む無し…。」
石田三成の思考は、どんどんと闇に呑まれて行っていた。
石田三成
豊臣家家臣。近江佐和山城主。奉行衆の中でも抜きん出て高い能力を有する豊臣家の治世の能臣。一方で自尊心が強く、他者を見下す態度を見せる事が多い事で家中からは嫌われている。ずっと徳川家康を敵視しており、家康を廃して自分を家中第一位とした政権を望んでいる。
前田玄以
豊臣家家臣。丹波亀山城主。織田信忠の家臣であったが、野母只死後は秀吉に仕え、奉行衆として主に寺社衆の取り締まりを担当する。
増田長盛
豊臣家家臣。大和郡山城主。秀吉が長浜城主の頃に家臣となり、内務方として秀吉を支え続ける。豊臣秀保が若くして亡くなると、その遺領を引き継ぎ、二十万石の大名として秀吉を支えた。
浅野長政
豊臣家家臣。甲斐甲府城主。豊臣家の親族衆で、内政、軍務両方に精通した重臣。既に家督は息子の幸長に譲っており、相伴衆として秀吉の側に仕えていた。
淀の方
豊臣秀吉の側室で、秀頼の実母。息子が秀吉の後継者と決定した頃から、その存在感が増している。浅井長政と織田市との娘であり、血筋的にも申し分なく、秀吉死後にその影響力が増していく。