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家康くんは史実通りに動いてくれません!  作者: 永遠の28さい
第八章:なにわの夢に消えゆく
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104.北條征伐の始まり

定期投稿になります。

物語は1590年の豊臣秀吉による北條征伐の話まで来ました。

今回は資料を漁りまくって参陣した各大名の兵力を後書きに記載いたしました。



 天文17年12月12日、山城国聚楽第。


「殿下、駿河大納言殿が参られました。」


 髭の手入れをしている秀吉の下に石田三成が現れ、要件を告げる。秀吉はちらりと三成を見て答えた。


「…小謁見の間に通せ。」


 三成は短く返事して去っていく。秀吉は機嫌よく髭の手入れを続けた。


 半刻後、秀吉は御殿内の小謁見の間に姿を現した。既に徳川家康が平伏して待っており、石田三成も中座の位置で不機嫌そうな顔で座っていた。秀吉は上座に腰を下ろして肘掛にもたれて家康に声を掛けた。


「駿河大納言、面を上げられよ。」


 家康は半分だけ顔を上げて口上する。


「御尊顔を拝し恐悦至極に存じ奉りまする。」


 秀吉は満足そうに頷く。


「さて、先触れにて聞いておるが、北條出征にあたって余に具申したき事…あるとか?」


 秀吉は面白そうな笑みを浮かべ家康を見た。家康がようやく顔を上げて秀吉と目を合わせる。その仕草は堂々とした態度で怯えや緊張は感じられなかった。


「…某は娘を北條五代目に嫁がせておりまする故、娘婿の為に、一通りの嘆願を申し次ぎたいと考え…恐れながら罷り越した次第に御座いまする。」


「北條への征伐は決定済で御座る!今更何を言われようとこれを変える事は出来ぬ!」


 石田三成が声を荒げて家康に返答する。家康は訝し気に三成を見てもう一度秀吉に頭を下げた。


「既に殿下は諸将に出陣を命ずる触れを出されており、その兵数は九州出兵の時とは比べ物にならぬ事となりましょう。…北條が如何に堅牢小田原城に籠ろうとも、殿下の威光に抗えるはずは御座いませぬ。」


 家康の言葉に秀吉は小首を傾げた。家康は何を言いに来たのか。てっきり北條を説得するから出兵をもう少し待って欲しいというものと思っていた。


「つきましては、小田原包囲後にあらゆる手を尽くして降伏を勧めまする故…氏直殿に一郡でも構いませぬので所領の安堵を頂けませぬか?」


 秀吉はにんまりと笑った。家康は北條との戦は最早避けられぬと考え、娘婿の助命を請うて来たのだ。このあたりの割り切り方が家康らしくて秀吉は面白そうに家康を見た。


「…余の勝ちは決まっておる故、命乞いか。…だがそれは向こうの出方次第であろう?」


「いえ、殿下の御心次第と思うておりまする。」


「お待ちなされ駿河大納言殿、殿下に対して少々口が過ぎまするぞ!」


 三成が先ほどと同じように声を荒げて家康を制する。家康は三成を睨み返した。


「貴様こそ、何の権限があって儂と殿下の話に割り込んでおるか!控えよ!」


 家康は喝を入れるかの如く三成に怒鳴った。迫力のある声に三成はやや身体を強張らせた。秀吉がそんな三成を見やって軽く笑った。


「佐吉…暫く黙っておれ。」


 三成は秀吉に頭を下げて座したまま後ろに一歩下がった。家康は秀吉に何か言われる前に自分の考えを言い放った。


「殿下は北條との戦、小田原城を包囲はせども、攻め入る事は致さぬおつもりでしょう。領内の諸城を悉く落とし、完全に孤立させて兵糧攻めにて降伏を待つ…そうお考えと存じます。」


 秀吉は僅かに眉を動かした。家康は話を続ける。


「…小田原城は以前十万の兵に囲われながらも、相手の兵糧不足を誘い連合を瓦解させて勝利しております。此度も先と同様、籠城して兵糧不足を誘い瓦解すると考えているでしょう。…ですが、北條氏政は殿下の財力、武力、御威光全てを侮っておりまする。」


 秀吉は頷く。家康の言葉に興味をそそらせ、聞き入っていた。


「今の殿下であれば、二十万の大軍を一年以上食わせるだけの兵糧を用意できまする。北條にはそれが分かっておりませぬ。…小田原を包囲後、某が直接氏政と対面し殿下の御力を判らせ、早々に降伏させることもできまする。既に東海道の整備を進め、殿下の進軍に不都合無き様普請して御座います。総攻めを命じられればこの徳川、先頭を切って小田原に攻め入りましょう!されど!…我が娘の婿殿は…殿下のご慈悲を賜りたく…。」


 家康は頭を下げた。渾身の嘆願であった。秀吉はそれを食い入るように見つめていた。秀吉は徳川家を危険視しつつも、家康と言う武将は高く評価していた。その家康が自分に頭を下げて誠に面白き嘆願を披露する。それが秀吉には満足感を与え心地よく感じていた。


「……佐吉、陣立て表を持って参れ。」


「は!?し、しかしあれは…」


「ええから、持って参れ!」


 秀吉に怒鳴られ光秀は慌てて立ち上がって出て行った。暫くして息を切らしながら戻って来て、大きな巻物を床に置いて広げた。


 それは、北條征伐の為の陣立て表であった。家康は秀吉の顔を伺いつつ覗き込んだ。そして顔色を変える。


 本隊第一陣に「徳川家康」の名が記載されている。兵割りは三万。それだけではなく、別動隊にも平岩、鳥居の名が記されていた。更には北国隊と称した欄にも真田、小笠原、依田の名が。その総兵数…およそ五万。…まだあった。水軍の補給地として清水湊が記載され、荷駄隊の駐留地点として、岡崎城、田中城の名が記されていた。

 徳川家が用意できるほぼ全軍、そして主要地域のほぼ全域を進軍路として負担するよう書かれていたのだ。


「…此度の戦、余の策は当に貴殿の申した通りじゃ。故に大納言殿の活躍を大いに期待しておる。…期待通りの働きを致せば…貴殿の願い、考えてやっても良いぞ。」


 書かれた内容は家康の領内を丸裸にし、兵力のほとんどを奪われ、重要拠点も予め抑えられたもので、普通に考えれば受け入れがたいものであった。だが家康は迷うことなく返答した。


「殿下の御意のままに致しまする。」


 秀吉は満足そうに頷いた。秀吉の考えた陣立ては徳川家にとっては辛辣そのものであった。北條征伐を利用して徳川家の力を削ぐように仕向けたものであった。だが家康は受け入れた。これを受け入れ耐え忍び、家名の存続に繋げればならなかった。



 家康が退出した音、秀吉は嬉しそうに笑う。反対に三成は不安そうな顔であった。


「北條家は滅ぼすおつもりでは…。家康の願いを聞き入れるので御座いまするか?」


「佐吉、家康の顔を見たか?あれは完全に心の折れた顔をしておったわ。これで徳川家も余に逆らう気概も無くなろう。北條家の一人くらい生かしてやっても問題にはならぬわ。」


 秀吉は笑った。勝ち誇った笑いであった。反対に三成は今まで以上に家康に対して侮蔑の感情を膨らませた。



 聚楽第を出た家康は、本多正信と合流して帰路に就いた。家康は正信にうまくいった事を報告しつつ馬を進める。だが正信は、馬上で少し顔色の悪い家康を見て、少し心配そうに声を掛けた。


「如何致しましたか?…嘆願はうまくいったはずでは?」


「…ああ。だが、思いも掛けず陣立て表を見せられてな。徳川家が丸裸にされるような兵割りであったわ。……また家臣らに文句を言われてしまうわ。」


 正信は視線を前に移して考え込んだ。そして自分なりの答えを導き出す。


「関白殿下は北條家との戦を通じて我らを弱体化させようと言う腹積もりで御座いますか?」


「五万を用意せよ…だ。清水湊も開港せねばならぬ。街道なんぞは自由に往来だ。豊臣家はおろか他の諸侯らにも我が領内の事情が丸見えになる。」


「…これは又、非常に難儀な事になりましたな。」


 正信は困った顔をして見せた。だが家康程深刻には考えていなかった。既に彼の頭の中には策が考えられつつあったのだ。




 天正18年1月、豊臣秀吉は大坂城で年賀の儀を盛大に取り行うと、全国の諸将らに向けて北條家討伐の挙兵を命じた。2月には豊臣軍の先発隊が大坂城を出立する。堀秀政三千、長谷川秀一三千、池田輝政三千の軍が東海道を東進した。同時に堺湊から大量の物資を積み込んだ船団が駿河に向けて出港する。舟は九鬼水軍の先導で清水湊へと向かった。

 2月18日には織田信雄の一万三千が伊勢を出発し、これに続く形で生駒親正、筒井定次、細川忠興ら一万五千が東へ向かった。

 2月20日には北国勢と呼ばれる前田利家、上杉景勝らの軍が中山道に集結する。

 そして2月23日に徳川家康も二万の軍勢を率いて駿府城を発った。25日には徳川領の東端、沼津城におよそ五万の軍勢が集結した。


 一方、北條氏政は領内の国衆らに小田原城に集結する様号令を発し籠城戦の準備に入った。2月末には家康の使者として板倉勝重が北條氏政に面会を求めたが、小田原城の大外門の門前で追い返された。北條家は完全に豊臣軍と交戦する姿勢を見せたのだった。だが北條が使者を追い返している間に、最前線となった沼津城には次々と豊臣軍が参集し、その数は十万まで膨れ上がっていた。


 3月2日、秀吉からの最初の軍令が沼津城に届いた。毛利輝元を大将として、水軍衆を率いて伊豆の諸城を攻めよというものであった。輝元は、九鬼嘉隆、来島通総、脇坂安治、長曾我部元親らを引き連れ、伊豆長浜城へ攻め込んだ。長浜城は翌日落城する。豊臣水軍は勝った勢いをもって伊豆半島の海岸沿いに船を動かし、南下した。


 3月15日には、前田利家、上杉景勝、真田昌幸、依田信蕃らが碓氷峠を越えて上野国に進軍し、松井田城攻めを始めた。松井田城には周辺諸城から兵が集められており、箕輪城主の大道寺政繁が守将となって豊臣軍を迎え撃った。


 3月27日、豊臣秀吉が沼津城に着陣する。この時点で十五万の軍勢が集結しており、多くの兵が城外に陣幕を張って野営する状態であった。

 秀吉は主だった将を集めて軍議を始めた。


「官兵衛、先ずは敵の状況を報告せい。」


 秀吉に呼ばれて片足を引きずった男が進み出て諸将が集まる机上の絵地図に手を伸ばした。


「我らはこの沼津城に兵を集結させました。…その数十五万。これに対し北條軍は八王子、山中、韮山に城を築き、守備兵を入れております。…山中城には北條氏勝が約三千、韮山城には北條氏規が二千五百、八王子城には北條氏照が三千。何れも我らと比べれば少数での守備の為、適当に囲っておいて本隊は先へ進んでも構わぬでしょう。」


 秀吉が絵地図を覗き込む。そして顎に手を当てた。黒田孝高は説明を続けた。


「上野方面は、北国勢が松井田城を攻撃中で、敵の守将は大道寺政繁とのこと。しかし、此処を突破すれば他の諸城は五百程度の守備兵しか残しておらぬ様子で一気に南下できるものと考えております。」


「佐竹らはどうした?」


 秀吉の問いに孝高は直ぐに絵地図で説明した。


「既に宇都宮城に兵を集結させており、殿下の号令を待っている状態に御座ります。」


 孝高の報告は秀吉を満足そうに頷かせた。そして控えている石田三成を見やった。


「兵糧のほうはどうじゃ?」


 秀吉に問われて三成は前に進み出た。


「既に清水湊に二十万石を運び入れており、荷駄奉行として増田長盛殿、長束正家殿が定期に前線へ運び入れる手筈となっておりまする。更には大坂に十万石ほど予備兵糧を用意して御座います。」


 三成の報告に秀吉は何度も頷いた。そして居並ぶ諸将に顔を向け言い放った。


「此れより、余に従うことを拒否した不埒者らを討伐に向かうとする。…兵力も兵糧も率いるうぬら将の質も此方が上じゃ。負けることなど万に一つもない。…明後日には山中城、韮山城を攻める。…山中城には豊臣中納言秀次を大将に徳川大納言、堀秀政、池田輝政、木村定光、長谷川秀一、丹羽長重らで攻めよ。韮山城には織田内大臣信雄を大将に蒲生氏郷、福島正則、細川忠興、森忠政、筒井定次、中川秀政ら攻めよ。」

 諸将らは勢いよく返事した。評定は終了し、諸将らは自陣へと去っていく。家康はやや間を置いて秀吉に歩み寄った。


「…殿下、我らは二万で宜しかったのですか?」


 秀吉は機嫌よく家康の肩を叩いて言い返した。


「思うたよりも兵は集まっておる。これで十分じゃよ。貴殿も多少は楽であろう?」


 多少どころか、かなり楽になった。だがそれは評定に現わさずに「お気遣い感謝いたしまする。」と礼を述べた。



 天正17年3月29日、豊臣軍は二手に分かれて軍を進め、伊豆国に攻め入った。豊臣秀次率いる七万が山中城を囲み、織田信雄率いる四万が韮山城に向かった。




北條征伐軍

豊臣本隊

 豊臣秀吉………八千

 豊臣秀次………一万五千(総大将)

 徳川家康………二万

 織田信雄………一万三千

 蒲生氏郷………四千

 織田信包………三千五百

 羽柴秀勝………三千

 堀秀政…………三千

 浅野長吉………三千

 池田輝政………三千

 長谷川秀一……三千

 細川忠興………三千

 蜂須賀家政……三千

 筒井定次………三千

 生駒親正………二千五百

 中川秀政………二千五百

 森忠政…………二千五百

 宮部継潤………二千五百

 木村定光………二千

 戸田勝隆………二千

 一柳直末………二千

 石田三成………一千五百

 吉川広家………二千

 大谷吉継………一千

 丹羽長重………一千

 金森長近………一千

 石川吉康………一千

 高山重友………一千

 黒田孝高………五百

 長束正家………四千五百(荷駄衆)

 増田長盛………四千五百(荷駄衆)


北国勢

 前田利家………一万八千

 上杉景勝………一万

 真田昌幸………三千

 依田信蕃………四千


水軍衆

 毛利輝元………一千五百

 小早川隆景……一千五百

 長曾我部元親…二千五百

 九鬼嘉隆………一千五百

 宇喜多秀家……一千

 脇坂安治………一千六百

 来島通総………八百

 加藤嘉明………六百


北関東勢

 佐竹義宣………一万

 宇都宮国綱……三千

 結城晴朝………五千

 多賀谷重経……二千

 里見義康………三千


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― 新着の感想 ―
[良い点] 駿河大納言て言われると忠長卿のイメージ強いけど、考えてみりゃそりゃ家康だって内府になる前には大納言だった時期あるよね [気になる点] 佐吉が光秀になってる件
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