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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第八章:なにわの夢に消えゆく
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106.四郎次郎の決意

定期投稿です・・・が、来週あたりお休みするかもしれません。

物語は徳川家が関東に移封され、豊臣家中でナンバー2の地位を得ました。



 天正18年7月13日、小田原城の大広間に戦に参加した諸将を集め、改めて処遇を言い渡した。

 佐竹家は所領安堵され、常陸国の大部分を有する大名となった。宇都宮家、真田家は所領安堵、結城家は徳川家家臣として所領が安堵された。里見家は秀吉の不興を被り、上総を没収され安房国のみに減封。那須家は参陣しなかった罪で改易となった。

 北條家は所領を没収され、氏政、氏照は切腹。氏直は高野山への追放を言い渡され、空いた関東に徳川家康の移封が言い渡された。東海甲信五州から関東八州への加増である。

 旧徳川領へは織田信雄に加増移封されたが、家臣筋である秀吉から恩賞を与えられることを不服とした信雄は移封を拒否する。当然の如く秀吉は怒り、その場で改易を言い渡された。

 結局、旧徳川領へは中村一氏、山内一豊、堀尾吉晴、池田輝政、田中吉政が割り当てられ、旧信雄領の尾張には豊臣秀次が配された。


 7月27日、秀吉は諸将を引き連れ宇都宮城に到着し、奥州仕置き軍を編成する。蒲生氏郷、浅野長吉を主力として五万の軍勢が用意され、会津に向けて進発した。

 会津は蘆名氏を滅ぼして伊達政宗の所領となっていたが、小田原攻め遅参を理由に豊臣家に没収され、蒲生氏郷が移封されることになった。



 天正18年8月9日、秀吉率いる豊臣軍は伊達政宗の案内で奥州仕置きを実施すべく六万の軍勢を編成して会津黒川城に入城した。豊臣軍の主力は浅野長吉、蒲生氏郷らで、徳川家康も、井伊直政、鳥居元忠、石川康通らを蒲生軍の与力として従軍させていた。当主である家康は、秀吉を許しを得て江戸に留まり、新しく領地となった旧北條領の仕置きを手掛け始めていた。

 江戸城には新しく領主となった家康に挨拶すべく、関東の国衆らが止め処なく来訪し、家康や奉行衆らはその対応と領内の再検地に追われる。中でも、関東の名族、小山家の流れを汲む結城晴朝は、次男秀康を伴って登城した事から家康自らが応対した。謁見の間で秀康と共に下座する晴朝に家康は礼を尽くして感謝を述べた。


「結城殿が我が家臣となるるは、真にもって心強い。何時でも江戸城に立ち寄って儂に助言を願いたい。」


「過分のお言葉、痛み入りまする。関白殿下より秀康殿を賜り光栄の極みなるも、久しく徳川様の助力となります様、働く所存に御座います。」


「…我が息子、秀康に娘を娶らすと伺ったが?」


「はい、某は子に恵まれず殿下に秀康殿に結城の名を継がせたくお伺い致しましたる段、殿下より内諾を頂きました故、妹の娘を養女として娶らせる所存に御座ります。」


「其は祝着で御座る。……秀康よ、これからは結城家の者として儂にどんどん物申して来るが良い。」


「はは、仰せのままに。」


 豊臣秀吉は家康の事を信頼しておきながら、一定の警戒を有していた。家康の実子を結城家に送りながらも裏ではこの晴朝と気脈を通じて徳川家の監視に当たらせるつもりであった。

 同様に、真田信幸にも家康から所領を与えさせ直臣扱いとさせるも、父である昌幸と領地を隣接させたままとし、昌幸にも監視をさせる魂胆であった。それに家康周辺には蒲生氏郷、佐竹義宣、浅野長吉を加増配置し、家康を囲うように監視の目を構成させている。

 その家康は関東移封に伴って家臣らの領地分配を行っているが、秀吉はその所領配置にも口を出している。特に、井伊直政、榊原康政、本多忠勝については秀吉の指示で居城を言い渡されている。


 この頃から領地は「石高」で表現されるようになってきた。家康は関東一円を領有し、その石高は250万石にも及ぶ。前世の記憶でこれだけの領地を任されることを想定していた家康は関東経営の為に優秀な奉行衆を取り揃えていた。

 三河時代から家康の活動を支えていた、本多重次、高力清長、天野康景に加え、小栗吉忠、青山忠成、内藤清成、板倉勝重、伊奈忠次の駿遠時代の奉行、土井利勝、本多正純ら若手を加えて関東の奉行職を統括させた。




 家康は豊臣軍の奥州遠征中に関東統治の基礎方針を固めたかったが、豊臣軍は奥州をぐるりと回る間、戦らしい戦も無く、秀吉の命令を無視した葛西家、大崎家の改易、所領の接収が一月で完了した。秀吉も既に大坂に帰陣し、戦後処理の準備を始めている。遠征軍も宇都宮城で解散し、井伊直政らも帰城の途に就いたとの連絡を受けていた。

 そんな中、新しく上野に所領を与えられ、家康の家臣となった真田信幸が江戸に登城し家康への謁見を求めて来た。家康は先触れ無しでの来訪に一瞬嫌な表情を見せたが、本多忠勝の娘婿でもある為、会うことにした。信幸は懐から書状を取り出し、差し出した。


「此れなるは、真田家の菩提寺住職を務める“鳳観”と申す僧より預かりし書状に御座いまする。」


 家康は長坂信宅経由で受け取った書状を開き見る。暫くして顔色が変わった。


「……真田殿、貴殿はこの書状の中身を知っておるのか?」


 迫力のある顔に豹変した家康にたじろぎつつ信幸は首を振った。


「い、いえ…決して中身を見てはならぬと仰せられた故知りませぬ。」


「真であろうな?」


 家康は更に低い声で念を押す。信幸は理由が判らずひたすらに平伏して、中身を見ていないことを態度で示した。ようやく家康が納得して書状の続きに目をやる。そして読み終えると自分の懐に仕舞った。


「……信幸、この手紙の主、鳳観殿はどうして居られる?」


「…ほ、鳳観殿は御高齢の為臥せりがちで…」


 家康は無言で信幸を見つめ続けた。信幸には何が何だかわからず、ひたすら恐縮して相手の言葉を待った。


「高齢か……呼び寄せる訳にもいかぬか。…此方から会いに行くしかないが…半蔵、総三郎に様子を見に生かせよ。」


 部屋の隅で待機していた服部半蔵が返事をする。


「はは、直ぐに行かせます。」


 半蔵は立ち上がって部屋を出て行った。その間、信幸は只々震えていた。自分の持ってきた書状を見て態度を豹変させ、和尚の下に素破を向かわせる。…尋常ではない。いったいあの書状に何が書かれていたのか。考えるだけでも恐ろしく、震えていた。


「信幸、ご苦労であった。舅にでも会うて行くが良い。…くれぐれも、この書状を儂に届けた事を誰にも言うでないぞ。……安房守にもだ。」


 信幸は頭を床板に擦り付けた。退出の許可を貰いいそいそと部屋を出て行く。その様子を見ていた本多正信は、真田信幸が見えなくなってから家康に声を掛けた。家康は懐に仕舞った書状を正信に渡した。




“拙僧は仏門に入る前は瀬名氏俊と名で、武田家に仕えておりました。信玄公御隠れし後に真田一徳斎殿の勧めで出家して長国寺に入りました。やがて真田家の使者として京に出入りするようになり、明智日向守殿と親しくなり、信を得て相伴を受ける身に至りました。

これは日向守殿から直接お聞きした事に御座います。これを知り今どうするべきかをお考え下さりませ。徳川大納言として、或いは本当の自身としてこれ以上の戦乱をもたらさぬ様、その御力を発揮頂くことを期待します。

信長公は天下を統一後、唐の国を攻めるおつもりでした。この事を信長公は密かに日向守に打ち明けられ、戦乱の拡大を恐れた日向守殿は信長公に唐入りを思い留まらせるべく挙兵の機会を窺い、あの日を迎えたので御座います。しかしながら世は豊臣様を頂に一つに纏まり、信長公の意思を継ぐべく唐を目指す(おそれ)が御座います。唐の国との戦は始まれば多くの犠牲を支払う事になりましょう。どうかこれを阻止すべくその身を置かれます様お願い致します。”




 書状を呼んだ正信は驚きを隠せず声を漏らした。


「…殿、これなるは……二俣城でお助けした…」


 家康は正信とは目を合わせず天井を見上げて返事した。


「我の義父よ。文面を見るに…我が蔵人佐を演じている事に気付いておった。」


 家康の言葉で正信はもう一度書状に目を向ける。そして青ざめた表情で頷いた。


「まさか…誰かに気付かれた?」


「…いや、それはないだろう。気付いておれば何か知らの形で我に接触してくるはずだ。…だがそれも無い。それに真田の小倅の様子を見るにあ奴は何も知らぬ。…恐らくは我が義父がそれとなく気付いたのであろうと考える。」


 正信は頷いた。そのうえで何かの手を打つべきと考えた。


「小県に物見を走らせまするか?」


 家康は少し考えてから頷いた。


「事が事だ。信の置ける者に行かせよう。…半蔵!」


 家康の声に廊下の奥から服部半蔵が走り寄って来た。片膝を付いて腰をかがめ頭を下げる。


「小県の長国寺の様子を探らせたい。誰がよい?」


「…我が弟、総三郎が適任と心得まする。」


 総三郎とは半蔵の実弟で、長い間畿内の情報収集を担ってきた男だ。家康の関東移封に伴い、役目変更で江戸での服部衆次席に地位にある。半蔵正成、平助政刻に次いで家康の信任を得ていた。


「では総三郎に命じよ。」


 半蔵は短い返事をすると音も無く部屋を出て行った。それを見送った正信が心配そうに家康を見つめた。


「…問題ない…とは言い難い。だが我は突き進むしかないのだ。…それよりも宗誾の江戸住いと茶屋、角屋の呼びつけはどうなった?」


 家康は話題を変える。


「は、宗誾殿へは先日使者を送りました。茶屋殿は此方に向かっている所と聞きます。角屋は10月には参上する旨返事を受けております。」


「角屋は急がせよ。あ奴らの財力がなければ、この関東の統治は難しい。」


 家康は三河時代から繋がりのある有力商家を集めた。地盤のない関東で早急に影響力を高め、経済を安定稼働させる為には財力を持った商人の力が必要であった。



 天正18年9月11日、江戸城に京の呉服問屋、茶屋四郎次郎が登城し、家康と面会した。面会の場は、家康は急ごしらえで建てた茶室「三郎庵」であった。


 茶室には壮年ながら位の高い袈裟を纏う僧侶と、家康の懐刀と呼ばれる本多正信、そして嘗て福釜康親に紹介をした藤林保正が座しており、四郎次郎はその保正に背中を監視されるような位置に敷かれた座布団に座り、茶を点てる家康の背中を見つめていた。


「…京から此処までは中々遠かったであろう。」


 家康が湯を椀に入れつつ四郎次郎に話しかける。


「小田原までは何度か参りましたが、江戸は初めてで御座いまして…しかしながら道はよく整備されておりましたので、難儀はしておりませぬ。」


「其は北條が良く整備しておったからの。…だが江戸は徳川家の居城と呼ぶには、まだ心もとなきかぎりじゃ。」


 四郎次郎は警戒する。四郎次郎は直接徳川家と面識はない。なのに名指しで呼び出され、江戸の様子を見せられ…自分に望まれるはただ一つ…資金提供だと分かっていた。だが福釜康親のいなくなった徳川家などに興味は無い。適当な銭を出してさっさと京へ戻り、豊臣家の庇護をうけるつもりでいた。

 あれこれ考えていると茶を点て終わった家康が所作正しく振り向いて四郎次郎の前に椀を滑らせた。四郎次郎は僅かに頭を下げて椀を手に取る。


「…ところで、茶屋殿は…江戸に居を構える気は御座らぬか。」


 思いも掛けぬ言葉に四郎次郎は視線を椀から家康に向けた。にこりと笑う家康と目が合い、四郎次郎は慌てて目を伏せた。そしてある懐かしさを感じ、戸惑った。目の前に座するは豊臣秀吉に次ぐ大大名、徳川家康である。今日初めて会う。なのに見覚えがある感覚に襲われる。


「…如何した?我を見るのも久しぶりで忘れてしもうたか?」


 時が止まったかのような感覚。自身は家康に対面するのはこれが最初。なのに「久しぶり」と言われ、妙に納得感を覚える。そんな自分に四郎次郎は戸惑った。


「初めて会うた小川城から三十年になるか…ようやくお主に借りを返す時が来たと思うておる。」


 茶屋四郎次郎はゆっくりと顔をあげて目の前の男を見据え、そして確信した。椀を床に置き、姿勢を正す。


「…福釜…殿で御座いまするか。」


「…如何にも。」


「……これはどういう…?」


「見ての通り、徳川家当主を…演じておる。……本物の御当主様はあの事変の折に亡くなられた。…徳川家を潰さぬ様我が家康としてその命脈を繋いでおる。…四郎次郎、力を貸せ。江戸を大坂を凌ぐ街にするのだ。さすればお主は江戸随一の商家となろう。」


 家康は前のめりになって四郎次郎を睨みつけた。本気の目である。四郎次郎はようやく納得した。初めて会うた時から感じていた気配。このお方は途方もない人物になられるに違いない。自身の商人としての感が騒いでいた昔を思い出した。そして笑みが湧き出て来る。



 これや……。私はこれを待っておったんや。京で名を上げて商いで一生を終わらせる者やあらへん。…街を作る。武士が居城を守る為やない。商人が作る商いの為の町や。…堺のようにな。



「ふははははは!……御見それ致しました。まさか斯様な形でお返し頂けるとは…しかも葦の生え広がる沼地の江戸を…真面白きかな。私は貴方様に賭けて良かったと思えましょう。…この中島四郎次郎清延…持てる財を費やし、江戸を日の本随一の町にして見せましょう!」


 四郎次郎は作法など関係なく椀を掴んでグイっと茶を呑みほした。苦みが全身を駆け巡る。家康は四郎次郎の仕草に噴き出した。


「ははは!やはりお主を呼んで正解であったな。…だがな、これだけは守るべし。……我の正体、申すべからず!…よいな?」


「仰せの通りに。…必要なものあらば何でもお申し付け下され。全てご用意いたしまする。」


「では、お主に藤林衆を付ける。三之介、組衆の半数を茶屋商人として畿内に向かえ。」


「心得ました。我が叔父、対馬守保次を連絡役として向かわせまする。」


 四郎次郎の後ろに控えていた保正が低い声で返事した。



 茶屋四郎次郎は徳川家康の意を受け、全国の商人らを動かし、江戸城の改築及び城下町の整備に必要な資材人材を用意する事になる。集まった中には後に江戸で名を馳せる越前屋、鴻池屋、山形屋、角屋などが居た。



北條氏政

 北條家四代目当主。小田原城の戦にて籠城するも、秀吉の圧倒的な武力財力に屈し降伏する。その後秀吉の命により城内で切腹する。


北條氏照

 北條家家臣。氏政の弟として北條家を支えるも小田原城の戦にて降伏。兄と共に切腹を命じられる。


北條氏直

 北條家五代目当主。小田原城の戦では父の命に従い籠城するも最終的には父に降伏を勧めて開城する。家康の取り成しで切腹は免れ高野山に蟄居を命じられる。この時、督姫とは離縁する。


中村一氏

 豊臣家家臣。秀吉が長浜時代に家臣となる。山崎の戦いから武功を重ね、小田原征伐の功で駿河府中を拝領する。後に豊臣三中老の一人となる。


山内一豊

 豊臣家家臣。元々岩倉織田家の家臣であったが主家滅亡時に浪人し、その後木下秀吉に仕える。小田原征伐の功で遠江掛川を拝領する。


堀尾吉晴

 豊臣家家臣。岩倉織田家の家臣から一豊と共に木下秀吉の家臣となり、武功を重ねる。小田原征伐後に遠江浜松を拝領する。後に豊臣三中老の一人となる。


池田輝政

 豊臣家家臣。池田恒興の次男。父と兄が討死して池田家の家督を継ぐ。秀吉の下で武功を重ね小田原征伐後に三河吉田を拝領する。


田中吉政

 豊臣家家臣。秀吉が長浜時代に家臣となる。秀次の宿老となり、小田原征伐後に秀次が尾張に入ると、三河岡崎を与えられる。



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