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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第八章:なにわの夢に消えゆく
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107.号泣

定期投稿です。

・・・何とか書き上げられたので投稿致します。

リアルが忙しくて寝る時間を削っている状況です。

ですが、もうすぐ秀吉編が終わりを迎えます。




 天正19年12月、領地を没収された葛西、大崎の反乱や、秀吉の所領割りに異を唱えて蜂起した九戸政実の乱を、豊臣秀吉は万全の体勢で軍を派遣し、所謂「奥羽再仕置き」にて問題なく平定した。これで日の本全土が完全に豊臣秀吉にひれ伏す。…天下統一である。全国各地で領土の奪い合いを行っていた諸侯らは、豊臣家の名を持って領地を決められ、石高という明確な尺度でもって戦時の兵数、普請時の人足、大名としての格を決められた。

 天正19年1月、全国の大名らが大坂に上洛し秀吉に拝謁する、年賀の儀が取り行われる。徳川家康は大名家の最高位として秀吉に拝謁し年賀を祝辞を賀詞奉った。だが上段に据えある豊臣家は、秀吉と秀次のみで家中のナンバー2である豊臣秀長の姿がない。

 秀長は病に侵されていた。史実でもこの年に亡くなっている。そして秀吉の暴走が始まると言うのが家康の前世の記憶だ。当の秀吉は傅く大名らを上から眺めてご満悦のようで、いつも以上に笑っている。或いは笑う事で自身の感情の変化を隠しているのか。家康には判断できなかった。


 年賀の儀は滞りなく進み、やがて終焉を迎える。秀吉と秀次が退出し、大名らの緊張が緩んだ。自分もさっさと退出しようと家康は席を立ったところで、堀秀政に呼び止められた。丁寧な挨拶を受けて家康は一旦席に座り直す。


「先の戦ではお世話になり申した。直接礼を申し上げたく、御前に座して頂きまする。」


「堀殿、貴殿であれば大歓迎の御座る。…その後は御身体は如何かな?」


「頂いた薬ですっかり良くなりました。…医薬と言うものも侮ってはいけませぬな。」


 そう言って秀政は笑った。家康はその表情に好印象を感じた。


「ならば重畳。…かと言って油断は禁物で御座る。某のお送りした薬は定期的にお飲みなされ。生きて子に家督を譲り、安寧の日々を送るはもうすぐで御座る。」


 家康が言葉を返すと秀政はやや顔を曇らせた。そして耳元に顔を近づける。


「…どうやら近く出兵の命が下されそうです。」


 家康は驚いた表情を見せた。既に全国は平定されている。これからの出兵先は、国外しかない。家康は前世の記憶からある戦いを思い浮かべた。史実では文禄と慶長の二度、大軍を国外に送り込んでいる。家康も秀政に顔を近づけ問い返した。


「…真か?誰と戦うおつもりだ?」


「……朝鮮国…となりそうです。」


 豊臣秀吉は九州平定後あたりから朝鮮国との外交を活発化させていた。これがうまくいっておらず、秀吉は武力でもって相手を屈服させようと考えている様であった。その話を聞いている所で、秀政は後ろから肩を掴まれた。見ると豊臣家中でも大大名となった蒲生氏郷が冷たい目で秀政を睨みつけていた。


「家中でも極秘事で御座るぞ。易々と徳川殿に喋るでない。」


 注意はするものの、氏郷もそれほど怒っている訳ではない。氏郷も実はこの件に関しては相談をしたかった。それを堀秀政に先越されたので脹れていた。改めて家康の方に向きなり礼儀正しく挨拶をする。


「…この話、他言無き様お願いいたしまする。…ただ、某としては戦にならぬ様に願っておりますれば…」


 言いながら氏郷は豊臣家奉行衆の方を見た。この件は奉行衆が中心となって進めているようで、武官方の秀政や氏郷は蚊帳の外のようであった。家康は二人の肩を優しく叩いた。


「貴殿らが憂いておる事は分かった。…だが殿下の命で動いているのであらば、口を挟むのも難しいであろう。近く儂は殿下と面会する機会がある。その時にでも本心を確認できれば良いと思うが…如何か?」


 二人は顔を見合わせた。暫く黙っていたがやがて頷く。


「それに戦となれば、全国に動員令が発せられ、これに不満を持つ者も出てこよう。これを宥め透かせる役目も必要ではないか?」


 家康は暗に「自分が取り纏めてやる」と言って見せた。二人は黙って頷く。史実でも武闘派と官僚派で不和が生じこれが関ヶ原の戦にまで引き摺られる形となるが、この頃から、豊臣家中の奉行衆は煩わしく見られていたようであった。ならば後々の事を考えて彼ら武闘派の面々の面倒を見る立場を取っていても良いのではないか…家康はそう考えていた。



 天正19年1月3日、徳川家康は少数の家臣を従えて大坂からの帰路途中で大和郡山城を訪れていた。随伴する本多忠勝、井伊直政、長坂信宅、本多正信、伊奈忠次を別室で待機させ、家康自身は郡山城の主が臥せる部屋を訪れた。

 主は布団の中で家康来訪を受け、やつれた顔で家康に笑いかけた。


「…斯様な姿でし、失礼致す。」


「其の侭で結構で御座る。病状については殿下から伺っておりまする。御無理なさらぬ様、お気遣いは無用に御座る。」


 そう言いながら家康は病床の豊臣秀長の前に腰を下ろした。「失礼」と言って掛布団をめくり、苦しそうにする秀長の身体を直接目にする。腹が膨らんでおり、恐らく水が溜まっているのであろうと推測できた。ゆっくりと布団を掛けて元に戻す。


「…正直に申し上げる。大納言殿の御身体は相当むしばまれており…恐らく長くは持ちますまい。」


「…そうか。」


「されど、気をしっかりと持てば、腹の膨らみも小さくなり、奇跡的に生きながらえる事もできると聞いたことがあります。」


 家康は秀長に粉末の入った紙を見せた。


「大納言殿の気力がしっかりと持つよう、痛みを和らげる薬を持って参りました。…これは多量に飲むと危険では御座いますが、決まった量を定期的に飲めば、腹の痛みを抑えられまする。家臣らにこれを渡し、服用についての詳細を申し渡しておく故、気力を失わぬ様。」


 家康の言葉を聞いた秀長はゆっくりと手を差し伸べた。家康はそれを無言で握り締めた。


「……徳川殿、敢えて貴殿に、お頼み申す。…兄は日の本を我が物とするだけでは飽き足らず、唐国に手を出そうとされている。…明という国は、強大だ。国家の中枢が乱れていようとも、百万の軍勢を編成して立ちはだかる事が、できる。……これ以上、民を苦しめる戦は…無益に御座る。徳川殿ならば…ようく判ってtくれよう。」


 秀長は家康の手を握り締めて詰まらせながらも訴えた。家康は黙って聞いていた。自分は史実を知っている。歴史的にも無益な戦だったことも理解している。秀長が痛みを堪えながらも訴えかける理由も解る。

 家康はゆっくりと頷いた。止めるべき……。そう自分の心が動いたのだ。


「この後、大坂に戻り、殿下に謁見致す予定に御座る。…貴殿の言葉、某が必ず殿下にお伝え致そう。」


 秀長は家康の言葉を聞いて安心したかのように力を抜いた。家康は秀長をそっと寝かせ、控えていた本多俊政に薬を渡し処方にあたっての注意事項を説明した。


「これで病が治るわけでは御座らぬ。先ほど申した様に、痛みを和らげ苦しみを減らすだけだ。後は大納言殿の御気力次第…。」


 薬を受け取った俊政は緊張した面持ちで頭を下げた。



 郡山城を出た家康は一行は大坂へと向かった。途中、本多正信が家康の顔色を伺いながら問いかけて来た。


「…大納言様のご病状は、良くなかったのですな。」


 正信の言葉は豊臣秀長を気遣う思いは無く、その思考は別にあった。口調から家康にはそれが読み取れた。


「一月も持たぬであろう。」


「…大納言様は関白殿下に唯一物申す事ができる御方。その方が亡くなられれば、殿下を注する者が居なくなりまする。…遠からず豊臣家中で何かが起きるやも知れませぬ。」


「…儂がその立場になろうと考えておる。」


「再び目を付けられる事になるやも知れませぬぞ。」


 正信の忠告は正しかった。秀長に代わって秀吉に意見を言うとなると、畿内に常駐する事にもなる。更には秀吉の怒りを買いやすい。政権内で危うい立場となるのだ。



 天正19年1月5日、徳川家康は再び大坂城に入った。小広間に案内され秀吉を待つ。やがて石田三成が入って来て中座に腰を下ろした。いつものように家康に対しては不機嫌で敵意を向ける表情であった。家康は気にせず済ました表情で待つ。そして上座の襖が開いて秀吉が笑顔で入って来た。


「ご苦労で御座った。小一郎の様子はどうであったか?」


 秀吉は上座に座る前に家康に近づき訊ねる。家康は暗い表情でわずかに首を振った。それを見た秀吉は「そうか」と呟き、肩を落として上座に座った。


「弟は助からぬか。薬の知識を持つ貴公なら手立てはあると思うたのだがな。」


「御力になれず申し訳御座りませぬ。」


「何か申しておったか?」


 秀吉は更に問いかける。家康は両手を付いて平伏してから答えた。


「殿下の朝鮮国への侵攻について申しておりました。…これ以上、民を苦しめる戦は無益である、と。」


 家康の答えに秀吉のかをが不機嫌になった。扇子を取り出し、ゆっくりと開いて自分を扇いだ。


「…自分に代わってお主に出兵取りやめを進言する様申しておったのか。」


「既に天下は平定され、殿下に刃向かう者なく、戦は必要ありませぬ。これからは商いを称賛し民を富ませ日の本を大きくする事が大事かと存じまする。」


 秀吉の視線が鋭くなった。


「…戦が無くなれば、お主を含めた大名共は銭や兵力を消費する場を失い、国力が増すばかり。奴らの財力を奪う術を用意する必要があるのだ。」


「大名らの財を奪う術が戦だけとは限りませぬ。別の方法で銭を消費させ軍事力の強化を抑える算段を考えるべきです。」


「普請や労役などをやらせよと言うか。だが、それには限界がある。…だからこそ新しい土地が必要なのじゃ。…幸いにも奉行衆が朝鮮国との交渉で難攻しておる。これを理由に海を渡って攻め込み、明国をも相手にすれば、大名らは疲弊する。」


「それでは国力までもが疲弊しまする。」


「それで良いのじゃ!儂が直轄する国が富み、大名らの領地に物資を売る。国内ん於商いが上手く循環するのじゃ。」


 秀吉の経済基盤は国内の生産力格差を利用した物資の販売であった。明国との戦の勝敗に関わらず時刻の商いはうまく循環する。民国を打ち負かせば、新しい土地でこれを行う。戦だらけであった時とは状況が異なるのに、乱世の時と同じ方法で商いを回そうと考えていたのだ。別の方法を提案したかった家康は機嫌の悪い秀吉の顔を見て進言を諦めた。朝鮮国への出兵の決意は固く、自分では止められそうにないことを悟った。しかも今の会話のやり取りで秀吉からの心証を悪くしたと言っても良かった。その後の秀吉は終始不機嫌で会談も早々に終わらされた。

 さっさと出て行く秀吉を平伏したまま見送った家康に石田三成は上からの物言いで家康に言葉を掛けた。


「…大事なのは殿下の御意向を如何につかむかと言う事。貴殿の申し出は殿下を怒らせるだけで御座った。これからは注意して進言なさることだな。」


 そう言って三成は小広間を出て行った。家康は秀吉を怒らせた事に後悔はなかったが、三成に優位に思わせた事は悔しさと苛立ちを感じた。



 天正19年2月12日、大納言豊臣秀長が息を引き取った。彼の婿養子の秀保が秀吉に拝謁して忠誠を誓う事で、遺領の大和を引き継いだ。




 秀長の葬儀も終わらぬ3月1日に、今度は嫡子鶴松が病に伏せる。秀吉は寺社衆に病気平癒の祈祷を命じ、徳川家康にもお抱えの薬師を連れて上洛する様にと文が届く。家康はすぐさま薬師を連れて上洛するとそのまま淀城に入った。

 家康の持参した薬で何とか持ち直したものの、家康は鶴松の身体が非常に痩せ細っている事を憂いて食の改善を進言した。だが、鶴松を溺愛する淀殿が此れを拒絶し更には城を追い出されてしまう。家康は聚楽第に住まう秀吉に助けを求めた。だが淀殿を溺愛する秀吉は家康に病気回復の褒美だけ渡して江戸へ帰るよう指示された。


 家康は帰路の途中で服部衆らに淀城の監視を指示した。淀殿の我が子を溺愛する様子がおかしいと感じたのだ。


「以前に弥八郎が言っていたな…。秀吉にこの年になって子ができるのはおかしいと。……前世の記憶でも秀吉の子には様々な噂があった。…案外当たっておるやも知れぬ。それ故、頑なに城から外に出したがらないのかも知れぬ。」




 家康が淀城を監視し始めて三か月。


 鶴松は再び体調を崩し、病に伏せた。


 そして、三日後に息を引き取る。


 秀吉はやっと授かった我が子を失い、号泣したという。




九戸政実

 南部家家臣。信直が南部家を相続した事を不満とし、奥州仕置きにて秀吉から追認されたことで反旗を翻すも豊臣軍によって討伐される。


堀秀政

 豊臣家家臣。軍功を立てて北ノ庄18万石を得る。小田原征伐時に病を発症するも家康の薬で回復する。以降は家康と親密な関係を築く。


蒲生氏郷

 豊臣家家臣。奥州仕置きの功績で会津90万石の大名に出世するも、豊臣政権の中枢からは遠ざけられる。徳川家への監視役を命じられているも、家康とは次第に親密になっていく。


本多俊政

 豊臣家家臣。尾張の出身で、秀長の家老として仕え、秀長死後は秀康に仕えた。


豊臣秀長

 豊臣家家臣。秀吉の実弟で豊臣政権内におけるナンバー2を担っていた。子に男子がおらず、姉の子を婿養子として取り、秀保と名付けて育てる。


淀殿

 浅井長政と市姫との三女で本名は「茶々」という。天正16年に豊臣秀吉の側室となり、鶴松を出産後に淀城を与えられたことから「淀殿」と呼ばれるようになる。


鶴松

 豊臣秀吉と淀殿の間にできた嫡男。初名は「(すて)」であったが、後に鶴松と改名される。生まれつき身体が弱かったようで、天正19年8月5日に数え3つで死去する。




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