100.戦なき戦い
定期投稿です。今週は一話です。
天正13年12月8日、羽柴秀吉は奉行衆の一人、前田玄以を使者として徳川家の臣従交渉を始めた。徳川家側の取次役は本多重次が取り行い、まずは使者同士の関係構築から始まった。
秀吉は同時に他の諸侯らにも臣従を要請する使者を送っている。上杉家には石田三成が向かい、真田家には生駒親正、北條家には黒田孝高が、更には信濃の小笠原貞慶に浅野長吉が使者として当主と面会している。
最初に応じたのは小笠原貞慶であった。徳川家の影響力がまだ弱い信濃では、小笠原家の臣従によって大きく揺れた。信濃総奉行の大久保忠世は改めて徳川家への忠誠を誓う誓紙を国衆らに求め、鎮静を計る事になった。
次に応じたのは意外にも真田家であった。当主の昌幸は元服したばかりの次男信繁を大坂に送り、臣従の意を示した。だが北條家との緊張が続いており、自身の上洛は見送っている。
天正14年2月、徳川家康は居城を駿府に移した。以前より築城中であったがようやく二の丸まで完成した為、側室らを連れて移動した。
この時、家康は西郡殿を始めとした側室らと面会しているが、意外にも誰も家康が入れ替わっている事に気付かなかった。最も寵愛を受けていた西郡殿でさえ、整えた髭を褒め称えるばかりで家康の正体に気付いた風はなく、家康としてはほっと胸を撫でおろした。
そして2月19日、家康が待ちに待っていた人物が駿府に到着した。家康はその人物との密かに会見の場を設ける。
家康と阿茶の二人で待っていると、服部半蔵の案内で薄汚れた袈裟を纏い弟子と思しき体格の良い僧を連れた老僧が部屋にゆっくりと入り、家康の前に座った。家康は老僧ににこやかな顔で挨拶をした。
「お久しぶりで御座る。」
僧侶はあらかじめ半蔵から説明を受けていたようで驚きもせずに笑顔を返した。
「このような形でお会いすることになろうとは思いもしませなんだ。」
老僧の顔色は悪かった。明らかに病を患っている顔である。それでも笑顔を家康に向けている。
「事情が事情だ。…弟子を返して貰いたくてな。」
同席していた阿茶が小声で呟いた。
「弟子……?」
家康は阿茶の声に小さく頷いて、もう一人の若い僧に視線を移した。「面を上げられよ」の声にゆっくりと顔を上げ家康と目を合わせてにこりと微笑んだ。
「…お久しぶりです、先生。」
若い僧は家康を見て「先生」と呼んだ。阿茶が不思議そうに家康を見る。家康もちらりと阿茶を見て、其れから話を続けた。
「此処まで来られたと言う事は、我が弟子をお返し頂けると思って宜しいか?」
老僧は咳を何度か出してからゆっくりとした口調で答えた。
「…1つお願いが御座います。私の身体は御察しの様に病厚く、あと一年も生きられぬでしょう。ですが、私が得た知識や得度等は全てこの者に身に付けさせており申す…。ですがあと三年、いや四年…武蔵の無量寿寺にて修業の時を得れば、拙僧が受ける法名を授けるに相応しい僧となるでしょう。さすれば、徳川様が思うておられるよりも役に立つ僧として、お仕えする事ができましょう。」
「功徳を積むまで待てと申すか。」
「この願い、どうかお聞き届け頂きたく…。」
老僧はゆっくりと頭を下げた。家康は考え込んだ。前世の知識において、この老僧は家康と大きく関わっている。だがそれがこの世界では病を患い死にかけているとなると、問題になるかもしれぬ。ならば弟子に名を継がせるようにした方が良いのかもしれない。
「相わかった。」
その言葉に老僧が咳をしながらも嬉しそうな表情をした。その横で若い僧が頭を下げる。
「有難う御座いまする、先生。…必ずや先生の御役に立てる様精進して参りまする。」
そう言って平伏した。
この間、阿茶は呆然とした表情で見ていた。勘の鋭い子で、この若い男がいったい誰なのか、察しがついたようだ。家康は阿茶にこの事を内密にしておく様に念を押し、二人との会談を終えた。
天正14年3月12日、信濃の小笠原貞慶が大坂に上洛し、秀吉に忠誠を誓った。これにより、小県の真田、福島の木曾、深志の小笠原と、信濃国の三分の一を失う事になった。家臣らは討伐の兵を挙げるべきと主張したが、秀吉と事を構えたくなかった家康は、敢えて無視する様皆に命じた。
天正14年4月、秀吉の外交交渉を通じた家康への圧力が強まる。秀吉は大胆な策に出た。自身の妹、朝日姫を家康の継室として嫁がせようと考えた。普通に見れば大名同士の婚姻による軍事的或いは政治的同盟である。だが羽柴と徳川の場合は違う。婚姻を結ぶことで家康は秀吉の妹婿となり、羽柴家に従属する理由として十分になり得る事柄であった。本多重次はこれを断る事ができず、婚姻が決定する。家康自身も分かっていた事とは言え、四十を超えた女性を妻に迎えるのには複雑な感情を抱かるを得なかった。
5月14日、秀吉の妹、朝日姫が駿府に到着する。型通りの挨拶に型通りの祝言、この婚姻には秀吉以外誰も喜んでいる者はおらず、式も淡々と進み、単なる儀式にしか見えぬ有様であった。
式を終えた夜、家康は平服に着替え、朝日姫のいる二の丸大屋敷へ向かった。朝日姫側は家康が訪ねて来るとは思いも寄らず、慌てて準備する事になり、家康は四半刻ほど待たされての対面となった。
家康はゆっくりとした足取りで部屋に入り上座に座る。下座には朝日姫が衣服を整えて平伏していた。
「面を上げられよ。」
家康の言葉に朝日姫が顔を上げる。化粧はしているものの四十代の女性の顔であり、愛でるには無理があるなと思う。表情も不安そうであった。
「今日はお疲れで御座ったろう。労を労おうと思うてな…足を運んだまでじゃ。」
周囲の女官らがほっとした表情を見せる。だが次の言葉が女官らを不安にさせた。
「暫く席を外せ…二人だけで話がしたい。」
殿に命じられて断る事は出来ない。女官らは静々と部屋を出て行く。二人きりになったところで家康は上座から降り、朝日姫の前に座った。そしてゆっくりと頭を下げた。
「……儂と関白殿下の争いに巻き込む事とになってしもうて…すまぬ。お気持ちをお察しすると云えば、其方には失礼であろうが…不自由はさせぬつもりじゃ。…何なりと申してくれ。できる限りの事はしよう。」
思いもかけぬ言葉に朝日姫は涙を流した。
「お気遣い…かたじけのう存じまする。」
朝日姫は小声ながらも礼を述べる。家康は心が痛んだ。朝日姫を哀れんでの言動だからではない。余計な事をされぬ様にという思惑からの言葉であった為、静かに頭を下げる朝日姫を直視できなかった。
「貴方が此処の生活に慣れるまでは、儂も暇を見つけて顔を出そう。城も城下も新しい。日々面白き事も起きておる。話には尽きぬと思うぞ。」
そう言って家康は朝日姫を励ました。
こうして家康は羽柴家との縁を結んだ。同時に彼女は人質であり、秀吉は徳川家と事を構えるつもりがないことを家康に示した。西ノ丸から戻って来た家康に本多正信が近寄り声を掛ける。
「…もう少しですな。」
家康は正信の顔を見ずに頷く。
「秀吉は九州に攻め入る気だ。その為に兵を損なわずに儂を配下に納める策に出た。儂の持つ五ヶ国は関東の動きを抑えるのにちょうど良い。…もう少し粘れば秀吉の政権下でかなりの地位を得る事ができよう。」
正信は家康が状況を把握できている事を確認すると無言で一礼して自らの仕事に戻った。
5月に入り、北條家と真田家の関係が急に悪化する。北條氏直は同盟国である徳川家に真田討伐に合力するよう要請してきた。家康は取次役である板倉勝重を通じて要請をのらりくらりと躱していたが、督姫を送り返すと脅してきたことから、止むを得ず、真田討伐の兵を挙げた。
7月11日、家康は鳥居元忠三千、長坂信宅一千、旗本衆五千を率い、甲府まで出陣する。甲府城まで兵を進めると、平岩親吉三千と合流して本陣を敷いた。そして人質として預かっていた真田信伊を呼び出す。
「徳川の使者として、真田殿に会って貰いたい。」
家康の要請に信伊は平伏して応じる。信伊は真田家が独立後に牢に入れられていたが、此度の使者を務める事で直臣に取り立てる事に応じたのだ。
「真田殿は既に関白殿下に服属されておる。徳川家としても殿下と事を構える気はない。よって殿下からの停戦の使者が到着するまで、北條家に対しての義理を果たす態度を示す。…そう伝えて貰えば真田殿ならば理解して貰えるであろう。」
家康の言葉に信伊も真意を理解した。早速使者として信伊は馬を飛ばし、北條軍と睨み合いを続ける沼田城に向かった。
「おお、市右衛門!久しぶりだの。」
城内にて面会に応じた真田昌幸がにこやかに挨拶する。
「何を言われまするか。某を見捨てて主家を乗り換えたくせに…。」
信伊は兄に対して文句を言う。昌幸は大声で笑った。
「済まぬな。…で、徳川殿の使者と聞いたが?」
昌幸は弟の文句を軽く躱して本題に入った。弟は不機嫌な表情をしつつも書状を渡す。中身を確認した昌幸はにやりと笑った。
「徳川殿は状況をよく理解しておられる。…相分かった。お勤めご苦労、とでも伝えてくれ。…既に関白殿下には救援を要請する使者を出しておる。直ぐにでも戦は終わろう。…さすれば儂の所に戻って来い。」
昌幸の誘いに信伊は小難しい顔で首を振った。
「兄上のお誘い…有難き事なれど、某は徳川殿の家臣となる事を決め申した。今更約を違える事は出来ませぬ。」
信伊の意外な返事に昌幸は表情を曇らせた。だが暫く考えてからにこっと笑う。
「お主が決めたのであれば儂が文句を言う事ではないな。後で妻子郎党を送り届けよう。」
昌幸は信伊の決意を尊重した。考えなしに主を変えるような男ではない。というのが昌幸の弟に対する評価であった。
真田家も徳川家も秀吉の仲裁による早期和睦を期待していた。だが以外にも思い通りには行かなかった。秀吉は徳川家が真田家に直接手を出すのを待っていたのだ。この為、真田家の要請に対し「諸事収めて使者を送る」と回答しておいて、様子を窺う姿勢を取った。
9月になって北條家取次役を担っている黒田官兵衛が、徳川家康が一向に上田城を攻めない事に不満を漏らしているという情報を手に入れ、秀吉に進言した。
「徳川家は真田を攻める気が無いようです。北條が再三の上田城攻めの要請に対して全く応じておりませぬ。」
官兵衛の報告に秀吉は舌打ちした。小姓に扇子を扇がせて暑さを凌ぎつつ煙草を吹かす。
「……待っていても此方の思い通りには動かぬか…。家康め…隙を見せぬ男よ。」
そう言いながらも、秀吉は更に一月だけ待った。この間に、秀吉は帝から「豊臣」の氏を賜り、源平藤橘と並んで五つ目の氏を名乗る家として、大きな権威を得る事に成功した。
その間も徳川家は甲府の本陣からは一歩も動かず、10月8日に秀吉から使者が北條軍、徳川軍に到着した。
10月10日、北條軍は秀吉の停戦調停に応じて軍を撤退させる。徳川軍もこの動きに合わせて兵を引いた。秀吉の思惑は外れたものの、家康が自分に臣従する意思がないことが判り、次の手を打つ事にした。
実母、大政所の駿府行きである。
秀吉は取次役を通じて家康に母を朝日姫の見舞いに駿府まで送る事を伝えた。家康は此れを聞いてすぐに本多重次に大政所を丁重に駿府まで送り届ける様命じた。そして本多兄弟を呼び出した。
「秀吉が自分の母を質に出して来た。…お主らの存念を申せ。」
正信は頭を掻いた。
「そろそろ引き延ばしは限界…でしょうな。」
「敵は九州遠征の支度を整えている為、何時でも出兵の準備は整っております。判断が遅ければ口実を与える事になるでしょう。」
正重が相手の状況を付け加えた。家康は二人の意見に頷き、遂に決意した。
10月22日、大政所が駿府に到着し家康と面会を行うと、直ぐに大政所を二の丸に案内して諸将を集めた。
「儂は…これより上洛致す。」
家臣らは驚きはしなかった。これまで家康の思惑を聞いていた為、その決断がやっと訪れたと思う程度であった。だが家康の次の言葉には全員が驚いた。
「供は半蔵だけとする。他は旗本衆百騎程度で良い。お前たちは領内で待機せよ。」
すぐさま榊原康政が意見を言う。
「危のう御座います!せめて二千騎と我らの同行を!」
家康は首を振った。
「…その程度で行った所で殺されるときはあっと言う間じゃ。それよりも不測の事態に備えて将は此方に残しておく。」
不測の事態…それは上洛した家康を秀吉が騙し討ちして首を上げる事に他ならない。
「儂に何かあれば長丸を次の当主と定める様、朝日殿に申し伝えてある。お主らは、長丸を新たな主と仰ぎ、徳川家を盛り立てよ。」
家康の言葉に集まった重臣らは息を呑んだ。言い返す言葉が見つからず、黙って家康を見つめている。そこに家康は言葉を続けた。
「もし、秀吉が儂の首だけでは飽き足らず、我が領土に踏み込んで来るようであれば、此処にいる本多兄弟の指示に従え。三弥左衛門には襲い来る敵兵を三河で迎え撃ち引き分けに持ち込む策を考えさせてある。弥八郎はその後に秀吉と幾らかの領土安堵を勝ち取れるよう交渉するよう命じてある。…心配するな。あくまでも儂が大坂で討たれた場合の話だ。儂も、弥八郎もそれはないと踏んでおる。」
「ならば我らを同行…」
酒井忠次が言いかけた所で家康が発言を制した。
「徳川家の存亡を第一に考えるのだ。その為に打てる手は全て打つ。…儂はそう言ったであろう。」
家康の決意の固さに他の家臣は何も言えず、黙って見守っていた。他からは何も意見が出ない事を確認して家康は膝を叩いた。
「大坂から帰って来るつもりでいるが…後は任せたぞ。」
家臣らが此れが家康の最期の言葉とならないよう祈るしかなかった。
天正14年10月23日、徳川家康は僅かな家臣を引き連れ上洛の途についた。
前田玄以
豊臣家家臣。元は織田信忠の家臣であったが、本能寺の変後に秀吉に仕える。豊臣家の奉行衆として後に五奉行の一人となる。
生駒親正
豊臣家家臣。元は織田家奉行衆の一人であったが、本能寺の変を経て秀吉に仕える。
浅野長吉
豊臣家家臣。秀吉の正室ねねの妹を娶っており、一門衆扱いで大坂の奉行衆を束ねる。後に五奉行の筆頭に挙げられる。
朝日姫
豊臣秀吉の異父妹。佐治日向守に嫁いでいたが、離縁させられ家康の継室となる。婚姻後は駿河御前と呼ばれる。
大政所
豊臣秀吉の実母。本名は「仲」だが、秀吉の出世に伴って朝廷から官位を与えられ大政所と名乗る。
豊臣秀吉
天正14年9月9日、正親町天皇から新姓として「豊臣」を賜り、関白豊臣秀吉と名乗る。同年12月には太政大臣にも就任し、位人臣を極める事になる。